「リアル浦島太郎」脳内散策

内容

「他人の脳に入り込む」

「マルコヴィッチの穴」体験

「プリゾ二ゼーション(prisonization)」

犯罪被害者遺族の声

 

「他人の脳に入り込む」

先回の記事を書いた後、私はいつもの癖が出ました。

「マルコヴィッチの穴」という癖です。
「マルコビッチの穴」について:NEUノイsolution 「マルコビッチの穴」感想 (neusolution.matrix.jp)も参照ください。

「他人の脳に入り込む」というアイデアが絵描かれた1999年のアメリカ映画です。
それは“15分間だけ俳優ジョン・マルコ ヴィッチになれる”穴だった!
7と1/2階の穴からマルコヴィッチへ15分だけ落っこちる話。

1999年アメリカ映画 スパイク・ジョーンズ監督デビュー作品 アカデミー監督賞にノミネートされ、当時は評判になった。

定職のない人形使いのクレイグは、新聞の求人欄を見てマンハッタンにあるオフィスビルの7と1/2階にある小さな会社に就職する。文書整理の仕事を得た彼は、ある日落としたファイルを拾おうとキャビネットを動かし、偶然壁に小さなドアを発見する。ドアを開けて穴の中に入った彼は、それが俳優ジョン・マルコヴィッチの脳へと続く穴であることに気付く。なんとそれは“15分間だけ俳優ジョン・マルコ ヴィッチになれる”穴だった!
マルコヴィッチの穴 : 作品情報 – 映画.com (eiga.com)

ストーリー

クレイグ・シュワルツは、人生の崖っぷちに立たされていた。街頭芸人の人形使いとして才能があるにもかかわらず、ニューヨーク にはその特別な才能を生かす場所がなかった。ペットショップに勤める妻ロッテは、家にまでペットを持ちこみ世話するありさま。そんな妻との10年に及ぶ結婚生活もすっかり冷え切っていた。ふたりの夫婦生活には、お金もなければ愛もなく、そして逃げ道もなかった。

ある日、定職に就こうと新聞の求人欄を何気に見ていると「手先の器用な人求む」という広告を見つける。とりあえずクレイグは、 マンハッタンのマーティン・フレマー・オフィ スビルの7 と1/2階にある小さな会社、レスター社の文書整理係の仕事を得る。その後の7と1/2階の説明会で美しいOLマキシンに出会ったクレイグは、彼女に一目惚れしてしまう。マキシンに振り向いてもらいたい、愛されたい。クレイグは彼女を追いかけるが、彼女は鼻にもかけてくれない。

相手にされずがっかり肩を落とすクレイグは、オフィスにこもってファイル整理にいそしむ。いらいらして引き出しを勢いよくたたきつけたあまり、ついファイルをキャビネットの裏に落としてしまう。ファイルを拾おうとキャビネットを動かしてみると、そこに上から板をかぶせた小さなドアを見つける。興味をもって開けてみると何とそこには穴が。 慎重に中へ潜りこんでいくと、突然穴の奥へ 吸いこまれてしまう。明るい閃光が一瞬ひらめいたかと思うと、クレイグは自分がとんでもない発見をしたことに気づく、それは俳優のジョン・マルコヴィッチの頭の中につなっがっていた、と言うユニークな体験への穴だった。クレイグは今ジョ ン・マルコヴィッチになっている!

単に他人になるのではなく、俳優として名を成しているジョン・マルコビッチになることで名誉欲や独占欲が表出する主人公クレイグや自分の中に潜む男性性に目覚めてしまったクレイグの妻・ロッテの姿、その一方何か心の奥底に潜む秘密を明かされたようで居心地の悪さも感じてしまうという作品。
マルコヴィッチの穴 : 極私的・映画情報備忘録 (blog.jp)

「マルコヴィッチの穴」体験

浦島さん(ここではそう呼びます)は、囚人として生きた61年間は、アイデンティティーもそれ以前と異なりたった一つの「囚人番号○○○○号」だけです。刑務所職員をはじめ、仲間からも、おい「○○〇〇号!」と呼ばれていたことでしょう。

刑務所を出た途端、そのアイデンティティー「囚人番号○○○○号」は消え去り(当然ですが)忘れかけていた自分の名前が登場します。

アイデンティティーの最高位を占める名前が一瞬にして変わる感覚、想像できますか?
きっと他人の名前のように感じることでしょう。
名前を呼ばれた感覚には、新鮮さがあったのでしょうか?

そうではなく「変な気持ち」になったことでしょう。

それと同時に周囲の環境は、慣れ親しんだ管理のシステムとは異なる「自由」とかいう不安な環境。「自由」を解せないまま対応を迫られる不安極まりない環境へと投じられ、途惑うばかり。

名前を呼ばれた途端「個」が始まります、「個」は「他」との差別化であり、自我、新たなアイデンティティーなどが包摂された自己の誕生です。

投獄以前にはそのすべてがあったものの、61年も長きにわたり隔絶された箱の中の生活によって、そのすべては記憶から消し去られてしまったことでしょう。

「プリゾ二ゼーション(prisonization)」

先回の投稿の中で「プリゾ二ゼーション(prisonization)」という言葉に触れました。
プリゾニゼーションは、監獄や監禁に適応してしまうこと、の意味で、 適応するというのはどういうことかというと、 従属的、依存的、受動的になり、ただ言いなりに動く人間になってしまうことだそうです。動くことはできるけど、自分で考えて動かなくなり、人の考えに合わせて動くことのようですね。

このような状態の日常がルーティンとなってしまった彼にとっては、それが常識であり、それが普通なので、拘禁とか投獄とかいう私たちにとってのネガティブな常識とは程遠い「ただ普通の生活」として生きてきたことでしょう。

ましてや83歳という高齢になって、今更新しい「自己の誕生」などに対応できるとは到底考えられません。

つまり彼にとっては、83歳になって無期懲役刑から自由自立刑という重刑を言い渡され別の自由監獄という場所に移された、丁度都会に育って何もかも便利な生活をしていた人が何の準備もなく山の中に放たれるも同然のような状況なのではないかと思ってしまいます。

同時に、管理的構造により人間がこれほど「考え、決定し、選択する能力」を奪われる恐ろしさの実態を知らされました。

日本社会の根底にはこういった管理機体制の残骸が見え隠れし、まだまだ市民権を失わない状況下にあります。

つまり、ここまで極端な「プリゾニゼーション」には至らなくても、「足並みを揃える」文化は色濃く、その洗脳から解放されない人々も多いと感じています。

「プリゾニゼーション」の従属的、依存的、受動的、という特徴は、協調性を強いられることから派生する特徴です。
そして、このような社会的圧力に抵抗する若者たちも増えています。
「考える」ということの重要性を投げかけられた想いです。

犯罪を犯すことのデメリットを真剣に考えられるような教育を願うばかりです。
ある意味ではこの「リアル浦島太郎」の脳内散策が、それを教えてくれた気がします。

自分とは大きく異なる価値観、異なる世界観、異なるルーティンの経験者を観察し勝手に脳内散策を図ることで、新たな気づきにつながるかもしれません。

理解不能な相手に怒り、嫌悪する前に、ゲーム感覚で試してみるのもあながち時間の無駄にならないのでは?

犯罪被害者遺族の声

ここにリアル浦島太郎「日本一長く服役した男」NHK番組に犯罪被害者遺族として取材を受けられた方の記事「プリゾニゼーション」より抜粋引用しご紹介します。

冒頭の刑務所員とのやりとりや受け入れ施設での態度からは、哀れみを感じるのみだった。「飼い慣らされた犬」も同然だ。「プリゾニゼーション」という言葉は知っていたけれども、私の想像をはるかに超えていた。

無期懲役囚のように、長期間受刑している者の多くは、長い拘禁生活に適応するために、身の回りの事象以外は無気力、無関心となり、看守への従属、依存度を高めていくという。テレビ画面に現れた男は、まさにその状態であった。自由の身になったことに戸惑い、どうしてよいか分からない状態だった。あそこまで自分でどうしてよいか分からない状態になるのかと驚いた。何もかも指示されないと自分で判断することもできない。60年以上もただ生かされてきただけの人間の姿を見た。長年服役して看守の指示通りに動くという生活を何十年も続けて、もはや社会の中に放り出されても、どう生活していったらよいか分からない状態である。

 

私自身の気持ち

私自身、母を殺害した犯人があのような状態で目の前に現れたら、許す許さないというより、「もうどうでもいいよ」という気になるかもしれない。同情しているわけでもない。恨みが消えているわけでもない。ただ人間の形をした生き物を前にして呆然としているといった方がよいかもしれない。
「哀れな奴だ」と言うしかない。

仮釈放は男にとってよかったのか

特別調整

なぜ60年以上もたった今仮釈放されたのだろうか。高齢者や障害者が出所する際、必要な福祉サービスを受けられるよう「特別調整」という制度ができた。この元受刑者は戦争孤児で身寄りがなく身元引受人がいないことで長い間仮釈放されないできた。しかし10年ほど前にこの「特別調整」という制度ができたことによって、福祉施設で身元を引き受けてもらえることで出所できたのだろう。

背景には、厳罰化による高齢者の服役者の増加がある。刑務所の中では対応できなくなるほどの問題となっているのかもしれない。

仮釈放されない方がよかったのかも

高齢者は仮釈放せずに、刑務所の中で死なせてやった方が幸せだろう。犯罪被害者遺族としてこんな心配をする義理もないのだけれど(苦笑)。娑婆に出てきても人間的な扱いは受けられない。普通の人間として生きていくのは無理だ。

理想を言えば、もっと社会復帰の可能な年齢での仮釈放だけれども、再犯が恐いし、遺族としてもあまり早く出所されると感情的に許せない。模範囚といっても、刑務所の中のルールと一般社会のルールは違う。模範囚だからといってすぐに社会に適応できるとは限らない。本当に難しい問題だと思う。
プリゾニゼーション|岸村紀夫のブログ (koki27.com)

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