「生きる糧」

 

  幸福感か優越感(プライド・面子)か

 

目次

「自分の弱さを含めて自分が好き?」好きと答えた人 日本人45% 米87% ????

ChatGPT

GAKT

「僕は自分のことがすごく嫌いだった」

集団主義と個人主義

あなたにとっての「生きる糧」は?と聞かれたら

幸福感を損なう優越意識

優越意識は軍服の階級章

参考:

 

「自分の弱さを含めて自分が好き?」好きと答えた人 日本人45% 米87% ????

 

まずは本題に対するGPT見解から

ChatGPT

自己愛や自尊心に対する考え方は、文化や社会の中で形成される傾向があります。 日本文化では謙遜や控えめさが重んじられることがあり、自分の弱さを認めることやそれを受け入れることが難しいという見方がされることがあります。

一方で、米国の文化では自己肯定感や自己啓発が重視されることがあり、自分自身を肯定し、弱さも含めた自分自身を受け入れることが一般的な考え方として浸透している可能性があります。

自分の弱さを含めた自己受容や自己愛は、精神的な健康や幸福感にプラスの影響を与えることが研究で示されています。 自己肯定感を高め、自分を受け入れることは、バランスの取れた心の健康につながる可能性があります。

GAKT

2023/11/15放送「ホンマでっか!?」 TVにおいて、植木理恵(心理学者)言及び、
2023/11/22放送同番組も同じようなテーマだったが、アーティストGAKTの生き方から学ぶものが多かった。

11月22日(水)放送の『ホンマでっか!? TV』は、「GACKTのココロ徹底解明SP&ホンマでっか!?ベストバイ」をお送りする。 今回のゲストは、11月23日(木)に主演映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~』が公開となるGACKT。 音楽活動だけでなく、俳優業など多方面で活躍し、さらにプライベートではマレーシアに移住し、常に世間を驚かせてきたGACKT。 そんな謎多き存在であるGACKTの心の中を、『ホンマでっか!TV』が誇る評論家軍団が徹底解明! 今夜、GACKTの全てが明らかになる!?

明石家さんまと約10年ぶり共演! 謎多きGACKTを評論家軍団が徹底解明! 秘密の過去が明らかに? – フジテレビ (fujitv.co.jp)

「僕は自分のことがすごく嫌いだった」

  • ・悩む時間はムダ。
    ・思い立ったらすぐ行動する。
    ・悩むことを一切やめた。 (20歳から)
    ・5分悩むことを12回で1時間、それを一年では365時間、
    約23日間くらいムダ時間を過ごすことになる。
    ・2択で迷ったときは難しい方を選ぶ。もし間違ったら
    自分の能力を再検討できる。
    ・未経験なことでも僕ならできるかもしれない。
    ・悩みの相談「別れようと思ってるんだよね」「じゃー別れたら」
    ・答えは決まってるんだから、そのムダな時間に僕を使うなよ!
    ・僕は無駄な時間をわざわざ作っている。
    お茶を飲みながら頭を空になるまでボーっとする。
    空になったらお茶を飲むのをやめる⇒瞑想
    GAKT]さんは「健全なナルシスト」、ストレスを感じない。
      メンタルが強い、⇆自信⇒鬱になりにくい。
      アイルランドの研究(745人)疲労評論家 梶本修身
    ・痛みに鈍感、ただかゆみに弱い
    ・心拍は遅い、瞬きの回数は少ない。
       怖れ知らずの支配性⇒認知科学 中野信子
    ・自分のことが嫌いだった(病弱・声)
    ・嫌いな部分を少しづつ減らせると思った(嫌いなままの人生は幸福ではない)
    ・アイスクライマー;
    上に上がってゆくために壊すゲームが好きだった⇒人生そのもの。
    バトルゲームはしない⇒喧嘩は嫌い。
    ・冷たいと言われる⇒誰かの傷をなめることではなく、
    前に進める力を呼び覚ませたい。
    ・冷たいと思われることは気にならない。
    ・話を聞くとき不動
      動きから感情の動きを感じるので、不動では感情を見抜けない
      ⇒冷たいと思われる。中野
    ・女性と3時間いて口説けない娘は口説かなくていい人と思う
    ・振られても気にしない⇒「次行こう!」と思う
      女性からの質問で「間を開ける」と、イニシアティブをとれる。中野
      呼吸だけ自分でコントロールできる。
      相手の呼吸も自分と合わせようとしている 中野
    ・武道をやっているが、相手の呼吸を読むことが一番大切
    ・さんまさんはエネルギーの放出量がスゴイ(自分には無理)
    ・僕は相手を引き寄せて口説くタイプ

ホンマでっか!? TV – フジテレビ (fujitv.co.jp)

集団主義と個人主義

上記のことから見えてくるものがあります。

55%の日本人が「自分を好きじゃない!」と答える所以にGPTは「謙遜や控えめさが重んじられる日本文化によるもので、自分の弱さを認めることやそれを受け入れることが難しいという見方がされる」とあります。

果たして謙遜や控えめだけが理由なのでしょうか?
日本と米国でこのような差異が見られる理由の一つに、個人主義と集団主義の文化の違いが挙げられます。米国は個人主義の文化であり、自分の弱さや欠点を含めて自分を受け入れることが推奨されています。自己肯定感を高め、自分を愛することが重要視される傾向があります。

一方で、日本は集団主義の文化であり、自分の弱さや欠点を含めて自分を受け入れることよりも、他者との関係性や集団の調和を重視する傾向があります。個人の弱さを認めることは、他者とのつながりや集団内での自己評価に影響を与える可能性があり、それが自己肯定感や自分を好きになることに繋がりにくいかもしれません。

GPT
集団主義の特徴

共同性と協調性:
集団主義の文化では、集団内の調和や協力が重要視されます。集団内での結束や助け合いが奨励され、個々の行動や決定は集団の価値観や期待に影響を受けます。

家族やコミュニティの重視:
家族や地域社会など、小さな共同体が個人のアイデンティティや行動に大きな影響を与えることがあります。

他者との関係性の重視:
集団主義の文化では、他者とのつながりや関係性が重要視されます。他者との良好な関係を築くことが個人の幸福感や安定感に繋がると考えられます。

集団の利益や共通の目標の重視:
個人の欲求や願望よりも、集団全体の利益や共通の目標が優先されることがあります。

日本やアジア諸国、一部の中南米諸国などが集団主義の文化を持つとされています。これらの文化では、集団の調和や共同体の利益を重んじ、個々の自己表現よりも共同体への調整や協力が求められる傾向があります。

と、このように個人の欲求や願望よりも、集団全体の利益や共通の目標が優先される、という文化が根付いた結果、早く言えば個人の幸福感はあまり重視しなかった、と結論づけたくなります。

そんな中で育った50歳になるGAKTが選んだ人生はというと、まるで真逆の個人主義的価値観を呈していることがよくわかります。

自分の時間を大切にすることを優先し、他者との関わりに無駄な時間を使わない。
コミュニケーションを重視する文化の中で、自分の生活、自分を大切にしながら、自信満々で、悩みもストレスも少なく、悠々と生きている様を窺うと、これまでの集団主義的日本文化では、ストレスや苦悩を減らすことは難しいのではないのかと思ってしまいました。

集団主義の文化では、他者とのつながりや関係性が重要視されます。他者との良好な関係を築くことが個人の幸福感や安定感に繋がると考えられているからです。

ところが他者との良好な関係を築くためのエネルギーでストレスが重なり、疲れ果ててしまっているのが現実なのではないでしょうか。

そのために「否(一人自由に生きたい)を選択する若者たちも増え、少子化へ更に輪をかけ、増幅する結果を招いています。

組織を毛嫌いし、組織からはなるべく距離を置こうとする行動が、家族という組織への否定になってしまったということもあるのでしょうか。

それにしてもGAKTさんの生き方は理想的と思いませんか?
自信満々でいられるということは、「自分のすべてを受け入れ、自分が好き」だからでしょう。

さて、ここから本題に移ります。

あなたにとっての「生きる糧」は?と聞かれたら

仕事、収入、食料、水、健康、住居、愛情、絆かもしれません。

いろいろあるかもしれませんが「お金さえあれば何でもできる、幸せだって健康だってお金で買える」と思う人も多いでしょう。そしてそれを否定する人はごく少数にとどまるような気がします。

あなたは如何でしょうか?

私にとって生きる糧は「(楽しい)時」と答えます。
「時」はネルギーを生み出す大本で、すべての人に平等に与えられた希少資源です。
わたしにとって「時間」は楽しむためにあります。でもそれは一日たった24時間しかない貴重な時間なのです。

満たされ充実した自己世界、思いのままに快適な「時」をつづっている一瞬一瞬。
それは何にも代えがたいものです。
幸福感に満たされることで、生きるモチベーションが保たれるのです。
よって、それを生み出す資源「時」は重要な糧となります。

1日24時間、それぞれの「時」を過ごすことそれ自体が楽しみ、という感覚こそ幸福度100%生活といえます。
できる限り100%に近い生活を目指している人にとっては、「時」を無駄に使うことはそれだけ幸福度を下げることになります。
「時は金なり」という言葉がありますが、「時は糧なり」と言いたいぐらいです。

「自分を嫌いでいるよりよりも、嫌いじゃない方が幸せ」というGAKTの言及から、幸福感を生み出さないものを改善しようとする方向性を感じます。
そういった方向性を維持しようと思うと、幸福感を遮る状況にはエネルギーを使わず、幸福感を得られることにエネルギーを使うようになります。

これがGASKTの言う「無駄な時間を使わない」ということでしょう。

また、自ら積極的に「無駄な時間」を設ける習慣が身についているようです。
(お茶を飲みながらボーっとする。最初はいろんな考えがよぎるが次第に空っぽになる。そうなったらやめる)

これは「瞑想」です。

GAKTにとって、これはムダではなくリセット(新たなエネルギー補充)のための大切な時間なのだと推察します。

いずれも彼は「能動的」に時間をつかっている印象です。

他者に左右されず、己の時間を思うがままに使うということは、自分を粗末に扱わない、自己優先行動を貫いているのではないでしょうか。

全く同感です。

それが「冷たい」という評価になろうと、「それで良し‼」なのでしょう。

なんとカッコいいじゃありませんか。

 

幸福感を損なう優越意識

「幸福感」とは、楽しい、面白い、気持ちいい、ありがたい、というポジティブ感情「快」が恒常的に得られ、満足感、充実感に満たされることです。

そんな豊かな現実の創造にエネルギーを費やすためには、不快感情を生み出す状況を除去したほうが効率よく充実感を得られるでしょう。

後悔のない人生を生きる「生きててよかった」「いい人生だった」と満足して死を迎えられる。そんな風に人生を終わらせたいと思うのは人間として自然なのでは?

この「幸福感」の邪魔をする最も有害な感情が「沽券・プライド」という優越意識だと私は思っています。

これらは、軍服の階級章のようなものです。
階級章を身に着けると、それに見合った行動を義務付けられます。
そのための努力も相当なものでしょう。
その代わりの報酬が「優越感」です。

これは集団主義の文化が生んだあまり有り難くない報酬といえるような気がします。
人を支配したがる優越意識は、麻薬のような働きをするようです。

 

優越意識は軍服の階級章

GPT

軍服の階級章が階級を示すように、個人の沽券やプライドも、その人の自己評価や立場を示す場合がありますね。確かに、個人の自己評価や誇り、プライドは、その人の身分や地位によっても影響を受けることがあります。

特に、特定の地位や役職を持つことが自己評価やプライドの源になることがあるかもしれません。たとえば、軍隊での階級が高いほど、その人の誇りや自己評価が高まることがあります。他の社会的な集団や組織でも同様に、特定の地位や称号はその人のプライドや自己評価に影響を与えることがあります。

ただし、個人の自己評価やプライドは、階級章のように一目で見ることができるわけではなく、それぞれの人が異なる経験や背景を持っています。自己評価やプライドは、個人の内面や経験に根ざしていますので、外部からは容易に見えないことがあります。

実はこの「優越意識」は集団主義文化においては貴重な報酬になっています。

「優越意識」はマウントをとる習性に及びます。また、過ぎるとパワハラと化します。
ただし、それは時に応じところに応じて侵される可能性があります。

マウントをとれているうちは優越感に満たされますが、ひとたびそれを侵される状況になると大きく傷つき、たちまち不快感に襲われます。
そして、侵された相手に自己の優越性を認識させようと圧力をかけ、戦闘態勢になります。

男性に争い好きが多いのは、この優越意識によるものでしょうか。

侵されないためにできるだけマウントをとれるように、「優越した存在」アピールを怠りません。

「沽券」や「プライド」はこうして「圧力化」し、周囲との戦闘態勢を背後に隠しながら、いつもいつも「どう見られているか?」を気にしながら警戒と同時に、承認欲求、自己顕示の行動を増幅する一途をたどります。

(書き乍ら北朝鮮の金正恩を思い出しました。「脅威」をアピールして北朝鮮の優越性を周辺国に認識させようとやっきになっている姿です。これはロシアや中国も同様ですね。アジアの集団主義という文化の所以でしょうか)

このように「優越感」は沼のように、どんどん深くはまってしまうドラッグに似た感情と理解しています。

比較や競争から得られる勝利感、優越感に依存するのではなく、競わない、戦わないで得られる自己世界の充実による幸福感のほうが安定、恒久的に幸福を維持できます。
それは間違いないということを、「ホンマでっか!?」でのGAKTは実践者として、解りやすく端的に示してくれました。

参考:

GAKT著 続編自伝『自白Ⅱ』光文社 「女性自身」記事より

彼は19歳のころ「初めて、自分以外の他人に興味を覚えた。僕は、彼のような人間になりたかった。」と。

その彼から「自分の人生を本気で素敵だと思って生きたいか、自分自身はどうでもいいと思って生きたいか。どっちがいい? 僕は、自分の人生を本当に素敵だと思って生きているよ」と言われた。
その時、瞬時に思った。僕は自分の人生を素敵だと思って生きたい!

そんなことを考えたのは、生まれて初めてだったかもしれない。僕はそれまでずっとどこかで自分を否定して生きてきたのだから。

僕は負けず嫌いだから、今まで自分より少しでも大きな人と出会うと、なんとかして追いつき追い越してやろうと思ったものだが、その人は、そんなレベルじゃなかった。

僕は彼と同じ土俵にすら立てない。それをひしひしと感じていた。

あれから10年たった今でも、彼にはまだ、近づけない。同じ土俵にも立っていないと僕は思う。僕は、あのとき――彼に出会ったときに、この世に生まれたんだ。
本気でそう思っている。

GACKT 20年前の初自伝『自白』で明かしていた「韓国人妻との愛憎の日々」(女性自身) – Yahoo!ニュース

 

優越意識は幸福感とは遠い遠い対局にあることを再認識しました。
そうそう嫉妬も優越感(及び劣等感)から生ずる有害なストレスですよね、幸福とは無縁です。

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