どうしても幸せを遠ざける人

 

目次

原動力をたがえると

貢献意識で優越感

貢献意識が優越感を求める手段になりうる?

生きる原動力となる自己肯定感

自己肯定感と自己顕示欲との関係

行きすぎた自己肯定感

自信過剰

まとめ

 

どうしても幸せを遠ざけてしまう人を見てきました。

一日中、外仕事を好み、牛馬のようによく働き、人の役に立つことに励み、道に外れないことをモットーとして身を粉にして一生懸命生きています。

そんな人がなぜか不幸な問題にばかりに憑かれ、それらと敢然と戦いながら晩年に至ってもなお不幸から逃げ切ることなく、新たな不幸を迎え入れる状況が続いています。

何故そのように不幸を招き入れるのでしょうか?
そんな人を観察していく中で見つけたのが「生きる原動力をたがえる」ということでした。

 原動力をたがえると

人は生きてゆく中で、何らかの「自己肯定感」を持つことで前へ前へと未来に向かって歩んで行けます。

ましていつまでも幸福感を得られない上記のような人にとっては、ほとんどの時間を犠牲にして自分を失くし働き続ける日々は、自己肯定感が唯一の拠り所になり、これこそが生きる原動力となっていることでしょう。

ところがこの自己肯定感が行き過ぎ不健康な自信過剰に陥ると、時には自己顕示欲にまで発展し、それが原動力となった場合、長所が現実に反映せず、却って問題を引き寄せるという、自ら墓穴を掘る結果を招く可能性もあるということを学びました。

「男の沽券」という言葉を聞いたことはありますか?現在ではすでに死語に近く、この言葉を知っている若者は数少ないかもしれません。

「沽券」とは江戸時代では「家屋敷の価値」を表す不動産売買契約書(権利証としても機能)だったようです。

そこから自分の財産価値、自分の値打ち  のことを証して「沽券」というようになったようです。ですが「女の沽券」という言い方はありません。

男だけが男として生まれた時点で、男だけに備わる値打ちのことです。

「男としての沽券」は男だけに与えられた優越性です。女は自動的に男より劣る存在という価値観の上で成立するものです。

昭和の時代の男社会では、このような価値観は当たり前にまかり通り、男は女を隷属させ、女は男より劣るため男の支配下に存在するものとされていました。

そのため多くの男たちは「男としての沽券」を勲章のように纏っていました。
つまり男として生まれたことを誇りにして生きていけるのです。

ところが女が男よりも何かに優れていたりしたら、女は男のプライドを傷つけてしまうのです。そのことが「男の沽券に関わる問題」です。

俄然、男はそんな女を叩き潰そうと抗戦します。

現在では男女平等の価値観が相当浸透していますので、そのような若者は少ないと思いますが、まだまだ「沽券」を掲げ、「沽券」で傷つきながらも、「沽券」を大事に守っている男は少なくありません。

女から見ると、そんな男性は気の毒としか言いようがありません。

ところが前記の「どうしても幸せを遠ざける人」は女性です。つまり女性も「自分の沽券」にしがみつくこともあることを示唆しています。それは行き過ぎた「自己肯定感」「自己顕示欲」の関与の所以にるのではなかろうかと考えたわけです。

その理由は、強い貢献意識にありました。(役に立つことで優越感が持てる)
その強い貢献意識による優越感が生きる支えになっていたようです。

以下のGPT回答の中に多くの心当たりを見つけました

GPTの見解

貢献意識で優越感

ChatGPT

貢献意識が優越感につながることはありますが、その要素は主に他者への貢献や共感によってもたらされるものです。貢献意識が健康的である場合、他者に対して価値を提供し、社会やコミュニティに寄与することにより、個人は満足感や充実感を得ることができます。

以下は、貢献意識と優越感の関連性についての考え方です:

  1. 他者への貢献と満足感:
    • 貢献意識が強い人は、他者のために何かしらの価値を提供することに喜びや充実感を感じることがあります。
    • 役に立っていることや社会に寄与していることへの称賛が、満足感や誇りを生む要因となります。
  1. 優越感としての自尊心:
    • 貢献意識が満たされると、個人の自尊心が高まることがあります。他者への貢献が評価され、認められることで、自分の存在価値を感じることができます。

ただし、注意が必要なのは、他者に対する貢献が自己顕示欲に結びついてしまい、優越感を求める手段となる場合があります。この場合、他者との関係が一方的になり、健康的なコミュニケーションが損なわれる可能性があります。健康な貢献意識を維持するためには、共感や協力が基盤となり、相互に豊かな人間関係を築くことが大切です。

貢献意識が優越感を求める手段になり得る?

ChatGPT

はい、貢献意識が優越感を求める手段になることがあります。これは、本来他者に対して価値を提供するべきであるはずの貢献の行為が、個人の自尊心や優越感を満たす手段として利用されることを指します。以下は、その一般的なパターンや要因です:

  1. 他者への貢献の過剰強調:
    • 貢献意識が優越感を求める手段になる場合、他者に対する貢献が過度に強調され、その行為が自分の価値を示す手段となります。
  1. 外部の評価への依存:
    • 貢献が自尊心や優越感を満たす手段になると、外部からの評価や認知が非常に重要視されます。他者からの賞賛や感謝がないと、自己評価が低下しやすいです。
  1. 他者との比較:
    • 優越感を求める場合、他者との比較が頻繁に行われます。他者よりも優れた貢献をしようとすることがあり、これが健康な協力関係を損なう可能性があります。
  1. 自分自身への証明:
    • 貢献が優越感の手段となる場合、それは自分自身に対する証明やアイデンティティの構築に繋がることがあります。他者への貢献が自分の価値を裏付けるものとなることがあります。

健康な貢献意識では、他者への価値提供が内在的な喜びや共感に基づいている一方で、優越感を求める場合、外部からの認知や比較が中心になりがちです。このような行動が持続すると、他者との関係や自己評価に悪影響を与える可能性があります。バランスを保ち、他者への貢献が健康的であるかを確認することが重要です。

GPTの回答から、まさにこのケースと思われます。
少々の雨にもめげず、濡れながら馬車馬のごとくブレイクタイムもなく時を惜しんで毎日毎日働く姿は痛々しくさえ見えました。
それが優越感を求めるための手段になっていたと知って、思いもつかなかった価値観に出会い、またもや「パラレルワールド」世界の体験でした。

とはいうものの、誰もが優越感という甘いトラップにはまる可能性は大です。
優越感は劣等感の裏返しで、劣等感を抱くことで、反対側の優越感を求めやすい状況を創ることを認識し、くれぐれも優越感という沼にはまることのないように肝に銘じて気を付けようと思います。

生きる原動力となる自己肯定感

ChatGPT

自己肯定感は、個人が生きる原動力として非常に重要な役割を果たすことがあります。健康的な自己肯定感が持つことで、人々はより幸福で充実感のある生活を送り、さまざまな面で成功を収めることができるでしょう。以下は、自己肯定感が生きる原動力としてどのように機能するかについての詳細です:

  1. 自己受容と自信:自己肯定感が高い人は、自分を受け入れ、自信を持つことができます。これにより、自分に対するポジティブな自己評価を持ち、自分自身に対する信頼を高めることができます。自信があると、新しい挑戦に立ち向かったり、目標を追求したりする原動力となります。
  2. ストレスへの対処:自己肯定感が高い人は、ストレスに対処する能力が高いことがあります。困難な状況や失敗に対しても、自己肯定感があると、乗り越える力を得ることができます。それにより、生活の困難な局面で頑強さを発揮できます。
  3. 目標設定と達成:自己肯定感が高い人は、自分に対して適切な目標を設定し、それらの目標を達成するために努力することが多いです。自分ができると信じることで、自分の潜在能力を最大限に発揮し、成功に向かって進むことができます。
  4. 健康的な関係:自己肯定感が高いと、他人との健康的な関係を築くことが容易になります。自分を愛し、尊重することができるため、他人にも同様の尊重と愛情を示しやすくなります。
  5. 自己成長と発展:自己肯定感が高い人は、自己改善や成長に積極的に取り組むことが多いです。自分を受け入れつつも、より良いバージョンの自分を追求することができます。

一方、行きすぎた自己肯定感は問題を引き起こすことがありますが、健康的な自己肯定感は生きる原動力として非常に価値のある資源です。自己肯定感を高めるためには、自分自身に対するポジティブな自己評価を促し、自分に対して寛大であることが役立つことがあります。

自己肯定感と自己顕示欲との関係

ChatGPT

自己肯定感と自己顕示欲は、関連している要素ではありますが、異なる概念です。以下に、それぞれの概念とその関係について説明します。

  1. 自己肯定感(Self-Esteem): 自己肯定感は、自己評価や自己評価の感情的な側面を指します。これは、自分自身に対する評価や信じる感情の程度を表します。自己肯定感が高い人は、自分を受け入れ、自分自身に自信を持ちやすい傾向があります。健康的な自己肯定感は、個人の幸福感や精神的な健康に寄与することが一般的です。

  2. 自己顕示欲(Narcissism): 自己顕示欲は、自己中心的で過剰な自己愛を指します。自己顕示欲のある人は、自分自身を高く評価し、他人に注目や賞賛を求める傾向があります。一部の人は、自己顕示欲が強すぎて他人に対する共感や配慮が不足していることがあります。自己顕示欲は、健康的な自己肯定感とは異なり、他人との関係に悪影響を及ぼすことがあります。

 

行きすぎた自己肯定感

ChatGPT

行きすぎた自己肯定感(overinflated self-esteem)は、一般的に自己評価が現実を過大評価している状態を指します。これは、自己肯定感が高いことが一般的には良いこととされていますが、過度に高い自己評価は問題を引き起こすことがあります。

行きすぎた自己肯定感の特徴には以下のようなものが含まれることがあります:

  1. 現実との乖離:
    本人の能力や実績と、自己評価との大きなギャップがあること。つまり、実際にはあまり能力がないのに、自分を非常に優秀だと思っていること。
  2. 他人への無理解:
    行きすぎた自己肯定感を持つ人は、他人の意見や感情を理解しにくく、共感力に欠けることがあります。
  3. 協調性の不足:
    自己中心的で、他人との協力やチームプレイに難色を示すことがある。
  4. 批判に対する耐性の低さ:
    行きすぎた自己肯定感の人は、自分に対する批判や非難に過敏に反応し、否定的な意見を受け入れにくいことがあります。
  5. リスクを過小評価:
    自分の能力や成功を過大評価するため、冷静な判断が難しく、リスクを過小評価してしまうことがあります。

行きすぎた自己肯定感は、他人との関係や職場での問題を引き起こす可能性があり、個人の成長にも障害をもたらすことがあります。適切な自己評価と謙虚さを保つことが、健康的な自己肯定感の維持に役立つことが多いです。必要であれば、心理カウンセリングやセラピーを受けることも考慮するべきです。

 

自信過剰

ChatGPT

自信過剰(overconfidence)は、自己評価や自己評価の感情的な側面で過度の自信や自己過信を持つ状態を指します。自信過剰の人は、自分の能力や知識に対して現実的な評価を下すことなく、自己評価を過大評価する傾向があります。これは、時に誤った判断や決定を導くことがあり、問題を引き起こす可能性があります。

自信過剰の特徴と影響について以下に説明します:

  1. 誤った判断:
    自信過剰の人は、リスクを過小評価し、自分の能力を過大評価するため、誤った判断を下すことがよくあります。これは、仕事、投資、健康などのさまざまな領域で問題を引き起こす可能性があります。
  2. 批判に対する無反応:
    自信過剰の人は、他人からの批判や助言を受け入れにくいことがあり、自己評価が揺るぎないと感じることがあります。これは、成長や改善の機会を逃す原因となることがあります。
  3. 自己過信のバリア:
    自信過剰が強すぎると、新しい情報や異なる視点を受け入れることが難しくなり、学びの機会を制限する可能性があります。
  4. 他人との対立:
    自信過剰の人が他人と対立することが増えることがあり、対人関係に悪影響を及ぼすことがあります。
  5. 非現実的な目標設定:
    自信過剰の人は、非現実的な目標を設定することがあり、その結果、失敗や失望を経験することがあります。

自信は重要な資質であり、自己肯定感を持つことは素晴らしいことです。ただし、自信過剰に陥らないように注意が必要です。健康的な自己評価と謙虚さを保つことが、自己評価を過大評価する自信過剰を回避するのに役立つことがあります。また、他人の意見やフィードバックを受け入れる柔軟さも大切です。

以上のGPTの回答は、過度な自信過剰が及ぼす結果を示唆しています。

これでは幸せが遠ざかるのは当然でしょう。

自己の現実にあまりにも不幸な問題が次々と襲われ続くという場合、自己の内側を探索してみるのも「あり」なのではないでしょうか。

 

まとめ

  • 1.生き続ける原動力には、価値観、信念、思い込みあり。
  • 2.原動力は生きるエネルギーとなり方向を指し示す。
  • 3.時に原動力となる価値観や信念は、方向をたがえることがある。
  • 4.方向をたがえると、どんなに頑張っても人生を豊かに彩ることができないことがある。
  • 5.自分の「正しい」が誰かにとっても「正しい」とは限らない。百人百様の価値観
  • 6.もしかしたら、正しいと思いこんでいることが、実は障害になっていることもある。
  • 7.他者の観察、自己の観察で学ぶことが必須⇒謙虚な姿勢が助けになる。
  • 8.「沽券」と「優越感」は心理状況が酷似
  • 9.「優越感」は沼だった。
  • 10.世間の常識は信じられない。

世間でいう「良いこと」を積極的に行為しているにも関わらず、その陰に潜んでいた、それほど悪いとされない「優越感」などに捕まってしまったことで、結果としての現実では、徳を積むどころか、反作用的状況を呼んでしまっていたとは・・・・・
優越感は沼だったとは、まだまだ勉強が足りないってことですかね。
私を含めて皆さん気を付けましょう。

 

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