骨折して気づいたこと
このところ腰の骨折で動くことができず休業していました。しばしの時間キーボードを打つ姿勢に回復でき、鈍痛の中記事投稿に挑戦しています。
人間時にはこのような突発的アクシデントも必要なのかもしれないと思うほど、いろんな気づきがありました。何しろ「痛みをどうやり過ごすか?」だけしか、頭の中にはない状況が続くと、そのほかのことはどうでもよくなってしまいます。
極端なことを言うと、食べることすらどうでもよくなり、お腹が空くという感覚も少なくなります。お腹が空かなければ食べる必要もなくなり、食べることから遠ざかる、という結果になりました。
夜は特に激痛に襲われ、何回も絶叫していました。きっと猪や狸たちもその声に驚いて逃げ出したことでしょう。今はこんな冗談が言えるようになりましたが、その時は冷や汗で気を失いそうになるほどでした。そうなると体は動かなくなり、夜中は頭が起きると尿意を催すために、トイレに行きたくとも行けず、最初はその場で漏らすしかありませんでした。仕方なく夜間は紙おむつの世話になりながら、夜間の激痛を避けるべく自己観察をしました。どのようになったときに激痛が襲うのか?を突き止めるためです。 >> 続きを読む
今、なぜアーレント?(6)
ミグラム実験 出典日本心理学会
実験の略図 出典ミルグラム実験 – Wikipedia
験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eとグルであり、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。
「教師」はまず二つの対になる単語リストを読み上げる。その後、単語の一方のみを読み上げ、対応する単語を4択で質問する。
とにかく何でもいいのでクイズを出すわけです。「生徒」は4つのボタンのうち、答えの番号のボタンを押す。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受けた
電気ショックを受けた人の反応(指示された演技プラン)
電圧を上げていくと、激しく苦しむ様子を見ることになるわけです。また電圧は最初は45ボルトで、「生徒」が一問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。
被験者が実験の続行を拒否しようとする意思を示した場合、白衣を着た権威のある博士らしき男が感情を全く乱さない超然とした態度で次のように通告した。 1. 続行してください。 2.この実験は、あなたに続行して いただかなくては。 3.あなたに続行して いただく事が絶対に必要なのです。 4.迷うことはありません、あなたは続けるべき です。
出典blog.livedoor.jp
アイヒマンがそうであったように、権力者からの絶対的な「指示」があるわけですね。
「誰もがアイヒマンになり得る」ということを示す驚きの実験結果
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今、なぜアーレント?(5)
第4回は、「エルサレムのアイヒマン」というもう一つの著書も合わせて読み解き、「人間にとって悪とは何か」「悪を避けるには何が必要か」といった根源的なテーマを考えるという内容。
「全体主義の起源」の三巻でアーレントは、ナチスの世界観がユダヤ人の虐殺を可能にしたという筋で話を展開してきたが、それを実行したドイツ人のその感覚は、どうして生まれてきたのか、絶滅計画の実務責任者アイヒマンの裁判を自分の目で見ていこう、それがユダヤ人の生き残りとしての使命だと感じてその記録を「エルサレムのアイヒマン」という本にした。
まず、そのナチス将校アイヒマンとはどのような人物だっのか?
アドルフ・アイヒマンは、アーレントと同じ1906年、ドイツの平凡な中産階級に生まれた。工業専門学校を中退した後、いくつもの職を転々とし、人員整理のために失業。すでにナチスに入党していたことから、これを機に親衛隊内部の情報機関である公安部に志願。ユダヤ人問題に関する仕事をする。そして、ユダヤ人をドイツ国外へ移住させるための交渉に力を振るう。複雑な規則を暗記し、順調に仕事を進めていたアイヒマンは、ユダヤ人移住の専門家として認められ昇進を重ねる。彼は、反ユダヤ主義に感銘を受けていたわけでもなく、ヒトラーの著書も読んだことのないただの役人だった。
1939年第二次世界大戦が始まると、アイヒマンは新設された国家保安本部ユダヤ人課課長となる。そんな中、ナチスはユダヤ人問題の最終解決を決定。アイヒマンは絶滅収容所で何が行われているかを知りながらも、ユダヤ人移送の責任者としてその職務をまっとうしていく。
1945年、ナチス降伏後、アイヒマンは偽名を使って逃亡。アルゼンチンで家族とともに目立たない生活を送る。しかし、1960年、イスラエル情報部によって正体発覚。密かに拘束されエルサレムに連行される。1961年4月、公判開始。裁判官も検事もイスラエル国民、すなわちユダヤ人という法廷だった。防弾ガラスのケースの中、アイヒマンは自分が何をなしたのかを淡々と証言する。アーレントは裁判を傍聴し、アイヒマンの主張に耳を傾けた。
アーレントの記述はかなり客観的なもので、この裁判が本当の意味で近代法に基づくものではなくて、政治ショーのような色彩を持っていたのじゃないかというところも視野に入れながら記述している。
客観的に見て、自分は好きにされなくてはならない、政治ショーだとわかっている場で、有能な官僚ぶりを貫いていた。彼が証言しても“悪の権化”的なところが出てこなくて、むしろ、アイヒマンの“陳腐”、どこにでもいそうな人間が帯びている様相しか呈していない。 “命令”と“法”は大きく違う? 自分の上官から言われたからやったんだと言ってくれたら、こいつは小心者だから仕方なくやったんだなという風にそれなりに納得いく話になるが、本人は別にそう思っていなくて、自分は法を尊重する市民である、誰かに従うのではなく法の根幹になっている基本的な原理に従うのだという。
それでは実際にどのような証言を行ったのか? アイヒマンは取り調べにおいてこう発言している。 >> 続きを読む
今、なぜアーレント?(4)
第3回は、ナチスドイツがどのように大衆を動員していったかを克明に分析したアーレントの記述をたどることで、前例のない「強制収容所」や「ユダヤ人の大量虐殺」のような暴挙がいかにして生み出されていったかを探っていく、 という内容。
アーレントは、第一次世界大戦の敗戦後、ドイツにおいて大衆社会が本格化していったと指摘した。ワイマール憲法の成立による議会制民主主義が社会を大きく変えたのだ。議会を中心に政治が動くようになり、あらゆる人が政治に影響力を持てるようになる。それは政治に関心がない人たちも、政治に参加出来ることを意味した。皮肉なことに、権利を求めて闘う緊張感が薄れ、政治を人任せにしてもよいという受け身の人たちも増えることになった。それが大衆であり、そこから全体主義運動が生まれるのだとアーレントは考えた。
大衆の特徴とは、政治的な問題、公的な問題に無関心で中立であること。共通の利害や階級意識によって結ばれた政党、利益団体に属さない人々の集団。自分たちが何をしたら幸福になるのかはっきりわからず、方向性を見失っている人たち。全体主義はそうした大衆において発生した動きだった。
そうして生まれた大衆と全体主義がどのようにつながっていくの?
自分の見方が誰かわからない、そうすると、この世界はこういう風に動いてて、それを正すにはこういう見方をする必要があるんだと、つまり、権利とか自由とか民主主義レベルじゃなくて、世界全体の動きを示してくれるものは通常の政党を超えるものが求められている、世界全体がどうなっているか示すものとして全体主義が出てくる。もともと、背後にはユダヤ人が!という話がささやかれていたのに、世界は実はこう動いているんだと、ナチスが壮大な物語を作り始めた。
アーレントは大衆が嘘の世界に利用されていく過程をこう考えた。資本主義が発達して社会構造が変わると、大都市の様々な階層に地方出身者の人々が集中、混在して暮らすようになった。そして、階級や職業が流動し、根無し草になった大衆は、国民国家に自ら積極的に寄与する意識を失い、バラバラの単なるアトム(原子)のようになっていった。 第一次世界大戦で敗戦したドイツは、領土を削られ多くの賠償金を課せられた。そらに、1929年に始まる世界恐慌で経済が大打撃を受け、街には失業者があふれたのだ。不安にさらされた大衆が求めたのは、厳しい現実を忘れさせ、安心して頼ることが出来る世界観だった。それを示してくれたのが、ナチスのような世界観政党。ナチスは大衆に向かい、現実的利益ではなく、世界や社会の本来の在り方といった理念、優良な民族の歴史的使命といった虚構の世界を訴えた。そこに、とにかく救われたいともがく大衆がすがった。アーレントは、世界観政党が虚構の世界を信じ込ませる方法についてこう言っている。 >> 続きを読む
今、なぜアーレント?(3)
第2回は、国民国家を解体へと向かわせ、やがて全体主義にも継承されていく「人種主義」「民族的ナショナリズム」という二つの潮流がどのように生まれた かを明らかにしていくという内容。
アーレントは、全体主義を形作った要素のひとつとして帝国主義を重視しているが、第一巻では国民国家の中で、ユダヤ人が内部の異分子、敵として浮上し、その意識が帝国主義の争いの中で、人種主義と呼ばれるような思想に転換していった、これが拡大していったことで、実は国民国家自体の根幹が揺らぎ始める。
まず、帝国主義がどのように人種主義思想生んでいったのか・・
19世紀末、イギリスやフランスなどの帝国主義が標的としたのがアフリカ大陸だった。中でも、アジアに向かう中継地に過ぎなかった南アフリカは、1870年代以降、ダイヤモンドや金の鉱山が発見され、ヨーロッパから大量の人がなだれ込んでくる。国家を共有する人たちから成り立っている国民国家はそこで、今まで見ることのなかった西洋文明とは異なる暮らしをする人々と出会う。
ヨーロッパ人の目には、みかけも風習も異なる彼らは、理解不能な存在として映った。彼らに国民国家の一員として人権や法の保護を与えることはできなかった。そこに19世紀末の帝国主義の大きな矛盾があった。
なぜ支配されなければならないのか、植民地の人々の間に自然に起こる自治の意識に対抗するためには、新たな政治的支配装置が必要だった。それが人間には人種というものがあって、そこには優劣があるという人種思想だったのだ。フランスの小説家・アルテコール・ド・ゴビノーは、白人が生物学的に優れているという人種理論を提唱した。白人は、植民地の人々に、神のようにあがめられる存在なのだと考える根拠を与えた。
アーレントは、第二巻の中で、イギリス人作家のジョセフ・コンラッド著「闇の奥」(1899年)をかなり引用しているが、この中でイギリス人クルツがアフリカの奥地で神のようにあがめられる存在になるという話になっている。ちなみに、クルツというのは、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(ベトナム戦争中 米軍のカーツ大佐が密林に王国を築く)の中のカーツ大佐のモデルとなっている。 キリスト教的な神学がちょっと歪んでるよう、自分たちはこういう野蛮なものを支配する、世界を治める支配を神から与えられているといったような。自たちが導いてやらないと彼らもどうしようもない、彼らのためにもなる、そういうことがこの人種思想としてヨーロッパ大陸にもどっていく。「国民国家」の構成員たちが、自分のアイデンティティー強化するためのツールになってしまったというメカニズムが働いているのではないか。 >> 続きを読む
100分de名著『全体主義の起源』アンナ・ハーレント
第1回 異分子排除のメカニズム https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/69_arendt/index.html
【講師】
仲正昌樹(金沢大学教授)
フランス革命を期にヨーロッパに続々と誕生した「国民国家」。文化的伝統を共有する共同体を基盤にした国民国家は、「共通の敵」を見出し排除することで自らの同質性・求心性を高めていった。敵に選ばれたのは「ユダヤ人」。かつては国家財政を支えていたユダヤ人たちは、その地位の低下とともに同化をはじめるが、国民国家への不平不満が高まると一身に憎悪を集めてしまう。「反ユダヤ主義」と呼ばれるこの思潮は、民衆の支持を獲得する政治的な道具として利用され更に先鋭化していく。第一回は、全体主義の母胎の一つとなった「反ユダヤ主義」の歴史を読み解くことで、国民国家の異分子排除のメカニズムがどのように働いてきたかを探っていく。
第2回 帝国主義が生んだ「人種思想」
【講師】仲正昌樹(金沢大学教授
19世紀末のヨーロッパでは原材料と市場を求めて植民地を争奪する「帝国主義」が猛威をふるっていた。西欧人たちは自分たちとは全く異なる現地人と出会うことで、彼らを未開な野蛮人とみなし差別する「人種主義」が生まれる。一方、植民地争奪戦に乗り遅れたドイツやロシアは、自民族の究極的な優位性を唱える「汎民族運動」を展開する中で、中欧・東欧の民族的少数者たちの支配を正当化する「民族的ナショナリズム」を生み出す。第ニ回は、国民国家を解体へと向かわせ、やがて全体主義にも継承されていく「人種主義」「民族的ナショナリズム」という二つの潮流がどのように生まれたかを明らかにしていく。
第3回 「世界観」が大衆を動員する
【講師】仲正昌樹(金沢大学教授)
第一次世界大戦を期に国民国家は大きく没落。かつて国民国家を支えた階級社会は崩壊し、代わりにどこにも所属しない根無し草のような「大衆」が台頭し始める。そこに登場するのが「世界観政党」だ。この新たな政党は、インフレ、失業といったよるべない状況の中で不安をつのらせる大衆に対して、自らがその一部として安住できる「世界観」を提示することで、一つの運動の中へ組織化していく。「陰謀史観」や「民族の歴史的な使命」といった擬似宗教的な世界観を巧妙に浸透、定着させることで自発的に同調するように仕向けていくのだ。第三回は、ナチスドイツがどのように大衆を動員していったかを克明に分析したアーレントの記述をたどることで、前例のない「強制収容所」や「ユダヤ人の大量虐殺」のような暴挙がいかにして生み出されていったかを探っていく。
第4回 悪は「陳腐」である
【講師】仲正昌樹(金沢大学教授)
何百万人単位のユダヤ人を計画的・組織的に虐殺し続けることがどうして可能だったのか? アーレントはその問いに答えを出すために、雑誌「ニューヨーカー」の特派員として「アイヒマン裁判」に赴く。アイヒマンは収容所へのユダヤ人移送計画の責任者。「悪の権化」のような存在と目された彼の姿に接し、アーレントは驚愕した。実際の彼は、与えられた命令を淡々とこなす陳腐な小役人だったのだ。自分の行いの是非について全く考慮しない徹底した「無思想性」。その事実は「誰もがアイヒマンになりうる」という可能性をアーレントにつきつける。第四回は、「エルサレムのアイヒマン」というもう一つの著書も合わせて読み解き、「人間にとって悪とは何か」「悪を避けるには何が必要か」といった根源的なテーマを考える。
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ガス室送りの最功労者アイヒマンの実態
それは自分の行いの是非について全く考慮しない徹底した「無思想性」。
与えられた命令を淡々とこなす陳腐な小役人だったのだ。
NHKEテレ 100分de名著『全体主義の起源』ハンナ・アーレントより
ゲスト講師: 仲正昌樹 (なかまさ・まさき) 金沢大学法学類教授
1963年広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。専門は法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を分かりやすく読み解くことで定評があり、近年は演劇などを通じた思想の紹介にも取り組む。
◯『全体主義の起原』 ゲスト講師 仲正昌樹 今なぜアーレントを読むか
ハンナ・アーレントは、一九〇六年にドイツで生まれ、主にアメリカで活躍した政治哲学者です。第二次世界大戦後、特に一九五〇年代から六〇年代にかけて西欧諸国の政治思想に大きな影響を与えました。その著作や言説は政治哲学の枠を超えて、今も様々なジャンルで取り上げられています。五年ほど前に映画『ハンナ・アーレント』が公開されたとき、日本でもちょっとしたアーレント・ブームのような事態になりました。 アーレントがドイツの大学で専攻したのは、政治哲学ではなく、純粋な「哲学」でした。 ところが二十代半ば頃から、アーレントの主たる関心と思索は「政治」へと向けられるようになります。そのきっかけは、ドイツに台頭したナチスの反ユダヤ主義政策でした。ドイツ系ユダヤ人であるアーレントは、一九三三年にナチスが政権を獲得すると、迫害を逃れるためパリを経由してアメリカに亡命。そのなかで、自分が「常識」だと思っていたことが覆る、という体験をします。 ユダヤ人の歴史は迫害の歴史ともいわれますが、西欧の近代社会においては(少なくとも形式的には)平等に扱われ、それは市民社会的な常識として定着している─と、アーレントは考えていました。しかし彼女が前提としたその常識は、ユダヤ人問題に対するナチスの「最終解決」によって完全に打ち砕かれます。戦後になって明るみに出た組織的大量虐殺の実態は、アーレントの想像をはるかに超えるものでした。 >> 続きを読む