人間関係クライシス 「フェードアウト編」

目次

人間関係におけるフェードアウトとは

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有害となる人10タイプ

「気の毒」&「気の薬」

 

 

人間関係におけるフェードアウトとは

私たちの悩みの大半が、人間関係にあることは先にも触れました。

この人生を左右するといってもいい人間関係をよりよく解決するための一つの方法として「フェードアウト」の必要性を訴えたいと思います。

人間関係において次第に距離をおいて遠ざけながら最終的には終わらせることを言います。
これはほとんどの人が経験済みのことと思います。

ところがこのフェードアウトに足踏みしたり、フェードアウトによって却って関係をこじらせたりする人もすくなくないようです。

そこで、人間関係をできるだけ穏便に解決するために、スムースに遠ざけたり、終わらせたりすることもコミュニケーション・リテラシーの大切な要素ではないでしょうか。

 

人間関係における「フェードアウト」を正しく認識し、使い分け、自身の人間関係に活用することは、思っている以上に、自己の人生に大きく影響することを知っていただきたいと思います。

ここではフェードアウトの必要性をはじめ、フェードアウトの内容などにもふれてみたいと思います。

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人間関係でフェードアウトが必要な場合

人間関係でフェードアウト(関係を次第に距離を置いて終わらせること)が必要な場合は、さまざまな状況が考えられます。以下は、フェードアウトが適切かもしれない状況の一部です:

  1. トキメキが失われた場合:恋愛関係や友情が新鮮さや興奮がなくなり、お互いの興味が薄れたと感じる場合、フェードアウトを検討することがあります。ただし、相手を傷つけずに行動することが大切です。
  2. 有害な関係:人間関係が毒になっており、精神的または身体的に危険が及んでいる場合、急激に関係を終了する代わりに、ゆっくりと距離を置いていくことが安全であることがあります。
  3. 価値観の不一致:長期間にわたり、価値観や目標が合わないことが明らかになった場合、フェードアウトを検討することがあります。ただし、一度にすべての接触を断つのではなく、徐々に距離を取ることが良い方法です。
  4. 時間やエネルギーの制約:忙しい生活や他の優先事項があるため、特定の人間関係に時間やエネルギーを費やす余裕がない場合、フェードアウトを考えることがあります。ただし、相手に誠実に理由を説明することが望ましい場合もあります。
  5. 冷静なコミュニケーションが難しい場合:関係が緊張しており、冷静なコミュニケーションが難しい場合、フェードアウトを通じて関係をソフトに終了することができます。

フェードアウトを実行する場合、相手の感情を尊重し、傷つけないように注意が必要です。適切なタイミングで少しずつ距離を置き、必要であれば誠実な説明や感謝の意を伝えることが重要です。

有害となる人10タイプ

有害な人間は、ものの道理とは無縁だ。自分が周囲にどれほど悪影響を及ぼしているか気づかないおめでたいタイプもいれば、周りを混乱させたり他人を怒らせたりすることに歓びを見いだすタイプもいる。

自分とは異なる人々との付き合い方を学ぶことは大切だが、本当の意味で有害な人に時間とエネルギーを割く価値はないし、彼らはじつに多くの時間とエネルギーを浪費させる。有害な人は物事を不必要に複雑にし、争いを生み出し、そしてなによりもストレスを招く。

もっとも、どういう人が有害なのかがわからなければ、彼らから距離を置くこともできない。ちょっとイライラさせられたり、単につき合いにくかったりする人々と、真に有害な人間とを区別する必要がある。あなた自身が有害な人間にならないためにも、是が非でも距離を置かなければならない有害な人々がこの世には存在しており、彼らは以下の10のタイプに分けられる。

  1. 噂話に目がない人

「偉人は考えを論じ、凡人は出来事について話し、つまらない人間は噂話をする」――エレノア・ルーズベルト

噂話をしたがる人は、他人の不幸に歓びを見いだす。他人の私生活や仕事上の失敗をのぞき見るのは、最初のうちこそ楽しいかもしれないが、やがて飽きて嫌な気分になり、他人も傷つける。この世には有意義なことがたくさんあるし、素晴らしい人々から学ぶべきことも山ほどある。他人の不幸を話題にするのは時間の無駄だ。

  1. 気分屋

感情をまったくコントロールできない人がいるものだ。そういう人は、あなたに感情をぶつけ、自分の思いをあなたに投影し、あなたのせいで気分が悪くなったと考える。感情をコントロールできない人を見捨てるのは容易ではない。なぜなら、彼らが感情的になっているのを見ると、気の毒になるからだ。それでも、彼らはいざとなったらあなたを感情のはけ口として利用するのだから、なにがなんでも避けるべきである。

  1. 犠牲者になりたがる人

犠牲者を見分けるのはむずかしい。最初は彼らの問題に同情してしまうからだ。それでも、時間が経つにつれて、彼らは常に「困っている」ことに気づく。犠牲者になりたがる人は、ほんの小さな障害を、超えることのできない巨大な山と見なすことによって、責任を回避する。困難な状況を、学んだり、成長したりする機会と捉えるのではなく、言い訳の機会にするのだ。「痛みを避けることは不可能だが、苦しむかどうかは選択の問題だ」という金言がある。これは、犠牲者になりたがる人の有害性を見事に言い表した言葉だ。犠牲者になりたがる人は、苦しむことを毎回選択している。

  1. 自分のことしか眼中にない人

自分のことしか眼中にない人は、他者から距離を置いて感情を動かさないことによって、あなたを落ち込ませる。自分のことしか眼中にない人と一緒にいると、やがて一人ぼっちになったように感じ始める。そんなふうに感じるのは、彼らにとっては、他人と真の絆を築くことになんの意味もないからだ。あなたは彼らをいい気分にさせる道具でしかない。

  1. 嫉み屋

嫉み屋にとっては、隣の芝は常に青い。素晴らしいことが自分の身に起きても、彼らは満足しない。自分の中に満足感を見つけるべきなのに、自分の幸運を世間の幸運と比較するために、けっして満足できないのだ。自分よりもうまくやっている人間は、真剣に探せば、かならず見つかるのだから。嫉み屋と長い時間一緒にいることは危険だ。いずれあなたは自分の業績を、取るに足らないものと感じるようになるだろう。

  1. 他人を利用する人

他人を利用する人は、友情の名のもとで、あなたの時間とエネルギーを吸い取ってしまう。彼らは友人のように接してくるために、扱いにくい。あなたがなにを好み、どんなことに幸せを感じ、なにを面白がるか、彼らは知っている。ただし、彼らはその情報を、自分の目的を達成するために利用する。他人を利用する人は、常にあなたからなにかを手に入れようとしている。あなたから奪ってばかりで、与えることはほとんどしない。あなたから絞り取るために、どんな手段を講じてでも、あなたを味方につけようとする。

  1. ディメンター

J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズに登場するディメンターは、人の魂を体から吸い取って抜け殻にしてしまう。ディメンターが部屋に入ると、その部屋は暗くなり、人は寒気を覚え、忌まわしい記憶が甦る。ローリングは、飛び抜けてマイナス思考の人々――その人が部屋に入ってくるだけで、部屋から精気が抜けてしまう――からディメンターの着想を得たと言っている。

ディメンターは、自身のマイナス思考と悲観主義を、出会う人みんなに押しつけることによって、その場から精気を吸い取ってしまう。彼らは常に物事を悪いほうに解釈し、無害な状況に際しても恐怖心と不安を植えつける。ノートルダム大学の研究によると、マイナス思考のルームメイトと同部屋になった学生は、そうでない学生と同部屋になった場合よりもはるかにマイナス思考になりやすく、鬱状態に陥ることすらあったという。

  1. 悪意に満ちた人

有害な人の中には、他人の痛みや悲しみに深い満足感を覚えるタイプの、悪意に満ちた人々がいる。彼らは故意にあなたを傷つけようとしたり、嫌な気持ちにさせたり、あなたからなにかを手に入れようとしたりする。そして、そうでない時には、あなたに対してなんの興味も示さない。このタイプの唯一の美点は、すぐに見分けがつくために、あなたの人生からすみやかに追い出せることだ。

  1. 批判したがる人

批判したがる人は、なにが評価に値し、なにが値しないかを、いちいち指摘する。情熱の対象をあなたから奪い取り、あなたを惨めな気持ちにさせる。批判したがる人は、自分とは異なる他人の価値を認めて学ぼうとするのではなく、他人を見下す。なにかに情熱を燃やして思いを表現したいという、あなたの欲求を捻り潰す。だから批判したがる人とは縁を切って、自分自身でいたほうがいい。

  1. 威張りたがる人

威張りたがる人は、あなたのすることを、ことごとく自分に対する挑戦と見なす。だから、彼らとつき合うのは時間の無駄だ。尊大さは自信の証明ではなく、不安を覆い隠す仮面にすぎない。アクロン大学の研究によると、尊大さは職場においてさまざまな問題を引き起こすという。威張りたがる人はパフォーマンスに劣り、気むずかしく、平均的な人よりも認知能力に多くの問題を抱えている。

有害な人を見つけたら、いかにしてわが身を守るか

一緒に仕事をしていたり、一緒に暮らしたりしていれば、状況をコントロールするのは不可能だと感じる人が多いが、それは違う。有害な人を特定できさえすれば、次第に彼らの行動を予測できるようになり、理解しやすくなる。そうなれば、いつ、どういう状況でなら我慢し、いつどういう状況でなら我慢する必要がないかを、論理的に考えることができるようになる。境界線を引けるようになるのだ。ただし、意識的に、能動的にやらなければならない。自然の流れに任せたりすれば、厄介な会話にしょっちゅう引きずり込まれる羽目になるだろう。

しっかり境界線を引き、いつ、どういう状況で、むずかしい相手に対処するかを決めてしまえば、混乱のかなりの部分を収めることができる。大切なのは、相手が境界線を踏み越えようとした時には妥協せず、あくまで境界線を守り続けることだ。相手はかならずや境界線を越えてこようとするだろうから。

 

『新着記事はこちら』
なにがなんでも避けるべき有害な人10タイプ | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

 

このように『フェードアウト』に値する人は私たちの周りには相当数いるようですね。
初対面ではそれと気づかず、付き合いを重ねるうちに、なんとなく違和感を覚える場合も多いと思います。

噂話好き、気分屋、自分中心、嫉み癖、利用対象、批判屋と思われる人たちは、ちょっと周囲を見渡すと思い当たる人が多々いるのではないでしょうか。

だからと言ってこのような人たちをすべて避けて通ることは、ちょっと難しいかもしれません。
そこで、次に私的『フェイドアウト』の簡単な規準をご紹介したいと思います。

「気の毒」&「気の薬」

「気の毒」とは

日常的に会話の中で「お気の毒様」とか「あの人は気の毒な人なの」「お気の毒に存じます」などと使いますが、特に葬儀の場で「ご愁傷様です」・「お気の毒様です」と、お悔やみの言葉として常用されています。

どちらも「心を痛んでいることをお察しします」というような意味合いで使われます。
ご愁傷様は傷ついた心を憂うことです。お気の毒様は、相手の不幸に同情を示すことです。

「気の毒」はそもそも、自分の気持ちにとって毒になることの意で、「気の薬 (くすり) 」に対する語》です。
こういった意味を踏まえた「気の毒」「気の薬」を基準にして、人間関係に応用しています。

「気の薬」とは、自分自身が「快」を感じることです。
逆に「気の毒」は自分自身が「不快」を感じる様です。

自分にとって「気の薬」になるような人間関係は積極的に、「気の毒」になるような人間関係は消極的にということです。

初対面で「気の毒」を感じたら、最初から近づかない。
しばらくお付き合いしてから「気の毒」を感じたらそこから「フェイドアウト」です。

上記のように「不快」を感じ出したら我慢したり、期待したりせず「フェイドアウト」です。

「誤解」ということもありますが、大方自分の直観に従ったほうが間違いはないような気がします。むしろ早めに判断したほうが、裏切られた想いや傷ついた痛みを重ねずに、憎しみや、怨みを抱かず、「嫌悪感」に発展する前に遠ざけるので、快く「フェイドアウト」できます。

その上で「フェイドアウト」のリミットを決めればよいと思います。
具体的には、自分と相手の距離をどれくらいに保つか?ということです。

沖に追いやれば追いやるほど関係は薄れます。
手が届くくらいか声が届くくらいか、何らかのコミット手段を使わないと連絡できない距離かをそれぞれ決めてそれを維持すればよい、ということです。

「赤の他人から友達の間」という存在もありかもしれません。

現代の若者「Z世代」ではこのような存在も皆「友達」の範囲にはいっているようです。
というよりも、彼らはこれしか存在しないといっても言い過ぎではないかもしれません。

「気の薬」の関係は、「快」をもたらし、自分の人生にプラスに働きます。
その関係ではたとえ自分への批判的な意見にも、新しい発見として作用するでしょう。

そういった関係性を保てる間柄は貴重な「仲間」として大切にすべきです。

「気の毒」&「気の薬」は人間関係のみだけではなく、あらゆる日常生活の規準として、私は活用しています。
「気の毒」を避け、「気の薬」を取り込む生活を続けていると、やがて「気の薬」になるモノ、コトが引き寄せられ、「気の毒」に出会うことが少なくなってきます。

これはまさしく、シンクロニシティーとセレンディピティーという極楽生活の実現になることでしょう。

お試あれ!!

 

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