内容
はじめに
友達派・一人派(孤高)について述べてきました。
NEUノイsolution “友達優先主義(メイト症候群)” VS “一人が好き” (neusolution.matrix.jp)
このことから、日本人の「つるむ」「群れる」性質が明確に見え、それが「媚びる」に繋がっていることもわかりました。
「媚びる」か「排除」かの体質もこの「つるむ」「群れる」の延長線上にあると言えるでしょう。そして排除の論理はいじめを増長することはいうまでもありません。
「皆と同じでなきゃバカにされる(酷いと排除される)」「皆と同じでありたい」という志向が敏感になるというのは、日本的村社会のしがらみの強さからでしょう。
群れから外れてしまったら、死んでしまうと思うほどに恐怖感を抱いています。それほど仲間外れにされたくない思いは強いのです。
仲間外れにされたくない思いが強いと、心に余裕がもてないのでいつもそれが顔に現れてしまいます。それを隠すために「作り笑い」で誤魔化す習性が身についてしまいました。
作り笑いをしてまで、無理をして合わせているのに、本人はそれに慣れてしまって無理をしていることすら気づかなくなります。
「無理していることに気づかない」も、同調圧力の副作用でということでしょうね。
同調圧力に順応することしか、生きる道を見出していないことが原因です。
体制への順応しか生きる道を見出せなければ、「いかに順応すべきか?」の意識に集中し、自分の感情を顧みたり、ストレス(無理)を意識することなどには意識が向くはずがありません。見るもの聞くものすべてが「他者と上手く順応する」ことにしか向かないからです。
「自分の考えがない人」
そのことが多くの人の「自分で考える力」を奪います。なぜなら、人の顔色を窺い、空気を読み、媚びたり、忖度したりすることにばかりにエネルギーを使う訓練をさせられている所以なのですが、それ以上に同調という脚本は、自分の考えがないほうが楽なシステムに構成されているからです。
自分の考えがある人は、往々にして、尖る存在と認識されます。
同調という枠を超えるということなのですから。
その結果、「自分の考えがない人」の群れ(集団)は有象無象の不能の衆と化しても、みんなで右往左往してこそ同調は成立します。
突き詰めれば「自分のない人」に仕立てられたということです。
盆栽の枝をその持ち主の好みに合わせて、切られたり曲げられたりする。それと同じことを私たちはさせられているにもかかわらず、気づかないでいる。
なんともお恥ずかしいばかりではありませんか。
「自分の考えがない人」だからこそ、余計に他人に依存しなければ生きられない。
負のスパイラルが出来上がってしまったということです。
皆さんも試してください。
それを証明してくれるのは、『チャットGPT』 です。
「チャットGPT」との問答のすべてをここにご紹介するにはあまりにも資料が多すぎて全文を載せることはできませんがその一部をご紹介します。
テーマは「人間の幸福度をあげるには?」です。
詳細⇒それを証明してくれるのは、『チャットGPT』 です。
要約すると
人の幸福度を上げて豊かな人生を送るためには
- 1.社会的つながりを築くこと:
友人や家族、地域社会など、人間関係を持つことが幸福感につながるとされています。定期的な交流や共同の活動に参加することで、つながりを深めることができます。
- 2.身体的健康を維持すること
3.精神的健康を維持すること
ストレスや不安を軽減するために、好きな趣味や興味を持つこも。
4.人生に意味を見出すこと
自分にとって意味のあることを見つけ、それに取り組む。
例えば、自分の興味や関心に合わせた仕事やボランティア活動を行うことができます。
5.新しいことに挑戦すること
新しいことを学ぶことや、新しい経験をすることで、脳の活性化や興奮をもたらし、幸福感や生きがいを与える。
6,会的な期待や常識においては、集団や他人との関わりを重視することが一般的な傾向です。そのため、「一人が好き」という自己表現や選択が、一部の人にとっては理解しづらい場合がある。
「一人が好き」と感じることは、社会的な圧力や否定される感じを受け、自分自身の考え方や感じ方に対するストレスを引き起こすかもしれない。
7.他者が自分の尖った部分や異なる世界観を理解することは容易ではない。他者の視点やバックグラウンドを理解し、異なる世界で生きる人々との対話や関係を築くことが重要。
8.共有された価値観や目標がある場合、相手との意見の相違や衝突が少なくなる可能性はあるが、しかしコミュニケーションは依然として重要な要素。なぜなら、人間関係は常に変化し、価値観や意見が異なることもあるから。
9.他人と完全に理解し合うことは難しい場合もある。
10. 一人の時間を楽しむことで、自己発見やリフレッシュを促すことができる。ただし、コミュニケーションは依然として重要な要素です。人間関係は常に変化し、異なる価値観や意見を持つことがあり、コミュニケーションを通じて、お互いの視点や意図を理解し、相互理解を深めることができる。この相互理解は、人々が協力し合い、共に成長するための基盤となる。
人は社会的な生き物であり、他者との関わりや社会的な繋がりを求める傾向がある。人々は社会的な繋がりを求めることで、情報の共有や経験の交換、感情の共有などを通じて豊かな人間関係を築くことができます。
結論として、一人を楽しむことは個人の選択。しかしながら、社会はそれを称賛、容認しないかもしれない。そうなったときには同調圧力や排除の論理で、ストレスがかかる可能性がある。
一人を楽しむのはほどほどにして、社会とのつながりから幸せを感じられる努力をすべき。
ここから一般社会の価値観が明確に見えてきました。
「社会という集団あっての個人」強いて言うと「国家あっての個人」というナショナリズム的思考の傾向を感じます。個人よりも組織に価値を置くパラダイム(認識の枠組み)です。社会というピラミッドは底辺から積み上げられて構築されているはず。
つまり、組織という骨組みだけでは無用の長物です。
トランプ前大統領が目を付けたのは、底辺を担うアメリカ国民への揺さぶりでした。
隷属的帰属から主体的所属へパラダイムシフト
これまでの社会は脈絡もなく価値観の異なる人々が群れることに抵抗がなく、集まっているからなんとなく参入しているという場合が多く見られました。
地域、学校、会社、サークル、宗教、政治なども、確固たる思想信条がないまま、行き掛かり上とか、誘われてとかで群れている場合のほうが多いように思います。
特に女子において、ランチはおろかトイレまでつるむということを聞きます。
総じて、周囲に合わせる努力のみで、「個」の能力を高めることにエネルギーは使われていないようです。
そのために、自己の成長や時代のニーズに適応するスペックやリテラシーの開発などのために集まることは、それらの専門学校で勉強する以外に見られないのではないでしょうか?
自己の人生に対するウェルビーイング(well-being)のための集団選択を意識している、ということを周囲では聞いたことがありません。
主体的集団への選択参画
そんな幸福度の低い日本ですが、ウェルビーイングを意識すると、
・幸福を前提に仕事に取り組めるため、自分が主体となって業務に専念できる
・自分だけでなく周囲の幸福や健康・快楽や不快に気づいたり、感じたりする力が身につく。
このようなメリットを得ることができ、相手基準ではなく、自分基準で人生・仕事に取り組めるため、受け身だった姿勢が能動的になり、仕事も人生も主体的な意識をもって関わることができるようになります。
そこに必要になってくるのがキャリアウェルビーイングです。
キャリアウェルビーイング
キャリアというと、仕事における出世や能力と捉えられがちですが、キャリアウェルビーイングでは私生活で費やすさまざまな時間も含めた総合的なキャリアの幸福度を指しています。
仕事としてのキャリアはもちろん、家事や育児、勉強などに費やす時間もキャリアとして捉えるということです。そのため、個人のウェルビーイングを高めるためには、仕事とプライベートの両方の幸福を構築することがポイントとなるでしょう。
その効率を高めるのが、選択的自立集団への所属といえます。
未来社会では、旧来のように「考える」を放棄し、前の人についてゆくだけでは、はじき出されてしまう可能性があります。
自己のビジョンを確立し、日々ウェルビーイングに向かって生きることを求められるでしよう。
IT技術の発展はスマホやPCに大きな威力を与え、そのための情報には溢れています。
ただ、その情報の信憑性を自ら確かめ選択するセンスを養う必要は不可欠です。
そのセンスは様々な脈絡思考の展開力を育むことにより,培われるものです。
ネットリテラシー、WEB3やブロックチェーンのリテラシーなど、加速度的に書き換えられる新たなクラウド文化への対応はたやすくありませんが、旧来への執着を捨てることで、それらへの好奇心も芽生えるでしょう。
年寄りは権威を捨て、若者たちに助けを乞うことも必要です。そして自ら学習することが重要です。
そのような人生には興奮と面白さを伴い、人生を豊かにしてくれることはまちがいありません。
興奮で思い出しましたが、日本人の多くは一人の時間には、スマホやビートの聞いた音楽などに依存し、興奮を味わっているようです。
まるで考える時間を避けているかのように・・・・・・
高齢者ですら、テレビやラジオの音がないと過ごせないという人が多いようです。高齢者ですら、テレビやラジオの音がないと過ごせないという人が多いようです。
最近「この国には挑戦が足りない」というコマーシャルを耳にします。挑戦が足りない理由は、すでにお解りのとおり「受け身」の習性にならざるを得なかった日本社会の同調圧力文化の結果です。政治家のおじさま方には、画一的閉鎖的価値観による同調圧力をなくして、多様性と開放性を中心にした観念への転換を図る国策をお願いしたいものです。
認めたくない方々も多いでしょうが、少子高齢化に向かう日本が唯一生きる道は、一人一人が「役割を担う」ことしかないのではないでしょうか。
「役割を担う」とき、それが楽しくなければ持続はかないません。
好きなこと、やりたいことを見つけて没入することこそ、自分にとって豊かな人生を創り、ひいてはそれが社会への貢献になる、という結果を生むのではないでしょうか。
無駄に忖度や媚びに気を遣うのはやめて、そのエネルギーを人生のウェルビーイングに投入してはいかがでしょうか。
そして自ら主体性をもって「常識の打破」「価値観の転換」「コペルニクス的転回」というパラダイムシフトに挑戦するためには、共感できる仲間が必要でしょう。
そんな人たちの集まる集団ならきっと個人の成長を助け、面白く楽しい、豊かな人生にも役立つことでしょう。
まとめ
どこまでも「孤」よりも「社会性」を重視し、またバランスという言葉で濁す一般社会の常識を打破する力、それは「自立した個(孤)」をつくること。
チャットGTPは「一般ピープル」の代表者として認識すべきかもしれません。
社会という、組織という、集団という、家系というテリトリー(排他的に占有する域)内での人生を選択している多くの日本人。
そのなかでの多様性社会の実現はどう見ても困難に見えてしまいます。
が、しかし今日ITのインフラも進み、ブロックチェーンというこれまでにない透明性なシステムが出現し、リアルな社会システムに影響を与え、隷属型共依存構造にヒビが入り、崩れる日が訪れるのは火を見るより明らかではないでしょうか。
そんな日が近いことを認識できる人たちが、未来に生き残ってゆくのでは、と確信しています。
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