“友達優先主義(メイト症候群)” VS “一人が好き”

 

内容

1.あなたは友達多い派?それとも、少ないまたはゼロ派?

2.人が群れたがる背景

3.友達いない強迫観念「同調圧力」

4.「孤独力」一人派のアドバンテージ(強み)

5.自己虚像欲か自己探求欲か

6.まとめ

 

今回は「友達優先主義(メイト症候群)派」と「一人が好き派」について、旧来の常識、価値観に縛られない視点と解釈について考えてみたいと思います。
こんな見方もあると、異なる視点を感じていただけたら幸いです。

あなたは友達多い派?それとも、少ないまたはゼロ派?

世間では「友達がいない人間は価値が低い」「単独行動が多いのはわがまま」と認定する価値観が色濃く残っています。

そのため、「友達がいないのは人間として問題である」「友達は多ければ多いほどいい」と多くの人が思い込んでいるのでは? 

友達を優先する人は、日常行動に主体性が欠けます。
主体性とは、能動的、自発的、自主的ということです。
つまり、友達を優先することで、おのずから受動的な行動になっています。
友達からの連絡で、自分の計画は簡単に後回しにできます。そして友達との交流が一番安心をもたらします。
特に話が合わなくても、誰かと一緒にいる、仲間がいるということを重視します。友達には、いつも嫌われないように気遣いをしながら、空気を読み、忖度を怠らず、たとえそれがストレスになったとしても、一人になる恐怖や不安よりマシだと思い込んでいる人たちです。
友達との交流こそが、自己肯定感を満足させるからです。

一方、友達いない派の人は、友達が欲しくてしょうがない、飲み会に誘ってもらいたくてしょうがない、なのに周囲から嫌われて泣く泣く孤立するというタイプの人と、自分の人生を充実させるため人間関係に過剰な時間を奪われるのが嫌で、人脈を整理していたら、いつの間にか一人で過ごす時間が多くなったというタイプの人がいます。

前者は、気遣いや、忖度、空気読み方が下手な人かもしれません。
ただ、ちょっと尖ると異端視され叩かれ、仲間外れにされる。逆に、抜きん出ると尊敬されるという、日本的な風潮があります。なので、嫌われる人の中には「ちょっと尖った」部分があるのかもしれません。いっそ抜きん出てください。

後者は主体性を持ち、自分を大切にしながら価値観を共有できる友との選択的で合理的な相互利他関係による交流をしているタイプです。

2.人が群れたがる背景

日本人がここまで群れたがる本当の理由

日本人は「孤独は寂しい、良くない」と考え、群れたがる傾向が強い--。
その背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力があるのだと思います。この国では、多くの人が「友達集団や職場集団の構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。そう考える人にとっては「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」が最も安全な選択なんです。

以下は「日本人がここまで群れたがる本当の理由」についてのチャットGPTの回答です。

1.群集主義の文化: 日本の文化は、個人の独立性よりも集団や共同体の一員であることを重視します。集団への帰属意識や協力を重んじる考え方が根付いています。このため、人々は群れたがる傾向があり、他者との関係を大切にします。

2.安心感と安全性の追求: 集団で行動することは、安心感や安全性をもたらすと考えられています。群れることによって、他の人々との絆を強め、個人の安全や幸福感を増すことが期待されます。

3.社会的な圧力と規範: 日本社会では、他の人々との関係性や社会的な規範に従うことが重要視されます。集団で行動することは、社会的な規範に従う一環として捉えられ、個人の行動に対する社会的な評価が影響する場合があります。

4.コミュニケーションと調和: 日本の文化では、コミュニケーションや調和が重視されます。集団で行動することによって、情報共有や協力を促進し、円滑な関係を築くことができます。

そしてチャットGPTは、「一人が好き!」を徹底的に否定し、コミュニケーションとバランスの重要性を解きます。なぜなら、チャットGPTのアルゴリズムは一般的思考を学習してつくられているからです。一般的とは大多数のノーマルな日本人を指します。言い換えると日本人の多くは「多様性(ダイバーシティー)」の思考は受け入れていないという実態を示唆しています。

 3.友達いない強迫観念「同調圧力」

なぜ日本社会には、そこまで強い同調圧力が存在するのですか。

諸富:最大の理由の1つは、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると私は考えています。あの時代、クラスの中はいくつかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。そして、安定して集団に属するためには、とにかく「周りと同じであること」が要求される。「周りと違うと、どんな酷い目に遭うか」、この時期に多くの人は、無意識のうちに体に叩き込まれ青年期を迎えるんです。

30~40代、「友達ゼロ」は人としてダメか (2ページ目):日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

「同調圧力」は教師や親からも日常的に掛けられ、口では「個性を磨け」とか「オンリーワンを目指せ」と言いながら、本当に目立ってしまえば、確実に良からぬことが起きる。そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。スポーツエリートなど、集団から完全に突き抜けてしまう子は、別なんでしょうけど。

染み付いた価値観を抱え、精神的に幼いまま大人になる人も多い。

“自分や周囲に同調しない者”は「おかしな人」であり「変な人」であり「異端」のままなんですね。

「友達の少ない人」を哀れむし、一方で、自分自身が孤独になることを恐れ、時にはノイローゼになりながらも「友達」の数を増やそうとする、と。

他人と群れれば、心を麻痺させ、楽になれる

今の社会では、たとえ表面的であっても幅広い人間関係を維持し日々に忙殺された方が、かえって楽に生きられる、という側面もあります。生きていれば、誰だって人生の節目ごとに様々な悩みが生じてくる。でも、飲み会やSNSなどで絶えず誰かとくっつき、スケジュールを埋め続けていれば、「自分の心を常に麻痺させること」が可能です。そうすれば、本来なら孤独に自分の心を深く見つめねば解決し得ない問題も先送りできる。「群れる」「つるむ」というのは、日々の不安を打ち消すうえでとても便利な道具なんです。「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」と根拠なき自信を持てるようにもなる。

周囲と過剰に同調しようとすることで精神的に追い詰められてしまう人もいます。

今の子供たちは、スマートフォンやSNSなどのネットの発達で一段と同調圧力に追い込まれている。有名になった「メールを3分以内に返信しなければアウト」をはじめ、所属する集団の“掟”にわずかでも背けば、たちまち仲間外れにされてしまう。いわゆる「友だち地獄」です。

群れることの弊害はまだまだあります。自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からなくなることです。こういう人は人生の節目節目、特にレールから外れた時になかなか立ち直ることができません。そんな「自分を持たない人間」が、とりわけ定年を迎えると大変なことになります。

30~40代、「友達ゼロ」は人としてダメか (2ページ目):日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

4.「孤独力」一人派のアドバンテージ(強み)

 一方で、一人の時間をしっかり持っている人は、自分と向き合い、深い部分で自分が本当はどう生きたいのかよく考えていることが多いから、どんな時も、心のバランスを維持することが可能です。その意味では、冒頭で出てきた「いつの間にか孤独を選んでいた人たち」は、実は自分の心がそうなることを欲して、無意識のうちに人間関係を整理してきたとも考えられます。人生の重大な局面を向かえ、もっと自分を知りたい、この後どう生きていくべきか考えたい。そんな深層意識があって、一人の時間を確保することを自分で選んできたとも言えると思います。

「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」は健全と言えるでしょうか。

「一人の時間を過ごせる力」、言い換えれば「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエイティブに生きるための必須能力で、今からの時代、ますます大切になっていき

優れた発想というのは、一人で自分の内面と深く会話している時にこそ生まれるものなんですから。

 孤独に生きようと思いながら躊躇している人の中には、「あまり他人と距離を置きすぎると、関係が薄弱になって相手にされなくなる恐怖とともに、いざという時、誰も助けてくれなくなるのでは」と考える人もいます。

人間は本来孤独であり、それぞれ自分の道を生きていくしかないもの、と覚悟する勇気がもてないのでしょう。

同調圧力を背景に半ば脅迫的につながっただけの関係の相手に、いざという時、親身の支援を期待するのは無理がある

「友だちが少ない、いないこと」は人としてダメどころか、様々なメリットすらあります。少なくとも「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」より、ずっと健全に思えます。

「分かり合えない人」と形ばかりの関係を維持しようと神経をすり減らすより、健康にはいいし、自分を見失わなくても済む。孤独を知ることで、“真の友”との本当に深い出会いが待ち受けているかもしれない。

孤独力を身に付けたら、毎日が爽快になります。

しかしながら、今の日本は依然として会社も地域も「群れた方が楽なシステム」が幅を利かせており、急に上司や同僚からの飲み会やお酒の誘いなどを断ると、思わぬ負の影響が起きかねません。

 “群れたがる人々”をあまり刺激せずに、「1人の時間」を確保していく上手い方法は
詳細は下記を参照ください。↓

 引用と参考:30~40代、「友達ゼロ」は人としてダメか (4ページ目):日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

5.自己虚像欲か自己探求欲か

自己虚像とは、他人からポジティブで好意的に見られるイメージを持ちたいという欲求を指します。この欲求は他人の期待に応えようと努力し、外見や行動を通じて他人に認められ受け入れられるイメージを作り出そうとする動機です。自己虚像欲はしばしば社会的な認知や社交の圧力と関連しており、社会の期待に応えることで自尊心や自信心を高めようとする傾向があります。

自己探求欲は、個人が内面の思考や価値観、目標、目的についての探求や理解を求める欲求です。この欲求は個人が自発的に自己の内面的な考えや感情、動機を探求し、自己の世界観や他人との関係について理解を深めようとする動機です。自己探求欲は、自己反省、個人の成長や発展の追求、自己の真の内面との一致を探求することを促します。

これらの欲求は個人の成長や幸福感において重要な役割を果たしますが、自己認識、感情管理、ポジティブなマインドセット、適応力などのスキルは、自己虚像欲と自己探求欲の関係をうまく処理し、個人の成長と満足感を実現するのに役立ちます。

自己虚像欲が強い場合、自分の現実の姿と自分が望むイメージとの間に格差があることによって苦しむことがあります。人々はしばしば自分が他人からどのように見られているかに対して敏感であり、社会的な評価や承認を求める傾向があります。しかし、完璧なイメージには到底達することができないため、自己虚像と実像の間にギャップが生じることがよくあります。

このギャップにより、自己評価や自己受容に問題を抱えることがあります。自己虚像に固執しすぎると、自分自身を不完全や欠陥がある存在と感じることがあり、自己否定的な感情や不安、自信の喪失などが生じることがあります。また、他人の評価や承認に過度に依存することで、自己価値や自尊心が揺らぎやすくなるかもしれません。

自己虚像に執着する場合、その欲望はしばしば個人の自己満足や外部の評価に焦点を当てます。この執着は、他人の肯定的な反応や社会的なステータスに依存し、自己受容や本質的な成長を阻害する可能性があります。

このような苦しみから抜け出すためには、以下のようなアプローチが役立つ場合があります。

1.自己受容:自分自身を完璧ではない存在と受け入れることが重要です。自己虚像とのギャップがあっても、それを受け入れて自分を愛し、自分自身を認めることが大切です。

2.自己探求:自己探求を通じて、自分の真の価値観や情熱(本当にやりたいこと、本当に楽しいこと、夢中になったり、没有できること)を見つけ出し、自分自身の内面とのつながりを強化します。自己探求は自己虚像を超えて、より本質的な自己を発見する手段となることがあります。

また自己探求は能力やスキルではなく、個人の内なる欲求や意識の拡大に関連しています。自己探求は、自己の本質や目的を理解し、成長や発展を追求するプロセスです。自己探求は、自己受容や自己成長、個人の価値観や目標の探求を通じて、より豊かな人生の構築につながる可能性があります。

3.バランスの取れた視点:他人の評価や承認に過度に依存するのではなく、自分自身の内なる声や価値観を重視するように心がけましょう。自分自身の幸福や成長を追求することに焦点を当てることが重要です。

6.まとめ

  1. 満足感と幸福感:

自己虚像欲によって他人からの評価や承認を求めることが重視される場合、他人からの肯定的な反応や成功体験によって一時的な満足感や幸福感を得ることができるかもしれません。一方、自己探求欲は、自己成長や本質的な価値の追求に焦点を当てることで、より持続的な満足感や幸福感をもたらす可能性があります。

  1. 自己受容と自己成長:

自己虚像欲は、他人からの評価に依存する傾向があるため、自己受容や自己価値感に課題を抱えることがあります。一方、自己探求欲は、自己を深く理解し受け入れることから始まり、個人の成長や発展を追求することで自己受容と自己成長を促す可能性があります。

  1. 意味と目的の追求:

自己虚像欲は外部の評価や社会的なステータスに焦点を当てる傾向がありますが、これによって本来の意味や目的を見失うこともあります。自己探求欲は、自己の本質や内なる目的を追求することによって、より意味のある人生や満足感を見出す可能性があります。

したがって、自己虚像に執着することは、本質的な成長や意味の探求において制約を与える可能性があります。自己探求は、個人の内なる欲求や自己の理解を追求する能力として捉えられます。ただし、この能力を発揮するためには、自己虚像に対する執着を超え、自己受容や自己探求に重点を置くことが重要です。

自己探求は、自己成長や意味の追求、自己の内なる欲求に従って人生を豊かにするための力となります。それに対して、自己虚像に執着することは、一時的な満足感や外部の評価に依存することによって、真の幸福や満足感を見失う可能性があると言えます。

結論として、幸せの可能性が高いのは、自己虚像欲に振り回されずに自己探求欲を追求し、自己受容や成長、意味や目的の発見にも焦点を当てることが、より持続的な幸せや満足感をもたらす可能性があります。

 

 

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