「“コミュ力”のジレンマ 大研究」

新世代が解くニッポンのジレンマ

「“コミュ力”のジレンマ 大研究」

感想・まとめから・・・
さらりと 番組を観た感じと、こうして 詳細な流れを追っていく感じでは、中身がまるで違ったものに観えてきます。今回のテーマコミュ力”でも、先回の「お金もうけのジレンマ」で感じた 三角(階級)システムと水平システムの根源に 大きく関わっていることが解ります。
そもそも、多くの企業が求める人材の要素に、コミュニケーション能力の占める割合が大きいというように、コミュ力”なるものは、資本主義の産物ではないかと思いました。

まず、冒頭の紹介のなかでも、「世間が羨む 高い“コミュ力”を誇るかにみえるという二人の論客は、全く異なるコミュニケーション世界を持ち、興味をそそる新世代の代表で 現代の若者たちの日常・価値観の多様化を改めて覗き見るようで印象的でした。

自分にとってのコミュニケーションは、「話が通じる相手と話したい」そう、思う人を選択して、コミュニケーションをしていました。コミュニケーションの必要性は、刺激し合って成長を促すもののようです。実は、そんな私のようなコミュニケーション系は‟コミュ障” と呼ばれて、コミュニケーション障害を持った人という仲間に入れられるようです。つまり今回のコミュ力”とは、「誰とでも相手に合わせて会話ができ、むしろ相手を気持ちよくさせた上で、会話で相手を操るくらいの力」で私のような輩から見ると、まるで詐欺師に近い力のこと?と思ってしまいました。やはり資本主義の体系の中では ポーカーフェースの苦手な人は生き残れないという論理なのですね?ただ今回の論客ゆうこす(私も)は、充分幸せと安定を得て、現在を生きているのです。ということはそれが正論とは言えないのでは?と思いながら観察しました。祭りはもう終わったんです。祭りに乗じて口八丁で誘い入れ、自分だけ肥えようとする精神構造はもう時代遅れになりますよ、ということを知るきっかけになりました。

世間が羨む 高い“コミュ力”を誇るかにみえる」という 論客の一人ゆうこすと呼ぶ24歳のインフルエンサーの、新鮮な発想から発せられ言葉には、なぜか共感を覚えたり、ワクワクしてしまう自分がありました。彼女のモテキャラとか、ぶりっ子キャラなどには、全く興味もないのだですが、彼女の住む世界「アウトカースト」に、同質感を感じていたのかもしれません。そんな前提から、東京電機大学 理工学部助教授 山本助教授の言う 戦略的コミュニケーションと、分かち合うコミュニケーションという二つの分け方においても、この根源的棲み分けというパラダイムが大きく影響していることが見えてきました。さらに、「友達いなくて平気」の回答から、“コミュ力不要”というジャンルもあり?という流れも、コミュニケーションの価値を脅かす世代の存在があることを知り、変化の速さを痛感しています。
そういえば 最近ではコミュニケーション障害と言われる 発達障害の人たちのカミングアウトが盛んですが、‟コミュ障”という障害者扱いも、そろそろ時代遅れになり、“コミュ力不要”が時代の先端となる日もそう遠くはないような気がしてきました。 

山本教授の現代コミュニケーション事情の分析及び論説も、 “なるほど”と納得することが多く、論客一人ひとりのマインドにビルトインされたものが どちらに偏っているかが 透けて見えてくるのを感じられました。
例えば日本文化の深いところを牛耳る、八百万の神という神々同士の空気の読み合いとか、それが及ぼす場所場所による大切なものの違いとか、そこから生まれる異分子の排除とか、またスクールカーストについては 大人社会の縮図を強化したような子供社会の存在など、更にヨーロッパではフローター 日本では不思議ちゃんと呼ぶ アウトカーストの存在などなど・・・・

もう一つは、男性と女性とでは コミュニケーションの有用性や、意味に 大きな差異があることに気づきました。特に古市MCの発言は女性陣との間に、埋められない溝を呈し、女性軍に手厳しい言葉を浴びせられるなど ドラマを見るようでした。

要素分解をすると、承認欲求に基づいて、「分かってほしい」だから「あなたのことも分かってあげる」と、繋がることに意味を見出し(分身を探す?)「分かる わかる!」という女性特有に見られる相槌が示すように、それがコミュニケーションの重要な要素の女性。
一方 ただ繋がることよりも カースト内で少しでも利になる情報を得られるか、敵か味方か? 優位性、所有性、権力性に価値を置く男性のコミュニケーションの有用性の意味が全く異なるところにあることが見えました。まるで住んでる世界が違う、というように・・・・・・

3人の女性が互いに本音と建て前を使い分け、面従腹背が見え隠れし気を遣う様子は 心のどこかで優位性を意識しているようで、普通に女性が集まってよく見られる光景が映し出されていました。

そういえば、フランスではこういった番組が大変多いと聞きますが、フランスの哲学者「ドゥルーズ」による「リゾーム(地下茎ネットワーク理論)」を思い出しました。この理論はフランス国民の多くに指示されたようですが、「根になるな、リゾームからしか生まれるものはない」と、ドゥルーズは言います。自分を太らすだけの根よりも、縦横無尽なリゾームだからこそ、あらたに生まれるものがあると。・・・私もこの理論に共感している一人です。それはコミュ力”などという人為的で局所的なものは不要な世界なのでは・・・・。

自信満々のゆうこすは インフルエンサーという紹介の代名詞通り、100万人のフォロワーを持ち ネット上に多大な影響を及ぼす存在としてファンとともに生き、楽しんでいる。なのでリアルな友達は必要ない。だからコミュ力”にたよる必要もない。彼女はただ、ぶりっ子を武器に モテクリエイターとして尖っただけと言うアウトカーストをむしろ自負。
一方 自己キャラの定まらない堀口はマルチリンガルという 高度な知的要素を備えながらも いまだにキャラ作りできないことに迷う中 タレント・キャスターとして活躍しながらも 他者への強い承認欲求 はたまた カースト上位を目指してか “コミュ力”磨きに余念がない。 

アナウンサーと言う立場ながらも NHKという古い組織の一員を 身体中で意識しながら
中立を保ちつつも 新しい世代への批判的な内面が 見え隠れする 赤木アナ。いつの世も 古い体質に浸かっている者は 新しいものへの拒否感は否めない。「お金もうけ…」においても、それがあからさまに見えて面白かったのですが、今回は特に女性の 新旧世界を浮き彫りにしたようで面白い企画でした。その中で山本助教授の新時代的コミュニケーション事情の解体という取り組みは 今後も新たな研究結果に期待したいと思いました。そしてコミュニケーションにおいての △三角システムと水平システムのパラダイムの影響について、是非伺ってみたい気がしました。

テープ起こし本文

新世代が解くニッポンのジレンマ
コミュ力”のジレンマ大研究」
多くの企業が学生に求め、価値観が多様化する現代に必須とも言われれるコミュニケーション能力、通称「コミュ力」ネットでリアルで、その必要性は叫ばれるものの定義は人によってさまざまだ。そんたくでもなければ個性を殺すことでもない…同調圧力を越える術は?分断が広がる時代に突破口を開く対話の形を探して。モテクリエイター他多彩なジャンルで活躍する出演者たちが成功、失敗、炎上?さまざまな経験談をまじえホンネトーク

【司会】社会学者…古市憲寿,赤木野々花  【語り】悠木碧

【論客】
◇菅本裕子(ゆうこす・すがもとゆうこ) 94年生まれ モテクリエイター
◇堀口ミイナ(ほりぐち みいな)    90年生まれ タレント・キャスター
◇山本宏樹(やまもと ひろき)82年生まれ 東京電機大学理工学部助教

情報を想いを、いつの時代も人は伝えることに心砕いてきた。
伝えたい、分かり合いたいという人の思いに変わりはないはず、でも今、“コミュ力”なる言葉が殊更 に叫ばれその高い低いが人物評価の基準とも言われている。「SNS疲れ」が語られ始め早数年。
ネットの影響力も更に増し、人間関係を変え続けている。求められる“コミュ力” でもそれが何を指すのか?その定義も人によりまちまちだ。今、“コミュ力”ってなんだろう?
今回の『ジレンマ』は敢えて、世間が羨む 高い“コミュ力”を誇るかに見えるゲストを招いて本音トーク

菅本裕子(ゆうこす)
女子がどうしたら愛されるのか、ネットの世界でモテをクリエイト、キーワオドは「ぶりっこ」今や100万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーが率直に様々な思いを語る。

堀口ミイナ
トルコ人の母と日本人の父を持ち、5か国語を操るマルチリンガル、大手商業商社を経てフリーに。「ジレンマ」でもきっぷのいいトークを展開。タレント・キャスターに転身して活躍の場を広げている。そんな彼女も今夜は思いの丈を語る。

山本宏樹
教育現場など様々な対話の場でフィールドワークを重ねる。現代コミュニケーション事情を解剖する。

 コミュ力”って何の事?
この際はっきりさせてみよう。新世代のコミュニケーションを見つける事はできるのか。

“コミュ力”のジレンマ大研究
東京電機大他、学生たちをあつめてのトークは、SNS時代の申し子と言われるゆうこすのこんなつぶやきから始まった。

ゆうこす: 私“コミュ力”低いですけど大丈夫かな?
古市:   
そこで言う「低い」ってなんですか?コミュニケーション能力がゆうこすさんが低いってそれ、何が低いんですか?
ゆうこす: なんか私はぶりっこが…ぶりっこのこと好きな人ってあんま 少ないじゃないですか。ぶりっこの事があんまりっていう男の子とか女の子の前ではやっぱり上手く話せなくなっちゃいます。
古市: うまく話せなくなることがあるんだ?
ゆうこす: 
全然話せなくなっちゃいます。
古市: 
堀口さんは でもコミュニケーション能力の塊みたいな人なんじゃないですか?
堀口: いやどうなんですかね。コミュニケーション能力って、死ぬまでずっと磨き続けるものだと思ってるので、学生の時よりは上がってるのかなとかは思ってますけど。
古市: 
そこでいうコミュケーション能力ってなんですかね、具体的に要素分解してくと。
堀口: 
多分 どんな人とでも気持ちよく話せて、自分らしく話せて、目の前の人が笑顔になることが私にとって大事。
古市: 笑顔になることって結構大変じゃないですか?
赤木: 相手が笑顔になれば自分の、自分は作っててもいいんですか?
堀口: 
多少相手がこういうのが好きそうだなと思ったら若干それに合わせますね。フランクな方がすきなのかとか、真面目に話した方が好きなのかで変えた方がスムーズなんだったらそっちにじぶんを合わせちゃいます。
古市: アナウンサーってそういうの得意じゃないんですか?そういう仕事じゃないんですか?
赤木: 
表面的なコミュニケーションがたくさんありますので。
古市
: ともすれば表面的ってバレちゃいじゃないですか。その場その場で変えても。それはばれたりしませんか何か。ほんとに 何か興味ないのに興味持ってるふりしてくれてるんだろうかとかなんかそういう感じでは。
堀口: 確かにたまに寝そうになってることありますな。
古市: ダメじゃないですか。言っていいんですか?ただやっぱり基本は目の前にいる相手を気持ちよくするみたいな。
堀口: やっぱり それしかないな。やっぱ 他者がいて自分がいるので…自分がよりハッピーに生きるためには周りの人がハッピーじゃないと…というのが結構かんがえてることですね。
古市: でも山本さん 研究者的にコミュニケーション能力って 今どんな感じで考えられてるんですか?
山本: 例えばコミュニケーションって二つ種類があると思うんです。一つはお互いに分かり合うために歩み寄ったりとか自己開示したりとか…お互いのことを知り合うコミュニケーションで、もう一方は戦略的コミュニケーションで、相手を操作したりとか 相手に好きになってもらったりとか、相手を操ったりするっていう、そういうコミュニケーションもあったりして、コミュケーション能力とか“コミュ力” っていう風に「力」っていうふうにつけると、それってある種の権力を意味するような気がするんですね。つまり・・・人を操ったりする戦略的コミュニケーション、その高さ低さを“コミュ力”っていうような気がします。
古市: 堀口さんは 完全に操ろうとしてるわけでしょう?
堀口: 操ろうとしてないです。
古市: でもゆうこすさんも同じですよね。操ろうとしてるわけでしょう?目の前の人を。
堀口: 私たち操ろうとしてた?もしかして
古市: 嫌々どう見ても操ろうとしてるいっぱでしょう、どう見ても。

人を操る能力がコミュ力?コミュニケーションが戦略を競う技術ともみなされる時代、いつからこんな社会に・・・

古市: 昔から人間て会話とかはしてたわけじゃないですか。何千年も何万年も。でも何で 殊更この数十年、この10年20年くらいでコミュニケーション能力とかコミュニケーションって言葉がここまで言われるようになったんですかね。
山本:それはすごく大事な問題ですね、例えば50年前を考えるとちょうど 1960年代の話になりますけど、その頃ってあまりコミュ力とかコミュニケーション能力って必要とされてなかったって言う風にいわれているんです。例えば仕事で言うと6割以上の人が農作業をしていたりとか、製造業で工場で働いてたりしてですね、下手にぺちゃぺちゃ喋るよりもですね黙々と働くってことが重要視されていたんですね。で あと恋愛で言うと1960年代だと、まだ過半数は見合い結婚だったりしたんです。そういう時ってあまりコミュ力って必要じゃないんですね。むしろ多分女性だと…コミュ力あり過ぎるとモテなくなってしまう。良妻賢母で夫に付き従うような、そういうコミュ力 だから…見せちゃダメな世界なんですね。
ゆうこす: 考えられない。
山本: そう、男性の側は男性の側で、コミュニケーション能力低くても、勉強ができていい学校に入れば、いい仕事に就けて、でいいお嫁さんと結婚できて、幸せになるっていう、そういうある種の成功モデルっていうのがその当時はあったから、だからむしろ それが壊れた…大体80年代以降なんですけど。それ以降にコミュニケーション能力とかコミュ力っていうものが必要になってきたっていうふうに言われる事おおいですね。
堀口: たしかに言われてみれば 私のおじいちゃん、すごい無口な人なんですけど、おばあちゃんに「何でおじいちゃんえらんだの?」って聞いたら、無口で真面目そうだったからって。だいぶ 今と違う選び方だなって。
山本: そうですね
古市: 無口同士のカップルって辛そうですけどね。今の感覚からしたらね。
ゆうこす: どうやってコミュニケーションとるんですか?
古市: だから だれにもとらなくていいんじゃないですか。
ゆうこす: それがコミュニケーション?
堀口: とらないコミュニケーション。

取らないコミュニケーション                                                   
あうんの呼吸で分かり合う、そんな関係は古き良き時代のものなのか。「コミュニケーション能力」は新卒さいように当たって多くの企業が最も重視する能力、15年連続の1位だ。「主体性」「チャレンジ性」を大きく引き離し、社会が要求し続ける「コミュ力」とは 一体。

古市: 今、仕事の場でも サービス業が こんだけ 沢山ありますし、結婚も恋愛結婚ばっかりになったりして、まあコミュニケーション能力が、あらゆるところでもとめられてしまうっていう。この流れはしょうがない  と言えばしょうがないんですかね。
山本: ある意味では世界のすう勢と言えるかもしれませんね。とにかく価値観が今多様化しすぎていてこれに従えばいいっていうようなルールが見えにくいですよね。だからそういう中で自分たちでコミュニケーションしながらそのルールを見つけたりとか作っていかなくちゃいけないので、ある意味ではまあ仕方ない面は確かにあるのかもしれませんよね。
古市: でも何か 企業ってコミュニケーション能力がある人が欲しいって言いながら、実際、結局…会社のことに従ってくれる人 欲しがったりとか。だって 堀口さん だから会社 やめたんでしょう?
堀口: えっ「だから」っていう…
古市: いや わかんないですけど、やっぱり窮屈さがあったんですか何か。
堀口: 窮屈さっていうか 私は方向性が違うから辞めたんですけど、会社の組織の中にいて感じたのは、会社ってほんと面接の段階から、ものすごいコミュニケーション能力みるじゃないですか。下手したら、コミュニケーション能力あれば他に難があっても通っちゃうみたいな。会社のニーズとしてはこれまでの既存事業やってきたけど、新しいことやりたいっていう会社が多いんじゃないですか。この変化の時代に。だからそういう人求めてるのかなって言うのは感じてましたけどね。
古市: そもそも、今って だからコミュニケーション能力とイコールかどうか分かんないけど…人と逢うのが面倒くさい人どこの業界でもつらそうですよね。研究者でさえもだっ研究って 人と一緒に共同でやったりとか、いろんな資金取ってきたりとか、なんだかんだで そういう能力 多分 必要じゃないですか。
山本: そうですよね、ほんとに。変人は昔はそれが研究者らしさって事で、許容されてたけど、最近は変人というかコミュニケーションがおろそかだと、パワハラになっちゃったりとか、あるいはほんとに変わり者で大学の中にいにくくなりますよね。だから 研究者として生きづらい世の中になってますよね。
古市: そうか 何もしないと「学生に指導しない」とかって言われたりとか そんなふうに言われちゃうんですか?
山本: 昔は指導しなくても文句 出なかったんですけど、今はとにかく 学生に しっかりと勉強を教えたりとか進路の世話をしたりとか、あまり要求しすぎずに ちゃんとアドバイスをしたりとか、そういう力も求められますよね。
堀口: あっ でもなんか パワハラで思い出したんですけど、結構日本型の企業って 体育会系のコミュニケーションの仕方が主流で、私みたいに体育会系マジ嫌いな人だと 自分なりのいいコミュニケーションしているはずが、でもやっぱり体育会系の「先輩!」とか、よくわかんないけど、そういうのとあわなくて、ちょっと居づらいっていうのはあいました。例えば宴会とかうちあげの時とか。挨拶の仕方とか、振られるじゃないですか、「飲みま~す」とか、そいうの苦手な人からすると、そういうのやったら愛されるってわかっててもできない。
赤木: そのコミュニティーの中では コミュ力高い人。
堀口: そうなんですね。
古市: 会社内でもやっぱりモテたほうがいいってことあるじゃないですか。別に恋愛とかって言うことじゃなくても人から好かれるとか。
堀口: いやモテないと仕事できないですね。
古市: ゆうこすさん、どうしたらもてるんでしたっけ。                        
ゆうこす: 自分に#(ハッシュタグ)つけたらモテると思います。
古市: 自分に#つける?つまり自分にキャラクターづけするって意味ですか?
ゆうこす: はい 私はただ「#ぶりっこ」っていうのを明確に作ったから、コミュニティーに入る側じゃなくて、待つ側になったらモテました。
古市: 自分でキャラ設定をしてるから、ぶりっ子って分ってる人しかこないし。
ゆうこす: コミュニティーに入っても、こいつはこういう風に扱えばいいっていう周りが解ってくれるじゃないですか。スゴイ我儘な考えなんですけど。
古市: やっぱり学校のクラスとかもそうでしたね。キャラ設定のある子は周りもつきあいやすい。キャラがわかんない子はどうしようかって。
山本: 今特に、中学高校はキャラづくりが大事だというふうに言われていて、キャラがかぶっちゃたりとか、キャラにうまく乗れなかったりすると、みんなが困っちゃう。キャラに上手く乗ってるうちはコミュニケーションがスムーズに行く。どういう風に相手をいじれば…相手とコミュニケーションすれば相手がどういう風に返してくるかを予測しやすいんですけど、キャラが立たないと何考えてるか、どういう風に反応してくるかわからない。
堀口: 私、典型的な自分のきゃらを模索してよくわかんなくなっていった人で、中学の時に「私って何キャラ何だろう」って、かなり悩んで、思えば今も「キャラ設定が大事」とか言われて、どういうレッテル…なのか#なのが言いにか模索しないといけないっていう立場にいて 悩み変わってないじゃんって。
古市: で、今はどうしてるんですか?        
堀口: 結局は私は無理にキャラづけはいいやって思って、だから嫌われる勇気を発動して、染まらない。よくわからないキャラのままで仲良くしてくれる友達?を大事にすればいいかっていう。
古市: あの局アナからフリーになった人の何人かに聞いたんですが、フリーになった瞬間に、キャラを求められるって。
古市: お二人はたいへんじゃないですか?もう「ぶりっこ」で行く?
ゆうこす: 行くしかない
堀口: もう見つかってるから羨ましい。
古市: 堀口さんはまだ模索中ってこと?
堀口: 模索中。
古市: ほんとは人って一個じゃないですか#。ほんとはみんな#たくさんある中で生きてるはずなんだけど、どうしても何だろうメディアとか、会社内とかもしくは学級やクラスだとなんか一個の方がキャラが相手から分かりやすいからそれをしなきゃいけないっていう。

分かりやすいキャラを設定しないと教室にも職場にも居場所はない、それだけ今 コミュニケーションはパターン化しているのか、

赤木: 昔、先輩アナウンサーに、キャラって自分で作るものじゃなくて、一生懸命やってるうちに勝手ににじみ出るものだからって言われたことがあるんですけど。
堀口: 有難い言葉ですよね。            
赤木: やっぱり、キャラを作るって言うと、なんか偽りのコミュニケーションをしている部分が出てくるんじゃないかなって思ったりするんですけど。
ゆうこす: キャラっていうか私は好きな#を5個くらいつけてるんですけど。演じるって意味でキャラな設定してない。
赤木: 素で勝負できるってことなんですね。
ゆうこす: ぶりっこって言ったら 演じてるって思われるんですが、何も演じてない。
堀口: 思ったんですが、インターネット時代、SNS時代が#を強要しているところがあるんじゃないかなって。小さいコミュニティーでよく触れ合う人たちだったら、みんな知ってるっていう前提で生きられるけど、SNSだと世界中の多くの人たちに自分が何者なのかっていうのをインスタのあの5行くらいのプロフィールに表現しないといけなかったりするから、無理やり言葉にしなきゃいけない。古市: 何でみんな世界中に発信したがるの?何物でもない人が、なんでみんな世界中に発信して表現しなきゃいけないの?
堀口: それがコミュニケーション能力とイコールって見られてる面もあるじゃないですか。
赤木: メリットは何なんですか?発信してい「いいねっ」とかいっぱいもらうメリットは?
古市: ゆうこすさんなんかは、それが仕事になってると思うんですけど。
ゆうこす: ゆうこすはずっとクラスで生き辛かったんですよ、ずっとぶりっ子出しちゃうとスクールカーストトップにいじめられるじゃないですか、だから生きやすい世界を作るために、まずはネット世界でもいいから ぶりっ子、ぶりっ子って発信することによってぶりっ子たちが集まってきて生きやすくなった。生きやすくなるためにぶりっ子を発信した。
堀口: それってすごく大事なことと思てて、それを発信する勇気っていうか、そういう発想?あっ、外部に求めるんじやなくて、自分の内側にそういうコミュニティーの芽はあるのかもしれないっていう、発想の転換は結構大事かもしれないっていう。
ゆうこす: でも、今の若い子たちを見てると、今24歳になったんですけど、SNSでコミュニティー作るのは若い子の方が苦手だと思う。
堀口: 何でですか?
ゆうこす: 私たちは、私たち世代は、初めて使ったSNSがツイッターとインスタグラムなんですよね。mixiとか経験したことなくて、Facebookとかもやったことない、もうないみたいな言い方してゴメンナサイ。最近ツイッターでFacebookのことみんな知ってる?って聞いたら、何このアプリとか言われたんですよ。
会場:へぇぇ~!
ゆうこす: そうなんですよ、私と同世代はわかるかもしれないけど、もっと若い高校生とかは入れたこともないと思うんですよね。その子たちは初めて使ったアプリが、Facebookやmixiとかつながるものじゃなくて、あなたが「発信してください」っていう発信だけのインスタグラムやツイッターなんですよね。学校のコミュニティーの確立だけのSNS、ほんとちっちぃ世界の地位を確立するためのSNS.ちょっといいブランドをアップして、スクールカーストの上位になるためのすごい小さい世界のためにやってる。
古市: 自分からは発信しなきゃいけないサービスですよね。
ゆうこす: なんか人のコミュニティーに入っていく考えは絶対に持てない。私がそうだったから。

発信型アプリが花盛りの今、しかしそれを発信する相手は、実はクラスメイト?ネットに乗って全世界に向かったはずのメッセージはどこまで届いているのか。
ここで若い世代を⇒衣装にした国際調査の結果を紹介したい。ヨーロッパ全域で延べ100万人が参加。日本でも今年4月から始まったネットアンケート。
赤木: ちょっと見てほしいデータがありまして、こちら。

18歳から34歳までの回答
インタネットがなくても平気?
日本8% ヨーロッパ52%

古市: そう言いたいんじゃないんですか?ヨーロッパ人は?実際向こうの方がいろんなサービスって、ネット媒介のモノが多い気しますけどね。今回でインターネットなくても平気っていう人いますか?
赤木: 無理無理無理っておっしゃってる。無理ですか?
何で無理なんですか?
会場 田名網 章絵: なんかもう暇さえあればインターネットを使用する習慣がついているので、逆にインターネットがないと、何をしていいか分からないという状況になっています。
ゆうこす: 私も充電切れたらそら見るしかできなくて、どうしようって。
古市: 一日に何時間くらい使ってますか?
会場 田名網 章絵: 一日中暇さえあれば。ご飯とかトイレとかそういう時以外はずっと使ってると思います。
古市: よく使うサービスとかアプリとか、どんなのが多いですか?
会場 田名網 章絵: インスタグラムはよく見ます。ゆうこすさんのいつもすごい見てます私、
ゆうこす: え~嬉しい!ありがとございます。
古市: 人のインスタ見てどんな風に思うんですか?
会場 田名網 章絵: ひたすら可愛い!ぶりっ子って人に批判されるかもしれないと思いつつも、画像と文章使って自分のこと表現できてるのがスゴイと思います。
古市: 自分を愛する力っていうんですかね。人から何いわれようとも自分が好きなものは好きっていうし、自分のこと好きだと思うみたいなことなんですかね。
ゆうこす: そうですね、だから嫌われたらそれはしょうがないってことで、わたしはモテるために生きてるってブログの一行目に書いてます。
古市: 自分でもそういう風になりたいってことですか?
会場 田名網 章絵: 自分では自信がなくてそっちの世界にいけないんです。
古市: そっちの世界って、嫌われる世界ですか?
全員: 笑い
古市: ネットなくて平気ってねえ、やっぱりだけどなかったらなかったで、みんな大丈夫になるって思いますけどね。
赤木: 意外と大丈夫な気がしますけど。
ゆうこす: え~っ! だってえ~っ! ちょっとえ~っ! 
古市: そですね、今の居場所がそうですね、全部そのネットとかを通じた場所で得すもんねえ。
ゆうこす: そうです、居場所もお金も全部なくなりますね、あっヤバイヤバイ!
赤木: でもネットでのコミュニケーションと 対面でのとやっぱり違いますか?ゆうこすさんは。ゆうこす: う~ん、まあ、ネットの方がやっぱり私、気を使いますね。だってやっぱしネットってみんな顔出ししないじゃないですか。まあものにもよりますけど、基本的に顔出ししないので、より本心を言ってくるんですよ。きついこともあるんですよね。なのでSNSの方が顔が見えない分、相手の気持ちを考えないといけないってなって、考えて発信します。
古市: そうか、顔が見えない分逆に考える。
ゆうこす: はい。
堀口: 顔が見えない人の気持ちを考える、モチベーションがすごいですね。私、なんか知りもしない人のことなんかそんな真面目に考えるってことしなくって、周りの顔が見える人のことは真剣に考えるけど、っていうのが全然違うなって。
ゆうこす: 自分がぶりっ子って尖ってるのをフォローして好きって言ってくれた人たちだから、真剣に考える。
古市: でも好きって人だけじゃなくて、嫌いって言う人もいるわけでしょう?
ゆうこす: あっ、だからそれは考えない。完全にスルーします。
古市: じゃあ、炎上とかも気にならない?
ゆうこす: 私、そうでうね、もともと6年前にはHKT48というところに居てアイドルやってたんですけど、やめたときは日々炎上してました。「おはよう」って言っただけで炎上しました。
全員: へえぇぇ~
古市: それがツイッターみたいなリプライ欄なんかで元ファンみたいな人がいろいろ言ってくるみたいな?
ゆうこす: 「お前は何なんだ」とか。送ってきたんですけど、ぶりっこっていうところで もういい意味で尖ったんで、誰も言ってくる人いないんですね。
古市: 基本、尖るほうがいい?でもそのためには心の強さも必要じゃないですか。嫌われる勇気っていうか。さっきから堀口さんもいってますけど…嫌われたる勇気ってそんなに簡単に持てます?
ゆうこす: あ~でも私の場合は、多分アイドル辞めたときにすごい たたかれてバーンって落ちたから嫌われても全然大丈夫だなって、気づけたたのかなっていうのはあるんです。そん時死ななかったから。叩かれてもしなないなと思って。
古市: でも山本さん ネットのしんどさみたいなものって、やっぱりね ありますよね。
山本: そうですね。インターネット上だと、人間ってナルシスティックになりやすいし、サディスティックにもなりやすい…っていう社会心理学の研究があるんです。だから結局 中学生 高校生も 結構ナルシストな自己愛なツイートとかしちゃって それをサディスティックな人に見つかって いろいろ批判されて傷付いて へこんで辞めてしまったりとかっていう事もあったりして なかなか難しいですよね。
赤木: さっきから、ものすごく大きくうなずいていらっしゃるんですけども 何か ちょっと共感できるようなところが ありましたか?じゃあ ちょっとマイクを・
会場 本島 智史: 自分も結構インターネットで虐めてる人とか見てきたんで…知らない人とか有名人とかに心無い返信する人多いなってかんじるのでインターネットでは。なので自分も気を付けたいなっていうのと やっぱり 顔が知らないので その人の本心も分からないので ちゃんときをつけて発信したいなって言うのがあります。
赤木: 対面とのコミュニケーションとそういうのは 全然 違いますか?
会場 本島 智史: 全然 違いますね。 例えばインターネットとかで知り合って 会う人もいるんですけど そういう人にも こんなに明るい人なんだとか こういう性格してるとは思わなかったって 言われることもあるので。
古市: どういうところで どういうふうに逢うんですか?
会場 本島 智史: 何か その 例えば趣味が一緒で、一緒のイベントに行くってなると だったら一緒に逢ってみない?みたいな感じで会って お互い面と向かって話してみない?みたいな事を言われたりして。
古市: 学校で知り合う友達と そういうふうに もともと情報があって会う 知り合いとかってどんな感じですかね。同じかそれとも そっちのが合いやすいのか。
会場 本島 智史: 学校ですとキャラが決まってるので キャラを作らずに…作らずにって言うより…相手が知らないので キャラを演じやすい。合いやすいっていうのはありますね。
古市: 分かりました。どうもありがとうございます。会場の方で 逆にゆうこすさんみたいに 嫌われてもいい みたいに思えてる人って いるんですか?
赤木: おっ いるんですね。
ゆうこす: 仲間~
会場 藤原 秀: 嫌われてもいいって言うのは ちょっと 会ってるのも違う 微妙なラインなんですけれども…嫌いになられている人間に気を遣うのも面倒くさいし、好きになってくれてる…気が合う方々に気を使った方が有意義に過ごせるので やはりそういった点では 別に 嫌われてもいいかなっと。
古市: それは例えば学校とかの顔が見える関係でもそうですか?
会場 藤原 秀: そうですね。別に 絡まなければいいだけなので。やはり 大学ではそういう場所だと思います。
古市: 逆に 高校までとかはどうしてました?
会場 藤原 秀: 高校では そうですね どちらかと言うと 嫌われている。半々だっかなと思います。けどやはり仲のいい方々は特定数はいたので そういった方とずっと一緒にいました。
赤木: ある程度の仲良しっていうのは どんどん深い関係になっていくけど 広く浅くはいいやっていう。
会場 藤原 秀: そうですね 広く浅くではなくて ずっと一緒に入れるような 大人になっても 友達のままで入れるような方々がいれば 大丈夫です。
古市: ふ~ん 大人になっても ほんとに友達かどうかは 分からないですからね。
会場:笑い
赤木: 水差さないでください
会場 藤原 秀 そうですね確かに そうですね。

広く浅く つきあうのか、狭く深くを目指すのか。変わらぬ人間関係の悩みのようで しかし 現代社会ゆえの ジレンマも見え隠れ。その正体は?

赤木: こんなデータもありまして、こちら

若者を対象とする国際アンケート
集団の中で上手くやれないと 世の中を渡っていけない。という質問に「そう思う」と答えたのは 日本70%ヨーロッパ80%

赤木: ヨーロッパの方が「そう思う」が実は多い。
古市: でも多分 日本とヨーロッパで集団とか 個人の意味って若干違う気もしてて、向こうって 特に国によりますけど 移民も多いじゃないですか、文化も宗教もルーツも違う人が集まってるなかで社会を構成していかなくちゃいけないから 若干そこで求められる「集団を渡っていく力」って違うんじゃないか。だから コミュ力って日本で言うコミュ力と 多分 向こうの いろいろなルーツの人が集まった場所でのコミュ力って 若干違いますよね 何か。
堀口: 違うと思いますね。日本の方が 同質性が高いから 何かしら 色んな くだらない違い例えば 部活 何だったかとかそういうので 個性とか 無理矢理作って まとまらないといけないのかなっていう気が しますね。
古市: だからもともとが近い方が ほんとに細かな差異を何か さがしちゃいますよね。
堀口: そう差異を探しちゃう。うん。
古市: 逆に ヨーロッパとか行ったら もう何かアジア人で 仲良くなれちゃうじゃないですか。韓国人と日本人とか。日本だと結構 けんかしてるような国同士でも、向こうに行ったら 同じようなグループになっちゃって 
堀口: そうなんです。
赤木: だから 私なんかからすると 結構 日本人こそ空気を読むイメージがあって 外国の人って結構自分の意見 主張がはっきりしてる方が多いので このデータ見たときに 空気読まなきゃ いけないと思ってる人が ヨーロッパとかの方が多いのは 以外っちゃ以外だったんですけど。
古市: 海外でも 空気読むとかってありますよね。
堀口: ありますあります 全然
古市: 日本独自とかいわれますけど別に 普通に向こうでもね空気読まなきゃだめですよね。
堀口: うん。 空気 結局 読んでますね。
古市: もちろん その上で 空気破るとかはあるとしても 結局 なんだかんだで 向こうでも この人空気読めないわねっていうふうに 扱われる人っているじゃないですか、そこはやっぱり日本とあんまりかわんないっていうか。
堀口: ただ…空気を読まない人に対する視線がより暖かいですね。別に彼は彼なんだからいいんじゃん。彼女は彼女なんだからいいじゃん。って全然みんな思ってるから 多分1/3くらいの人が 余裕で 空気読んでなくて 普通に自分らしくしてて でも誰もそれを 悪い事だとも思ってないし 視線が鋭くないんだと思います。
山本: 海外の場合は空気も一貫性があって 法とか権利とか そういうものに基づいた空気にみんな したがってるんじゃないかなって思いますね。
古市: 日本の空気の方がより読みにくい?
山本: そうですね。その場その場の 誰がいるかによって 空気で 何が大事なのかって 価値観が全然違ったりもしていて ほんとにみんな 耳をそばだててですね そこの空気を読むなりするっていう そういう状況は…
古市: 大変。 でもみんな大変って思ってるわけじゃないですか。何で、みんな大変と思ってるのに終わんないんですかね。その空気の読み合いって。
山本: 日本ていうのは 映画の「千と千尋の神隠し」みたいにですね 八百万の神が居てそこら中に神様がいて みんなが 神様自身が空気を読み合いながら棲み分けてたりするので 結局絶対的なルールっていうのがばくて そこの場所場所でですね 大切なものが変わってしまったりするっていうのが 文化の すごい深い部分で ビルトインされているっていう、だからコミュ力の高い人が決めたルールに みんなで 必死に それを守って そこから外れる異分子っていうのは 空気を乱す存在 悪い存在だと言って 排除してもいいっていうふうになりがちだったりするんじゃないですかね。 

八百万の神々 
八百万の神が棲み分ける国では、そこに流れる「空気」も変わりやすく、風向きを読むのに神経を遣う。結果 皆 周囲に同じことを求めるようになるという。なんとも皮肉なニッポンのジレンマ…

 古市: ゆうこすさんは 空気読んだりとか読まなかったりとか 気になったりします?
ゆうこす:アイドル辞めて、自分に何もないときは、必死に読もう読もうとしてたんですけど 今は 自分と言うのが モテっていうのと ぶりっ子とがあって チームじゃないけど ファンのコミュニティーができて 今はそんなに 別に読む必要性もないなって思ってるんですけど ただ ほんと最近の最近でいうとそういうファンの人たちがいっぱい増えてきて ファンからすると ゆうこすは いろんな人たちと 話してるとこ見たい。ここだけじゃなくて ファンに向かってだけじゃなくて いろんな人と絡んでる ゆうこすを見たいっていう 意見が来るので これはコミュ力を求められてるなっていうので 最近はちょっと頑張らないとな という感じではあるんですけど。
古市: もともとは ぶりっ子だとか 嫌われてもいいと思ってた人が ファンがついて 逆にファンにいろいろな事 左右されたりっていうのは ないんですか?
ゆうこす:無いです。
ゆうこす:ファンになるための 第1ステップが 結構 そこでも ぶりっ子って 尖ってるので ほんとに自分の事 好きな人なので 意見というかアドバイスみたいな感じなんですよね。
古市: あ~ 同じ方向 向いてる人からの アドバイスっていうか だから 全然 無理難題じゃなくて 逆にこうした方がいいよっていう やった方がいいことを 言ってくれるっていうか。
ゆうこす:なるほどねとかいって 仲間みたいな感じです。
堀口: いいですね…。自分の分身に守られてるみたいな感じ。私 どこにも分身が居なくてちょっと 寂しいですね。
古市: 一人でやってかなきゃいけないから。
山本: さっき 日本では インターネットがないと 生きていけないって人が たくさん多いっていうデータ ありましたけど 日本のコミュニケーションってすごく不安定で 空気 読むのすごく難しくて、だからこそインターネット上とかで 気の合う人と 同じ空気の中で生きてる人っていうのが 集まって そこでコミュニケーションすると。それ以外のところに出ていくとすごく疲れるしコミュニケーションも難しいから だからこそネットに依存するっていう そういう部分もあるのかもしれないと思いましたね。

戦後 豊かさを求めて ひた走ったニッポン
急激なスピードで経済成長が達成されていく。多くの人々は 同じ夢を見た。そこに言葉はいらなかった。そして 程なく祭りは終わる。国民的な夢が はかなく消えようとしていく時代の変化を 一人の社会学者が こう名付けた。
『島宇宙』化(宮台真司)
同じ趣味や 価値観を持った者だけの集団が点在する宇宙。島と島の間にはコミュニケーションはない。それは人々が どう 違いを認め合い社会を構成していくかという課題との遭遇でもあった。だが同質性の高さを武器に 経済成長という夢に走った この国に そもそも コミュニケーションはあったのだろうか?今 祭りのあとを生きる私たちは 夢ではない リアルな対話を生めるのか?

古市: 島宇宙って もともと 90年代の言葉ですよね。
山本: そうですね 気の合う人同士が コミュニティを作って 楽しく 和気あいあいとやってるんだけども…「島宇宙」同士はコミュニケーションがなくて別世界のようである。という そういう言葉ですね。
古市: でも実際 そうなんですかね。たしかに ある 例えば ぶりっ子とか ある次元においては 島宇宙っていうか並列で分かれてる かもしれないけど ほんとは今って ハッシュタグ#が 1個じゃないから…「島宇宙」が違う人も 違うハッシュタグ#でつながれるっていうか だからそんなに完全に分断されてるのかな って気もするんですよ。
山本: そうですね。島宇宙っていうのが 特に強いのは 学校とかの世界で かなり閉鎖的なコミュニティの中のサブカテゴリー サブコミュニティっていうような 話が多くて インターネットみたいにそれぞれがいろんな島宇宙に 同時に足をかけられるような 話となると 少しまた話も変わってくるかもしれませんね。
赤木: クラスの中では島宇宙がまだあるっていうふうに?
山本: スクールカーストって まさに そういうところがあって カースト上位の人たちの集団と カースト下位の集団の人たちっていうのは ほとんど コミュニケーションが成立しない。全く 喋った事もないっていう事もあったりするんですね。だかtらいじめとかも スクールカーストの内部で起こっていて スクールカースト間では なかなか起こりにくいというような話も最近では出てきていますね。
古市: ふ~ん あっそうか。じゃ別に その 上の方の子が 下の子を 虐めるんじゃなくてそこのグループの中でいじめがある。そうなんですか。
ゆうこす:そうなんです。
ゆうこす:そんな感じでした。スクールカースト 特に上位が 結構 恐そうでしたね。誰が1位になるか 3位になった!2位 1位 3位 1位 2位みたいな。
赤木: そんな はっきり 分かるもの…
ゆうこす:全然ありますよ。トップの人が 今週 このヒト 虐めるってなても その人が虐められるんです。トップになりたい邪ないですか みんな
古市: どんどん どんどん トップが変わっていくみたいな。
ゆうこす:もう うわぁって 怖すぎる。
堀口: その子たちは 何でトップになるの?
ゆうこす:何でなんですかね。
古市: でもほんと 曖昧なものでしょうね。 多分 もともとは 部活とか何か 見た目とか 何かかもしんないけど 何か多分 曖昧な空気で 多分トップになるから 逆にそのトップも いつ落とされるか 分かんないわけですよね。
ゆうこす:そうですね。 そこがルールが明確だったらいいのに。どうやったら1位になるかも分かんないから 模索模索で。
古市: ゆうこすさんは いじめっ子の方?いじめられっ子の方?
ゆうこす:友達が そもそもあんまいなかったので ポンって感じで カーストがあって ここにポン見たいな感じだったんですけど。
古市: あんまり そこに入ってないみたいな。
赤木: でもぶりっ子って言われてたのも 高校時代?
ゆうこす:そうですね 小中高と。幼稚園からですね。長っ!
赤木: ずっと? その頃の自分はコミュ力は低かったなというふうに思います?
ゆうこす:う~ん そうですね。 コミュ力… うん 高い低いというか 高くあろうとも思ってなかったです 何か。
古市: それでいい みたいな。
ゆうこす: うん。
山本: スクールカーストの研究の中でも そういう子って 一部に入るっていうふうに言われてて、海外ではフローターっていうんですけど 日本では不思議ちゃんっていうふうに言われてます。会場:笑い
ゆうこす:ヤバい。ぴったりだ
山本: カーストの外に アウトカーストなんだけど 誰も虐めたりしなくて… みんな遠巻きにその子を見てるっていう珍獣みたいな
ゆうこす:じゃあ 珍獣だったと思います 私。
山本: でもそういう子にとっては インターネットってすごくやっぱり 救いになるんですよね。学校の中だと ごく少数のマイノリティーだけど そういう子も 一定数いるので インターネット上には 沢山その子たちのコミュニティがあって、そこに行くと やっぱり伸び伸びとできるから そういう子にとってはインターネットって救いですよね。
ゆうこす:うん救われました。
赤木: 堀口さんは どうでした?
赤木: そういう スクールカーストとかありました?
堀口: 私 中学校が日本の公立で、高校が海外でインターナショナルスクールだったので 全然違ったんですけど 中学校を思い返してみると 確かに女の子の中でそういうのはありましたね。何か その一番カーストの上に行きたかったし その子たちと仲良くしようとしたんですけど 結構性格きつい子が多くて 何か 入れたんですけど 結局 性格きつい感じが好きじゃないから 自分から離れてっちゃったんですよね。
古市: あんまり コミュニケーションで苦労した経験は そんなにないですか じゃあ。割り切れてたからっていう意味でいうと。
堀口: いや~でもっ結構離脱したときに それでいじめられたりとか したこともあって 何かそれが… で 私 変に目立つんですよ ハーフだったリとかして。で何か担任の先生に呼ばれて ちょっと 上手くやれてないんじゃないかみたいな。超余計なお世話なんですけど 何か。そういうことするから 何か いじめられてるふうに 見られるんじゃんっていう感じなんですけど。何か こう 先生に一生懸命 私は私」やっていくんで いいんですみたいなこと言ったりとか。今思うと 結構面倒くさいこともあったなって感じですね。

じわじわと進行する格差 分断が 指摘される ニッポン。「中間層の厚さ」が強みと言われた時代は はるか昔… 階層化を前提とした 対話の在り方を模索しなくては ならない時代が 訪れたのか?

古市: 何か その コミュニケーションが一番届きにくいのって 階層が違う人じゃないですか 言葉遣いが違ったりとか 生活スタイルがまるで違うとか。日本は あんまり階層とか階級って あんまり言わないことが多いですけど それこそ例えば海外とか行くと前ぼ 行くスーパーが違ったりとか みたいな階級がある社会も あるわけじゃないですか。日本も仮にそうなってくるとするならば 一番そのコミュニケーションが ほんとは伝わりにくいのって 階層が違う人 収入が違う人 職業が違う人は 繋がんなくて実際 その階層の差って 広がっていくんだろうなって気も擦るんですけどどうですかね。
山本: そうですね、階層を飛び越えたコミュニケーションってすごく難しいって言われていて島宇宙で言ったら 島ごとでコミュニケーションをとっていくのか ムラ化したところを どうつないでいくのかっていうのは やっぱりすごく大きな問題になるんでしょうね。
古市: 横のフラットな島宇宙だったら 別にぶりっ子でも まあいいやとか 何か超えられる気も するけど。階層も違っちゃう この上下関係の この 何だろう 島宇宙だとなかなかそれ飛び越えるって難しそうですね。
山本: 格差が 今すごく広がっていて 例えば 経済的格差だけ言っても 子供6人に一人は貧困状態にあるというふうに言われていて 虐められもしやすい詩、一緒に行動すると 金かかるからカラオケとかも一緒に行けないし見たいな感じで 経済的なレベルで コミュニケーションが断絶してしまうって事も 実際起こってますよね。
古市: ・・・と考えると テレビに出る人って やっぱり すごいなと思うのは これこそ階層とか 世代を飛び越えて 人気者っていう存在がいるわけじゃないですか だから 誰にでも届く話をしてるし それこそ堀口さんも キャスターとかやってますけど テレビの向こうの人って ほんとに いろんな収入の人と 色んな職業の人と いろんな年齢の人が入るわけじゃないですか。何か 心がけてる事とかってあるんですか?
堀口: みんなに 届けるなんて できるのかなとは思ってて 例えば トランプ大統領だって 受けてる人には受けてるけど 全く受けてない人には 全く受けてないわけですよね、私が心がけていることは。これが「言いたい」っていって たまに あるんですよ。でもそれ そのまま行っちゃうと 何かこう 問題になるから ちょっと変えて みたいな。なるべく そこにちょっとでもニュアンスを混ぜようみたいな努力を 最後の抵抗みたいなのしたりしますね。オブラートに包みながら。それが精いっぱいかなっていう。
古市: ゆうこすさんは 言いたいことを全部 言うようにはしてるんですか?それともすごい気を遣うんですか?
ゆうこす: あーでも言いたいこと言うようにしています。なのでテレビのお仕事も 言いたいこと言えなさそうというか 演じないといけない 演者でいなきゃいけないって時は 半分くらいは 断ってます。
古市: う~ん だから あくまでも こういう事 やってくれみたいな仕事は ちょっとやだなみたいな。
ゆうこす: 全部 断ってます。
古市: でも 何か 好感 持てますよね。 無理矢理やらされるような事は 最初から断っちゃっていう ポリシー。
ゆうこす: だって ファンに失礼じゃないですか。 なのでです。
古市: だから どこを向くかですよね。
赤木: ファンさえ向いてればいいのか それとも何か 社会的に いいみたいなところを目指すのか そこってすごい難しいとこではありますよね。 うんうん。
山本: コミュニケーション論の中で 人に届きやすいコミュニケーションの条件と言うのが 3つあるというふうに言われているんです。1つは 真実性 事実性ですよね。科学的に正しい事。これが1つの条件になると。もう一つは 道徳的に正しいこと ですね。3つ目は 誠実性と言って 喋ってる人 話してる人が すごく本気で 真剣に これをル絶えたいっていう言葉を 発しているかどうかっていうところで この3つがそろうと 人の心に届きやすい。 どんな階層であっても それは確かに あなたの言ってる事は 正しい 納得できるというふうになりやすいっていうふうには 言われているんです。 だから そういうコミュニケーションを 研ぎ澄ましていくっていうのは 一つの島宇宙を超えるような コミュニケーションの 在り方なのかなっていう 気がしますけどね。

真実・道徳・誠実              
当たり前ともいうべき価値倫理の大事さを 今一度確認しなくてはならない時代のの到来か。 今 人と人が向き合うとは?

赤木: 友達がいなくて 平気かどうかっていうデータが 実はあるんです。こちら どうぞ。

「友達がいなくて平気?」(18歳~34歳回答) 
日本では18%が はい。 ヨーロッパでは 8%が はい。日本の方が友達がいなくても平気な人が多いのはなぜ?

古市: 友達いなくても平気ですか?
ゆうこす: ネットがあれば 生きていけます。
赤木: ネット上の友達は でも必要?
古市: でも 別に友達ってのも お金くれる 何かファンだから。
赤木: 言い方が…
ゆうこす: 友達はいらない気がする。
古市: 友達はいらないけど お金くれる人は必要みたいな…
ゆうこす: ネット上の友達は そうか 要るか。うん
ゆうこす: 必要ですね。
堀口さん 友達 必要ですか?
堀口: 私 もう絶対 友達 必要ですね。
古市: どうして?
堀口: え~ だって やっぱり 分かち合ったりとか あれこれ 話したりする人が入るから 人生楽しいわけじゃないですか。一人で生きててもねえ。私の場合だと ほんとに 中学校ぐらいの 仲のいい友達と まだ続いていたりとかするので。
古市: へえ~。 ゆうこすさん います? そういう友達。
ゆうこす: 誰もいないです。欲しかったです。
赤木: 先生 さっき このデータ見て へえ~って驚かれてましたね。
山本: う~ん そうですね どう読むのか すごく難しいですよね。友達って どのくらいの事なんだろうとか あと 平気っていうのは どういう意味で平気なのかっていうのも ちょっと気になりますよね。だから ある意味で 今まで 友達関係の中で 傷ついてきたから 自分はもう 友達がいない方が むしろ楽なんだっていう意味で 友達がいなくても平気なんだっていう人が いるのかもしれないし。なかなかいろんな 読み方できるなと思って。へえ~って言ったんですけど。
古市: 友達… でも 僕もね 中高時代の友達って 今でも つき合う人 ほぼいないですね。だって それって 仕事する前に 出会った人だから お互い何者か 分かんないじゃないですか。何ができる人か 分かんなくて たまたま 40人だかの学級って 狭い中で たまたま 一緒にいた人だけであって… でも 今 友達の価値って すごい 若い人の間でも 高まってるんですよね。
山本: 自分を 承認してくれる存在 居場所になってくれる存在を 若い人は求めている。…っていうデータがありますよね。例えば 学校なんかは特に そういう友達がいるかいないかってのは すごく大事でもあって やっぱり 友達がいないと耐えられない。 そういう苦しい場所になってるんだと思いますけど。 特に研究者なんかはですね あんま 友達が必要じゃなかったりもするわけですね。 仕事に まい進して 同僚とか あるいは 共同研究者というのは要るけれども その… なんていうかな 仕事以外のコミュニケーションするような友人ってのは かえって 仕事と コンフリクトしてしまったりとか 時間をとってしまうので だから ある意味 好きな事やってる人は 友達 必要ないんだけど… やっぱ だいぶ質が違いますよね。
古市: じゃあ あんまり 友達いないんですか?
山本: 僕は… いや 今も そうですね 考えたんですけど だから 大学時代までの友達と 研究者の道に入ってからの 仲間って言うのと 大分質がちがいますね。 
赤木: う~ん、でも何か さっき 何の肩書きもない時期に知り合ったって話もありましたけど でも だからこそ すごく対等で いられる存在でもあるかなっていう 気はしたんですけどね。
古市: え~  それ うそだと思う。
赤木: え 何でですか?
古市: え だって 何か 何にも分かんない状態で ただ一緒にいただけじゃないのって言う。だから それは 何か なにかを担保してくれる事に ほんとになるのかな。
赤木: どうしても ビジネスの上での コミュニケーションって 利害関係あるなしを 頭で計算しちゃってる部分が あったりするじゃないですか、そういうところで できていく仲間 自分が NHKのアナウンサーで 知り合う人っていうのと 全然 何もない状態での 一人の人として 知り合った時代の友達っていうのは 自分の中で すごく線引きが…
堀口: 何物でもなかった自分を愛してくれたAちゃんみたいな 大事じゃないですか?
古市: え~ 別に… むしろ利害ある関係の方が 続きませんか? 長続きでいうと。 逆に もうなのもない関係って そんな… 続けるって すごい 難しいなと思って…。
堀口: 古市さんが そういうふうに世界を見てるからそういう…
古市: どういう? どういう?
堀口: 何かこう 利益がありそうな人と つき合うっていう姿勢だから そういう人を 引き寄せるみたいな。
赤木: 何か すごい嫌な人みたいに なっちゃってますけど…
古市: でもだから 友達って難しくて ほんとに 何物でもない同士が フラットに出会って 仲良くなるって 無理じゃないですか。 ほんとに あんのかなって。たまたま 学校だったら 学校って 空間の中が 制約があるから そういう関係が生まれるかもしんないけど 大人になってから そういう関係って ほんと 生まれるのかなっていう。
ゆうこす: 恋愛やったらありそう。
古市: ああ~。 何もかも飛び越えて。
ゆうこす: もう 何か分かんないけど 運命みたいな。
堀口: ある意味 友達って 一番 コミュ力 必要としない 存在ですよね。私にとってはそうで よく分かんない人とか 距離感がある人に対しては 一生懸命コミュニケーション能力発揮しないと 会話できないですけど 友達って ある意味 もう 一切 そんな事 考えないで こう… コミュ力ゼロでもいけるみたいな。貴重な存在。
古市: こっちが そんな いろいろ頑張んなくてもいい みたいな。
堀口: 頑張んなくてもいい みたいな。

友達
この「身近な他者」との コミュニケーションを どうかんがえるかは、意外と人様々。世間を大事に 周りの目ばかり気にしがちだった ニッポンにあって 新世代に変化の兆し?会場の学生からも てが上がる。

会場 斉藤奈々:私は 大学に入ってから すごい… 友達を作るっれいうのが すごい難しいなっていうのを実感して…。 中学 高校とかだと 必ずクラスがあったんで 一緒に行動ができるわが 必ずあったんですけど 大学だと授業も別々だし 一緒に いなきゃいけないって いうのも 必然性がないので で 最近は友達が なかなか作れないって言うのが すごい悩みだったんですけど 逆に一人で いれる時間もありだなと思って 結構いろいろ 資料とかでも 一人でもいられるか みたいなのも 多分 高校とか 中学だったら 多分「いられない」って答えてたと思うんですけど でも 大学入ってから一人で生きるのも 絶対 社会に出たら 一人になることもあるだろうし 友達だけが すべてじゃないんだなってのは ちょっと思って 結構共感はしました。
古市: そう思えてきた途端 らくになれたみたいな感じですか?
会場 斉藤奈々:そうですね。 うん… 誰かに 依存しなきゃいけないみたいな… 必ず一緒にいる ニコイチが いなきゃって思ってたのが 払拭された
赤木: ありがとうございます。
会場 永井彩里: 嫌われる勇気をもって 会話をしてるっていう方に 聞きたいんですけれども どうしても仕事だとか 他のことでも 関わっていかなきゃいけない人に 自分が嫌われてそうな感じに なっちゃった時っていうのは どうしたらいいのかなとおもいまして。それをちょっと質問させて頂きました。 
堀口: 嫌われちゃったなって言うときは うわ 嫌われちゃった~、みたいな感じで 開き直りがひとつと あと そういう嫌な態度で接して来る人には 自分は めちゃいい態度で返すっていうのをやると 結構向こうが「ヤバイ 人間力 こいつの方が 上じゃね?」ってなって 何かね いきなり答えの変わるみたいな事があるんですよ。なので その技が お勧めですね。 あとはほんとに そこまでやっても 相手が変わってくれなかったら 別に私も それ以上は 頑張らないし 丁寧にやろうっていうのは 自分が大変なだけなので やめて うん もう諦めるみたいな… うんうん でも…
古市: あとは そんなに敏感にならなくてもいいのかなって。そんなに 別に 嫌われてるかどうかを そんなに 細かく察知しなくても いいのかなっていう場合もありますよね 何か。
堀口: 嫌われても 別に自分が 傷つかなきゃいいだけなので。心のシールドみたいなのは あってもいいかもしれないですね。

「コミュ力」
分かり合いたいと言う 人間の歴史の中で 現代に生まれた 不思議な 略語をめぐる議論も いよいよ終盤 。改めて 問う。「コミュ力」って何だ?

ゆうこす: 私は コミュ力って言うのは う~ん…。 相手の気持ちを考えて それを取捨選択できる力 以上です。フフ いじょうです。
古市: 一応 相手の気持ちは考える?
ゆうこす: 考えますよ。 だけど それで 相手が 自分に 駄目だなとか 合わないなとか 思っても 何か… 取捨選択して あれですね なんていったらいいんだ… スルー スルー スルー出来る力
古市: スルーできる力
山本: 日本社会で求められてるコミュニケーションの質って言うのは すごく ある種 競争的だし それを 産業界も求めてるし 恋愛にもそれが必要とされるしっていう世界で コミュ力 持ってる人は 圧倒的に 強い立場になれるし 持ってない人は コミュ障とか呼ばれて すごく 弱い立場になってしまうような そういう 結構殺伐とした 社会なんだと思うんです。だから それを できれば もっと変えていって 最初に コミュニケーション 二通りあるって言いましたけど 戦略的なコミュニケーションじゃなくて もっとお互いの事を 分かり合うような コミュニケーションの在り方って言うものが 広まればいいんですけど でもそれ変えるためには 結局 コミュニケーションのしていかなくちゃいけなくって カリスマ的な人が 日本社会のコミュニケーションののありようっていうものを 変えていかなくちゃいけないっていうところも やっぱりあったりして そういう意味ではお二人に変えてもらいたいなと 僕は思ってるんですけど。でも ね 難しいですよね。だから ニッポンのジレンマというか…
堀口: あ~何か私も プレゼン講座とか よどみなくしゃべって これがザ・コミュ力だ みたいなのが ちょっと好きじゃいところがあって 何か こういう感じで 喋るのが コミュ力ではないと 思います。
古市: でも 堀口さん どっちかと言えば そういう イメージですよ 何か
堀口: やめてください
古市: そういう事やってそうなイメージ。
堀口: やってないやってない そうそう じゃあ 何がいいんだって 今 ちょっと もう一回 自分の中で考えてたんですけど… ちゃんと相手の目を見て話して 相手の心とつながる瞬間がある。あっ 今分かり合えたみたいな。繋がったっていう瞬間を やっぱり持てることが 大事なのかなと思うんですよね。それが ないままだと 多分 つば狩りかんじられなくて 
古市: でも プレゼンしてる人は 多分 全員とつながり合ってるきもちでいるんじゃないですか?会場にいる人全員と分かり合えてるみたいな。 
堀口: カリスマだから?
古市: だから逆に 一方通行の人の方が 自分の方がコミュニケーション能力 あるって 思ってる 可能性はありますよね。相手に響いてなかたとしても。うん。
堀口: う~ん… ジレンマですね。
古市 会場: フフフフッ
赤木: そういう意味では 相手の目を見るって ネットではできないですよね。
堀口: せめてリアルライフで ちゃんと 人の目を見て 挨拶とか するようにしてるんですけど。
古市: まあでも やっぱり 会うって強いですよね。だって政治家が あんだけ アクセスするのって それが意味があるからでしょ。だって どんな頭のいい政治家でも あんだけ人と会って あんだけ握手しまくってるってことは それが多分投票行動に 結びつくからで… K-POPのアイドルもやたらファンミーティングするし ハイタッチ会とか 握手会とかも沢山するし それこそ 握手会とかで 多分握手が 一番 ファンを繋ぎ止めるために いい方法だって言うのを 分かってるからですよね。きっと。 考えたら 合う事の価値ってのは あんまり変わってなくて… だから別に コミュニケーション能力の高い低いは もちろんあるとしても ただ会うだけでも 会わないよりは全然いいんだろうなと 思うんですよ。だから会うだけで 人と人って 半分仲良くなったようなもんだなっていう 気もするんですよね。だから もちろん その先の 何かスゴイ相手の気持ち考がえることとかも あるかもしれないけれども… ただもう 会うだけで 結構ハードルクリアしてる
堀口: コミュニケーション能力って 話術じゃなくて、会ってる時点で 実は ものすごい量のコミュニケーションが 行われてるんですねきっと
古市: だからやっぱり 話術じゃないですですね やっぱり
赤木: そういう意味では ゆうこスすさん ファンのかたには なかなか 会えない方も多いんじゃないんですか?ネット上?
ゆうこす: でも イベントも結構やってるんですけど 私 生配信 ずっとやてて… 生配信のお蔭で 他者への想像力が養われて まあ そんなに 今でも コミュニケーション能力 高い方じゃないなとは 思うんですけど 以前に比べたら 全然 多分 高くなったんじゃないかなって思います。 コメントが ブワーッて来て それに ずっと応えたりとか あとは… 最近 2画面とかで 話したりもできるんですけどね 生配信 すごい 鍛えられます。 フフフ…。
堀口: バーチャル技術が進んでくと 多分 こういうのも 当たり前になってって もうりあるに ちかづいてきますよね。オンラインのコミュニケーションも。

分かり合いたい。人間の心の底にある 強い想いは 様々な技術を生み 高度な発信の手段を手に入れた。だが その想いは 時に空回り。技術は ともすれば 伝えたい思いばかりを増幅し 受け止めるゆとりを奪う。 受信されてこそ コミュニケーション。まだ見ぬ他者からの メッセージへの 感受性を磨いて…。 ジレンマの対話は終わらない。完

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