私の秘策

日常を遊ぶ

ポイントは「好奇心」

 「面白がって、時を楽しむ」、行動する以前に「好奇心」「面白そうの姿勢」で取り組む。それが「日常を遊び、時を楽しむ」こと。“面白い”を阻むものは「戦う姿勢」です。「戦う姿勢」による緊張やストレスを我慢すること(これを苦労と名付ける)によるもので、この姿勢が変われば、誰でもいつでも「日常を楽しく遊ぶ」ことが可能になります。
 
   鳥だって花だってそれなりの仕事をしていますが、鳥が実を捜し、蜂が蜜を求めて飛ぶこと、それ自体苦労と見れば苦労、遊びと見れば遊び、好奇心かもしれません。花が根を張り、芽を伸ばし、葉を広げて陽光を浴びることそれ自体過酷な苦労か?それとも気持ちよさ?そうさせるの?

 そもそも「人生は戦い」というように思っている人たちは、「勝つ」ことに意義を見出し、実はそれを楽しんでいる人も多いようです。「戦う」ことを楽しめる人たちは全く問題ありません。それも人生の楽しみ方ですから。
 しかし、勝つ人がいれば負ける人もいるわけで、その割合は50:50ではありません。ピラミッド型の縦型社会(ヒエラルキー社会)を生き抜くためには、底辺から勝ち抜いてトップへ上り詰めるまで戦いは続きます。そんな中で最初から敗者になった人、途中で息切れしてしまった人たちを集めたら、結局勝者はごく一部で大部分は敗者の辛酸をなめることになります。そのことが、「人生は戦い」という観念をつくりだしているのです。

 具体的に言うと、「戦場」というピラミッド(ヒエラルキー社会)から出ない限り、「戦い」は強いられることになります。ピラミッドというシステムは過去の歴史上の誰かが(その人たちに都合がよいために)創ったもので、私たちはそれしかないと思いこまされ、ピラミッドの中にはめ込まれて戦いを強いられていた、という観方もできます。
 ピラミッドは「戦い」の好きな人たちだけで構成すればいいのではないか?という考え方も可能ですよね。ITの普及はこのことに大きく寄与しています。

 これまでは、ピラミッドシステム(ヒエラルキー社会)という「戦場」からの脱出は難しく、無理に脱出したものは【落伍者】の烙印をおされてしまっていました。それだけは避けたいとみんな頑張って「戦場」にしがみついていた、というわけです。

 でも時代は変化しています。ネットの社会が構築されたことで、必ずしも「戦場」で兵士の一員になる必要がない多様な「場」が用意されるようになりました。
 ピラミッドシステム(ヒエラルキー社会)という「戦場」から脱出しやすくなった今日の状況では、個々人の選択がきめ手となります。ヨーロッパでは、当たり前のように「日常を遊ぶ」選択をする国、国民が増えているようです。

すぐに切り替えることが難しくても、そんな情報の収集から始めることで、あなたもいつの間にか「戦場」を脱出していることになるかもしれません。
 これまで、生きる場所はそこしかなかったと思い込んでいる「戦場」の住民のみなさん、ちょっと外世界に目を向けてみたらいかがですか?好奇心が掻き立てられるかもしれません。そして、そんな仲間を求める「隠れ自遊派」も多いはずです。

 

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