リアル浦島太郎

61年もの長きにわたり服役し、83歳で仮釈放になった男性の出所後について、まるで浦島太郎のような~~~~~

詳細は
「リアル浦島太郎じゃん」無期懲役で61年間も刑務所にいた“日本一長く服役した男”が、出所後に見せた“衝撃的な言動” | 文春オンライン (bunshun.jp)

 

この記事から人は環境によって如何様にも自分を書き換えることが可能で、脳内システムの解体あるいは習性の交換が無意識下で行われ、自己家畜化される実態を知りました。

興味のある方は、記事の参照および著書『日本一長く服役した男』をお読みいただくとして、ここでは私の視点から見えた興味深い実態をご紹介したいと思います。

内容

冒頭

段ボール一箱に満たない所持品

「起きるときも、起こしてもらわなきゃいかん」

腕まくりのやり方もわからない

仮釈放されても無期懲役の効果は死ぬまで続く

「自由が、まだわからん」

謎に包まれた男

何を聞いても「あんまりわからんね」

書かれた文章を理解することはできるようだが

職員の視点と取材班の視点 その大きな違い

『ミスライムのカタコンペ』

まとめ

 

 

冒頭

 

 2019(令和元)年秋、無期懲役刑で“日本最長”61年間服役していた83歳の男が熊本刑務所から仮釈放された。このニュースは翌2020(令和2)年9月11日に社会を駆け巡り、「えっ、リアル浦島太郎じゃん」「何をしでかしたのか、気になる」とネットがざわついた。「日本一長く服役した男」はかつてどんな罪を犯し、その罪にどう向き合ってきたのだろうか?

ここでは、NHK熊本放送局(当時)の杉本宙矢記者と木村隆太記者が出所した男に密着取材し、その全記録を記した渾身のノンフィクション 『日本一長く服役した男』 (イースト・プレス)より一部を抜粋。2019年9月に男が仮釈放され、61年ぶりに娑婆に出たときのエピソードを紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)

「リアル浦島太郎じゃん」無期懲役で61年間も刑務所にいた“日本一長く服役した男”が、出所後に見せた“衝撃的な言動” | 文春オンライン (bunshun.jp)

中略

段ボール一箱に満たない所持品

2019年9月4日、午前8時50分頃。

刑務所を出た支援団体の車は、保護観察所、熊本市役所を経由。午後には受け入れ施設へと到着した。先述の通りこの施設は、一般的な老人ホームでありながら、刑務所から出所した高齢者などに居場所を提供してきた「自立準備ホーム」でもある。庭先には色とりどりの季節の花であふれた花壇があり、すぐ脇を流れる川では、透き通った水面を魚たちが気持ちよさそうに泳ぐ、のどかな場所だ。

「起きるときも、起こしてもらわなきゃいかん」

「寝るとき、何時頃に寝るのか?」
思いがけない言葉に緊張の糸がほぐれ、社長や支援団体の職員が微笑んだ。

「寝たかときに、寝てよかですよ」
しかし、男の方は真剣である。

「起きるときも、起こしてもらわなきゃいかん」
高齢による持病のため、1人で起きるのが困難なのでは、などと考えをめぐらせていると、支援団体の職員がすかさずフォローした。

「今までずっと刑務所の中で、命令系統でやってきたので、やはり指示がないと動けないんですよ」

その指摘通り、男には刑務所での振る舞いが染みついていることを、私たちは目の当たりにすることになる。

腕まくりのやり方もわからない

Aの行動1つひとつには、刑務所での振る舞いや習慣、そして、61年という刑務所内の時の経過、さらには時代のギャップへの戸惑いが表れていた。

あまりに少ないAの所持品を見かねて、まず向かったのは近場の衣料品店。服を自分で選べない。しまいには近くにいた私の、腕まくりしたワイシャツの袖をさわりながら、「これはどうやってやるのか」と聞いてくる。試しに一から袖をまくって見せると「おお、これがわからんのです」と目を輝かせた。

というのも、刑務所では夏服は半袖、冬服は長袖を着用することが決まっていて、自由に長袖をまくれるわけではない。結局、Aは衣料品店で社長に勧められて、パジャマやズボン、下着や靴下、それに長袖のワイシャツも購入したのだった。

その次に来たのは100円ショップ。Aは店舗に入ってすぐに、棚にかけてある商品の帽子を手に取るやいなや、ひょいっと頭に被って、そのまま歩き出した。遠目には少し不思議な光景だが、 刑務所では着帽の習慣がある。帽子はAの人生になじみ深いもの。だから、ないと落ち着かないのかもしれない。

この日の買い物で使ったのは、1万円ほど。この費用は、Aが61年の間に刑務作業の作業報酬金として積み立ててきた273万円の中から支払われた。

帰り道の車内、そして施設に戻った後の夕食のとき、Aは購入した帽子をずっと被ったままだった。夕食が終わって部屋に向かおうと食堂から出たとき、脱帽をして一礼した。「ここではそんなことしなくていいですよ」と社長は笑顔で言った。

仮釈放されても無期懲役の効果は死ぬまで続く

「Aさん、おはようございます。朝ですよ」

翌朝、午前7時。前日は私も施設の空き部屋に泊まらせてもらい、起床時間に合わせて、施設の職員とともに2階にあるAの部屋を訪れた。扉を開けると、Aは慌てるようにして起き上がり、すかさずベッドの上で正座をした。職員がカーテンを開ける間も、その姿勢のままじっとしている。

刑務所では、刑務官が朝の点呼に来るのを受刑者は座って待っているのが決まりだ。例に漏れずAもそうだったらしい。施設の職員から「下に行って顔を洗いましょうか?」と言われるまで立ち上がることはなく、1階に降りて顔を洗い終わっても、今度は職員に対し、直立で一礼していた。

「自由が、まだわからん」

Aが出所してもなお、服役を引きずっていることを象徴する会話があった。

食堂にいるAに対して社長が「ここと前にいた刑務所とどっちが良いか」と尋ねたときのことだった。Aは良いとも悪いとも言わず、「これからしばらく考えて、見たり聞いたり習ったりしながら」と答え、「また“仕事”かなんかあるんかな、と思って」と続けた。

社長は不思議そうに「仕事がしたいの?」と尋ねる。Aは間髪入れずに「そういうのここであるんか?」と聞くが、社長は「基本的にはない」と答える。

それもそのはず。高齢者向けに住む部屋をサービスとして提供する老人ホームで、入所者に労働を強いるなど、おかしな話だ。だが、Aは真面目に尋ねているのである。Aのいう「仕事」とは一般的な職業ではなく、「刑務作業」という意味なのだ。刑務作業がない不安をAは訴えていたのだった。

そこで、社長は問いかけた。

「でもその代わり、Aさんに自由はあるでしょ? 今、自由じゃない?」

Aは首をかしげながら答えた。

「自由って言って……まだわからん。どういうのが自由かがね、まだわからん」

そこで、社長は「この場所でゆっくりのんびり生活していこう」と優しく諭したのだった。その言葉にAはうなずきながら、「のんびり……」と独り言のようにつぶやいた。

懲役は、別名「自由刑」とも呼ばれる。受刑者を刑務所に閉じ込め、身体の移動の自由を奪うことが名称の由来だとされる。仮釈放された今のAには、保護観察などの制約はあるとはいえ、一定の“自由”が与えられているはずだった。

だが、あまりに長い時間、自由を奪われた状態であると、出所した後の変化になじめず、今度は自由が与えられること自体が“罰”のようになってしまうのかもしれない。Aにとっては、それぐらいの大きな環境の変化だ。

“自由が奪われる刑罰から、自由が与えられる刑罰へ”。そんな皮肉めいた現実が目の前にある気がした。

謎に包まれた男

仮釈放から1週間、私たち取材班は毎日交代で施設に通い、Aの様子をつぶさに観察していくことにした。だが、長きにわたって染みついた服役生活が1つひとつの行動に表れているようで、Aの主体性や明確な意思を感じとれる場面は少なかった。

〈【気になる行動の記録】

・他の入所者に話しかけられても、黙ってうなずくだけ。
・職員にサポートされて入浴するが、服を脱ぐタイミングや置く場所に迷う。
・テレビのリモコンの使い方がわからずに、手に持って首をかしげる。
・耳が遠く、歯も抜けていて、口頭での会話が難しい
・質問しても聞き取れないのか、多くは「わからん」と返事する。
・手書きのメモを示すと、質問の趣旨に沿った回答をすることがある。
・「仕事はないのか」とたびたび聞いてくる。
・几帳面な性格なのかシャツやタオルをきれいにたたむ。
・食事中に「麦飯でないと、白飯は慣れない」と言う。〉

「プリゾニゼーション(prisonization)」という言葉がある。『新訂 矯正用語事典』によると、次のように記されている。

〈 刑務所化ともいう。拘禁状況への過剰適応の1つと考えられ,感情が平板になり,物事に対する関心の幅が狭くなり,規律や職員の働き掛けに従順に従う。施設・職員に世話をされる状況への順応が,しばしば退行(子供返り)として表れる。無期懲役受刑者において典型的に生じる拘禁反応であるとされ,終わりのない刑に対する諦めの反映と考えられる〉

「プリゾニゼーション」「刑務所化」、あるいは俗に「ムショぼけ」などとも呼ばれることもあるそうだが、出所したばかりのAは、まさにこうした言葉を体現したような振る舞いの連続だったと言える。

何を聞いても「あんまりわからんね」

私たちは毎日、Aの様子を記録しながら、あわせて過去を知るべく、直接話を聞こうと試みた。最初に話を聞いたのは、元浦ディレクターだった。

「昔のことは覚えていますか?」

「あんまり、わからんな」

「小学校は?」

「習っているかもしれん。わからんな。教科書をほとんど見たことがない」

「友達は?」

「あんまりわからんね」

「生まれは?」

「……」

「刑務所ではどんな生活でした?」

「向こうでは……」

会話には応じてくれるものの、Aは戸惑っているのか、あるいは話したくないのか、口数は少なく、話は進まなかった。

書かれた文章を理解することはできるようだが

会話が難しい中、私たち取材班はAに文章を書いてもらうことで、その心情に迫ろうとも考えた。職員の協力も得てノート1冊を渡し、日記のように記録を書いてもらえないかと促したのだった。

だが、やってみると数日と続かなかった。

なぜなら、Aは文章がほとんど書けなかったのだ。

書かれた文章を理解することはできるようだが、自発的に書くことは難しいようだ。職員から1日の出来事などを試しに書くよう勧められたときも、文字を何度も何度もなぞるようにしてようやくこう書いた。

〈「ゴハンおいしカつた。洗タク多ミ」 (原文ママ)〉

文章が書けないということは、おそらく刑務所内で日記や記録はつけていないのだろう。

家族や知人と手紙をやりとりした痕跡も見られない。教育を十分に受けていないのだろうか。依然として、過去についてはほとんどが謎に包まれた状態が続いていた。

職員の視点と取材班の視点 その大きな違い

では、毎日接している施設の職員にはAの姿がどう映っているのだろうか。ある女性職員の1人は次のように話した。

「Aさんの印象ですか? 第一印象は“可愛いおじいさん”だなって。物静かな感じですかね。でも、こちらの表情に合わせて、にこって笑ってくれるし、優しそうだなと。最初はぎちぎちに固まっていたんですけども、少し慣れてきたみたいで。朝の身支度は覚えてくれましたね。ただ、日中、他の人との会話がないから、退屈させないようにするにはどうするのがいいのかが、今の課題ですね」

Aの日常生活の支援を最優先で考える職員の視点と、Aの人生そのものに迫りたい私たち取材班の視点は大きく違う。だから、その印象や抱える課題も異なっているのも当然だが、私たちは職員と比べて、もどかしさを感じてしまっていた。( #2 に続く)

引用・抜粋
「リアル浦島太郎じゃん」無期懲役で61年間も刑務所にいた“日本一長く服役した男”が、出所後に見せた“衝撃的な言動” | 文春オンライン (bunshun.jp)

彼の「無口」「几帳面」といった性格のようにみえるものも、きっと完全管理体制のなかで、培った習性の入れ換えによるものかもしれない思いました。

61年もの間、一事が万事支持されるままの行動の毎日がリアルに想像できる記事でした。
そんな彼にとって、「自由」はもしかしたら新しい刑罰になってしまうのかもしれません。

『ミスライムのカタコンペ』

ミヒャエルエンデ著『自由の牢獄』のなかの短編小説の一つ『ミスライムのカタコンペ』を彷彿とさせるリアルを見せられた思いです。

“悟りは突然訪れ、疑う余地はなかった”・・・から始まるこの物語。題名そのものが非常に象徴的です。

「ミスライム」とは、流刑の地であり、エジプトをいい(旧約聖書のイスラエルの民にとっての)、大河に象徴される、時が流れる国、つまり‟この世”のこと。と、エンデ氏が語ったことが訳者あとがきにあります。

そして「カタコンペ」とは“洞窟墓”を意味しています。

洞窟墓のような石壁の窪みがカプセルホテルのように連なる広大な洞窟。そこに住む影の民は出口のない洞窟で目覚めては、頭の中に響く「声」に従って洞窟内で無意味な労働を繰り返し、配給される食糧で暮らしています。彼らは与えられたGULを食べることで、目覚めるたびにそれ以前のことは消え去ります。

思考も感情も停止状態にされ、疑問を持ったり、創造したりする能力が削がれます。ただ「声」に従って動きながら、洞窟の中で一生が始まり、また終わります。
だから外の世界を創造することすら知りません。

冒頭の“悟りは突然訪れ、”は主人公に起こったこと。
彼は夢に見た外の世界を洞窟の壁に描こうとします。
「声」はそんな主人公を追放し、寝所は他の影に・・・

夢の通り外に通じる出口を求めて洞窟の中をさまよううちに主人公は影たちを支配する「声」に反対するグループを名乗る一派に会い「声」は自らの権力欲を満たすために影たちをそうとは知らせず奴隷としていると聞く。
創造という特殊な能力を見込まれて「影たちを解放するために必要な」キノコの栽培・管理を任されます。
仲間を奴隷から救おうと必死にキノコの世話をする主人公。

ところがある日、温室の片隅でぼろぼろになった老人の影を見つけ反対派のグループも「声」とグルであり、影たちを解放する気はなく影たちに考えることを止めさせるために支給される食料に仕込まれる麻薬(GUL)の原料であるキノコを主人公に栽培させていたのだと主人公の前任者を名乗る老人に教えられる。
主人公が他の影と違い、忘れなかったり考えたり、外を夢見るのはキノコの麻薬の効果に耐性があるためであり声の一派はその影響を恐れているはずだと。
主人公はキノコの温室をすべて破壊し、他の影を扇動し「声」への反乱を促す。

ミスライムの大支配者ベヒモートは、暴徒に向かってこういいます。

「もう一度言おう。そのような世界にはおまえたちは住めない。
だからこそ、影の民はその昔、外の世界からここの地下へ逃げて来て、あの耐えられない光から逃れるための救いをわしらに求めたのだ。
おまえたちを一時たりとも囚人にしたことはない。
おまえたち自身の意志なのだ、わしらが従ったのは、おまえたちが仕えたのではない。わしらがおまえたちに仕えたのだ。
おまえたちとともに、おまえたちのために、わしらはこのミスライムのカタコンベ世界を築き上げたのだ。
おまえたちにとってできるだけ安楽にしたつもりだ。
それなのにおまえたちはすべてを壊すというのか。
おまえたちとは異なる、この男一人のために。もっとよく考えるのだ!
今ならまだ遅くない。おまえたちさえその気なら、ただちに復興に着手できる。
みんな元どおりにできるんだ。さあ決めるがよい!
この男とともに脱出し、そこで滅びるのか。
追放して、この男を処理し、われわれの世界が受けた深い傷が再び閉じ、治癒できるようにするのか」
「声」がいうには影たちはかつて外から逃げて、一切の決定を「声」にまかせ自由を放棄することで安楽を手に入れることを望んだという。
主人公にももはや、外の世界が本当に現状より素晴らしいものなのか確信できなくなった。

さらに主人公が奴隷であることの苦しみを和らげてくれていたはずの麻薬の製造を妨害し、本来感じるはずのなかった苦痛をみんなに与えたと知ると、他の影たちは主人公を見捨てる。

影たちはまぶしい光があふれる外へと主人公を無言で突き出した。
外へ突き出されたとき、主人公の絶叫が洞窟中に響き渡り、そして出口は閉じられた。
ただし、主人公のあげた叫びが歓喜によるのか絶望によるものか、だれも断言できなかった。

主人公がどうなったのか、エンデは書いていませんし、作中からそれを確実に推測させる描写もありません。読者の自由な想像に委ねたのでしょう。

『快三昧に生きる』【13】より 2020.8.24投稿

NEUノイsolution 『快三昧に生きる』 【13】 (neusolution.matrix.jp)

 

まとめ

自ら自由を求めた主人公が異端視され、一人排除される物語とは対称的に、法の強制力で自由を奪われながら、支持命令だけに従う不自由な生活を強いられ続けるうちに、その生活に馴染んでしまったリアル浦島さんとの対比は興味深いものでした。

現代社会の風刺的な物語『ミスライムのカタコンペ』

そして刑務所という完全管理体制(牢獄)で支持命令の毎日からやっと解放され自由を得たにもかかわらず、むしろ「自由の牢獄」への引っ越しただけという現実。

法的には無期懲役の仮釈放は死ぬまで変わらない、と同時に命令も支持もない「自由」な空間へ放り出され、自分で考え、自分の意思で行動する習慣を養われていない彼にとって、この娑婆はこれまで以上の刑罰を科せられた「牢獄」と言えるのかもしれない。
刑務所生活はその意味では、彼らの生活を保証し、安心、安全を与えてくれる、生存圏になっていたのかもしれないと思うと、複雑な感情に陥ります。

リアル浦島太郎から、「思考を奪われ自己家畜化した人間」の一つの未来の形を見せられたような想いです。

 

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