自己尊重&自己価値の欠如とネガティブ現象

“自分を粗末に扱うと難に憑かれる”

内容

はじめに

1. 自己評価の低下

2. 機会の喪失

3. ネガティブなパターンの連鎖:

4.集中・没入

5.心身の健康への影響

6.まとめ

はじめに

4月末から始まった家のメンテナンス改修工事に追われていました。
すべての工程を業者任せにせず、自分の思い通りの施工図に従ったため現場監督のような仕事に集中し、すっかりブログの更新を怠ってしまう結果になってしまいました。

工事期間中は朝から晩まで職人さんたちとともに現場仕事に明け暮れ、肉体と脳を使いまわす日々が続き、私の日ごろの生活リズムとは全く異なる異次元世界に1か月ほど旅をしているような気分でした。やっと終了し大満足な結果を得て再び自分の世界に戻ってきました。

いつもは哲学的観察・考察に使う脳が、ほとんど幾何学的観察・考察という、使い慣れない脳の回路を使う職人さんたちとの交流は、新鮮で面白く毎日心地よい疲れの中で比較的深い眠りを得ていたように感じています。そんなうつろいの中で浮かんだテーマ、自己尊重や自己価値の欠如について今回は触れてみたいと思います。

“自分を粗末に扱うと難に憑かれる”とは、自己尊重や自己価値の欠如が、問題や困難に出会う可能性があるのでは?ということです。これは以下のような意味や教訓を含んでいます。

  1. 自己評価の低下

自分自身を粗末に扱うと、自己評価が低下し、自信を失う可能性があります。この状態では、新しい挑戦に取り組むことや自己成長を促進することが難しくなります。

今回の職人さんたちとの体験において、自己評価が低い状態の場合は、プロの方々への引け目から、余計な口出しはしないように心がけ、すべてを職人さんたちに任せきることになったでしょう。そしてその結果を評価するという過程が一般的かもしれません。

それで満足できれば問題はありませんが、往々にして結果に満足しないことも多いものです。

仕上がりのイメージを描き、機能性、耐久性、外観、未来補修のしやすさなどを勘案し、予算を決め、最小労力で最大のパフォーマンスを得る効率的施工のためのアイデアなどを熟考するということは、なかなか手がかかる仕事です。

それらをはじめから投げ出してしまえばそれなりのリスクも覚悟しなければなりません。一方自分の思い通りの結果を導こうとすれば、面倒な部分や、職人さんとの綿密なコミュニケーシも怠れません。

ちょっと面倒でも思い通りの創造に参加するには、自己尊重・自己評価にかかっているのです。

そして、ひとたび “よし、やろう!!”と決意した途端、そこから「新しい挑戦」が始まります。そのための検索が始まり、予算との兼ね合い、施工のしやすさなどを考慮した上で材料選びが始まり、そのための施工図も描く必要が出てきます。効率よい材料の拾い出しも施工図がなければできません。
それでもそれらの挑戦を面白がってやってみることは、自己の大きな成長にもつながるでしょう。
かといって自己世界が短い体験で激変することは難しいでしょうが、やがて自己の世界に芽を出し、根を張り、しっかりとした習慣にまで成長するとき、より豊かで広い世界を実現することになる可能性は大です。

2. 機会の喪失

自分自身を大切にしないと、自分の能力や才能を活かす機会を逃してしまうことがあります。他人からの認めやサポートを受けることも難しくなります。

新しい挑戦は新たな知識を吸収するとともに、隠された能力の開発の可能性を生みます。また、自己のルーティン的脳のネットワークを刺激し、より効率的なニューロンのネットワークのつながり、拡がりに貢献します。
同時に知らない世界への扉を開けてそこへ1歩足を踏み入れ、新たな学びとサポートを受けやすい状況を自らに課すことになります。それはとりもなおさず、新たに自己世界が広がる結果となる機会になるでしょう。それは単に建築知識としてだけではなく、日ごろの生活,の知恵、生きる知恵的役割にまで発展します。

新しい経験はこうして自己の成長と、世界の拡がりを実現する大きなきっかけとなることです。
その根底になくてはならないのが、自己尊重、自己評価となります。

3. ネガティブなパターンの連鎖:

自分を粗末に扱う態度は、ネガティブなパターンを引き寄せる傾向があります。自分への否定的な態度が他の人々との関係や仕事の成果にも悪影響を及ぼすことがあります。
自分を粗末に扱うということは、自己尊重、自己評価が低いことを意味しています。その原因は他者の評価を基に自己を評価する習慣があるのではないでしょうか。

他者の評価が低ければ自己肯定感は低く、他者の評価が高ければ自己肯定感も高くなり安心するというメカニズムです。いつも他者の評価を意識し、それに見合う自己を形成しようと努力する。他者の操り人形になることを選択している人たちです。

このような他者の評価に依存するという性格は、これまでの教育制度によって剪定され仕立て上げられ、日本人のほとんどは、その洗脳から当たり前の常識となっています。

承認欲求という言葉をよく耳にしますが、人間の根源的欲求と言われています。
故にその欲求を満たすための行動を自然であるという考え方です。

ところが承認欲求が低く、他の欲求や同期が優先される人も多くいます。そうしたことから、承認欲求がすべての人間の根源的欲求であるかどうかについては異論もあるようです。

心理学や人間の欲求に関する理論は多様であり、他にも安全性の欲求、所属や愛情の欲求、自己実現の欲求などが提唱されています。人間の欲求は多様で複雑であり、個人や文化によっても異なる場合があるというのが私の見解です。
つまるところ、承認欲求が人間の根源的欲求であるという考えに疑問を持ち、他者の評価に依存せず、自己を尊重し、自己を自分自身で評価するという選択は成長と幸せを手にすることを早めるという結論を時間しています。なぜなら、それは「自分を粗末に扱わない」ことにつながるから。

「自分を大切に扱う」ということは、自分自身で自分を喜びや楽しみという『快』で満たすことです。それらを他者に依存していては、なかなか思うようにはいかないはず、ネガティブに陥ることも多々発生します。そんなストレスと戦うという『不快』を克服しなければならい分だけ、幸せへの道のりは遠回りになる、それだけではなくネガティブと戦うことで、更なるネガティブを呼ぶという可能性が募るのではないでしょうか。

それらを一掃する好奇心というエネルギーは、自己尊重・自己評価の高さから生じると信じています。

4.集中・没入

何よりも好奇心が及ぼす「お蔭」は、集中・没入という、いわゆる夢中になれる意識が開発されることです。

よく「ゾーンに入る」という言葉を聞くことがありますが、この好奇心が発現すると、いつでもどこでも夢中になれる不思議な意識のゾーンに入ることができます。

疲れを忘れ、一心不乱に没入し、食事も忘れるほどになる、そんな経験をしたことがある人は、その心地よさをよく知っていると思います。

一番それを得意とするのは幼い子供です。彼らはそういった体験の連鎖よって学習し、成長を続けます。

大人になると、余計なルールに縛られ、深く没入することが苦手になります。特に仕事を遊ぶという意識からは遠ざかります。

まず、仕事と遊びを分離する脳のシステムが出来上がって、仕事はつらいもの、厳しいもの、それを癒す役割が遊びです。当然遊びは楽しいものだからです。それがいつの間にか、楽しいことは遊び、辛く厳しいことは仕事と勉強。というイメージが記憶され、さらに長い時間の苦しい仕事の後のご褒美にちょっとだけ遊びが許されるという文化ができてしまいました。

私たちはそんな文化の奴隷になり、仕事を称賛し、遊びを戒める習慣が身についてしまったのです。もしも仕事を遊び、楽しむという技があれば、人生は激変するでしょう。

その源泉が「夢中になる」集中・没入の能力なのです。

5.心身の健康への影響

自分自身を粗末に扱い続けることは、ストレスや不安、うつ病などの心身の健康問題を引き起こす可能性があります。自己ケアやバランスの取れた生活を大切にすることが重要です。
仕事優先の習慣は、自己を馬車馬のようにこき使い、仕事、仕事としごとに明け暮れ自らに鞭を打って日々を過ごします。また仕事に追いかけられる「忙しい」状況を称賛とする価値観に染まっています。それは自らを厳しく律することを善とする価値観だからです。

つまり、「自分を粗末に扱うことが称賛に値する」ことという、今回のテーマとは真逆の価値観です。

「24時間戦えますか」というキャッチフレーズが栄養ドリンク「リゲイン」のCMで登場したのは、ちょうど平成元年(1989)のことでした。

今なら「24時間働かせるな!」と炎上必至ですが、バブル絶頂期の当時、CMで時任三郎が演じる海外出張中のビジネスマンは笑顔に溢れ、「働かされている」という悲壮感は微塵も感じさせません。CMソング『勇気のしるし』はオリコンシングルランキングのトップ10入りを果たし、累計60万枚以上売り上げたそう。世間では「24時間戦う」という感覚が普通に受け入れられていたわけです。

しかし「長時間バリバリ働くのがかっこいい」という感覚は、この後どんどん古いものになっていきます。

平成の働き方の変化(労働時間編)〜「24時間戦えますか」からプレミアムフライデーまで〜(やつづかえり) – 個人 – Yahoo!ニュース

こうして長い間辛くてきつい仕事を根性で乗り越え、定年を迎えるころ、頑張ったお父さんたちの体はガタガタになり「定年後は夫婦で海外旅行でも」とか「田舎暮らしでのんびり」などと計画していても、離婚や別居を言い渡されたり、体に支障が出て、それどころではなくなってしまった、という話は枚挙にいとまがありません。

そこまでに至らないまでも、定年後のおじさんたちが集まると、血糖値が、血圧が、と薬や病院の話題ばかり、何のために辛い厳しい生活に長い間耐えてきたのでしょうか?
彼らはみな「子供のため」と言いますが、そうばかりではないような気がしています。でも、「子供ために頑張った」という大義名分を残して死を迎えることも、一つの幸せと考えることもできます。何を選択するかは人それぞれです。

その選択はできるだけ若いうちしたほうがいいかもしれません。時代に流され自己を他に預け時代の犠牲者になってしまったあとでは、失った時間を取り戻すことはできません。

6.まとめ

以上のように、「自分を粗末に扱うと難に憑かれる」は、自己尊重や自己ケアの重要性を強調しており、それらを無視するとさまざまな困難に直面する可能性があることを示しています。自分自身を大切にし、適切なケアをすることは、健康で幸福な人生を築くための重要な要素であると、再認識しました。

 

 

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