『快三昧に生きる』 【19】

2020.10.12

無意識が意識を操っている

「信じていること」が自己世界を創造することについて、もう少し検証してみたいと思います。

エピソード記憶⇒固定化のメカニズム

 理化学研究所によると、覚えた記憶は、時間経過とともに、海馬から大脳皮質に徐々に転送され、最終的には大脳皮質に貯蔵されるのではないかとのアイデアがありますが、大脳皮質への記憶の転送に関して、どのようにして海馬から大脳新皮質へ転送され、固定化されるのかに関する神経回路メカニズムを発見しました。中略
エピソード記憶の形成後、最初はその出来事を思い出すのに主に海馬を必要としますが、その記憶を覚えた後、時間経過に伴い徐々に海馬は必要でなくなり、数週間後には大脳皮質を使ってそのときの出来事を思い出すことが分かっていました。このことから、心理学者や脳科学者らは、“記憶”は、時間経過とともに、海馬から大脳皮質に徐々に転送され、最終的には大脳皮質に貯蔵されるのではないかと考えました。この考えは、「記憶固定化の標準モデル」と呼ばれています。
・学習時に既に前頭前皮質で記憶エングラム細胞は生成される
・前頭前皮質のエングラム細胞は、時間とともに成熟する
・海馬の記憶エングラム細胞は、時間とともに脱成熟する
・扁桃体の記憶エングラム細胞は、時間に関係なく成熟している

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター理研-MIT神経回路遺伝学研究センターの利根川進センター長と北村貴司研究員、小川幸恵研究員、ディラージ・ロイ大学院生らの研究チーム
理化学研究所

エピソード記憶は、具体的に自分がいつ、どこで、何をしていたかを言葉に示すことができるような記憶であり、これはかなり高度な脳機能といえます。

エピソード記憶のメカニズムを、ネットワークレベルで解明する〜藤澤茂義・理化学研究所脳科学総合研究センター システム神経生理学研究チーム チームリーダ

エピソード記憶は時間や場所やその時に感じた感情とともに記憶されます。自分で自分の記憶の中に探りあてた時に「覚えてる」となる類の情報がエピソード記憶なのです。

日常の一つの経験、一つのエピソードは感情(面白い、嬉しい、嫌感・・)が伴うと覚えやすく最終的に無意識に固定化されます。特にネガティブな感情を伴うエピソードは定着しやすく、その理由は偏桃体の“防御反応”によるものらしいのです。これは納得できます。

私の見解では
無意識の浅い部分が、意識をコントロールしている。
無意識の深い層には自己の本質的欲求や、最も深い部分には人間の原初の記憶すら収められていると考えています。
それを踏まえてメカニズムを考えてみると

1,
「体験して学ぶ」⇒「記憶」⇒「定着して覚える」⇒「無意識に固定」⇒「信じる」「習慣化」

2,
➊「習慣・信じる」と整合する体験⇒肯定⇒ポジティブ感情⇒「無意識強化」

❷「習慣・信じていること」と異なる体験⇒否定⇒ネガティブ感情(それは嘘、そんなはずな い)⇒記録拒否

❸「習慣・信じていること」とは異なるが本質的欲求と合致する体験(ココロと頭の不一致)⇒疑問⇒研鑽・探求⇒「記憶」⇒「定着」

3,
❷以外の体験でココロを揺さぶられたとき、固定された無意識記憶を書換える可能性が生まれる。

無意識に固定した記憶が信じる常識となって、それを基準に不安を除き、安心を進める行動を促します。いつものように習慣的に対応・行動することで不安や迷いを制御できます。眼前の世界への判断はこうして無意識の固定された記憶によってコントロールされるということです。

そこで、「フォーカシング・イリュージョン」という概念についての記述を加えたいと思います。

2016.8.18 投稿 「脳と意識Ⅱ」“幸せな人は健康で長生き”より

申すまでもなく、幸せな人は概ね健康で長生きできることが知られています。日本人の場合、「富」に幸せを求める人が多いように感じていますが、それを裏付けるデータがありました。

以下引用『幸せのメカニズム』前野隆司著(講談社)より

 調査会社間カンター・ジャパン2012年調査

16歳以上の男女を対象に財産の所有と幸福感に関して「もっと多くの財産があれば幸せなのに」と思う人(非常におもう・やや思う・と回答した人の合計)は、

 ロシア(70%) 中国(70%) 日本(65%) イタリア(36%)
フランス(35%) スペイン(27%) アメリカ(16%)
という結果を示しています。

この結果を見ると、日本人は中国、ロシアに近い価値観を持っていることがわかります。何だかガッカリしています。中国の70%は腑に落ちますが、日本がほぼ同程度であったとは以外でした。それとアメリカの16%も驚きです。格差が大きな問題になっている現在(最もこの調査は4年も前ですから現在は多少異なっているかもしれませんが)、日本と真逆の結果が出ています。日本人の精神性はどうなっているのでしょうか。
さらにここでは「フォーカシング・イリュージョン」という言葉で下記のような見解を示しています。

「フォーカシング・イリュージョン」はブリンストン大学名誉教授 ノーベル経済学賞受賞者 「ダニエル・カーネマン」の言葉だそうです。

  フォーカシングは焦点を合わせること。イリュージョンは幻想。だから、フォーカシング・イリュージョンとは間違ったところに焦点をあわせてしまうという意味です。つまり「人は所得などの特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにも関わらず、それらを過大評価してしまう傾向にある」ということ。「目指す方向が間違っているよ」です。中略

 「人生に満足していますか」という問いへの応えは年収に比例したのに、「楽しいですか」という問いへの応えは年収7万5千ドルを超えると年収とは無関係になっていたということです。

  ここでは、そこそこリッチな生活ができた人が「生活には満足しているが幸福ではない」と言っているということです。

さて、ここで「フォーカシング・イリュージョン」という言葉についてですが、私個人はちょっと異なる見解をもっています。前回の「受動意識仮設」を思いだしてください「受動意識仮設」とは脳の機械的動作を顕す概念でした。そして、これが仏教的「空」の思想と一致するのではないかと私的見解をのべました。そこでダニエル・カーネマンの新たな概念「フォーカシング・イリュージョン」を考えるとき、正しいにせよ間違いにせよ、とにかくフォーカシング(注目)したときイリュージョン(幻想)が顕現する。ということはここにも同じような世界が覗えるのではないかと思うのです。
言い換えると、フォーカスからイリュージョンが生まれる。つまりどこへフォーカスしても、その瞬間イリュージョンという幻想を観る、ということです。 後略

(「受動意識仮説」については次回【20】で、もう少し解りやすく記述したいと思います。)

例えば、学歴がないと、大企業への就職もできない、だから幸せになれないとか、両親が離婚していては幸せになれない、結婚しないと幸せになれないとか、あるいは正規雇用でなければ幸せになれない、そのようなスペックに重要な人生のポイントを置いて、それを信じてしまう。このような人生にとって助けにならない偏向的思い込みを捉えて「フォーカスイリュージョン」という概念が定義されています。

若き頃の私はこの「フォーカスイリュージョン」の罠にかかり、人生の多くを犠牲にしました。
その罠は「不運の星の下に生まれた」と言う思い込みでした。
ごく幼少の頃は恵まれた家庭環境でしたが、父は女好きで多分結婚当初から女性関係があったようですが、商いが好調だったのか戦後の厳しい時期に贅沢な暮らしができていました。ところがそれも長くは続かず、私が小学校4年生の頃、急に税務署がやってきて、家財に赤紙を貼って行きました。父はと言えば行方知れず、それまで面倒を見ていた知らない女性たち迄押し寄せる有様でした。そこからが転落の始まりで、それまでの生活とは一変し、居宅だけは(不幸中の幸いか)借家だったために住確保できたものの、勿論食べる事にも事欠くどん底生活になったのです。
近所の噂の的にもなり、母は今で言う鬱状態に陥っていました。
家族全員でいくつもの内職をこなして、何とかその日暮らし状態を続けて2年ほど経った頃、父が急に現れ、目途がついたのか、商売も再開されるようになったのですが、その頃にはもう家にはほとんど帰らない状態になっていました。
その後はまた、父の仕送りも十分ではなかったものの、生活がなんとかできるようになり、私の私立中学の進学に父が興味を示し、市内屈指のお嬢様学校を受験することになり、塾通いが始まりました。
父が選択した2校を受験し、どちらも合格し、父の言うなりの私立中学に入学しました。ところが1年生が終わるころ、またまた父は行方を眩ましてしまい、私立の学校は無理と、公立中学への転向を母に告げられました。
私はそんな家の事情に振り回されることにウンザリし、自分でアルバイトをして、そのまま続けることを選びました。
中学生が働くことは当時も認められていなかったのですが、先輩のお父さんの助けを得て、その後は卒業までアルバイトで学費と生活費を稼ぐことができました。

父のことを忘れ、懸命にバイトと勉強を続けていたある日、バイト先に父が急に現れ、「俺の顔に泥を塗った」と、先輩のお父さんにも迷惑をかけることになってしまいました。

かつてまだ発達途上の頃の私は、生きることに意味を失い、疲れ果て、両親に反旗を振りかざす顕現に「死」を選択し、その深渕に迷い込んだことがあります。
幸か不幸か目的を果たすことなく、5日間の昏睡状態から目覚め、両親への抗議も失敗に終わり、再び過酷な生の戦場へと送り返されました。

そんな紆余曲折を続け、自立を決心した私としては父に依存することを拒否し、中高一貫校だったその高校に進むことを選択し、両親に頼ることなく無事に卒業までこぎつけました。

子供時代の苦汁については、1冊の本にしても足りないほどです。別の機会に纏めるとして、ここでは「大変な苦労をした」とだけ記しておきます。
そのことが、私に「不運」の烙印を押したと言えるからです。

「どうせ、幸せにはなれない」という人生への諦めが、私のココロ全体を占めていました。

また、母の「結婚させるまでが私の役目」という言葉を無視することができず、「結婚」には夢も希望も持てないまま、したくなかった結婚を、すぐに離婚するつもりで浅はかな選択をしてしまいました。当然上手くいくわけもなく、当初から”別れたい”ばかりで、離婚をすることになるのですが、その離婚がきっかけとなって、少しずつ私の世界は変化して行くことになります。

敢えて、運命に逆らうことを考え、運勢的に最悪とされる時期を選んで離婚を計画しました。
当時はまだ、抗うことのできない運命を信じていた私ですから、もしかしたら、命に係わるようなことが起きるかもしれないという不安を感じながらも、その呪縛から逃れたい一心からの一大決心でした。

そしてその後から、益々自律へ向けて再び歩き始め、より一層「生きるとは?」の追及が深まって行きました。

こうして半生を過ぎた頃から、私は私の人生を積極的に創造できるという「自信」が徐々に備わり、今、こうして「思い通りの人生」を歩む幸運を得ることができました。
まるで地獄から極楽への旅路をひた走ってきたように感じています。

「不運」から完全に脱却し、むしろ「幸運」の連続引き寄せ人生に変化を遂げて今ここに生きています。
こうなって初めて、無意識に刷り込まれた「思い込み」が人生を左右していることを、はっきりと確認することができました。

「運命には逆らえない」
「不運な星の下に生まれれば、その鎖を切る事は出来ない」
「どうせ、私なんか幸せになんかなれっこない、どう転んでも不運はついてくる」
「子供たちを結婚させるまでが親の役目」
「育てられた恩という人の道には沿わなければ人間ではない」
「結婚は人生の墓場」
「親を安心させることは子の役目」
「貧乏と言うだけで世間は認めない」
「両親がそろっていてはじめて就職も結婚も可能」
「複雑な家庭環境と言うだけでマイナス評価」
「運勢の悪いときにコトを起こしたら、命に係わることになる」等々

本当は書ききれないくらいのネガティブなフォーカシングイリュージョンに操られていたのです。

今、私の無意識に刻まれた思い込みは「生きる悦び」と「感謝」です。
繰り返し申し上げたいのは「刻まれた無意識は変えられる」です。

人は「得るために生きる人」と「失わないために生きる人」の2種類ある(心理評論家植木理恵氏)そうです。
が、私は「得るため」でもなく「失わないため」でもなく、「楽しむための人生」を望んで、そのための研鑽に生涯をかけてきました。

そういった体験の下に、「快三昧に生きる」の全てのすべを、私のように長い時間をかけることなく若いうちに身に付け、「楽しく生きるモチベーション」の維持を図るために、一人でも多くの方々に参考にしていただき、日本中が戦場から極楽(オアシス)に変容することを願って止みませんが、そこまでは生きていられないかもしれないので、個々のオアシス化が成就できたという体験を楽しみに、更に研鑽を続けたいと思います。

 

「快三昧に生きる」【18】

「快三昧に生きる」【20】

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