意識のちから

価値観とは!?

その1

「価値観が違う」などという言葉を私もよく使っています。また「価値観は百人百様」とも世間では言われ、私もそのように理解していました。

ところが心理学の世界で価値観とは「個人的信念や哲学」と定義づけられ、百人百様と表現されるように人間の数だけ無数にあるのでもなく、概ね三つのタイプに分けることができるとあります。

その一つはガッツと根性系の「物量志向」、とにかく頑張るをモットーにストイックに自分に鞭打つタイプ。これは調査結果によると成人男女の約6割にあたると言われる。

第二は責任転嫁系の「状況志向」、うまくいかないのはすべて回りの人や状況が悪いから。とすべてを人のせいと思い込むタイプ。こういう人は何の罪悪感もなく責任転嫁するのを得意とするので周りに平気で迷惑をかけ、それに気づかない。8対2で女性が多い。

最後は、とことんのめり込み、失敗も楽しんでしまうオタク系「戦略志向」、作戦を周到に練り、失敗から学び、着々と目的に向かって未来へ進む。このタイプはいつも夢を抱き、それを現実化することが得意。(by植木理恵)

 価値観が概ね「物量志向」「状況志向」「戦略志向」のたった三つに分けられるなら、初対面でも自分と合うかどうかは見分けられそうですね。

思うに「状況志向」は友人が離れそうですが、本人は罪悪感などがないので、ストレスにはならない。ただこのタイプで自立できず依存癖がある場合、次第に依存する相手がいなくなることから悲惨な晩年になるであろうと容易に推察できます。
 常々人間のアップデートについて拙いがゆえに考え続けてきた私としては、ここから大きなヒントを戴きました。それぞれの良し悪しは別として、以下のように分析ができるかと思います。 「物量志向」に観る『ガッツと根性』の体育会系では目標とするものは勝(負けない)ことです。つまり競争原理に基づいて仕上がった資本主義の最も基本的な姿勢です。成人男女の約6割がこのタイプに属するということも頷けます。戦中・戦後の日本ではさらに高い比率で、このタイプが占めていたのではないでしょうか。

私たちの個人的価値観はこういった文化に大きく影響されていることがよく解る事例です。つまり早く言ってしまえば文化による洗脳にほかなりません。大多数の人の価値観が『常識』となり正義にすり替わるのも否めません。勝(負けない)が根底にあると守ることを優先します。警戒心とか恐怖心という不安はこうして備わることも理解できてきます。そのことの方が却って恐ろしいことではないかと思ってしまいます。国の中枢にいる人たちでは90%以上がこのタイプなのかもしれません。

次の「状況志向」では「物量志向」の勝ち組の傘下に入り、そこに依存することで自分も勝ち組に属しているという意識を持てる、という意識を推察できます。女性が男性を選ぶという行為の中に、女性間の勝利者を目指して物量志向とは別の戦いを挑んでいるのでしょうか?“女を磨く”という行動にもつながりますね。女性だけでなく、つい最近まで常識とされていた『一流大学、一流企業』を志向するのも同じです。韓国ではかつて日本の潮流だった進学競走の渦の真っただ中にあるようです。

日本ではゆとり世代の出現により『一流』という権威傘下の志向は波を超え、多様な生き方を選択する若者たちにより高校生社長も登場する時代になりました。

ちょっと脱線しましたが、「状況志向」に戻ります。

三つのタイプの中で「状況志向」は一番非主体的と言えるでしょう。主体的な行動には努力が伴います、そして努力したからと言って勝利や成功を手にできるとは限りません。それより勝ち馬に乗った方が楽!というタイプですから、つねに状況により自分を変える、つまり狙った相手に自分を合わせることを得意とし、合意、共感などを積極的に見せることで、気に入った相手に取り入る技を駆使します。ところがいざ乗ってしまうとわがまま放題、自分中心でしか動けず、回りへの配慮ができません。あげくに最後の責任はすべて自分以外に転嫁する術を持ち、巧みに回りをコントロールしながら逃げ切る。彼らはどんな場合においても自分の言動に罪悪感を抱くことがなく、いつも『善人』(偽善であってもそれを正当化する)の位置を維持し、そのことに自信を持ち、それを傷つけられると怒り、早々に乗り換える馬を探しはじめます。罪悪感がないので傷つきやすいがストレスも少ないのが特徴といいます。

あなたの近くにもこんな人みかけませんか?
男女間では圧倒的に女性の割合が多く80%を占めるということです。
最近の若者の中に『彼女いらない』という男性が増え「女は面倒くさい」ということを耳にしますが、さもあらん、ですね。

 最後に「戦略志向」タイプ。物事を追及して止まないタイプです。科学者・芸術家・文学者・発明家・経営者などなど・・・独自の能力を現実化することに時間、エネルギーを費やす人たち。彼らは好奇心と疑問、発想を食べて仕事をしている、大変面白い人生を送っているひ人たちです。「物量志向」との違いは、ガッツや根性、勝ち負けよりも「面白い」「やりたい」「楽しい」「閃きに従う」などという概ね肯定的前向きな姿勢が基本にあることではないかと思います。追及した成果それ自体を栄養に取り込み、更なる追及に進む、どこまでも終わりなく続く。アスリートのように頂点に到達したら引退。それ以後は過去の栄光を栄養にして生きる、という人生とは大きく異なります。次回に続く

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