共創空間

「負け犬の社会主義者」が忘れていること

『隷属なき道』(続)

終章

「負け犬の社会主義者」が忘れていること

・最後に聞きたい、どうすればユートピアを現実のものにできるだろう?

・プロイセンの政治家オットー・フォオン・ビスマルクが述べたように、「政治とは、可能性の芸術である」からだ。だがはるかに重要なもう一つの価値の政治が存在する。それは「大文字の政治」(Politics)だ。規則ではなく改革であり、可能性の芸術ではなく、不可能を必然にする術である。

・「小文字の政治」は現状を再確認するためのもの、「大文字の政治」は現状を打破して自由になるためのもの

・オヴァートンが気づいたのは、再選を望む政治家はあまりにも極端に思えるアイデアを敬遠する。権力を持ち続けるには自分のアイデアを人々に許容される範囲に留めておかなければならない。

・この「許容性」の窓に納まるのは、専門家に承認され、統計上支持する人が多く、法律になる可能性が高いアイデアだ。

・「許容性」の窓からはみ出したものは「非現実的」「無分別」といった烙印を押される。例えばテレビは異なる意見を報道する時間やスペースを持ち合わせていない。同じ人々が同じ意見を言う、メリーゴーランドのような場面を延々と流し続ける。

そうであっても、社会は変わることができる。そのための戦略は急進的なものを穏当に見せること、(窓をずらす)つまり、それ以上のショッキングで破壊的なアイデアを公表し、それ以外を比較的穏当でまともに見えるようにする。アメリカのドナルド・トランプ、イギリスのポリス・ジョンソン、反イスラム主義であるオランダのヘルト・ウィルダース」は、この技を完璧にマスターしている。

・奴隷制度の廃止、女性の解放、福祉国家の台頭はすべて、正気の沙汰と思えない「無分別」から始まった、革新的なアイデアだったが、最終的には基本的な常識になった。

・「負け犬の社会主義者」は、心の問題は国の債務ではなく、支払い能力以上の債務をかかえる家庭やビジネスだということを忘れている。貧困との闘いは確実に利益を生む投資であることを忘れている。そして、銀行家や弁護士が、ゴミ収集作業員や看護師たちの働きの上で、見栄を張っていられることを忘れている。

・「負け犬の社会主義者」の最大の問題は彼らが間違っているということではなく、あまりにも覇気がない。そして彼らは語るべき物語を持たず、それを伝える言葉を持たない。レベッカ・ソルニットは言う。「それは、結果を出すことより、アイデンティティを強化することを重視する」。

・進歩を語る言葉を取り戻す。それはインテリ的物語ではなく、聡明な12歳の子供にうまく説明できるものでなければならない。

改正?もちろん賛成だ。金融部門を徹底的に整備しよう。「銀行は大きすぎて潰せない」という理由から納税者が再建費用を被らされたりしないようにしよう。タックスヘイブンはすべて洗い出し全滅させ、富裕層に税気を公平に負担させる。

能力主義?望むところだ。真の貢献の度合いに応じて賃金を支払うようにしよう。ゴミ収集作業員、看護師、教師の給料はかなり上がり、相当数のロビイスト、弁護士、銀行家の給料がかなり下がるはずだ。もしあなたが大衆を傷つける仕事がしたいのなら、好きにするといい。その特権には重税が伴うだろう。

・革新?当然だ。現在膨大な数の才能が無駄になっている。かつて科学、公共サービス、教育分野に就いた才能が、現在では銀行家、弁護士、あるいはグーグルやフェイスブックなど広告料で成り立つ業界を選びがちだ。数十億ドルもの税金が最高の頭脳を持つ若者たちの教育に使われている。だが彼らが最終的に身に付けるのは、他の人々を効率よく利用する方法なのだ。もしもこの世代の最高の頭脳が現在の最大の難問、例えば気候変動、高齢化、不平等と言ったことに取り組むようになれば、状況はどれほど変わるだろう。きっと真の確信がもたらされるはずだ。

効率?それが肝心だ。ホームレスの人々に投資した金額はヘルスケア、警察、裁判にかかる費用が節約される結果、3倍かそれ以上になって戻ってくる。子供の貧困撲滅は、それらの「管理」に多大な費用を投じるより、はるかに効率的だ。

過保護な福祉を削減する?完全に正しい。働いていない人のための無意味で傲慢な再雇用講座は廃止しよう。誰にもベーシックインカムを給付し、自分の人生の方針を立てられるようにしよう。

・自由?謳歌しようではないか。労働人口の1/3以上は、本人が無意味だと思う「くだらない仕事」をおしつけられている。現代の資本主義では、私たちはくだらないとわかっているものに投資しているらしい。

・今こそ「仕事」という概念を再定義すべき時だ。自分にとって本当に重要なことにもっと多くの時間を費やそうと、この書は一日3時間労働を呼びかけているのだ。

・『死ぬ瞬間の五つの後悔』オーストラリアの作家ブロニー・ウェアー著では、最大の後悔「だれかが自分に期待する人生ではなく、自分のための人生を生きればよかった」二番目は、「あんなに働かなければよかった」である。ほとんどの政治家、経済学者は、仕事に良いも悪いもなく、それは多ければ多いほど良いと考えている。退屈で無意味でくだらない仕事に多くの時間を費やすうちは、失業率が上昇するが、満足できることに多くの時間を投資し始めると、失業率は下がるということだ。

・憤りを発するだけでなく、希望の光を放ち、倫理と強い理想を併せ持たなければならない。もっと良い方法が本当に存在する、ユートピアは確かに手の届くところにある、という確信なのだ。「非現実的」というのはつまり、「現状を変えるつもりはない」という気持ちを手短に表現しただけなのだ。

・フィンランドとカナダでは大規模な実験が行われている。シリコンバレーでは、広く認められつつある。ギヴ・ディレクトリ(第2章で述べた組織)はケニアでベーシックインカムの大規模な研究を始めた。そいてオランダでも、20を超える自治体がその実施に踏み切った。

・イギリスのEU離脱とトランプという新時代が幕を開けて以来、益々多くの人が、ゼノフォビア(外国人嫌悪)と不平等に対する革新的な、本物の解毒剤を渇望するようになった。全く新しい世界の地図、新しい希望の源、つまり、新しいユートピアが待ち望まれているのだ

 

 終章(p259~270)については「まとめ」項がなかったので、私の拙い「まとめ」を掲載させていただきました。

 

 

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