共創空間

認められたい症候群

2015年5月1日付朝日新聞掲載記事より

「カルトの怖さDVDに」とうたった記事に、元カルト団体に加入していた女性の証言が掲載されていました。DVDを友人から借りて観ることができたので、その内容と最近の学生の傾向について少し触れたいと思います。

日本脱カルト協会制作によるもので、❝DVDでは5人の脱会者がインタビューに応じている。ある女性は国立大学でキリスト教系のカルト団体に加わった。初めはバレーボールのサークルと思って入ったが「聖書の話を聞いいてみない?」と誘われるようになる。「その人たちとのつながりが大事になっていって生きる目的を与えられたと感じ、『救われた』という感覚につながっていきました」女性は「自分の人生を全部かけようと思っていた」と証言。❞(2015年5月1日付朝日新聞より引用)

瓜生崇(たかし)理事はロールプレーを通じてあまりにも簡単に勧誘されてしまう若者たちの実態を見せていました。彼らは、警戒心より、新しいつながりへの期待感の方が強く、ウキウキして勧誘を歓迎しているように見えました。『つながりたい』という欲求は人間の自然のかたちと思うのですが、そこに「認められた」「褒められた」という喜びが上乗せされると‶意図的作為“を見抜く力が弱まってしまうのではないかと感じました。

とはいえ勧誘を仕掛けてくる人たちは集団内でしっかりと勧誘のテクニックマニュアルを身に着け、その功労を認められることで「役に立っている」という満足感と、団体内での自分の居場所を確保できるという構図が脳に定着している(洗脳)のでしょうから、彼らは当然の義務を遂行しているだけということになります。

 この構図は一般の社会でも見られるもので、会社組織ではとくに当たり前のように存在するものではないでしょうか。特にブラック企業と呼ばれるような会社では利益のためには不条理と思われるようなことを平気で社員に強いていることも多いと聞きます。

日本人は特に、周囲との協調を重視する傾向にあり子供の頃からすでに「空気読めない」人は嫌がられて外側へ追いやられるという常識が浸透しています。

そのことが、本質を見抜く目を鈍らせているということもあるかもしれません。また親や周囲に『認められたい』という気持ちはもっと早くから芽生え、顔色を伺いながら行動する子供も多いようです。親は強く正しい存在として脳裏に刻まれ、成長して自分の世界を持つようになると、親との価値観のズレから親に変わる保護者を求め、カルトは恰好な居場所になってしまうのかもしれません。

となると問題は『自立』にあるのではないかと思います。経済的というよりも精神的な『自立』です。精神的自立ができれば、経済的な自立への努力へは自動的に進めると思うのです。

『褒められなくても、自分で自分を認められる』ということで『自立』が果たされます

 カルトの策略『共感・ほめ言葉』という武器さえ使えば、あっさりと勧誘者の思惑に入ってしまう恐ろしさを痛感しました。

 

 

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です