共創空間

新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日SP#4

 「“根拠なき不安”を越えて」#4

 先回コメントを載せられませんでしたので、まず先回を振り返って私見を簡単に!
 大澤さんも三浦さんも、勿論安田さんも、とにかく分類することで、どこかのカテゴリーに収めようと奮闘しているように見えました。そういう分類型解釈というアカデミア特有のやり方に対して、河崎さんは高いところから地球を眺めるように、俯瞰して世界を捉え、「自他非分離」(「すべては関係性」から生まれる)という言葉でまとめられ、そこから自分の行く道を見つけているように見えます。つまり視点の置き場所が違うという訳です。だから三浦さんは、そんな河崎さんを「異物感」と称し、大澤さんは「世界系じゃないけど実存と世界の話がぴょーんと一つ飛びにくっ付いちゃっているっていう不安」と例えるように、河崎さんの言論自体に不安を覚えているようでした。これはなかなか両者のシンクロは難しいようですね。

2部 絶望
古市:これってすごく大事な話だなって思ってて、今ここで、多分不安は何もないと言っている方がいるじゃないですか。でも「こんな不安ありますよね」って、不安の押し付けをする訳ですよね。

ナレーション私の不安を聞いてほしい、は社会との距離を測る方法でもある。自分はここにいる。共感・承認は希望への第一歩となるのか?

年中ねぼすけさん:一番直近の不安としては、今ここにきているけれど、隣の人と喋れないこと。ご縁はこの番組のお蔭で手に入れているが、自分が原因で話しかれない。

大学生:日本人が働きすぎ、に不安を感じている。自分は脳髄液が漏れ出るという難病を持っていて、一日フルに働くということが無理。医者を目指しているが、年齢を重ねてしまった。このまま医師免許を得てフルタイムで意志として働くことに不安を持って入る。ワークシェアリングという働き方があればと思う。

ナレーションぼんやりとした不安の正体を知るために、敢えて最悪の未来を考えてみる。不安をより現実的にとらえて考えてみよう!第2部のテーマは「絶望」各人が想定するワーストシナリオとは?

大澤: 絶望の淵まで行けば希望が待ってますから。
古市: 大澤さんには似合わない発言
大澤: そうよ、今年からめっちゃ明るくいこうと思ってるから。
望月: 今の社会の中にワーストの芽が至る所にあると思う。河崎さん が言う「不安って孤独」ということにスゴイ共感があって、「妊娠SOS東京」という団体があるんですが、ここは若い人に限らず、望まないで妊娠をしてしまった女性が、家族にも学校にも相談できないというときに110番的にかけるところなんです。何か問題を抱えたときに言える人が家族の中でも友達でも誰でも、いるかいないかということが大きなターニングポイントだと思う。一億二千万人のなかで、妊娠したことをカミングアウトできる人が何人いるか?LINEに何人友人がいようとも、自分が本当に悩んでいることを他人に言える人が何人いるか?と思う。その割合がどんどん悪化していくと、そういう社会になった時、不安定化し、一番恐れるのは、投げかけられた嘘のストーリーに飛びついてしまうことを恐れている。

木村: 女性の社会進出の話題で、人工知能の制度をとって、みんなが平等に昇進するようなチャンスを与えるようなシステムをウチの会社で開発しているんですが、いろんな会社の社長に話をしたら、世界の2万社くらいの企業で女性のリーダーが30%あれば会社の利益も上がるということを伝えたが、女性がなぜ必要か?そのデーターは正しいの?と問われる。日本ではそもそも男女平等の考え方はないんじゃないかと思う。そこに絶望を感じる。

那須野:私は2020年以降、経済は回復しなくなるいうワーストシナリオを考えている。現状、2020年オリンピックに向けて経済が回復基調にあると言われていて、最近AIでアメリカ、中国企業ではソフトウエアーでの領域で負けが込んでいる。ソフトで負けるとハードで勝負できなくなる。

河崎: 自分にとってのワーストシナリオは世界政府を樹立することです。日本というのはワイングラスに入ったお茶だと思っている。150年前に出来た器です。簡単に言うと価値観と社会性が一致していない。
 自分はグローバリズムが嫌い。なぜなら西洋主義の押し付けだから。多様性を認めずに「この価値観が正しい!」と周囲に押し付け、みんながそれを信じれば幸せだよね。こうした方がいい、という風に押し付けて、そこにあった文化や社会資本、価値観、人っていうのを否定し社会が進んでいくのがワーストと思っている。いろいろな場所や地域に様々な文化や価値観があるのに、それが失われ均一化していくこと。「和して同ぜず、同じて和せず」大事だと思っている。お題目に向かってみんな同じになっていくことが一番恐ろしいストリー

古市: お題目が「平和」でも?
河崎: 平和には和が入っているから好きなんですが・・・・

 ここで一言、平和というお題目のために核武装が必要という人もいる。(北朝鮮と同じように)そこまでではなくても、平和のために軍備が必須、という考え方はどんどん拡散している傾向にある。「平和は戦って勝ち取るしかない」また、武装することで「脅威」というバリアが必要。というセオリー(意味付け)自体がワーストではないか?もっと他の確実な方法を見つけ出す努力をすべきでしょう。河崎さんや他の3人はディベートを好まないようなので、反論への反論は避けたいように伺えます。

ナレーション:絶望、大切なものが失われる社会、経済、文化、民主主義、今まで日本が当たり前とされていた前提が、脅かされ、ゆらぐのか?国際政治学者三浦のワーストシナリオとは?

三浦: 私、国際政治を研究している、去年2017年は核実験、ミサイル実験が、北朝鮮によって挑発的に行われてきた。その間に日本社会が変化した重要な出来事がある。娘が保育園でトイレに行くときに、ミサイル、ミサイル、キムジョンウン!と言ってはしゃぎ回るんです。我々の幼稚園時代はそうではなかったが、彼らの時代は確実にJアラートとか、北朝鮮とかいう話が、バンバン耳に入ってくる時代なんですね。このまま日本政府が制裁万能論(制裁をきつくすればきっと核を放棄するんだよ)を国民に信じさせ、どこかで国民がそうじゃないぞ?と気づいたときどうなるか?北朝鮮は一向に核放棄をしないと、北朝鮮核保有国化という事実に耐えられなくなる。同盟においてアメリカから見捨てられる不安が生じる。不安がだんだん大きくなると、今までの信頼関係は何だったんだ!という逆にアメリカを嫌う勢力が政界に増えてくる。そうなると、そもそも我々は自立して核を持つべきだという核保有論があらゆる政党から出てくるようになる。その時、自分たちが置かれている状況にヨーロッパが共感してくれない。あるいは、強きにつく東南アジア諸国に恨みを抱く、そしてアメリカの不誠実さに信頼を失われてくると、だんんだん右も左も孤立主義になる。そうなると、新しいものはもう入ってきてほしくない。自分たちは防衛をMAX強化するためにお金はジャンジャン使う。そうすると、防衛費増大で、教育、社会福祉予算が減る。そんななかで、入ってくる脅威は、本当は脅威じゃないのに、自分たちが海外へ進出していた時は良かったのに、海外の企業がM&Aで買うこと自体が国家的脅威と思うようになる。その次に中国人がスパイを放っているという言説が飛び交うようになる。その時に、愛国心とか、中国人的オリジンを持つこと自体がその人が疑われる根拠になってくる。今、ムスリムがアメリカで行われているような差別が起きて、中国人差別が起きる可能性が出てくる。そういった時に日本性とは何なのか?(すでに我々はそれを見極める能力が失われている)甲子園の清美な高校生を称賛するなど、日本性が純化されていく。日本の美風に帰るために、男の子はみんな丸刈り坊主!という声が出てくる。今私達はそれを笑っているけれど、笑えない時代がやってくる。そうすると、多様性が否定され、どんどん生き辛さが増していく。そしてわれわれは重い軍事費の負担に耐えながら、しかも同盟の力も借りず、大して平和志向のない左翼と孤立主義的で外国人憎悪症に走る右翼との間に挟まれて普通の生活は送り辛くなってくる。

佐々木:一本映画を観た気分ですね。
古市: 確かに一個のストーリーになってましたよね。

このストーリーを河崎さんはどのように捉えたか?是非聞きたい気分です。現在の日本セオリーの延長上に生じるであろうワーストストーリーをここまで描きながら、そのセオリーを疑ってみるというところへなかなかたどり着かない、もどかしさ。私だけ?

会社員
長江拓哉:私今日東北からきています。Jアラートも何回かなったことがあって、なった瞬間に死ぬかも?危機を感じます。最悪のシナリオを考えてしまう。

古市: 日本が孤立主義になることはなくはないが、あまり、みんなに響いていない。

三浦: 自由が失われて、自分が丸刈りになったりとか、スゴイ中国人狩りなんかが始まったと仮定して、ありそうだなー、どうやってその状態で生きていけばいいんだろう・・・・みたいになりがちな心性を日本人は持っていて、スゴイ強音で、多分映画のような絵柄で制御できちゃうことがありそう。

古市: 逆にその世界の怖さを受け入れちゃって、その中でどう生きていこうかと思っちゃう。

三浦: だから、考えやすいことを考えた結果として放射性廃棄物の話になる。考えやすいから。ワーストシナリオだったら、あんな手間をかけなくても、大都市圏に250㏏級のものが落ちて100万人、50万人が死んだというシナリオでもいいが、それの対策どうしようか——というところにはいかないからこそ、一歩手前の社会を描いたわけです。そういう管理社会とか、自由が失われた社会に対する処方箋を考える努力を今まで日本は放棄してきたので、多分ここでもできないんじゃないかとと、ちょっと煽ってみる。

那須野:全然そういった世界をイメージできない。(企業家として)なぜなんでしょうかね。中国と組めないのか?ヨーロッパと組めないのか?アメリカと組めないのか?って

古市: ピンと来てない感じですね。
三浦: 個々人としてはグローバリゼーション選べるが、国家とか政治というのは暴力的なものなので、多数決なので、

古市: 国って沢山あるパラメーターのなかの一個にすぎなくて、そのパラメーターの一個の話を三浦さんがしているから、ピンときてないってことなのかな?

これが視点の違い。河崎さんが投げかけた「すべては関係性で成り立っている」という考え方はスルーされてしまっているから・・・・・国は一個のパラメーターにすぎない、ということになる。つまり自分の周囲2~300mの外側はみな、小さなパラメーターに過ぎないという考えが、日本セオリー的なんだけどなー!

那須野:そうかもしれませんが、ただ個々人の集合から国家がなりたっているんですよね、
そうそう
三浦: でも少数派だから!    
出た出た、民主主義!そして「多数派正解セオリー」
那須野:少数派っていうのは理解してます。でもピンとこない。
古市: そこは国とか、日本や、社会を信頼しているという意味なんですか?

須野:そうあってほしい、というか、閉じてほしくない。
古市: 戦前は閉じていた時期もあるし、1930年代まで、あれだけ国際主義だったのが急に閉じてしまったという歴史もあるし。

大澤:  経済とかビジネスのネットワークでは、グローバルネットワークにつながっていきたいという意志があったとしてもそれを反映する政治的システムがあるかどうかが問題ですよね。だけどいくらビジネスとして繋がっていたいと思っても、反映するところが繋がっていいないというのが、政治と経済の分断の問題なので、多分そこはあまり楽観視できないと思う。これは、今現在のまま、国も政治も経済も、このまま継続し続ける前提ではそうでしょう。それをどう変えていくか?

ナレーション:苦しむ少数派、戦う少数派、逃げる少数派。多数が少数に対して暴力的になる。そんな繰り返される歴史を経て私たちは将来、新たな共生の形をみいだせるか?

大澤: 僕のワーストは、歴史がなくなるのでは?時間制がなくなると言ってもいい。メディア歴史研究者としては、SNSの発達により、「今、ここ」とか「NOW」という言葉が蔓延していて、後からデータベースとして読み取ることはできるが、いつも今こことかタグを見ないまま受容する。だからフェイクニュースとかになっちゃってるわけだし、騙されたりすることになっている。結局「今、ここ」が散乱した結果、時間にならないんですね、点でしかなくて。それを繋いで来たのが歴史学だったり、僕らみたいな研究者なんだけど。それが全部なくなってデジタルに移行することによって、並べられなくなるんじゃないか。後からこういう選択肢もあったとかなんとかすらも、思い浮かべられない時代になるんじゃないか。
古市: 後何年後くらいですか? 
大澤: いや、もうすぐ来ると思う。っていうかもしかしたら、もう来ているかもしれない。古市: みんな忘れっぽくなっているってことですか?
大澤: 一応、先人たちの書物とかがあって、順番に並んできて、学問史だとか、研究史とかがあって、僕たちここにいるんだよね、というポイントを示せる感覚をまだ僕たちはもっている。乗り換え検索のように、歴史に関してもピンポイントに行く可能性があって、そうなると統一的な歴史は描けなくなる。
古市: 世界中の時間が同期していた時代は短いじゃないですか。
大澤: そうそう、これ何の心配しているかというと、かつての歴史の書物とかを読み解くコードがなくなっていくのではないかと思う。

三浦: それは、国民国家を残すということしかないのと、それが庇護者となるという部分と、結局我々は、中国の思想というスゴイ異質なものに対して、米中間、少なくとも東アジアで覇権交代が起こるわけで、もうトランプの歴訪で起こった感もあるが、その時、私よく中国の大学院生の指導をすることがあるんですが、難問にぶつかるんです。どうやって指導したらいいかわからない。共通言語をはさない。勿論流暢な英語は話すんですが、コードが違う。だからこそ西洋の思想というものをきちんと理解した上で政治学の伝統などを複合的に持って入る我々にとっては、全く異質なものが、存在している。中国にもインドにもある。インドでグローバリゼーションの研究をしているアルジュン・アパデュライ(インド出身で、アメリカで学んだ文化人類学者1949~)の著作だけは、他のグローバリゼーション研究家(ドイツ、フランス、イギリスなど)の者とは別扱いされ、分類上では飛び地扱いされている。けれども人口比で見ると、これから中国、インドが、世界のかなりの部分を形作っていくわけで、そうしたときに、しかもインドは自由主義だし、ということを考えると、私たちはその継承というのも、変換というのも、国民国家で守りつつ、しかもあっちの言説も架橋していかなくてはならない。先ほど古市さんも言っていた、歴史を共有できていた時代が短い、それは、アメリカの世紀そのものなんです。あるいは、ヨーロッパだけで世界を共有していたと呼んだ時代が傲慢にもあって、もうこれから我々は中国とやっていかなきゃいけない、それが課題。

古市: それは僕らが英語を学ぶみたいに、中国のことも頑張ればわかるんですか?

三浦: ただ、我々は日本語を使いつつ、日本語の独自性も生かしつつも、英語的思考法やドイツ語的思考法と、その全部専門研究者がいて、その中で日本語で交流しているから、正直やわな西洋の議論よりもよほど不快ところまでいっている。我々の中で文化融合をしてきた。しかも独自性を残しつつ。だけど中国というのは、そういう態度を取りませんよね。派遣国家になるつもりだから。中国がその態度を取ってくれなかったときに、我々が、たまたまこの島国で中国の言論を輸入してあげたとしても日本の中でしか残らないので。

古市: 三浦さんからすると、中国のエリートと、日本のその辺の街のオバちゃんとどっちが遠い?

三浦: それは圧倒的に中国が遠いですよ・それは何故かっていうと、彼らはまず原則を打ち出す研究一つするにしても。その上で目標に向かってなにをすべきかを論じる。日本人は街角のオバちゃんにいたるまで、経験主義雄的に物事を積み上げていく、積み上げ式になっている。ので、「大原則」というのは、我々にとってはものすごい異質な文化なんです。

 

ここで気づいたこと、「全ては関係性」という思想は、仏教の「縁起」と共通します。仏教はインドから中国に渡り日本へ来ました。中国人やインド人の「原理原則に基づく」ってどんな原理原則かはわかりませんが、もしかしたら日本人は彼らよりもはるかにヨーロッパナイズされたことで、彼らに異質感を持つのかもしれないと。そのことが、中国人やインド人とヨーロッパ諸国そして日本との異質感の根幹に根を張っているのかも?ひょっとしたら、ここにあらたなビジョンのヒントが隠されているのでは?

古市: 木村さんどうですか?今中国の話を聞いて。

木村: 私、歴史って信じないんですよね。なぜかって言うと、歴史って誰が書いたんですか?勝った人が書いたものって嘘が多い。その嘘の上では歴史はどっちだったかわからないのではないのでは?しかも大二次世界大戦のことをいろんな人に聞くと、みんな違う。

大澤: だからって歴史を捨てていいわけじゃない。もしも、ピンポイントで情報をあつめて、私なりの歴史観を作りましたと言ってもそれは本当の歴史ではない。一応研究者は多くの検証をしているので・・・・今専門家が厳しいのは、そういったプロセスをすっ飛ばして結論だけを求められてしまうこと。

古市: 河崎さんも歴史いらないとか言ってましたよね。

河崎: 歴史というのは科学と同じで、“確からしさ”としか言えない。どう解釈するかも・・僕は目的が違う。「いい社会をつくりたい」だけ。スタンスが違う。どのスタンスを取って生きて行くかは、我々が実現したい目的性による。いい歴史を作るために、人が数十万人も不幸になって、誤ってないというけれど、その結果、じゃー中国はどうか、ロシアはどうか、韓国はどうかという言説は、「あなたと私は違う」という社会になっていくことが嫌なんです。

安田: いい社会にしていきたいからこそ、歴史が大切というのが大澤さんの意見で、結局アナログからデジタル的なものになと、歴史に対するリスペクトとか社会関心的なものが失くなっていくと大澤さんのような専門家がいなくなる、そうすると・・

やはり、河崎さんの言説は、表面面しか捉えられていませんね。でも河崎さんの世界観を一言で表現できないでしょうし、視点の違いはこうしてすれ違ってしまうんですね。

古市: さすがに歴史のことをやる人は残すんじゃない?
安田: それが危ないかもしれないと・・・

大澤: だって人文学部廃止とか言ってる論調があって、そうだそうだと言ってる学者もいる。

三浦: 国語学科は今危機に瀕している。

安田: 僕も2年前にそう言ったんだよね。

大澤: 今の話、批判するつもりはないんだけど、目的によって歴史を選択するっていうのは感化できない、それちょっと危ない。勿論正しさのためにという前提があるので、それは大いに共感するが、目的の違いによって選択する歴史が違う、というのはちょっと危ないかな?

三浦: 河崎さんが“万能であるということを信じられない”、というのが言い方としてはより正確で、我々はそれなりに勉強してきましたと。で河崎さんも勉強していると思うんですよ。だけど、歴史を軽視する発言、歴史は相対的だとする相対化を繰り返しているという。勿論相対化するのがまずいというのではない。ただ一人の人間に出来ることってのは限りがあるという感覚を私は持って入てだからこそ革命主義者じゃないんですが、相当天才であったレーニンとか、相当実力があったスターリンとか、頭がよかった毛沢東とか、いろいろ世の中にはいるわけで、その中で、相対化というのがなぜ出てきちゃうかっていうのは、エリートとか既存の社会の側が、新しい思想、例えば右翼的に聞こえたトランプを支持するような言説を振りまくバノンさんとかの言説をきちんと分析せずに、「あぁもう、あれっ、ダメ」という感じにしてきたからこそ、逆に言うと反発としては、エリートを間違いによって、より強力な現状否定が返ってきてしまう。だからこそエリートは変わらなきゃいけないし、その基礎の思考方法というのを乗り越えて、新しい革新を生みだし、しかも、良い社会を作るという目的に基づいてやるべきと思っている。とはいえ、日本の今のエリート社会的言論人であったとしても、すぐに戦間期の話とか忘れている。あるいは、北朝鮮に対する対応一つとっても、初期のソ連に対する封じ込めと、その次に起きた更に激しい封じ込め、その後の雪解けとか、何もかも忘れている。その時代に生きてた人が忘れているということ自体がこの社会が現状文字文化で生きてるのに、忘れているということは、デジタル文化では、どれだけ忘れっぽくなるんだよ!という懸念を持つ。

大澤: 歴史を相対化するという話に戻すと、それを埋めて行くのが対話なんですよね。結局出してもらわないと、専門家と喋っていても、専門家同士だと阿吽で終わっちゃうから、だからこそですよね、前提の理論って、対話って重要ですよ。

古市: 対話として話がつうじている感じしますか?
大澤: 意味は解るし、何が問題なのかはわかる。

河崎と大澤二人でグーポーズ

互いにすれ違っていく感覚を感じながら、「解ってますよ」を連発する双方。これが日本的なんですね。でももう少しお互いに質問をなげかたら?と思うのは私だけでしょうか?
まだまだすれ違いは続きます‥‥次回に続く

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