言行不一致
1.「言行不一致」についてGPTに聞いてみました
ChatGPT
言行不一致(げんこうふいっち)は、言葉と行動が一致しない状態を指します。つまり、人が言葉で何かを述べるが、その実際の行動がその言葉と一致しないということです。
言行不一致は、信頼性や誠実さに関する問題を引き起こすことがあります。例えば、誰かが約束をするが、実際にはその約束を果たさない場合、言行不一致が生じています。これにより、他の人々はその個人やその発言を信頼しづらくなります。
また、政治家やビジネスリーダーなどの公的な立場にいる人々においても、言行不一致は大きな問題となります。彼らの言葉や約束が実際の行動と異なる場合、信頼性やリーダーシップの欠如と見なされることがあります。
言行不一致の原因は様々です。時には意図的なものであり、人が他の人を欺こうとする場合もあります。しかし、場合によっては、言葉と行動の不一致は意識せずに起こることもあります。個人の意識や価値観、状況などが原因となることがあります。
言行不一致は信頼関係の損失や混乱を引き起こす可能性があるため、個人や組織は一貫性を持ったコミュニケーションと行動を心掛けることが重要です。また、他者とのコミュニケーションや約束においても、言葉と行動が一致するように努めることが求められます。
その他の原因は?
ChatGPT
言行不一致の原因は、以下のようなものがあります。
1.内部の矛盾: 人は複雑な存在であり、時には自己の思考や感情が一貫性を持たずに変化することがあります。これにより、言葉と行動が一致しなくなることがあります。人は様々な要素や状況に影響を受け、その結果として言動が変わることがあります。
2.社会的圧力や期待: 社会や環境は人々に対して様々な期待や要求を押し付けることがあります。人はその期待に応えようとしたり、社会的な評価を得ようとしたりする場合、言葉と行動の一致が乖離することがあります。社会的な役割や立場によるプレッシャーが、言行の不一致を引き起こすことがあります。
3.自己保身や利益追求: 個人や組織が自身の利益を最優先しようとする場合、言行の不一致が生じることがあります。利益や目的のためには、言葉を選んで約束や宣言を行ったり、一時的な言動を取ったりすることがあります。しかし、その後の行動が言葉と異なる場合、言行不一致が生じます。
4.認識や情報の不足: 人は常に情報を処理し、状況を評価しながら行動しています。しかし、情報や認識が不足している場合、言葉と行動の一致が欠けることがあります。また、誤った情報や認識が行動に影響を与える場合もあります。
これらの要素は言行不一致の原因となる可能性がありますが、個人や組織は一貫性を重視し、意図的な言行不一致を避ける努力をすることが重要です。また、自己の意識や行動を客観的に見つめ直し、他者とのコミュニケーションにおいて信頼性を維持することも重要です。
AIが示す回答は、世間一般のノーマルな回答としては、よくできたものでした。
このチャットGPT は自然言語を表現することを大きな目的にしているため、一般的な文章を多く学習し、質問の内容が深まるにしたがって、専門的回答を検索するようになっているようです。
最初の諮問では、当たり障りのない、浅い部分だけ示してきましたが、「その他の原因は?」で下記の4つ問題点を取り上げ、その詳細を丁寧に説明してくれました。
- 内部の矛盾
- 社会的圧力や期待
- 自己保身や利益追求
- .認識や情報の不足
なるほど仰る通りね!なのですが、私としては今一つ核心に欠けているような気がしてどこか物足りない、腑に落ちない気分が残りました。
そこで私の見解もお話しすべきと思います。
内部矛盾は、それ以下の2.社会的圧力 3.自己保身や利益追求 4.認識や情報の不足を内包して起きるものだと考えます。
内部矛盾は、これらの要素によって引き起こされる場合があります。つまり、個人の内部の思考、価値観、欲求、情報などが複雑に絡み合い、言葉と行動の一致が欠けることがあります。そのため、言行不一致の解決には、自己の内部の一貫性を確認し、意図的な矛盾を避ける努力が必要となります。
内部矛盾を引き起こす要素の一つとして、思い込みや認知のゆがみがあります。
人は無意識のうちに思い込み、信念などに歪み、矛盾を持った状態のまま、その主観的思考や信念に基づいて行動するものです。
それが言葉と行動に矛盾を生じさせることがあるのですが、本人自身はその矛盾に気づかないまま日常を暮らしています。
- 理想と現実という乖離化
その代表的な要素が。「理想と現実の対比化・乖離化」です。
解りやすく言えば、往々にして人は理想を語りながら、理想と乖離した現実的行動をする、ということです。
このようなことは明らかに言葉と行動に整合性を失います。
例えば、「多様性(ダイバーシティー Diversity)社会」という理想を掲げる政治家の面々が、旧来の画一的社会通念に沿った行動を平気で行うなどは、「多様性」という言葉が浮遊しているだけ、それが本当にこれからの社会にとって重要な概念である、ということを心の奥底から信じていないために起きることと思ています。
つまり彼らの信念は旧態依然とした画一的縦型システムに依拠し、意識は全く「多様性」に向いてないことを物語っています。
これは男女関係、親子関係、夫婦関係。組織の内部関係においても同様に顕現されることです。
ましてや人種や文化の多様性に積極的に目を向けるなどは、到底期待できない現況です。
つい先日外国人の収容のあり方を見直す入管法の改正案 衆院本会議で可決され参議院に送られました。6月9日には参院法務委員会での入管難民法改正案の強行採決に踏み切った与党。このような日本の行動を「難民鎖国」と呼んでいるようです。明らかに多様性とは逆行する非人道的行為と言われています。
詳細は下↓
変わるか「難民鎖国」 入管法改正案、4氏に問う – 日本経済新聞 (nikkei.com)
【解説】難民申請「無制限→上限2回」ナゼ? 強制送還の新ルール、入管法改正案 閣議決定(日テレNEWS) – Yahoo!ニュース
れいわ山本太郎氏、採決阻止へ委員長席目指すも阻まれ…入管難民法改正案が参院委員会で可決 – 社会 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
難民申請中の本国への強制送還停止を原則2回に制限する。しかし、本国で迫害の恐れがある人まで帰してしまうとの懸念があり、人権上の観点から反対の声が出ている。改正案は9日の参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立。
反対の立場からは「外国人や難民の人権が守られる法制度を作らなければいけないが、提出された法案は全く不十分なものと言わざるをえない。この法案を廃案にし、ともに知恵を出して制度設計を根幹からやり直し、迫害に苦しむすべての人に、公正で明確で十分な審査が制度的に保障される法律をつくろうではないか」と述べました。また「国際水準から大幅に遅れている現在の入管行政を抜本的に変えるものでなければ賛成はできない。最大限の努力をしたが、残念ながら政府・与党に変える方針が見られず、反対した。対案となる法案を参議院に提出したので、われわれの考え方を国民に訴えていきたい」という意見もあります。
採決に先立ち、討論に立った立民の石川大我氏は「数千人の人の命を危険にさらす法律。断固反対だ」と反対を訴え、共産党の仁比聡平氏は「今からでも遅くない。法案撤回の決断をしないと、当事者や支援者の思いを断ち切ることになる」と斎藤健法相に求め、審議を尽くすよう求めた。
このようなことは、いつでも、どこでも日常的に見られる光景で、あなたの周囲でも常習的に経験することでしょう。
このような現象の基に「ゼロサム思考」があるとも考えられています。(誰かの得は誰かの損で成立するという考え)ピラミッド型競争社会の中では当然起こりうる熾烈な戦いの顕れです。
私たちはそういった中では理想は掲げるもの、実行するものではないかのような意識が刷り込まれているのではないでしょうか。
信じていることは現実という理想とは程遠い未熟な人間構造そしてそんな人間が造り出す社会構造。だからいつも批判や愚痴ばかりブツブツ言ってガス抜きしなきゃ!
そうしている自分自身も一貫性もなく、確固たる哲学もなく、周囲をうかがい乍ら「どうする?どうする?」と迷いうろうろする日常。
でもよく見られたいから理想は語らなきゃ!だからと言って行動まで一貫する人って、悟り開いた人だけでしょ!大体言行不一致って本人は気づかずやってる、こちとら凡人だから・・・・
ここには、初めの2.社会的圧力 3,自己保身や利益追求 4.認識や情報の不足という要素が含まれています。
これが理想と現実の乖離がもたらす結果です。
永遠に理想は現実にならず、矛盾と葛藤による苦悩から解放されることはないでしょう。
- 本音と建て前を使い分ける習慣
これも、理想と現実の乖離から起こる現象です。
本音と建て前(ほんねとたてまえ)は、日本の社会や文化において重要な概念です。本音は個人の真の思考や感情を指し、建て前は社会的なルールや習慣に従った行動や発言を指します。これらの概念は、個人の内面と外部の社会的な要求との間に生じる矛盾や調和を表現するために使われます。
本音は、個人の本当の意見や感情を表す言葉です。これは、自分自身や他の人との関係において重要な要素であり、自己表現やコミュニケーションの中で真実を伝える役割を果たします。本音は率直であり、自分の考えや感情を隠さずに表現することを意味します。
但し、人によっては本音を吐き出すことによって社会からバッシングを受ける可能性も大きいことがあります。それを避けるために建て前に専念する人も多いようです。そういった人はより日常のストレスが大きくのしかかります。
一方、建て前は、社会的なルールや習慣に従って行動や発言をすることを指します。これは、他の人との関係や社会的な秩序を維持するために重要です。建て前はしばしば、他の人の感情を害しないようにするために自己制御や配慮を必要とします。建て前は、社会的な場や公の場での振る舞いにおいて特に重要視されます。
日本の社会では、本音と建て前のバランスを取ることが重要視されます。一般的には、公の場や上司との関係など、他の人との関係においては建て前を重んじる傾向があります。これに対して、プライベートな場や親しい関係の中では、本音を自由に表現することが許容されることがあります。
ただし、本音と建て前のバランスは人によって異なる場合があります。個人の性格やバックグラウンド、文化的な要素などが影響を与えることもあります。また、近年では、本音を率直に表現することが求められる場面や、建て前よりも個人の意見を尊重する風潮も見られるようになってきています。
要するに、本音と建て前は日本社会において重要な概念であり、相手や状況に応じてバランスを取りながら適切なコミュニケーションを行うことが求められます。
見せるもの⇒建前⇒言葉
隠すもの⇒本音⇒無意識の行動
本音は隠しているものの互いに察しあう⇒空気読むも同じです。
本音と建て前は矛盾するものなので、あからさまに見せたくないものは本音として隠し、表向きの会話では建前に沿ったきれいごとを並べる。
相槌も然りです。反論したいという本音を隠すための相槌は「おっしゃる通りです」と。
これもストレスが溜まるものです。そしてキャパを超えると行動に出現します。
政治家の常とう手段は、先輩議員のこういった本音を見定めて忖度することです。
特別に役割を担った人ばかりではなく、多くの庶民も、本音と建て前を使い分けながら人間関係を維持しています。
本音と建て前を巧みに使い分ける人ほど、より多くの人間関係を持っているように見かけます。
そして、次々人脈を広げる努力や行動を惜しみません。
概ね人脈を広げることにエネルギーを注ぐ人たちの多くは、自利への欲求(ゼロサム思考)か、あるいは自己肯定感の満足のためか、いずれにしても不安定で安らかではない心の持ち主と察します。
見栄も同じ要素です。
周りから良く思われたい(承認欲求)の顕れです。
こうしてみると、言行不一致は、自己矛盾の代名詞とも言えます。
ところが、そういった人たちが、政治を行い、教育を行い、宗教を率いている。
私たちは社会のリーダーたちからそういった印象を拭い去り、見えるものだけを信じて従っている奴隷と言えるのかもしれません。
但し、Z世代の中には、こういった矛盾を見分ける目を持ち、それらに追従することを拒否する人たち(言行一致人)が出てきました。
本来の生き方「遊びをせんとや生まれけむ」(後白河法皇)を実践しようとしている若者たちが増えていることに希望の光を感じています。
ありがとうございます。
そんな大人多いことが残念です。
子供たちに恥ずかしくないように自分も常に気を付けるようにしています。
4章Z世代
で救われますね!