鳥の目

「昭和のメカニズム」逆襲する現代

日大アメフト下級生100人の乱 退部者続出崩壊も

アメフト 日大選手「監督から やらなきゃ意味ないと言われた」

 昭和人間にとっては、戦前から受け継がれた主従関係で成り立つシステムに反発する意識よりも、むしろ、自ら権力をかざす主従関係の上に立つことを目指し、そのメカニズムの外側から見る目は開いていません。晴れて権力の座に立って、権力をかざすことは自らが望み、掴むことができた当然の権利で、何の問題もあるはずがなかったと言えるでしょう。

そのメカニズムは「戦い」であり、「競争原理」に基づいた、「戦場」という社会構造であったので、勝ち抜くことが生き残る、という精神が求められていました。

平成になって、年号の意味が影響したのかどうかはわかりませんが、「地平らかに天成る」のように、それまでの上下、主従の関係というメカニズムが重視されなくなってきたという気配とともに、SNSでの瞬時の拡散システムが後押しして、急激に権力に対する逆襲が始まっています。

また主従関係につきものの、「忖度」という日本文化のいびつな面にもメスが入りつつあります。

今回の日大アメフト部、井上コーチも、内田監督への「忖度」から、選手に犯行を強制していたという聞き取り取材も見かけました。監督と選手との距離は遠く離れ、その間で監督の意向を汲み取り、選手をコントロールする役割を担った井上コーチは、安倍内閣と官僚の関係とシンクロし、古い日本社会の縮図としかみえません。

日大側は自校の学生である宮川選手を、放りだしたように一人で記者会見に送り、サポートをするものが一人もいないということも、主従関係を壊す相手を敵とみなす、戦場の構図が現れています。

昭和の大人たちがこれでいいの?子供たちを守るという役割はどうなってしまったの?

安倍首相も整合性を欠く答弁に明け暮れ、“負けたくない”意識ばかりが目立ってしまっています。古い体質は「時代錯誤」とまで言われているのに、それに気づいていないトップの要人たちは「絶対」の枠から抜けられず、自ら墓穴を掘る言動を続けています。

競争原理がもたらした副作用が強く、縦社会というヒエラルキーの時代もそろそろ終わりに近づいているということを肝に銘じることが求められています。

そもそもハラスメントという言葉が飛び交うようになったころには、ちょっとした嫌がらせ、ちょっとした迷惑行為と捉えていたでしょうが、最近ではそれ以上の犯罪行為に繋がってしまっています。それもこれも「支配と隷属」の社会構造が生んだ産物です。

「支配と隷属」はヒエラルキー(ピラミッド型縦構造)の根源的メカニズム。それが徹底的に無意識にまで叩き込まれた昭和人間は、そこから脱却しない限りハラスメントと縁を切ることはできないのではないでしょうか。

マスコミもSNSに忖度する報道が多く、SNSを駆使する若者たちに抗うことができない状況なのです。そのことをいいかげん理解する必要に迫れているのでは?

そういう私も昭和人間ですが、幸か不幸か権力の座には縁がなく、隷属の立場でありながら、隷属を拒否してきたルーツの上に自分ながらの平和と幸福を構築した経験から、昭和の元号よりも、平成の元号に馴染む感があります。言い換えれば昭和人間の世界観から得るものよりも、新しい世界観から得るものが多いということです。

宮川選手の会見を見るたびに、“若者をつぶさないで”と叫びたくなってしまいます。

皆さんはいかがでしょうか?

 

 

 

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