鳥の目

閃き⇒エビデンス⇒確信に関する考察 1

「霊と“非局所性”」に知的好奇心高まり・・・・

 最近友人(オーストラリア在住の)がweb上で「霊と“非局所性”」について綴り始めている。そして先日、電話でそのことについて書かれた著書を尋ねられたが、そもそも私の中で「霊と“非局所性”」の関係性が見いだせず、彼の期待に応えられませんでした。

このことが私の知的好奇心を刺激し、電話を切ってからも(彼の「霊」の定義は?非局所性(エンタングルメント)につなげる根拠は?)が頭の中をぐるぐると巡り、考え続けることになってしまいました。

 そこで、私自身の「意識と非局所性」について、少しまとめてみることにしました。

 私の場合ははじめ瞑想下による直感から得た情報で『意識が現実を創る』『すべてはつながっている』という閃きに近いものでした。

そこからが長い旅の始まりでした。意識とは?をあらゆる著書から探ろうとして、いつの間にか『量子力学の非局所性』に至ったのです。この量子もつれ(エンタングルメント)現象を知って、私の中の数々の疑問の点の散在が面となってつなっがったのです。

友人の彼には、このことを話したことがあります。多分20年以上は昔のことだったと思うのですが。

ところで、この現象をアインシュタインは「お化けみたいな遠隔作用だ」と言い放っています。

 私はそれ以後、この「意識」がすべての源泉にあることを軸として、あらゆる分析と考察の基礎と為しています。

人はだれもが、個的な関係性から世界を創り、その中で生きています。関係性から得た体験、知識を集め個人的デフォルト設定(思い込み)というものを気づかないうちに構築し、それに基づいた上での世界観です。たとえ「私は何も考えず生きている」という人がいたとしても、「何も考えないことが正解(楽)」という世界観をつくり、その中で生きている。そのために個々それぞれがそれぞれの世界解釈で成り立っています。

つまり、友人の「霊と非局所性」というアイデアもその世界観から生まれた産物であり、私の「意識と非局所性」も私の世界観から生まれた産物なのです。

そして私は、このロジックに揺るぎない確信を持ち、自己の理念の中心に据えて日々人生の質の向上に役立てているのです。いついかなる時も、このロジックから離れることはないと言い切れます。そのお蔭でパラダイス・桃源郷の世界で生きられ、大いなる喜びと感謝の現実に至り、すでにその理念に対する数多くの学術的裏付けも得て、多くの人が人生の質を上げることが可能であるという確信にも至っています。にもかかわらず、自己の人生にあまり役に立たない設定(思い込み)をして苦しむ人たちが多い現在への疑問を探る、現実取材が関心事であり、他者が発する言葉の根拠となっている世界観を知りたいと思ってしまうのです。多様性への関心というものかもしれません。

 話を元に戻すと、友人が放った「霊」という言葉に「非局所性」を繋げたということへの違和感です。彼はそういえば「人間の霊性」という言葉をよく使うことがあったと記憶しています。つまり霊性が高い人と低い人、と言った意味合いで使っていたような気がするのですが違うかもしれません。思い出すと他の友人の中にもそんな言葉をよく使う人がいました。

 つまり霊性の高い人と「悟り」には大きな関係性があるようなニュアンスにも聞こえたのです。

 私は「悟り」という言葉の中に、ある種の神格化された特異的な意味を感じています。少なくとも誰でも手の届くところにはない「状態」を表しているように思えて、この言葉に拒否感があると言ってよいのです。「霊性」という言葉には、そんな神格化と神的特異能という得難いニュアンスを匂わせ、何とも受け入れがたい言葉となって私の中に響いているのです。

 「意識」(無意識や潜在意識も含め)についてはそれとは全く逆で、人間誰もが生まれながらに備わり、常に意識と共に人生という旅を続け生きている、身近で親しみやすい概念です。

 話はちょっと飛躍しますが、「水は意識を転写する」(水は情報を記憶する)という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。情報すなわち意識・記憶すなわち転写という学術的考察に基づいている理論です。

私にとって、木々に囲まれた自宅環境が、この上ないオアシスという癒しの空間になっていることの理由が、この「水の情報記憶(意識転写)作用」にあると確信しています。

すなわち、私(私を形成しているすべての関係性(縁起))のすべての情報を記憶する能力を一番有するのが人間(細胞)以外では「木々たちとその土地」であると感じているのです。つまり私の意識は木々たちに転写し、増幅作用を起こし、私の意識拡張を担っていることになります。また木々や土地に記憶された情報は私に転写され、互いの旺盛な相互作用よって、どの場所よりも私自身を拡大できる場所となっているに違いないと信じているのです。

 世に言う「悟り」「守護霊」「天使」などという個人的な現象とは異なるような気がするのです。自己とそのすべての環境(距離に関わらず非局所的)との相互作用による現象と受け止めているのです。そう考えるときに「非局所性・量子もつれ(エンタングルメント)」といった現象が思い起され、更に拡大したコスモスというマクロ世界とのつながり、あるいはフラクタル理論(自己相似性)・さらには複雑系やイリヤ・プリゴジンの非線形にまで及んでいるのであると思うのです。その動きはトーラス(エネルギーの動き)に従い、増幅や減衰を繰り返しています。これらはみな個々別々の理論ではなく、すべてが繋がっていて、視点、切り口を変えた表現で補完し合い、より完全性へと近づける相互作用として理論づけられていると解釈しているのです。

 以上がわたしの具体的世界観の概略なのですが、さて、そこに「霊」とか「霊性」が存在しないことが問題なのです。ただ「霊」の定義を彼に聞いたのですが、はっきりとした定義づけはなく、そのために答えを出せないでいるのです。この記事を読まれた方の中で「霊」に対する確立した定義をお持ちの方がおられれば、是非拝聴したいと思います。

 尚、題名通り私の仕事(人生)は閃きエビデンス確信、その上の実践という流れで形成されています。このことについてもご意見をお持ちの方、是非投稿ください。

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