『快三昧に生きる』 【24】

 

2020.11.16

軌道修正についてお話しているタイミングに、アメリカの大統領選での、バイデン氏の勝者宣言がありました。
トランプ大統領による「アメリカファースト」に代表する、利己的政策は就任以来世界のブーイングを浴びながら終焉を迎えようとしています。

ジョー・バイデン氏は、これまでの自分勝手な幼稚ともいえるトランプ政策のすべてに軌道修正を加えようとしています。
ヨーロッパをはじめとする、世界の各国ではバイデン氏への歓迎ムードが感じられます。

何とかトランプ以前のアメリカを取り戻せそうな雰囲気です。
それに伴い世界の情勢も舵を切り直す気配が見えます。

ドナルド・トランプは米国を世界の指針たらしめている価値観を冒涜した。ジョー・バイデンは修復と再生の見通しを与えてくれる。
ジョー・バイデン氏は、米国の病をたちまち治してくれる魔法の薬ではない。しかし善良な人物であり、ホワイトハウスに堅実さと礼節を取り戻してくれるだろう。
分断された国家を再度一つにまとめるという、長い時間を要する困難な仕事に取り組む能力もある。
トランプ氏は米国の価値観、米国の良心、そして世界における米国の発言力という3点の守護者としては、求められる基準を著しく下回る働きしかしていない。

Jbpress

やはり、アメリカは世界のリーダー国としての意識を失っていなかったと言えます。
世界の国々にも利己的で「人類の未来」を見据えないトランプシンドロームは伝染を仕掛け、英国のEU離脱による弊害が今頃噴出しはじめています。
トランプはそういう意味でも、人間の成長を阻み、後退を促したと言えそうです。

「話しても分かり合えない」の実例として、従来的民主党対共和党の枠組みをはるかに超えた、トランプ派とバイデン派という、人間的枠組みに因を発する、アメリカという国に潜在的に潜んでいた問題の検出として、分かりやすい例を示してくれた「アメリカの分断」という大きな課題を生んだ今回の選挙でした。
バイデン氏は、どのような解決策を呈するか今後の動向が見逃せません。

このようなことはこれまでの人類は多かれ少なかれ度々経験していたことでしょう。
そんな時に役に立ったのが「神」という存在だったような気がします。

たとえ埋めきれない分断が発生しても、両者にとって『神』こそが共通の存在として君臨可能なものです。
その際『神』の解釈など問う必要はなく、それぞれが勝手に理解している『神』で充分です。『神』の名のもとに一つになることは両者とも異議を呈することはないからです。
そして、トランプ以前はそのやり方で何とか上手く繕っていたのではないでしょうか。

中国がまとまっているのも「共産党」という強い思想の上に在る「強い指導者」への隷属によるものです。隷属している民には個人の権利を主張するという意識はありません。街中に備えられたカメラによる監視は、民にとって自分たちを守ってくれるありがたい設備ではあっても決して個人を縛るものではないのです。
一神教のメカニズムと全く変わりありません。

ところがその『神』が、科学進歩によってその存在を足元から崩し、人類の頂点の座を奪われようとしているのです。いや既に奪われていると言っても過言ではないでしょう。

ただ、万人が人類の頂点に君臨することをまだ納得していないと言ってよいでしょう。

そもそもこの頂点という概念すら、新たなパラダイムにはなく、それまでのピラミッド的イメージでは理解不能になっていることが原因ではないかと思うのです。

「神」が君臨する頂点、という図式は当たり前すぎてそれを消すことは困難極まりないことです。彼らにとっては『神』の下に科学という進歩も許され、それも『神』の加護があってこそ可能であるという理解です。
それこそが無意識に刻まれた枠組みの根源だからです。

多神教の類に在る「仏教」においてすら、実は内在には「お釈迦様」や「開祖様」が頂点に据えられていることは否めません。
その視点から「仏教」や「密教」を理解しようとしても、道を究めることは難しいでしょう。そして難しいことこそ有り難さを増し、一生極められなくとも挑戦している自分に満足でき、大きな幸せを得る、という過程を経験している仏教者も多く、その人たちを求道者として讃えます。

とにかくこの世の図式から、ピラミッドの形を消してフラットにすることなど、間違ってもできるものではない、と言うのが世界観パラダイムの相違を生みます。

長々と前置きをしてきましたが、本題に入ります。前置きは以後のお話には大きな関連性があり、パラダイム(枠組み)という概念を知る一端となります。

「創発」

さて23の宿題となっていた「創発」は、これまでの科学を大きく変えた一つの概念です。
はじめに私の体験からお話したいと思います。

最初のキッカケは1997年に出逢った『複雑系』(M・ミッチエル。ワールドロップ著)という500数十ページにも及ぶ本でした。
(著者のM・ミッチエル。ワールドロップは当時ワシントンDCに住むサイエンス・ジャーナリストで、ウイスコンシン大学で素粒子物理学の博士号を取得し「Science」誌のシニアライターとして活動)
この本を手にしたとき、ページ数と言い、超最新科学の内容と言い、自分の能力をはるかに凌ぐもので、とても読み終える自信はないと感じて尻ごんだことを思い出します。
わたしは、全くアカデミックには無関係な人間で、ただの一庶民と言う自覚なので、このような難解な本を購入したことさえ後悔したものです。

「複雑系」(Complexity)のまえがきには、
‟―複雑性の科学―いまなおひじょうに新しく、また非常に多分野にわたるため、それをどう定義すべきか、どこに境界があるのかも解らない学問だが、まさにそこがポイントでもある。現在この科学の定義が不十分であるように見えるとすればそれは複雑性の研究が従来の範疇では扱えないような問題に取り組もうとしているからに他ならない。とあり、その後述には世界や宇宙で起きているだれも解らない「なぜ??」の無関係な問題の数々の例を提示しています。(中略)

中には全く科学とは思えないような問さえある。しかし、詳しく見て見ると、実はそこに多くの共通点がある。例えば、これらの問いのすべてが〈複雑な〉システムと関連しているということ。複雑な、とは、おびただしい数の独立したエージェントが様々なやり方で相互に作用しあっているという意味である。無数のたんぱく質、脂肪、核酸が作用し合って細胞を形成し、何十億のニューロンが連結して脳を形成している。何百万の相互に依存した人間が人間社会を形成している。更に、どの場合も、まさにこうした相互作用の豊饒さが、システム全体の自発的な自己組織化を可能にしているということ。例えば、物質的欲求を満たそうとしている人間は、個人間の無数の売買行為を通して、無意識のうちに一つの経済活動に自己組織化していく。責任を有するモノも、意識的にそれを計画するものもいないのに、そうしたことが起る。発生中の胚の遺伝子は、ある場合は肝細胞を、ある場合は筋肉細胞を形成するように、自己組織化していく。空を飛ぶ鳥は周囲の鳥の動きに適応し合い、無意識のうちにひとつの群れに自己組織化していく。生物は進化過程を通して常に相互に適応し合い、それに精巧に調和のとれたエコシステムへと自己組織化していく。原子は最小エネルギーの状態を探しながら相互に化学結合し、それにより分子という構造に自己組織化する。どの場合も相互調整と一貫性を求めるエージェント軍を超越し、ばらばらではけっしてもちえない生命、思考、目的といった集合的特質を獲得していく。

さらに、こうした複雑な自己組織化のシステムは〈適応的〉である。といっても、地震で岩が転がるように、出来事に受動的に反応するということではない。それらは積極的に、すべての出来事を利益にかえようとする。例えば、人間の脳は、経験を学習すべく、何十億のニューロン結合の組織化、再組織化を絶えず行っている。種は変わりゆく環境の中で、より良い生存を求めて進化していく。法人や企業も同じだ。また市場は、変化する好みやライフスタイル、技術発達、原料価格の動きなど、多数の要素に反応する。

最後にもう一つ、こうした複雑な自己組織的システムには一種のダイナミズムがあり、それによってそのシステムは、コンピュータ・チップや雪片のようにただ複雑であるだけの静的な物体とは質的に違ったものになっている。複雑系(Complex System)はそうしたものより、より自発的、より無秩序的、そしてより活動的である。が、同時に、その特異なダイナミズムは、カオスとして知られるあのどうにも予測不能なものとも、かけ離れてちがう。過去20年、カオス理論は科学をその根底からゆるがしてきたが、それは、ひじょうに単純な力学的法則が並外れて複雑な振舞い――たとえば、フラクタルというはてしなく細分化された美、あるいは泡立つ川の乱流――をもたらすという認識からだった。しかしカオスだけでは、複雑系の構造、一貫性、自己組織的結合力を説明することはできない。”後略

この前書きを読んだ途端、私の中の好奇心に火が付きました。なぜかと言うと「縁起」を思い出したからです。「縁起」は釈迦の教えの代表的な概念です。「これこそ世界(宇宙ともいえる)の真理だ」と確信しました。それからは一字一句を大切に「複雑系」の科学を読み解くことが日常の楽しみの一つになりました。

アカデミックに縁のなかった、ただの一庶民、一主婦の私が、難解と言われる「複雑系」を「そうだそうだ」と思いながら読み進むことができたのです。自分でも不思議でした。

読み終わって、この本の内容を理解できた私に、自分自身で驚きを感じ得ませんでした。私のような浅い知識の人間ですら理解できるこの「複雑系」のシステムこそ、あらゆる問題に利用すべきだ、そしてこの学問こそ小学校、中学校での必須科目にすべきだ、と考えました。

生命は単なる物質を確かに超越している――それは生きたシステムが物理や化学の法則の枠外で働く何らかの生命の気を吹き込まれているからではなく、単純な規則に従って相互作用する単純な集合体にはこの上なく驚異的な仕方で振舞う能力があるからである。生命は実はある種の生化学的な機械かもしれない。生命は吹き込むものではなく、いくつもの集合体、それらの相互作用のダイナミクスが『生きる』ような仕方で組織化することである。

このような考え方は、これまでの「生命=機械ではない」という人間の常識を覆し、生命は文字通りコンピューテーションそのものである、と定義したのです。

このことから、私たちの崇高な生命、触れてはいけない生命現象、『神』や『魂』という、これまで解明できない何らかの摩訶不思議な力を、科学は解明してしまったのです。そしてこの本のお蔭で私の人生の好転は確実化して行きました。

さてここまででは、「創発」「複雑系」の説明にはなっていないように思われるかもしれませんが、この前書きに書かれていることが「複雑系」を言い表しています。もう少し簡略化するなら「カオスの縁」を研究する学問と説明できます。
「カオスの縁」(Edge of Chaos)とは秩序と混沌とした無秩序の状態、カオスの境界を意味します。

「カオスの縁」では秩序が平衡化しようとカオスに近づき、カオスも同じように平衡化しようと秩序に近づくところです。秩序もカオスも臨界点があるということです。臨界点を越せば系の秩序もカオスも崩壊し、新たに思いもよらないような秩序(カオス)が誕生するということです。ここでは古典的線形のルール(結果が原因に比例する)は通用しません。「複雑系」は非線形の世界です、そのためにそこから創造される「創発」は系を構成する要素の性質に還元できないような新たな性質や秩序が生じ、部分の単純な総和に止まらない特性が、全体として顕れると定義されています。

生命の誕生から、脳の発生、創造の過程など「創発現象」が、生命を生命たらしめるに必要不可欠な性質の一つと考えられています。「創発現象」は「カオスの縁」から生まれるのです。
前書きに記されていた「自己組織化現象」こそ「創発現象」といえるものです。

「秩序」と「カオス」の中間にある「カオスの縁」は「豊饒の源」であり、そこでは予想もしない複雑な構造が突発的に自己組織化(自発的・自律的に発現)します。
こういった現象を「創発(Emergence)」と呼んでいます。特に自己組織化された秩序構造が動的で時間変化をする場合には「散逸構造」と呼ばれます。名称の由来は外界から注入された特定の箇所に偏在していたエネルギーが系全体を流れて外部に散逸していくことによって、秩序構造が自己組織化(創発)されることによります。このように注入されたエネルギーが外部に散逸している系で動的秩序構造が創発されることを理論的に解明し、これを散逸構造と命名したのはベルギーのイリヤ・プリゴジンで、この功績によって1977年にノーベル化学賞が授けられました。

1997年に来日し、この散逸構造、非平衡熱力学の京都国際会議場での講演に参加する機会を得たことを、今でも不思議に感じています。

カオスでは、初期値の微小なずれが指数関数的に拡大していくという意味で予測不可能な系です。これらの点においてカオスと複雑系は似ています。正確には異なるものですが、ここでは解りやすい例を記述します。

“実際の社会では、自分の行為に影響を及ぼす他者は二人以上いる。各エージェントが「もしあの人がこう行為するならば、私はこう行為しよう」という予期の予期を相互に行っている複雑系の中では、そうした複雑性の縮減が、社会全体の複雑性を増大させている。行動科学が発達しても、人間行為の規則は、確定的非線形関数として定式化されないから、社会システムは、カオスとはいえないかもしれないが、複雑系であることは確かである。

永井俊哉

私たちはこれまで、原因、結果という線形システムでしか、物事をかんがえられませんでした。ところがこのような「複雑系」の出現により非線形現象では、例えば「努力したら報われる、とは限らない」「不幸の後には幸せが待っている、とは限らない」「こうしたからと言ってあーなるとは限らない」というように、何だかペコパの松陰寺太勇のノリツッコまないボケのような現象が、日常的に起こり得る、また知らないうちに起こっているということが解ります。

人類は、長い間、宇宙や万物万象のメカニズムを探求してきました。が、すでに見てきたように、近代までの哲学や科学が、真理を探究する上で大前提にしてきた「意識(自由意志)」など存在せず、ただの"幻想"ではないのかというところまできています。

基本的に、意識(顕在意識)に代わってあらゆる万物万象を成り立たせているのは、無意識(潜在意識)です。例えば、望む結果や望ましくない結果が具体的である場合には、その現実化は比較的容易にイメージできるものです。ただ「複雑系」といわれる、多数の要素が非線形的に相互作用しながら全体としてまとまりを作っている場合はどうなのか?

「複雑系」が存在するということは、言い換えると、これまでの科学があらゆる現象の理由を一つ一つの要因(証拠)の足し合わせで説明してきた発想(要素還元主義)が成り立たない世界があるということでもあります。このような現象の一つが「創発現象」です。
先にも述べたように、構成要素一つ一つの性質の総和では説明がつかない特性が全体として現れる現象です。
私たちがこのような「創発現象」のような世界の中で生きているとすれば、「創発」を起こすような働きかけができないか?という発想が出てきます。すでにこの分野での研究が始まっています。

情報工学における創発 
コンピュータサイエンスの分野では、シミュレーションによって創発現象を人工的に作り出すことが研究されている。代表的な例は、ニューラルネットワーク遺伝的アルゴリズム群知能などである。また近年、ウェブを活発な相互作用が行われる創発システムとして捉えなおす動きがある。

セル・オートマトンライフゲーム
非常に少ない要素数・層数ですら創発が起きる例。

上の動画はマス目でできており、各マス目(= セル・オートマトン)は皆同一種で、どれも以下の3つの単純なルールだけで作動している。
誕生: 白いセルの周囲に3つの黒いセルがあれば、次の瞬間にそのセルは黒になる。
維持: 黒いセルの周囲に2つか3つの黒いセルがあれば、次の瞬間もそのセルは黒いまま残る。
死亡: 上二つの場合以外なら、次の瞬間にそのセルは白いセルになる。

大切なことは、要素(ここでは黒点)がわずか数十個存在するだけでも創発が起きている、ということである。

Wikipedia

カオスの縁⇒自己組織化⇒創発現象。これらのメカニズムが解明され、無意識へのアプローチは益々重要視されるのではないでしょうか。

「快三昧に生きる」【23】

「快三昧に生きる」【25】

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Comment

佐藤敬子

知らない世界がすごい勢いでやってきますね。興味深いです。 

返信
myosho

いつもご覧いただきありがとうございます。
難しいように見えますが、私たちの日常と密接に関わっていることなので、私も日々学んでいます。
興味を持っていただているということは、すでに直感では感じていることなのではないでしょうか?

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