究極の低燃費・高満足

「食に頼らない生き方」
人ではまだまだ「夢」の段階を超えるものではありませんが、人間の進化としては一番大きな要素になるのではないでしょうか。ところが現在の栄養学的には決して賛成できるものではなく「むやみに減食、不食はしないように」という勧めが妥当な見解という現実です。
そもそも、現代人は食べ過ぎることで招く病気が多すぎるようです。予防医学の面からもこのテーマをもう少し研究していただきたいものです。

 もし、日本の食糧消費が半分になったらと考えると、輸入に頼っている日本の状況も一変し、日本の貿易収支は黒字に跳ね上がるでしょう。それ以上に高齢化多死社会においての老人医療支出は激減し、老人は無理矢理生かされることもなく自然なかたちで死を迎えられるシステムに変化するでしょう。
いのちの価値の内容は大きく書き換えられ、尊厳死の重要性に目覚め、逝く人も楽に、送る人も楽になるのではないかと想像します。日常生活においてさえ食費が半分になれば家計は潤い「食べるために働く」という観念は消え「楽しむために働く」という新しい価値観上で生きることが当然という社会になるのではないでしょうか。

私自身も食費のほとんどが生計を占めていたころに比べ、食費に費やす割合が70%以上減ったことにより、その分を文化的に費やすようになりました。その上ありがたいことに食への執着が少なくなると別の物欲も減り、おかげで貧乏ながらクオリティーの高い生活を送ることができるようになっています。

 もちろん食に携わっている人たちの死活問題は?となるでしょうが、これまでの「腹を満たす食」から「芸術的食文化」の流れに移行するのではないかと思います。日本の食のあり方はその方向に進んだほうが世界にも受け入れられ、質の高い食文化そのものを輸出できるようになるのではないかと思うのです。そのころには日本は日々の生活そのものが「芸術活動」になっているかもしれません。

 こうして、書きながら榎孝明さんの今回の「不食実験」がここまで考えさせてくれたことに深い感謝の気持ちが湧いています。榎さんの一石は大きな波になるかもしれません。
今回は、こういった新しいパラダイムの出現に対してただ「夢」として片づけるだけでなく、パラダイムシフト(一般化)する過程に関する理論があることをご紹介する予定だったのですが、つい脱線してしまいました。

 

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