“何があっても楽観的でいられる人に薬は良く効くんです”
12月5日の徹子の部屋は「余命3か月」と言われた映画監督の大林宣彦(79)&恭子夫妻。
骨まで転移のステージ4.余命半年。2日後に余命3か月になったという大林監督は「一言で云うと転移よありがとうです」そして「私たち表現する人間は、身の回りにあることは、みなプラスに考える癖がある。身体が暖かくなって嬉しかった。」と。
40年前に「花筐(はながたみ)」の原作者、檀一雄さんに逢い、同じよう肺癌で口述速記でこの本を書いた。親父世代の戦争の消耗品になることの、断念や覚悟というものを、戦争を知らない自分たちが書けるのか?という気持ちがあったので、余命が少ないと言われた自分の体験が映画製作に生かせると思った。薬との相性がよかった。
何があっても楽観的でいられる人には薬はよく効くんです。
人生一番好きな事をやっていれば元気!癌はいまはもうほとんどない。むしろ老いとの戦いです。
脳に転移したが、放射線で治療。癌は亡くなったが毛が無くなった。
戦争を恐れるよりも、平和を信じることが大切。
b成城大学に5年間いたが、採った単位が18単位。結局卒業まで単位は通れず。当時は「横に出る」という言い方をした中退。
恭子夫人のプレゼントした指輪が瀬戸内海の海で見つかった話。桜貝を持ち帰ろうとしたがすぐに壊れてしまうと海にかえしたら、その桜貝がまた見つかり拾ったらその下に指輪があった。
黒澤明監督の遺言で「映画には平和をつくる力がある」「400歳まで生きられれば、きっとこの世界を平和にしてみせる。映画にはその力がある」と言われ僕に託された。
25歳、出版の予告日に壇一雄は赤紙がきて、満州へいった。
自分の命ぐらいは自分の自由にいきさせてくれ!戦争の消耗品になんかは決してならないと、言えなかった時代の映画。戦争に対する怯え感を戦争を知らない人に残したい。私は思い付きだけど、考えるのは上の方(天を指さし)が考えてくれている。君はこれをやるべきだ!と好きな事をやらせてもらっている。だから好きな事をひたすらやっていればいい。「花筐(はながたみ)」(檀一雄原作)の映画の撮影は無事終了し、現在の余命は未明となりました、と語る大林監督。
以下女性自身映画作家・大林宣彦語る映画の魅力「何年かけても平和作れる」より引用 https://article.auone.jp/detail/1/5/9/99_9_r_20170902_1504336292961146
「昨年の8月のことです。映画の撮影に入る前に受けた検査結果から『骨に異常があるから、きちんと調べたほうがいい』と言われましてね。唐津の撮影現場に入って、さあ、いよいよ明日から撮影だという日に、唐津赤十字病院で念のため再検査を受けたんです。まず、異常がある骨を診てもらいと、がんが見つかった。続けて検査した大腸や胃は何も問題はなくて。最後に肺を調べてもらったら、ステージ4の肺がんだとわかった。余命半年と診断されました。それでも、撮影は待ってくれません。初日からいきなり2日間、徹夜で撮りました。そして、改めて病院に行ったら今度はいきなり余命3カ月と宣告されて。『たった2日間で余命が3カ月も減るっていうのは大変なことだぞ』と思いましたよ。ですが、自分でも不思議なほどネガティブな気持ちはいっさいなかった。それはやはり、伝えなければいけないメッセージがあるから。命懸けで撮らなければならない映画があるからなんです。僕には、大先輩から託された“遺言”があります」
映画の持つ力を誰よりも知っていたのが黒澤明監督だ。大林さんは50歳のとき、黒澤明監督の映画『夢』のメイキングを作るために連日のように、撮影現場で彼の間近にいる機会があった。『夢』は黒澤監督自身が実際に見た夢を原案にしたオムニバス映画。黒澤監督は大林さんに、映画にはならなかったがこんなストーリーを話してくれたという。
『ある日突然、世界中の人間が手にしている銃を投げ捨てるんだ。すると皆、両手が空になる。しょうがないから目の前にいる敵と抱き合う。そうすると“なんだかこのほうがいいな”と言って、世界から戦争がなくなる、そんな夢の映画だよ。世界中の人がこの映画を見て“本当だ、このほうがいい”と抱き合ってごらん。10人に1人が、いずれ100人に20人に増えて、“ああ、このほうがいいや”と思う人がどんどん増えていくよ。そういう映画を20年も30年も上映してごらん。映画を見た世界中の人がそう思ってくれたらどうだ、大林くん、そういう力と美しさが映画にはあるんだよ』
そして、黒澤監督はこうも大林さんに言った。
『しかし、平和を確立するのは時間がかかる。愚かな人間は、戦争はすぐ始められるけれど、平和を確立するには、少なくとも400年はかかるだろう。俺があと400年生きて、映画を作り続ければ世界を平和にしてみせるんだが……俺はもう80歳だ。人生がもう足りない。ところで大林くん、きみはいくつだ?』
聞かれるがまま、大林さんは当時の年齢を答えた。「50歳です」と。
『そうか、50歳か。ならば俺より少しは先に行けるだろう。そしてきみが無理だったら、きみの子どもが、さらにはきみの孫たちが、少しずつ俺の先の映画を撮り続けてほしい。そして、いつか俺の400年先の映画を作ってほしい。そのときにはきっと、映画の力で世界から戦争がなくなるぞ。だから、俺たちの続きをやってね』
「これが“世界のクロサワ”から託された、遺言なんです。そして、本当に世界から戦争がなくなったら、映画もいらないんです。皆が健康になったら医師が失業するようにね。同じように、戦争がない世界が実現したら平和を願い、平和をつくれる映画というメディアもいらなくなる。だから僕は映画がなくなる日を夢見ながら、映画を撮り続けてきたのかもしれません」
引用終わり
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