意識のちから

気になる「プライド」

優越感が幸せ?

 『男はプライドの生きものだから』ではプライドのためにうつ病にまで追いやられ、そのうつ病を自分で受け入れられない、他人には知られたくない、と苦しみを解決できない多くの男性の翻弄する痛ましい状況を訴えていました。

 一体なぜ「プライド」というトラップにはまってしまうのか?をよく考えてみました。結論から言えば、それは「ヒエラルキー思考」によるものではないかと思えてきました。支配と隷属の関係が男性の中には当たり前のように無意識に構造化され、自分の位置をヒエラルキーの一定の場所に確保し、そこから上に上がったと感じると、プライドは満足し、自分の環境の変化で下がってしまった、または他人により位置が下げられたとき、プライドが保たれない、ということなのか?と考えました。
 女性もまったくそれがない、ということではないのですが、男性のように顕著で、生きる上での最重要な問題ではないと思うのです。男性の多くは、誰かに支配されてはいるけれど、また誰かを支配している、という感覚が必要な生きものなのでしょうか?

 最近、バラエティー番組で「いしだ壱成離婚要因は妻へ7つの掟…守れないと激怒」という話題を何回も目にしました。

以下https://news.ameba.jp/entry/20171031-1141 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201710180000772.htmlより引用

いしだ壱成が元妻に課していた7つのルーティン
 
10月18日放送の「良かれと思って!」(フジテレビ系)に、2度目の離婚で話題になっている俳優のいしだ壱成が登場。番組内で、離婚の原因について語りました。 番組では、芸能人に対する世間からの様々な声が紹介されたのですが、ゲスト出演したいしだには34歳女性から「細かいルーティンを奥様に強要。まさかDV?」との指摘が。するといしだはここで突然、「私いしだ壱成は先日、2度目の離婚をしました」と発表。スタジオは一時騒然となっていました。 さらに、原因はいしだが強要していたルーティンにあったことを告白。
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意識のちから

男の人はプライドで損をしている?

『男はプライドの生きものだから』
テレンス・リアル

(その2) 

http://since20080225.blogspot.jp/2009/08/1.htmlより引用 

 

著者のテレンス・リアルは臨床心理士であり、主に家族、夫婦のセラピーを行っているという。
夫婦間の問題についての著書が多いようだ。
本書は、目次から想像できるように、男性が陥りやすい心理をテーマにしている。
男性は「男らしく」を教えられ、その男らしさがプライドに成長して行く。
そうやって生きている間にも、そのプレッシャーは重くのしかかり
そのはけ口として、アルコール・セックス・仕事・その他の中毒行為に逃げる。
男性は苦しい感情・悲しい感情・悔しい感情をダイレクトに出せない。
それもプライドの一つなのでしょうが、
男性が自分自身の「女々しい」優しさや繊細さを受け止める事ができれば何も問題はないし、
認めなくても、中毒行為に逃げなければ、うつ病の症状がでて医者にかかるようになるだろうし、
そうして自分自身と向き合っていくだろう。

この本で描かれる症例は、著者自身をも含んでいる。著者の父はとても横柄で暴力的な男であり、
二人の息子たちは常に父の暴力へどう対処するのか考えながら行動しなければならなかった。著者は父に強い反発を抱え、弟は父を単純に避けるようになった
著者リアルは20代をアルコールとドラッグに費やしてしまったという。それが、彼が自分のうつ病と戦うためにとった戦法だった。
死の危険もあった。それでもやがてセラピストを志していくわけだが、
その過程で父と対話することを試みる。
始めのうち、父は怒りと否定以外の感情を表現することを拒むが、
息子は父の怒りをというか父親をもはや恐れていない。

恐れを抱えているのは父のほうであり、息子は父の恐れをやさしく肯定する。
そうして時間をかけながら、父は息子に少年時代の苦しかった日々、
親に、大人に拒絶された日々のことを語り出す。
その苦しみを誰にも話せなかった苦しみを吐き出す。
父は世をすねて他人を見下して生きていたわけで、そんな人が老境に至り、
今までバカにしてきた息子に助けられながら、
「人生に大切なのは愛だ」「俺のようにはなるな。家族を大事にしろ」と
息子たちに言い残して死んでいくのだ。

家族の生活を無茶苦茶にしてきたことが帳消しになったりしない。
終わりよければ、という話でもない。
それでも、どんな状況でも前を向けるんだ、と素直に思いたい。
自分が無価値に感じられるという問題から目を背けると、
自分だけでなく、まわりの人々も深く傷つけるような事態を招いてしまう。
その答えが「ゆっくり生きろ」だ。

「隠れたうつ病」においては、防衛的行動または嗜癖(しへき≒中毒:引用者)行為によってダメな自分から誇大化した自分へと飛躍するが、そのどちらでもない健全な自己評価に到ることはできない。うつ病の根になっている自己の内面と向き合うことなしには、健全な自尊心を持ちえないからである。どんなにあがいても、内面の痛みを隠蔽したまま癒される道はない。[p.71] >> 続きを読む

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男はプライドで損をしている?

その1

 最近特に思うのですが、男の人はどうもプライドで損をしているのでは?と。
他界した夫を思い出しても、友人のご主人の話を聞いても、はたまた知人の生活習慣を見ても・・・・
男の人はプライドを維持していなければ生きられない。
世間の中での自分の位置、社会的存在意義、家庭的存在意義、夫として、親として等々・・・・・
それらが満足できる状況を脅かされた途端、生きる気力が弱まり、人とのつながりも遠ざけ、殻に籠ってしまう。
そう・・・うつ病状態に陥るようなのです。

傍から見ているとこだわりが過ぎる。
そう見えてもそれを言葉にした途端プライドを傷つけてしまうのです。
自分を客観的に見る、ということはプライドが許さない。
プライドとは、自分のそのままが自分にとっては完璧!という誇りで、
自分の生き方は、それなりに考え抜き、努力を重ねた結果だから。
それゆえに社会は受け入れ、家族から尊敬され,
男性社会のなかで、そこそこの位置を維持していられるという自負だから。

そのくせ、自分で決めるための決定的指針は、徹底した自分の内側からではなく、
信頼に値する権威や、社会的信頼度の高い何物かに頼った上で決定しているのだが、
それさえも自己の能力と受け止めている傾向にある。

女性だって少しはそういった部分はありますが、男性のように
プライドのために自分の内側を見ようとしないということは少ない。
なぜなら、
女性は他人の意識が気になる動物で、
他人の意識を簡単に自分に取り込むという、
男性から見ると軽薄な生き物と言われる性質を持っているからです。
もっと極端に言うなら、
男性よりも「自分がない」と言えるのかもしれません。
流行に敏感で、世間のトレンドから送れないように、
常に古い自分を解体し、新しい自分でいたい。
ということです。

但し、ほとんどの場合自己という芯になるものがないので、
男性から軽蔑される原因にもなっています。
ですが、そのことが、生きる上では結構プラスに働いているようです。
それは病気や怪我をしたときに発揮できているようです。

男性はちょっとした弱みに襲われると、すぐに心まで病んでしまう。
そこが「損をしている?」という点なのです。
女性から見ると「プライド」は人生には不要にみえるから。
なぜ、そんなに大切にするのでしょうか?
という疑問から、

今日はこのことを踏まえて、
『男はプライドの生きものだから』
をご紹介したいと思います。 >> 続きを読む

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続 “情けない”は自分で選んだ感情だった

 タイムリーな引き寄せ著書に出逢う
「人格主義の回復」スティーブン・R・コヴィーより

  療養期間中は読書に最適と、片端から再読やネットで取り寄せして読み漁っている日々。そんな中で先日からの気づきの命題にピッタリの内容を上記の著書から見つけ小躍り。これはブログにも紹介したいと続編としてお伝えすることにしました。
 “刺激と反応の間”と題する項に書かれた、ヴィクトール・フランクル(訳注:オーストリアの精神科医・心理学者)という人物の衝撃的な体験の紹介です。

以下上記著書より引用
 心理学者のフランクルは、フロイト学派の伝統を受け継ぐ決定論者だった。平たく言えば、幼児期の体験が人格を形成し、その後の人生をほぼ決定付けるという学説である。人生の限界も範囲も決まっているから、それに対して個人が自らできることはほとんどない、というものだ。
 フランクルはまた精神科医でもありユダヤ人でもあった。第二次世界大戦時にナチスドイツの強制収容所に送られ、筆舌に尽くし難い体験をした。
 彼の両親、兄、妻は収容所で病死し、あるいはガス室に送られた。妹以外の家族全員がなくなった。フランクル自身も拷問され、数知れない屈辱を受けて。自分もガス室に送られるのか、それともガス室送りとなった人々の遺体を焼却炉に運び、灰を掃き出す運のよい役割に回るのか、それさえもわからない日々の連続だった。
 ある日のこと、フランクルは裸にされ、小さな独房に入れられた。ここで彼は、ナチスの兵士たちも決して奪うことのできない自由、のちに「人間の最後の自由」と自ら名付ける自由を発見する。たしかに収容所の看守たちはフランクルが身を置く環境を支配し、彼の身体をどうにでもできた。しかしフランクル自身は、どのような目にあっても、自分の状況を観察者として見ることができたのだ。彼のアイデンティティは少しも傷ついていなかった。 >> 続きを読む

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反応を選択する力

“情けない”は自分で選んだ感情だった

    「骨折して気づいたこと」の第2弾です。

  第1弾では、突然身体機能の一部に障害を受け、制限されたことによって、普段は忘れていた生命機能が見えるようになり、「こうして人は動いているのか、こうしてバランスが保たれているのか」を気づかされ、生命の機微に改めて驚き、命という自然に対する畏敬の念をしみじみ感じている状況をお話ししました。
 それでも、紙おむつの世話になったり、思うように動けない、眠れないなどを、どこかで情けないと感じていた私なのですが、ふと気づくとその感情は自分が選択したものではないか?という想いに至りました。

 そうなんです、私を条件付けるあらゆる状況への反応は私自身が選択しているのです。つまり、“情けない”ではなく“嬉しい”を選択することだってできるのです。      現に眠れない夜が続いているとき、眠らないように指示していたのは私の意識です。眠ると筋肉が緩み過ぎてちょっとの動きが刺激となって、耐えがたい痛みに襲われるのが怖かったからです。 >> 続きを読む

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今、なぜアーレント?(6)


今、なぜアーレント?
(6)

ミグラム実験 出典日本心理学会

実験の略図  出典ミルグラム実験 – Wikipedia

験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eとグルであり、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。

「教師」はまず二つの対になる単語リストを読み上げる。その後、単語の一方のみを読み上げ、対応する単語を4択で質問する。

とにかく何でもいいのでクイズを出すわけです。「生徒」は4つのボタンのうち、答えの番号のボタンを押す。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受けた
電気ショックを受けた人の反応(指示された演技プラン)

 

電圧を上げていくと、激しく苦しむ様子を見ることになるわけです。また電圧は最初は45ボルトで、「生徒」が一問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。

 

被験者が実験の続行を拒否しようとする意思を示した場合、白衣を着た権威のある博士らしき男が感情を全く乱さない超然とした態度で次のように通告した。 1. 続行してください。 2.この実験は、あなたに続行して いただかなくては。 3.あなたに続行して いただく事が絶対に必要なのです。 4.迷うことはありません、あなたは続けるべき です。

出典blog.livedoor.jp

アイヒマンがそうであったように、権力者からの絶対的な「指示」があるわけですね。

「誰もがアイヒマンになり得る」ということを示す驚きの実験結果

 

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今、なぜアーレント?(5)

今、なぜアーレント?(5)

 第4回は、「エルサレムアイヒマン」というもう一つの著書も合わせて読み解き、「人間にとって悪とは何か」「悪を避けるには何が必要か」といった根源的なテーマを考えるという内容。

全体主義の起源」の三巻でアーレントは、ナチスの世界観がユダヤ人の虐殺を可能にしたという筋で話を展開してきたが、それを実行したドイツ人のその感覚は、どうして生まれてきたのか、絶滅計画の実務責任者アイヒマンの裁判を自分の目で見ていこう、それがユダヤ人の生き残りとしての使命だと感じてその記録を「エルサレムアイヒマン」という本にした。

 まず、そのナチス将校アイヒマンとはどのような人物だっのか?

アドルフ・アイヒマンは、アーレントと同じ1906年、ドイツの平凡な中産階級に生まれた。工業専門学校を中退した後、いくつもの職を転々とし、人員整理のために失業。すでにナチスに入党していたことから、これを機に親衛隊内部の情報機関である公安部に志願。ユダヤ人問題に関する仕事をする。そして、ユダヤ人をドイツ国外へ移住させるための交渉に力を振るう。複雑な規則を暗記し、順調に仕事を進めていたアイヒマンは、ユダヤ人移住の専門家として認められ昇進を重ねる。彼は、反ユダヤ主義に感銘を受けていたわけでもなく、ヒトラーの著書も読んだことのないただの役人だった。

 1939年第二次世界大戦が始まると、アイヒマンは新設された国家保安本部ユダヤ人課課長となる。そんな中、ナチスユダヤ人問題の最終解決を決定。アイヒマン絶滅収容所で何が行われているかを知りながらも、ユダヤ人移送の責任者としてその職務をまっとうしていく。

1945年、ナチス降伏後、アイヒマンは偽名を使って逃亡。アルゼンチンで家族とともに目立たない生活を送る。しかし、1960年、イスラエル情報部によって正体発覚。密かに拘束されエルサレムに連行される。1961年4月、公判開始。裁判官も検事もイスラエル国民、すなわちユダヤ人という法廷だった。防弾ガラスのケースの中、アイヒマンは自分が何をなしたのかを淡々と証言する。アーレントは裁判を傍聴し、アイヒマンの主張に耳を傾けた。

アーレントの記述はかなり客観的なもので、この裁判が本当の意味で近代法に基づくものではなくて、政治ショーのような色彩を持っていたのじゃないかというところも視野に入れながら記述している。

客観的に見て、自分は好きにされなくてはならない、政治ショーだとわかっている場で、有能な官僚ぶりを貫いていた。彼が証言しても“悪の権化”的なところが出てこなくて、むしろ、アイヒマンの“陳腐”、どこにでもいそうな人間が帯びている様相しか呈していない。  “命令は大きく違う? 自分の上官から言われたからやったんだと言ってくれたら、こいつは小心者だから仕方なくやったんだなという風にそれなりに納得いく話になるが、本人は別にそう思っていなくて、自分は法を尊重する市民である、誰かに従うのではなく法の根幹になっている基本的な原理に従うのだという。

それでは実際にどのような証言を行ったのか? アイヒマンは取り調べにおいてこう発言している。 >> 続きを読む