100分de名著『全体主義の起源』アンナ・ハーレント
第1回 異分子排除のメカニズム https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/69_arendt/index.html
【講師】
仲正昌樹(金沢大学教授)
フランス革命を期にヨーロッパに続々と誕生した「国民国家」。文化的伝統を共有する共同体を基盤にした国民国家は、「共通の敵」を見出し排除することで自らの同質性・求心性を高めていった。敵に選ばれたのは「ユダヤ人」。かつては国家財政を支えていたユダヤ人たちは、その地位の低下とともに同化をはじめるが、国民国家への不平不満が高まると一身に憎悪を集めてしまう。「反ユダヤ主義」と呼ばれるこの思潮は、民衆の支持を獲得する政治的な道具として利用され更に先鋭化していく。第一回は、全体主義の母胎の一つとなった「反ユダヤ主義」の歴史を読み解くことで、国民国家の異分子排除のメカニズムがどのように働いてきたかを探っていく。
第2回 帝国主義が生んだ「人種思想」
【講師】仲正昌樹(金沢大学教授
19世紀末のヨーロッパでは原材料と市場を求めて植民地を争奪する「帝国主義」が猛威をふるっていた。西欧人たちは自分たちとは全く異なる現地人と出会うことで、彼らを未開な野蛮人とみなし差別する「人種主義」が生まれる。一方、植民地争奪戦に乗り遅れたドイツやロシアは、自民族の究極的な優位性を唱える「汎民族運動」を展開する中で、中欧・東欧の民族的少数者たちの支配を正当化する「民族的ナショナリズム」を生み出す。第ニ回は、国民国家を解体へと向かわせ、やがて全体主義にも継承されていく「人種主義」「民族的ナショナリズム」という二つの潮流がどのように生まれたかを明らかにしていく。
第3回 「世界観」が大衆を動員する
【講師】仲正昌樹(金沢大学教授)
第一次世界大戦を期に国民国家は大きく没落。かつて国民国家を支えた階級社会は崩壊し、代わりにどこにも所属しない根無し草のような「大衆」が台頭し始める。そこに登場するのが「世界観政党」だ。この新たな政党は、インフレ、失業といったよるべない状況の中で不安をつのらせる大衆に対して、自らがその一部として安住できる「世界観」を提示することで、一つの運動の中へ組織化していく。「陰謀史観」や「民族の歴史的な使命」といった擬似宗教的な世界観を巧妙に浸透、定着させることで自発的に同調するように仕向けていくのだ。第三回は、ナチスドイツがどのように大衆を動員していったかを克明に分析したアーレントの記述をたどることで、前例のない「強制収容所」や「ユダヤ人の大量虐殺」のような暴挙がいかにして生み出されていったかを探っていく。
第4回 悪は「陳腐」である
【講師】仲正昌樹(金沢大学教授)
何百万人単位のユダヤ人を計画的・組織的に虐殺し続けることがどうして可能だったのか? アーレントはその問いに答えを出すために、雑誌「ニューヨーカー」の特派員として「アイヒマン裁判」に赴く。アイヒマンは収容所へのユダヤ人移送計画の責任者。「悪の権化」のような存在と目された彼の姿に接し、アーレントは驚愕した。実際の彼は、与えられた命令を淡々とこなす陳腐な小役人だったのだ。自分の行いの是非について全く考慮しない徹底した「無思想性」。その事実は「誰もがアイヒマンになりうる」という可能性をアーレントにつきつける。第四回は、「エルサレムのアイヒマン」というもう一つの著書も合わせて読み解き、「人間にとって悪とは何か」「悪を避けるには何が必要か」といった根源的なテーマを考える。
以上 https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/69_arendt/index.html より引用終わり
理解とまとめ http://sumikichi52.hatenablog.com/entry/2017/09/17/193000 より
第1回は、全体主義の母胎の一つとなった「反ユダヤ主義」の歴史を読み解くことで、国民国家の異分子排除のメカニズムがどのように働いてきたかを探っていく、という内容。
全体主義とは:「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属すべきとする思想。通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を 加えるように努める。
「全体主義」という言葉を最初に使い始めたのは、おそらくイタリアのファシズム政権とかドイツのナチス関係の知識人たちで、どちらかというと自分たちの体制のことをポジティブに表現する言葉だった、という。講師の仲正昌樹(金沢大学教授)がこの言葉を知ったのは最近で、トランプ大統領を始めとして、世界が全体主義的な流れといった比喩で聞いた、その時に、全く無知な状態で聞くと、個人主義というより良い言葉に聞こえたという。一体化したいという欲求が、実は地下水脈のようにだんだんと広まっていって、大衆が動かしていく政治運動、あるいは体制として全体主義を捉えている。
さらに、日本でも世界でも、何年か前から閉塞感という言葉をよく聞くが、その閉塞感を打ち破るために何か刺激を与えてほしいと、より強いカリスマを求めるメンタリティが高まって、日本だけじゃなくアメリカでも、ヨーロッパでも偏ってるんじゃないかと言う。
ハンナ・アーレントは、1906年、ドイツの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、自由主義的な考え方を持っていた。アーレント家は特に宗教に関心を持たず、ユダヤ人という言葉を聞くことなく育った。ユダヤ人であることはただの事実に過ぎず、社会との軋轢を感じることはなかった。アーレントがユダヤ人問題に関心を深めたのは哲学を勉強する過程で、ユダヤ国家の建設を目指すシオニストたちと交流を持つようになってから。 1933年、ヒトラー内閣が成立。台頭したナチスはユダヤ人を敵視し、状況は次第に悪化していく。アーレントはベルリンで、シオニストの非合法活動に協力したとして逮捕されるが、8日後に釈放。すぐにドイツを脱出し、フランスに逃れる。その後、ナチスドイツは1935年、ニュルンベルク法により、ユダヤ人の公民権を剥奪、さらに、1938年、水晶の夜と呼ばれた事件では、ドイツ各地でユダヤ人を迫害、翌年、ナチスのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まると、アーレントにとってはフランスも安住の地ではなくなった。ドイツ出身者は敵国人としてフランス南部の収容所に送られる。1940年、パリが占領されると、アーレントは混乱に乗じて、夫とともにアメリカに亡命。ニューヨークで反ユダヤ主義に抵抗する文筆活動を始める。そこでアーレントは、驚くべきニュースを耳にする。ユダヤ人収容所で何百人もの大量虐殺が行われたと。想像を超えたユダヤ人への絶滅計画、ホロコースト。 アーレントはそれが事実と知ると、大変な衝撃を受ける。『決して起こってはならないことが起こった』。アーレントは、つきつけられた事実を理解しようと試みる。そして、大戦終結後、ドイツに残されたヒトラー政権の膨大な資料を調べ上げ、「全体主義の起源」を書き上げた。 アーレントは、19世紀に生まれた反ユダヤ主義が、それまでのユダヤ人に対する反感とは違うものだと考えた。従来のユダヤ人のイメージは、旧約聖書でイエスを十字架にかけた罪深き民、キリスト教が禁じた利子をとって金を貸す金融業で儲けるマイノリティだった。17、18世紀に各地の王家に金を貸す宮廷ユダヤ人として高い地位を得る者も現われる。しかし、多くのユダヤ人の富は、憎悪と蔑みの対象となり、差別を受けていた。そうした立場を大きく変えたのが、19世紀、ナポレオン戦争後に生まれていった国民国家だった。
国民国家とは、言語、歴史、文化を共有する人々によって構成された国家のこと。ナポレオン戦争で敗れ、フランス人に支配された各国の人々が国民意識に目覚めていくことで国民国家が生まれた。そうした状況の中で、ユダヤ人の立場も変化する。ロスチャイルド家初代マイヤー・ロートシルトに代表されるユダヤ人銀行家が台頭、ヨーロッパ全土にわたるネットワークを築き上げる。そして、それまで差別を受けていたユダヤ人の国民にも法律上の人権が与えられた。しかし、それこそが新たな反ユダヤ主義を生み出すきっかけとなった。
国民国家がどのように出来ていったのか、ドイツ国境の変遷をドイツを例に・・
11世紀末、ドイツのルーツである神聖ローマ帝国の中には様々な文化の人々が住み、やがて、それぞれの領主が治める小さな国が数多く出来た。19世紀のナポレオン戦争で、神聖ローマ帝国は消滅。ドイツ人という意識を持つ地域の集まり、ドイツ連邦が結成。19世紀ウィーン会議後、1871年にはドイツ統一。しかし、その中にドイツ人とは異質とみなされた人々、ユダヤ人がいた。要するに、ドイツ人同士が自分たちは一緒だと確認するために、異分子(ユダヤ人)が入り込んで来ているという意識に、どうも進んでいた感じがあるのでは。
アーレントは、反ユダヤ主義についてこんな風に言っている。
アーレントは、19世紀に生まれた反ユダヤ主義が、それまでのユダヤ人に対する反感とは違うものだと考えた。従来のユダヤ人のイメージは、旧約聖書でイエスを十字架にかけた罪深き民、キリスト教が禁じた利子をとって金を貸す金融業で儲けるマイノリティだった。17、18世紀に各地の王家に金を貸す宮廷ユダヤ人として高い地位を得る者も現われる。しかし、多くのユダヤ人の富は、憎悪と蔑みの対象となり、差別を受けていた。そうした立場を大きく変えたのが、19世紀、ナポレオン戦争後に生まれていった国民国家だった。
国民国家とは、言語、歴史、文化を共有する人々によって構成された国家のこと。ナポレオン戦争で敗れ、フランス人に支配された各国の人々が国民意識に目覚めていくことで国民国家が生まれた。そうした状況の中で、ユダヤ人の立場も変化する。ロスチャイルド家初代マイヤー・ロートシルトに代表されるユダヤ人銀行家が台頭、ヨーロッパ全土にわたるネットワークを築き上げる。そして、それまで差別を受けていたユダヤ人の国民にも法律上の人権が与えられた。しかし、それこそが新たな反ユダヤ主義を生み出すきっかけとなった。
隠密の世界勢力とか大袈裟なイメージになってきたのは、弁護士とか医者、教師、大学教授にユダヤ人の割合が高く、陰に隠れて、どうも結託してヨーロッパ各国で昇りつめているのではないかと見られていた状況だったから。 そんな中、反ユダヤ主義を象徴するような事件が起こる。 1894年、フランス陸軍大尉アルフレド・ドレフュスが、ドイツのスパイである容疑をかけられ逮捕される。フランス陸軍の機密情報が記されたメモがドイツの外交官の屋敷で発見され、筆跡が似ていることからドレフュスが疑われた。ドレフュスは無罪を主張。物的証拠も状況証拠も薄弱だったが、逮捕の理由は、彼がただひとりのユダヤ人であったこと。このとき反ユダヤ系の新聞は、ユダヤ人が国家を裏切る陰謀をめぐらせていると主張。軍部の弱腰も非難する。証拠不十分のままドレフュスの判決は終身刑。軍刀をへし折られ、南米の離島へと送られた。アーレントはこの事件を通じ、国民国家に同化しようとしたユダヤ人をこんな言葉で表現した。
ユダヤの男爵というのは、銀行家などがお金で買うようなかたちで男爵の称号を持っていることが結構あった。自分はもう男爵で貴族だし、ユダヤ人のナショナリストとして自分が所属しているフランスとかドイツを愛しているんだから、そんな差別されるはずはないだろうと思っていたのが、ドレフェス事件をきっかけに、それまで築いてきたものが関係なくなってしまう。その事件の直前頃に、フランスでパナマ運河疑獄があり、どうやら、あいつら(ユダヤ人)がやったんじゃないかと思われていた時期だったので、やっぱりユダヤ人は、となった。どこかの扇動家が計画的に作ったというよりは、国民がそう信じて盛り上がってしまうような素地がすでにあったということ。自分たちとは異なる人たちを排除したいという気持ちや動きは、現代でも世界各地で見られる。社会の大多数は自分に対して共感してくれるような人たちで、自分にとって敵というのを極少数の特殊なグループにまとめて考えておくと気持ちが落ち着く。
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