「感情」は自己責任‼ 4-2

 ・潜在意識に嘘の現実を教え込まれる                                                        

 “ぼんやり脳”は‟活動脳“よりも数倍活発に働いていたことを知りました。そして、脳内で完璧なアンサンブルを奏でる、もう一人の自分(アンサンブルリーダー)が見つかったようです。

 ところで今朝、‟怒りの感情“に乗っ取られ、世間で大騒ぎしている方を憂いている私の「ひとり言」を載せました。この方もやはり、‟感情は自己責任”を忘れているのか、そもそも認識がないのか、ですね。既にお分かりのように、‟感情は自己責任”という認識は人間性形成の上で、また自己の幸福創造のためにも大変重要な「フィルター」の一つになっていることを教えてくれます。つまりこの「フィルター」如何で修羅場を招くことにもなりかねない、ということです。

 彼女にとって人間関係は「損得勘定」(敵か味方か?)で成り立っているようです。彼女は愛するということを勘違いしていた。損得勘定の上にはは成立しないということを知らず・・・・「夫の利益のために力を尽くしてきたのに、裏切られた!(味方と思っていた人が見返った)」と。でもこれも仕方ないかもしれません。資本主義という「フィルター」に侵された私たちは「自利」を追及することを教えられてきたのですから。トランプのように。そして、とよた真由子議員、稲田朋美相もしかりです。これらの社会的「フィルター」に侵されながらも私たちはそれに翻弄されない自己を見つけるしか価値ある生を生き抜く方法はないということがはっきりしてきましたね。そして、少しずつ明るい兆しも見えてきたような気もしています。

 今少し、モーガン・フリーマンの助けを借りて納得いくような方法を見つけに行こうではありませんか。(今回から私見を文中【】内に掲示することにします。書きながら最後まで待てなくてつい・・・・邪魔になったら飛ばしてください。

 

 スエーデンの神経科学者 ヘンリー・エイソンは、私たちの脳が如何にして身体をコントロールしているか正確に知りたいと思っているのです。

「見た目だけなら私も彫像もそれほど変わりません。でも私には生きている実感があり、この身体を自分の一部だと認識し、意識的な経験をしています。なぜ自分の身体だけは世界中の他のものと違い、自分の一部だと実感できるのでしょうか?その理由を知りたいんです。
 【こういった疑問は私にも同様にあり、世界中の誰もが抱くと思います。仏教はその疑問に応え「無」とか「空」を説いています。つまり“在る”という実感や認識に問題があるということで、すべてが実体のないものなのであると。私にとってはエイソンの抱く疑問のほうが共感できるのですがあなたは如何ですか?】 >> 続きを読む

「感情」は自己責任‼ 4-1

感情は自己責任

1

・潜在意識の秘める力

 それは原始的な恐怖や欲求の源でもあり、夢の源でもあります。そこにはもう一人の自分が潜んでいるのです。から始まる、モーガン・フリーン「時空を超えて」(Eテレ番組)から、これまでのテーマを探ってみたいと思います。

 先回では、「感情」と「フィルター」の関係が具体的に顕れた典型的事例を最近のニュースから取り上げてみました。そのことから「感情」と「フィルター」が私たち日常生活に密接につながっていることを知り、同時に「フィルター」如何で人生が左右されていることを、お気づきいただいたことと思います。

 とすると、このフィルターこそ、価値ある人生を創造するための秘訣が隠された重要な知的能力なのかもしれません。もしそうだとすれば、宗教の真理から離れて、その対局にある「脳」に目を向け、潜在意識の分野を探ることは的外れではないはずです。今回からは宗教が遠ざけていた科学、とりわけ「脳」の探求をモーガン・フリーマンの助けを得ながら、世界の科学者たちの理論を聞き確認して行きたいと思います。

 マーカス・レイクルはセントルイス(アメリカ)にある、ワシントン大学神経科学者。専門分野は“脳の機能”です。
「私たちは、手や足をどう動かすか記憶しています。しかし実際にはほとんど意識せずに動かしています。実は非常に複雑な動作なのに」
 レイクルは学期の演奏が得意です。□、聴覚、記憶、運動のコントロールなど、異なる機能を脳が同時に働かせるように、音楽やアンサンブルに例えています。脳の驚異とは複雑なシステムで完璧なハーモニーで奏でることができることだと言うのです。 >> 続きを読む

「感情」は自己責任‼ 3

 

「感情」は自己責任‼
自己フィルターを通した体験から生じる感情―自己のフィルターの除去は難しい―どうしたらいいの?を考えてきました。

最近のニュースより―“自己責任とフィルター”

 このところ連日世間を賑わしている、豊田真由子衆議員院議員の激高は、昨日の「ひとり言」にも取り上げました。怒りという「感情」が、徹底して部下(他者)に原因があり、その部下(他者)が責任を自覚できないために、更に怒りが増幅し、ますますコントロール不能になってしまったという状態のようですね。怒りのブラックホールに吸引され抜け出せなくなっていく典型的シンドロームを見せられているような気がします。

 このような状況は男性同士においては珍しいことではないと思うのですが、女性がこれほど怒りを露わにして恥も外聞もなく暴れ倒し、暴力沙汰にまで発展させるに至ってしまうということは、一般的女性としてはプライドに制御され、よほど品位にこだわらない刑務所の中の女囚とか、ヤンキー同士とかでない限り見られないことです。つまり、このような激高は人間としての資質を問われる恥ずかしいことであるという認識が、社会通念となっていると思っていたのですが・・・・思い違いだったのでしょうか? >> 続きを読む

「感情」は自己責任‼ 2-2

・自分の考えは正しいか?

以下“『100分de名著』 維摩経テキスト(釈 撤宗)”より引用します。

最も信頼をしていた二人の弟子に断られた釈迦は、今度は清貧生活にとことんこだわる「頭陀第一」と呼ばれる大迦葉(だいかしよう)に見舞いを役頼みます。しかし大迦葉(だいかしよう)も断ります。その理由は大迦葉(だいかしよう)が乞食(こつじき)行(ぎょう)をしていたときに、維摩にこんなことを言われたことがあったからです。
「大迦葉(だいかしよう)さま、あなたは慈悲の心をお持ちのようだ。しかし、富豪を避けて貧乏な人ばかりに施しを乞うているようですが、そこには“生活が困窮している人こそ功徳が詰めるように”という意識と、“贅沢なものをほどこされることがないように”という想いがあるのはわかります。が、すでにそこに“こだわり”が生じていることに気づかねばなりません。乞食行というものは平等に世界に立脚し、すべて自然のままに実践すべきなのです。また、乞食行はあなたの食欲を充たすために行うものではありません。受け取らないために受け取るのです。誰かに施しをもらうために、誰もいない村へ行くのです。見えるものを見ず、聞こえる声はこだま、香りは風、食物の味に区別はありません。智慧によってものごとに接触し、すべての現象は幻だと知ることが大切なのです。 >> 続きを読む

「感情」は自己責任‼ 2

  本題に入る前に、今日、一人言で紹介しました川越美和さんの「孤独死」のニュースに大変衝撃を受けました。アルコール依存症に重ね、抗うつ薬に頼る生活を続けていたとのこと、東京都内のアパートで変わり果てた姿で発見された。死因はあきらかにされず、状況から察すると、「緩やかな自殺」もしくは「セルフ・ネグレクト(自己放任)」と言ってもいいのかもしれません。多剤投与の先にセルフ・ネグレクト、自殺という悲劇が起きても、薬を処方した医師はなんら責任を負わないからです。外来に来なくなったら、それで終わり…。と書かれていました。

 一方、先日『金スマ』の番組に、貴乃花の息子、「花田優一(21歳)」さんが出演。
高校生でやりたいことを見つけるために、単身アメリカへ留学、妹が高校へ入る前に自分の道を見つけなければと。その後職人の道に憧れ、イタリアの靴職人へ弟子入り。そこで彼は日本流をやり通す。師匠になにもかも聞くことをせず、「盗む修法」を選び、最低自分の答えを持った上で、それが良いのかを聞くやり方で学んだ。これは父「貴乃花」からの教えでもあった。甚平を着て作業所に通い、同僚との飲み会にも参加せず、独り、ただ修行に励んだ。彼は言う「誰も友人がなくなると何も怖くなくなりますよ、どっぷり自分の世界に浸れるので」と。この言葉を聞いて、わずか21歳でこの境地を得るとは?と驚きました。
 「人は充実感こそ、こころの栄養となり薬となる」と私は信じています。そして充実感は他人や自分の外側から得られるのではなく、自分自身で料理するように創りだすものであると信じています。このことを端的に表すような二人の情報でした。

2-1・仏教にも矛盾があった

 さて、前置きはこれくらいにして、いよいよ維摩が釈迦の弟子たちをどのように論破し、人々を教え説いていくかを観て行きましょう。
以下は“『100分de名著』 維摩経テキスト(釈 撤宗)”より引用しました。   
 維摩が病気であることを知った釈迦は、自分の代わりに弟子を維摩の見舞いに向かわせようと考え、弟子の中のナンバーワンのづ脳を誇り「智慧第一」とも称される舎利弗に声をかけました。 >> 続きを読む

「感情」は自己責任‼ 1.

・自己のフィルター除去は難しい

2017年6月7日の一人言で「感情」は自己責任‼
喜び、幸せという歓迎すべき「感情」、また怒りや不安という好まない「感情」、そのすべてが自己のフィルターを通した体験の産物である。
2017年6月10日の一人言では、でも自己のフィルターの除去は難しい。では、どうする?・・・で終わりましたが、あらためてテーマとして取り上げることにしました。

 6月に入ってからNHK「100分de名著」『維摩経』が始まっています。このお経は、私たちが日頃から仏教や仏教者たちに対して抱きながら質問できないような疑問を、維摩という在家老人が釈迦の弟子たちを相手に次々と論破し、弟子たちはみな維摩を敬遠するという形で綴られた物語形式のお経で、それはそれはユニークで痛快極まりない内容なのです。またこの『維摩経』は、タイムリーなことに“「感情」は自己責任‼”というテーマと、みごとにシンクロしています。
 そこで、この『維摩経』をツールにして「どうする?」の答えを導き出せないかという魂胆なのです。上手くゆきましたらご喝采! >> 続きを読む

「負け犬の社会主義者」が忘れていること

『隷属なき道』(続)

終章

「負け犬の社会主義者」が忘れていること

・最後に聞きたい、どうすればユートピアを現実のものにできるだろう?

・プロイセンの政治家オットー・フォオン・ビスマルクが述べたように、「政治とは、可能性の芸術である」からだ。だがはるかに重要なもう一つの価値の政治が存在する。それは「大文字の政治」(Politics)だ。規則ではなく改革であり、可能性の芸術ではなく、不可能を必然にする術である。

・「小文字の政治」は現状を再確認するためのもの、「大文字の政治」は現状を打破して自由になるためのもの

・オヴァートンが気づいたのは、再選を望む政治家はあまりにも極端に思えるアイデアを敬遠する。権力を持ち続けるには自分のアイデアを人々に許容される範囲に留めておかなければならない。

・この「許容性」の窓に納まるのは、専門家に承認され、統計上支持する人が多く、法律になる可能性が高いアイデアだ。

・「許容性」の窓からはみ出したものは「非現実的」「無分別」といった烙印を押される。例えばテレビは異なる意見を報道する時間やスペースを持ち合わせていない。同じ人々が同じ意見を言う、メリーゴーランドのような場面を延々と流し続ける。 >> 続きを読む