快のままに

「面白がれる」

 先日2月25日(土)、東海テレビ「樹木希林の居酒屋ばぁば」という番組を観た。女優・樹木希林(74)と主婦・津端英子さん(89)が居酒屋で女子会をする。きっかけは、ドキュメンタリー「人生フルーツ」。番組の主人公の津端修一さんの妻として番組に登場した英子さんは、修一さんが亡くなってから、なぜか「居酒屋へ行ってみたい」と言い出して…。そんな話を聞いた希林さんが、名古屋の行きつけの居酒屋に英子さんをご招待。74歳と89歳がほろ酔い気分で語り合う。 その一か月後、趣味は「物件めぐり」だという希林さんが、愛知県春日井市の英子さんのお宅を訪問。今度は英子さん手作りのお菓子をいただきながら、再びばぁばの女子トークは大盛り上がり!夫のこと、孫のこと、食べ物や病気の話などなど…。人生の大先輩、2人のばぁばが本音で語り尽くす。


 

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快のままに

「日々工夫」で脳活性Ⅲ

 さて「日々工夫」についての多様な利点をお話してきました。世の中にはそのことに気づくことなく自分の生活環境を悪化させたまま何ら解決する姿勢なく生活を続けている人がいますが、「自分で考える」という習慣がついていないため、改善しようとする意識が起きない、または「仕方ない」と早々に諦めてしまう、どうしてよいかわからなくなってしまい手を出せない、といろいろなりゆうがあるようです。その結果ゴミ屋敷になってしまったという人たちも最近は多発しています。お気の毒です。
 日々「脳」を使っているか、逆に使わないようにしているかは、一見して見分けられます。先ず、モノをすぐに壊す、失くす、などが多い人は危険です。道具を使う際も、丁寧に扱い、使った後のことも考えながら使うことが「日々工夫」で、脳をしっかりつかい、考えながら行動している、ということです。
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快のままに

「日々工夫」で脳活性Ⅱ

  この原稿を書いているとき、タイムリーにTVで、岸 博幸氏(経済学者)が語っていました。「スマホは浅読み(流し読み)が癖になり、本をじっくり深読みできなくなる。そうなると常に自分で考えることをしなくなり、自分で考えることを避け、受け身姿勢となる。自分は一日1時間以上スマホを使わない。」と。また「浅読みは長期記憶に止まらない」とも言っていました。そして「大人はスマホの使用を制限すべき」ということでした。

大量の情報の中で情報中毒になるのでしょう。考えるよりも検索した方が早いからでしょうか。それ以上に新しい情報を追いかけていないと不安になるのでしょうか?言われてみると「然り」です。私もネットの文章はつい流し読みしてしまいます。気をつけなければいけないと反省しました。

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日々工夫

「日々工夫」で脳活性

  認知症は、患者だけでなく周囲の人(介護者)を巻き込み共倒れ、しいては生活破壊にまで及ぶ大きな問題となることを、今は亡き夫を通じて身をもって体験しました。最近では脳の活性を促す各種の脳トレテキストも多く提供されています。夫の場合ももちろん初期段階で任天堂のDS脳トレソフトを使ってトレーニングをしていました。その時感じたのは、はじめの2~3回は物珍しさで面白いのですが、そのうちトレーニングを重ねていると“あまり面白くない”となり、義務的にトレーニングをするようになります。その結果次第に回数が減り、まったくDSに触れないようになってしまいした。

 後日ふり返ってみると、夫は「考える」ということ自体を「仕事」にしていたような気がします。少なくとも「考える」ことを楽しんでいたようには見えませんでした。できるだけ考えないように、できるだけ“ボーッとしていたい”、というのが晩年の姿勢だったように見えました。
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快のままに

「我慢大敵」
 
常識的に「仕事というものは、楽じゃない」と考えられているようなのですがその常識を「そうだ!」と賛成できない声が内側からこみあがって、本当にそうなの?と言いたくなってしまうのですが・・・・・?
というのは、私自身は「仕事は楽じゃない」という想いで仕事をしていないような気がするのです。“仕事を楽に仕上げる”ことへのプロセスは面白く、それなりに仕上がると痛快極まりない感覚に浸ることができます。それはゲームと同じような感覚です。 >> 続きを読む

快のままに

『人を超える存在』への疑問(続)

神が禁じた『快』 
Topページ“このサイトについて”の中で触れた疑問について、そこでは『神』が人を不完全にしているのではないかという疑問を提示しました。更にここでは神によって禁じられた『快』についてお話したいと思います。

中尾弘之「快の行動科学」のなかで、“行動の最後の目標”として「快を求め不快を避けることが究極的にすべての行動を決定する価値観になるのであり、人の行動はすべて快を目指す」と言っています。 >> 続きを読む

快のままに

オアシス

長期に滞在した人が『ここはオアシスだね!』と言ってくれたとき、私も『そうだ!』と思いました。実際特になにもないのに日常的に「いいな~」と想うことが多いのですから。

起きても『気持ちいい~~』と想いながら目が覚め、散歩してても、外仕事をしていても、家の中で台所に立っているときも、くつろいでいるときも、デスクワークをしているときも、夜も昼もいつも、いつも「いいな~~~」とひとり言がつい出てしまいます。

もちろん、時々無理をしちゃったときなど「いいな~~~」を忘れてしまっているときもあります。せっかくすばらしい環境の中で暮らせる有り難さも、そんなときには忘れてしまっています。

 こころが疲れると忘れることがあるようです。何となく疲れたと感じるときは、のんびりゆったりに浸り、時にはウトウトと昼寝をしてしまうこともあります。そのあと「いいな~~~」を思い出し、元に戻って「あ~忘れていたな~」と感じるのです。忘れてしまうと、忘れていることすら思い出せないということに気づくのです。

 海外を旅したことがある人は、日本の治安の良さを改めて再認識した経験をお持ちのことと思います。治安が悪いということは、常に警戒心をもたなければなりません。それは緊張、怖れ、心配に脅かされながらリラックスできる時間が少なくなるということです。
私も日本に帰ってそんな不安や緊張が一挙にゆるんで安心をもたらし、ホッとしたことを思い出します。

 環境の恩恵、家族の恩恵、親しい人たちの恩恵、社会の恩恵など、私たちは当然あって当たり前のものをもう一度この機会にあらためて認識し直す必要があるのかもしれません。