通念・常識に操られやすい日本人

日本中が10年に一度と言われる強烈寒波に襲われ、寒さ対策をTV各局の番組が取り上げるようになりました。
この寒さ対策や、住宅の断熱などに注目されたことで、日本の住宅の『冬季の室温』について触れられ、日本の住宅の多くはWHOの推奨する室温18℃に満たされていないことがわかりました。 

WHOでは、冬期の室温18以上を確保することを推奨しているが、日本の住宅の多くがこのレベルを満たしていない懸念があることが、(一社)日本サステナブル建築協会の調査で明らかになった。(一社)日本サステナブル建築協会が調査報告  Avatar photo  Housing Tribune 編集部・中山

WHOでは、冬期の室温18℃以上を確保することを推奨しているが、日本の住宅の多くがこのレベルを満たしていない懸念があることが、(一社)日本サステナブル建築協会の調査で明らかになった。(一社)日本サステナブル建築協会は、「住宅の断熱化と居住者の健康への影響に関する全国調査 第5回報告会」を開催した。

同協会のスマートウェルネス住宅等推進調査委員会では、国土交通省からの支援を受け、断熱改修前後で居住者の健康状態などがどう変化するのかといった調査を進めている。
2019年3月末までに4147人、2318軒の改修前における健康調査を行い、2020年3月末までに2323人、1303軒の改修後の健康調査を行うなど、世界的に見ても類を見ないほどの大規模な調査になっている。
第5回報告会では、断熱改修によって住宅の温熱環境が改善されることによって、血圧の上昇や血圧変動性の抑制、過活動膀胱・睡眠障害などの改善といった効果を得られることなどが報告された。

また、改修前の住宅のほとんどが、WHOの推奨する冬期の最低室温18℃という基準をクリアしていないことも分かった。

WHOでは、居住者の健康被害を予防する観点から、冬期の室温を18℃以上に保つことを推奨しており、小児・高齢者はもっと暖かくすることが必要であると指摘している。
しかし、同協会の調査結果によると、在宅中の居間の平均室温が18℃を下回る住宅が全体の59%もあったという。在宅中の最低室温では91%の住宅で18℃を下回っているのが実情だ。最低室温の平均値は12.6℃となっている。

こうした状況を招いている要因のひとつが住宅の断熱性能不足だと推測でき、スマートウェルネス住宅等推進調査委員会の村上周三委員長は、「日本の住宅は量的には充足しているが、質的にはいまだに十分なレベルに達していないと言わざるを得ない。その結果、居住者にネガティブなど影響をもたらしているというエビデンスが、我々の調査結果から明らかになっている。こうしたエビデンスを広く発信し、日本の住環境に対するパーセプション・ギャップ(認識のずれ)を是正していくべき」と指摘している。

日本の住宅、WHO推奨の最低室温に満たないものが多数 (sohjusha.co.jp)

海外から訪れる人たちの間では“日本の家は寒い!!”という定説があると言われています。最低室温平均が12.6℃では、寒いはずですよね。
その原因を探ってみると「冬は寒いもの、気合だ!!」「むしろ子供は冬でも半袖、半ズボン!!」といった風潮が最近まであって、その根底には日本人の『我慢強さ』を美化した日本文化にあることがわかりました。


当サイトでは、再三再四、社会通念を話題にし、そういった認知バイアスによって、苦悩を強いられてきたことに触れてきましたが、今回のWHOの指摘により偏った日本的通念「我慢強さの価値観」が浮き彫りにされました。

健康の面からも「体が冷えることによる障害」は、すでに専門家によって指摘されていながら、気合や根性論の習慣はまだまだ日本人の脳に定着したまま忘れられていないのでしょう。

その上、住宅様式は畳から西洋文化を取り込んだフローリングに変わり、椅子に座る生活になってから、コタツが不用になってしまいました。足元暖房を施さないまま冷えたままの生活をしている家も多いようです。

日本人的には、「強い身体は強い精神に養われる」という常識がいまだにはびこり、高齢者の住まいですら、暖房を我慢し、寒い部屋で厚着をし、靴下を何枚も重ね履きし過ごす人が多いのです。

それ以前に家屋の断熱に心を配ることをしない、「家を建てるなら夏基準」とい常識があるそうです。

夏基準の家ですから、冬は寒いのは当たり前、冬の寒さには精神で耐えられるが、夏の暑さには精神ではやり過ごせないということでしょうか、

それにしても、今では断熱材も豊富に出回る世の中になって、まだ「我慢の価値」が存在し、寒いことを甘受する思考、価値観には驚きです。

都会では気密性を重視するため、それほどでもありませんが、地方では気密性などとは程遠い、開けっ広げた部屋に小さな暖房器具が一つ(昔は火鉢や囲炉裏だったので、その代替えとして)という家がまだまだ少なくないようです。

結婚後初めてお正月の里帰りで夫の家に行って、あまりの寒さに驚いたお嫁さんも多いのではないでしょうか。

お嫁さんだけでなく、息子さえも、都会の高気密住宅で、夏は涼しく、冬は暖かに過ごした経験があると、たまに帰る田舎の実家は寒さに震えるところとなり、あまり帰りたくないという若者たちもいるように聞きます。

それでも息子たちは、そんな寒さをモノともしない両親の強健な精神に敬服していることでしょう。それこそ幼いころから学習した「通念」に、脳は侵されているといえます。

都会だってすべてが高断熱、高気密住宅とは限らず、安アパートや低コスト普請の住宅にあふれています。そこに住む人たちは必ずしも、皆が高気密高断熱住宅に憧れているとは限らず、僧院の修行道場のような家屋に憧れる人も多いのではないかと感じています。

「我慢強さ」は日本の誇り文化になっているのでは?
一事が万事この価値観の根によって、日本人は生きられているというのが実態と感じています。

徳川家康は遺訓として、「人の一生は…」で始まる、次のような人生訓を残した。

人の一生は重荷を負(おい)て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。

— 東照公御遺訓 この意味を現代日本語で書くと、おおよそ次のようになる。

「人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由な状態が当たり前と思えば、不満は生じない。心に欲望が起きたときには、ひどく困っていた時のことを思い出すことだ。がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎であり、「怒り」は敵と思いなさい。勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。自分自身(の考え方や行い)について責(せ)め、反省すべきであり、他者を責めてはいけない。足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。」

「人生訓(じんせいくん)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

日本人の心は概ねこのような理念を理想として生きていると考えられるのではないでしょうか。
このような思考がが『堪忍』という言葉を生み、忍耐の美徳を生んだのでしょう。

堪忍とは
1 怒りを抑えて、人の過ちを許すこと。勘弁。「悪かった、―してくれ」
2 肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。我慢すること。忍耐。
「且 (かつ) 力を尽し且―して時節を待つ可きなり」〈福沢・学問のすゝめ〉

堪忍(かんにん)の意味・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書


日本では我慢と忍耐が美徳とされ、日本人が根性論を好む理由
52歳のクローゼット点検 | しあわせの風 le vent du bonheur

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日本人が根性論が好きな理由の5つの仮説

1「日本人は権利意識が低いから、とする説」
社畜…自分の頭で物事を考えず、会社に人生と魂を売った状態 | エリアブルー
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年上の人間と年配者を敬う儒教的な観念が日本文化に根付いているためか、年長者の言う「根性論」に若者は従い続け、日本には権利意識があまり根付いていない。

「義務を果たす前に権利を主張するな」という日本のあちこちで聞く言葉は、日本人の権利意識の低さを象徴しているように思われる。たくさんの汗を流してまず義務を果たすことをしないと、権利すら認められないということだ。

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。

2「日本人は問題に際して、感情を排した合理的な思考法が苦手だからとする説」

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「日本人には、感情論抜きで問題をシステムの欠陥と見なして、システムを改善していく能力に欠ける」という意見がネット上にはよく見られる。

仮に「日本人には、感情論抜きで問題をシステムの欠陥と見なして、システムを改善していく能力に欠ける」説が正しいとすると、日本文化に根性論がはびこっている理由に綺麗に説明がつく。

そのシステムの欠陥や、その人の抱えている複雑な事情を理解できなくても、「できないのは根性が足りないからだ!」の一言で済ませられる。

この便利さのせいで、多くの人に根性論が好まれる。

日本企業にはびこる無理な長時間労働や過酷な量のノルマをこなすには「根性でやれ!」という根性論が昔から正しいとされている。

構造的に無理があるのにそれがいつまでも改善されない本現象を裏返せば、

「日本人には、感情論抜きで問題をシステムの欠陥と見なして、システムを改善していく能力に欠ける」ことの証拠であるといえる。

その問題・そのシステムの欠陥をどうやって解決すればいいのか分からないので「頑張れ!」「もっともっと頑張れ!」「根性が足りない!」という具体性を欠いた根性論しか提案できない可能性がある。

3「海外と日本の『宗教性の違い』とする説」

海外で主流のキリスト教やイスラム教の考え方
自分の力を過信せずに、神にゆだねよ

日本に昔からある神道や仏教の考え方
神仏への祈りの意味はただの願掛け程度で、最後は自分の力で何とかせよ

日本の文化の根底へ影響している神道・仏教では、「自分のことは、神に頼らずに自分で何とかせよ」という考え方だ。そして、この考え方は根性論に近い。

このような考え方の神道・仏教の影響を受けた日本文化で、根性論が根付いてしまっている可能性がある。

日本では我慢と忍耐が美徳され、日本人が根性論を好む理由 | エリアブルー (areablue.jp)

 

“この世で一番難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることだ!!”
ジョン・メイナード・ケインズ 1936年

日本人の根性主義が捨てられない理由も、ケインズがいうように、躾とともに、親の価値観を脳に叩き込まれ、しみ込んだ古い考えを払拭することはなかなか難しいのかもしれませんが、若い脳を持つ諸君は親や祖父母からの古い考えに操作されていないか、そのために苦悩を諦めてしまってはいないか、せっかく得られる幸せを手放してしまってはいないかを、今一度立ち止まって考え、自身の未来のための選択に役立ててほしいものです。

極端かもしれませんが、私たちは育てられる過程において、多かれ好かなかれ、親、親族、世間の常識・通念といったものによる洗脳を受けていると考えたほうがよいと言えるかもしれないのです。

ちなみに、私は『我慢大敵』という言葉をモットーとして生きています。

この語源は『油断大敵』ですが、油断よりも『我慢の美化』から逃れるために、家の中心の柱に『我慢大敵』の文字板を取り付け、訪れる人たちへのアピールとともに、自己の無意識に宿った幼いころからの記憶への抵抗と思考転換を図っていました。

お蔭で、今では「我慢の美化」という思考からは遠く離れ、自分自身を誰よりも大切にいたわり、自分の心身が喜ぶライフスタイルを構築することができました。感謝、感謝の毎日です。

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