“神秘・超存在”パラサイト民族

 

日本の闇部・疑似家族(カルト教団)に魅せられカモられる日本とは?

信仰というのは本来依存的なものではなく主体的なものです。
経典や教義をちゃんと理解した上で、それを信じれば、自動的にそうなるはずです。
そのような宗教においては、私たちの生活に有意義な働きをもたらし、人間を高度な智慧の持ち主に進化させるでしょう。
本来宗教を紐解くと、哲学、心理学、物理学、情報科学(AIニューラルネットワーク)といった分野ともシンクロするエビデンスを残す可能性のあるものと私は解しています。

ところがカルトのやっていることは、まったく逆。信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない人間を、日々組織的に生み出し、カルト組織の兵として訓練され、外側社会から(人、モノ、金を)奪いながら集団の拡大を図る。まるで詐欺集団ではないかとさえ思われてなりません。

つまり人間社会において、そのような宗教集団の存在は有害この上なく、もっと言えば「神の国を創る」ための国家転覆をはかる侵略集団といえるのではないでしょうか。

「神の国を創る」という明確な目標を基に文鮮明と集団行動をもって人生の道とする。
旧統一教会はそういったスタンスで、信者に教団への帰依を強制し、帰依する喜び、帰依する使命感、帰依することで得る自尊感情、更には集団外との差別感、優越感を植え付け洗脳してきたことがだんだん見えてきました。
信者たちはもはや日本国民というよりも、教団の指針、世界統一「神の国」創造部隊となり、神の国の民という意識が強く、すべてを捧げて一丸となって戦い続ける、といった様相が露見されたのです。
教祖、文鮮明を父とし、その妻、韓鶴子を母とする巨大家族を形成。信者たちは家族の一員として教会を支え、偉大な目標(「神の国を創る」)に向けて日々努力を重ねる。一種の民族思想にまで昇華されるほどマインドコントロールが行きわたっています。

世界を統一して一つの家族に纏める。この思想が「世界平和統一家庭連合」の教会名に表されています。
旧「世界基督教統一神霊協会 」

改名以前にはキリスト教系の基督教と神霊という神格を強調するような名称だったのですが、文鮮明の霊能力でキリストから託された感を強調したかったのかもしれません。

このようなマインドによる国家転覆、日本侵略を図る統一教会系集団に、政治家までその餌食となり、カモとされていることに気づかない面々に、開いた口がふさがらないとあきれ返っている私たち第三者ですが、そんなオブザーバーに留まっている場合じゃなく、私たちが選挙で選んだ国会議員たちが、まるで教会側に加担する行為をしながら平然としているのですから、見逃すわけにはいきません。

そもそもことの発端は50年以上前に遡り、第2次世界大戦後に、真逆の「共産主義による国家転覆」を恐れた極右派の面々が「勝共連合」を造り、政財界のドン「笹川良一」をトップに据えて活動を始めたときの最大の協力者が旧統一教会だったとは皮肉なことです。

そして「勝共連合」という共通項を掲げて日本の政界と手を組んだはずの統一教会ですが、教主文鮮明は、共産国家、北朝鮮を訪れ金正恩と握手し仲良くしている。

一体、どんなビジョンなのか、まったく一貫性、整合性のない行動にも、日本の政界人たちは何の疑問も持たず、ただ自己の選挙の有利性だけで統一教会とつながり、関わっていない他の自民党幹部までもが、排除することに腰が引けている状況です。

統一教会は、そんな警戒心の欠片もない政治家を操って日本侵略を着々と進める。要は「神の国」を造るための大義の陰に悪を隠し、いろいろな方便を駆使しているとしか考えられません。。

オーム真理教の「ハルマゲドン」の後に世界征服を果たし、神の世界に麻原が君臨する。というロジックと全く同じで、大儀名分の基に、大量殺戮(悪を滅ぼす)を正当化した過程と重なります。

このように韓国宗教集団の餌食、カモになってしまう、信者(および政財界、一部の文化人)たちの背景に、日本人のパラサイト気質があり、どうしても無意識にその気質にコントロールされてしまうという、言い換えるとシンドローム傾向があるのではないかと思ってしまうのです。

日本人にとって、神秘(=カルト)への憧れ、霊能力、超能力、そして神の啓示を受ける人、霊の見える人などは大好きで、霊能力者、超能力者として崇め近づきたいという想いを持ちます。もちろんそういった人たちは人格者であると信じてしまい、神の言葉を聞ける人に自分を託したいと常日頃から希求してやみません。これこそパラサイト気質から生ずる結果です。

実際には霊能力者、神秘体験者が人格者であることとは別の問題で、むしろ非人格者であることも多いということを認識している人は少ないのです。
「オーム真理教」の麻原彰晃などはその代表です。ほかにも家庭の平和と幸福を第1としていたにもかかわらず自己の家庭崩壊を見せた「幸福の科学」大川隆法もしかりです。
それでも離れない信者たちがいるのです。

占い、お守り、お札、更にはパワースポット巡りなど多くの日本人が好む、神秘 依存現象です。

つまり、日本人は超能力依存によって、不安を解消する手段を探し求めているといっても過言ではないかもしれないのです。

言い換えれば精神的自律のできない、“神秘・超存在”パラサイト民族ともいえるような気がします。ただ韓国のような、経済的パラサイト(富裕者へ依存する)は基本的には許されていませんが、家族間パラサイト(シングルパラサイト)は社会的問題になっている現象で、オッサンになっても親の年金で生活しているニートは、問題となっています。

そこまでいかなくても、20歳過ぎても親の脛をかじる若者は少なくありません。
この問題は親たちの価値観「親が面倒みられるうちは、やってやりたい」という心情が原因で、子供がそれに甘える図式が多いのではと感じています。

親の意向が子供を巣立たせない、そして巣立つ能力が養われずそのまま年を経てしまう、ということになっているようです。

そういった日本人気質が米国依存、属国体質の源となっていると考えると納得できます。

そして、自民党保守派(極端な国粋主義者)たちが、強い宗教依存を示すのも、神の存在を強く信じ、帰依する姿勢、敬い奉る姿勢が、日本人のそういった“神秘・超存在”パラサイト気質によるのかもしれないと思うのです。“超存在”は時には人間が造り出した架空の存在であることも多々あります。

またこのようなパラサイト傾向の強い日本人は、それにより他からカモにされやすいということもあって、統一教会に信者、政治家が利用され現在のような事態を招いています。

1995年3月 「オーム真理教信者による地下鉄サリン事件」。
当時、統一教会の霊感商法が問題視されている中、この事件のおかげで国民の目はオームへと向き、霊感商法は忘れ去られてしまいました。

麻原に引き込まれた教養高い若者たちも、やはり「超存在・神秘現象への依存」が原因でした。未だに麻原の教えから解放されないまま「アレフ」はカルト集団として信者を増やしています。

脱麻原をうたって、元オーム信者のつくる「ひかりの輪」においても、カルトからは脱却したとは言っていますがパラサイト気質がなくなったわけではないように思います。被害者への賠償責任といった大義名分の基に、科学や哲学による教えの世界観を共有する集団に居場所を確保している様子は、自立と主体性・多様性・個性尊重といった一般社会人のライフスタイルには見られない、連帯の共依存(疑似家族的依存)関係という、他の宗教集団にも見られる現象からは脱却していないように思います。

宗教は「信じる」・暮らしは「考える、自主自立」という二項対立のどちらに属しているかは一目瞭然ではないでしょうか。「信じる」と「考える」は対立して交わらないものです。

逮捕された山上徹也容疑者(41)は、母親が帰依した旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に強い恨みを抱き、「安倍氏を襲えば教会に非難が集中すると思った」と奈良県警の調べに供述した。教会への多額献金と生活困窮、そして家庭崩壊-。動機形成に重大な影響を及ぼした母親と教会との関係は、いかなるものだったのか。

「トップクラスの優良な信者なのではないか」

母親の教会での地位について、教会側によると、母親の入信は平成10年とされるが、山上容疑者の伯父(77)の記憶ではそれより7年早い同3年ごろという。夫の自殺と長女(山上容疑者の妹)の出産、小児がんを患っていた長男(兄)の開頭手術など、人生の困難が次々と降りかかった時期と重なる。

中略
不幸な境遇からいったん「救済」された後に信仰を捨てるのは、信者の間では大罪とされるといい、不幸の再来を恐れる心理が脱会を難しくする。

伯父によれば、母親は同6年までに、夫の死亡保険金など約6千万円を教会につぎ込んだ。《オレが14歳の時、家族は破綻を迎えた》。山上容疑者のものとみられるツイッターの投稿にはこんなくだりがあるが、時期的にも符号する。

母親はその後も、相続した不動産の売却代金など約4千万円を献金したという。山上容疑者ら家族を顧みず、1億円を超える金額を注ぎ込んだ結果、14年8月に破産している。

中略
それでも脱会はしていない。このころ、山上容疑者の兄から「食べるものがない」と助けを求められた伯父は、資金援助のほか缶詰などを差し入れたこともあった。海上自衛隊に入隊した山上容疑者は17年1月に自殺を図り、自らの死亡保険金を困窮していた兄と妹に受け取らせようともしたという。

失いたくない教会内での地位
それでも母親が教会を優先したのはもう一つの「家族」があったからではないか(東北学院大の川島堅二教授(宗教学))。それは信者間の濃密な人間関係だ。悩みを抱える者同士が弱みを打ち明け、共有しあう。「一種の疑似家族だ」と川島氏。母親は親族ら周囲の人間にも「霊を慰めなさい」と献金を迫って次々と疎遠になったが、本当の家族が離れていってしまった場合に、信者同士の連帯がこれに置き換わることで、ますます教会にのめりこむ結果になる。

この過程は、家族を捨てて入信したオームの出家信者たちと酷似している。

17年1月に山上容疑者が自殺を図って入院した際、母親は教会の聖地がある韓国に40日間の日程で渡航していた。川島氏はこの事実に着目し、「高額献金者であれば、聖地で好待遇を受けたかもしれない。脱会すればその地位も失う。受け入れがたいだろう」と推測。「精神的にもそれ以外の面でも、長くいればいるほどやめる選択肢が狭まっていく」と指摘した。

家庭崩壊も母は脱会せず、深めた「疑似家族」との関係 – 産経ニュース (sankei.com)

日本人の依存症(集団・カルト・神秘・超存在等々)。
やはりどうしても自主自立自尊の精神が薄弱な民族意識がそうさせるのでしょうか?
そのことが「考える力」を奪い、警戒心を欠き、簡単に騙され、利用され、カモにされてしまうとしたら、日本人のそういった体質を練り直す教育が必要なのかもしれません。
いったん関わると一般社会の世界観とのズレに溶け込めず、「疑似家族」の温もりと、集団内で得られる自尊感から抜けることは至難の業と化してしまうでしょう。
宗教に関わる時点で、見抜く力、読み解く力、人間力リテラシーともいえる能力は、すべての人に必要不可欠なものということを肝に銘じて養うべきと思います。その上で「信仰の自由」は功を呈するのではないでしょうか。

そのような能力が備わっていれば、そもそも自己の人生において「救い」が必要になるような事態を回避する術(人生の曲がり角を見分ける智慧)が備わっていくような気がします。たとえ見誤ってゆくべきではない道に入ったとしても、すぐに引き返す自己コントロール力が働くことでしょう。
そのような、人生にとって一番大切な能力を、学校では学ぶことがなく、教師すらも身に着けていない日本において、今回の安倍元総理の殺害事件は、根本的認識改革に向かうべききっかけとなることを祈ってやみません。
人間力というと、あまりにも漠然としているので、まずは「メンタルリテラシー」を必須科目にするだけでも、心をコントロールしながら「考える力」が養われるような気がします。ただし、教える教師側からの教育が必要でしょう。

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