「安部元首相銃殺事件と統一教会」二つの疑問

事件から3週間が過ぎ、容疑者の動機・旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)との関連が明るみに出る中、反社会的カルト集団と安倍晋三という自民党大物政治家による、票集めのための教会依存、教会忖度、教会繁栄に寄与するなど、これまで全く知らなかった国会議員及び国政に関する思いもよらないような汚染が次々と露出されています。

しかもその歴史は長く、安倍晋三の祖父、岸信介の時代(1950年前後)から延々と受け継がれている癒着だったのです。

報道各社の記事をフェイクかどうか精査しながら、あまりにも酷い実情に触れて、正直日本の政治体制への不信は募るばかりでした。

今回の参議院選挙においても、落選ラインにいる候補者への票配分が、安倍元首相によってなされていたことも報道されています。

「文尊師は誠実な男」 岸信介が統一教会トップを賞賛した“異様”な機密文書)では、安倍晋三元総理の祖父・岸信介元総理が1984年、当時の米大統領に宛てた文書で、統一教会の開祖・文鮮明を称賛するとともに、当時アメリカで逮捕されていた文鮮明の釈放を求めていたことを報じた。しかし、統一教会の影響力は安倍家のみならず、自民党議員の多くに及んでいる。その中には、現役の大物議員の名も――。

山上徹也容疑者(41)の凶行の背景には、安倍晋三元総理と統一教会の関係があったことはすでに知られている。今回ご紹介する機密資料は、安倍元総理の祖父・岸信介元総理が1984年に当時の米大統領、ロナルド・レーガンに宛てた親書。一族と統一教会の深い関係を物語る“異様”な文書の内容とは――。

「文尊師は誠実な男」 岸信介が統一教会トップを称賛した“異様”な機密文書(デイリー新潮) – Yahoo!ニュース

自民党議員の実名も、伊達忠一前参議銀議長・細田博之現衆議院議長・岸信夫防衛大臣(安倍晋三弟)・二之湯国家公安委員長・末松文科大臣・小鑓隆史・宮島喜文

「旧統一教会」 自民議員と関係続々 安倍元総理に票の割り振り依頼も(テレビ朝日系(ANN)) – Yahoo!ニュース

その他、磯崎官房副長官・平井卓也前デジタル大臣・田畑裕明(安倍派)総務副大臣・古田岐阜県知事なども・・・

銃撃男の母「統一教会に申し訳ない」 “政治と宗教”問われた公明副代表は?(日テレNEWS) – Yahoo!ニュース

それでも、テレビのコメンテーターたちは、すっかり及び腰で、曖昧な態度でお茶を濁す有様です。
このような現実を見ながら、「それはダメでしょ!」とはっき言えない、むしろ「何がダメなの!」という顔を見せる人々の心情に疑問を感じました。

福田総務会長は「何が問題かよくわからない」と発言

自民党の福田達夫総務会長は、旧統一教会と党の関係について聞かれ「政治活動に大きな影響は与えていない」との認識を示した。

福田赳夫元首相は1974年、旧統一教会の創始者・文鮮明氏の晩餐会に出席。祝辞で「アジアに偉大なる指導者現る」などと述べたとされている。

「創価学会は許すの?」公明党市議が旧統一教会系イベント出席…岸防衛相は「霊感商法」知りつつ選挙支援 政界とのつながり続々 (msn.com)

もう一つの疑問は、山上容疑者の母親が「統一教会に申し訳ない」という言葉。この期に及んでもなお統一教会への帰依が強く、息子の心配よりも教団への気遣いでいっぱい・・・

まず最初の疑問それは「反社会集団との癒着に問題を感じない」ということの背景。

このことで思いついたのは、戦前から続く日本的価値観「清濁併せ呑む」を政治家像に例えるという事実です。また、表と裏(本音と建て前も同様です)を使い分けてまい進していくイメージのある政治家を語る時に「清濁併せ呑む」がよく使われます。「清濁併せ持つ政治家が真の政治家である」とは、よく言われることです。

しかし、「理想を掲げつつも「清濁併せ呑む」といった大きな度量を持つ政治家が求められる」という論調には、「矛盾」が示されています。「理想を掲げつつも」の表現には、表に掲げた理想とは別に、裏では理想に反することも平然と行えることが大きい度量であるとの意味が含まれています

「清濁併せ呑む」の対義語は「勧善懲悪」

「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」とは、善良な行いや善人を奨励して、悪い行いや悪人を懲らしめることをいいます。善悪をはっきりと分けて、悪を排除するという意味で、「清濁併せ呑む」の対義語と考えることができます。

「清濁併せ呑む」と「清濁併せ持つ」とは意味が違ってきます。

前者は「大海」を想起する言葉で、受け入れながらも浄化すような意味合いがありますが、後者は「善も悪も持ち合わせた人」というような意味で使われます。

「必要悪」を認め、時には「嘘も方便」のように、悪に傾倒すのも大儀のためには必要である、というような解釈です。

そのため、日本では「勧善懲悪」や「理想家」を未熟視する傾向があります。特に「勧善懲悪」は物語・ドラマ・芝居の中でのことで、それを好む人を蔑視することがあり、このような人を指して「青い」と称します。

「青い」は青二才の略で「お尻が青い」から「蒙古斑がある赤ちゃん」を意味する言葉です。

半人前・ガキ・大人になり切れていない、ということで、「未熟」を強調した言葉として日本では昔から使われています。特に理想を掲げて真正直に行動する者への嫌味として放たれることが多いと思います。

つまり日本においては、大人の条件として、「清濁併せ持つ」こと、そして「酸いも甘いも噛分ける」こと、これこそが大人としての条件とみなされています。

なぜなら、「世の中綺麗事では何もできない」という常識だからです。

これは「海千山千」とも通じる言葉ですが、「海千山千」は世の中を知り尽くし、ずる賢くふるまう人の例えでもあります。

ただ「清濁併せ持つ」ことと同じような意味でありながら「海千山千」は批判的に使われることが多いようです。

つまり、「ずる賢さ」の要素を含みながら「清濁併せ持つ」は政治家の理想像として浸透しているといえるのです。

このような常識(価値観)・観点から、福田総務会長の「何が問題なのかわからない」発言が出るのではないでしょうか?

有田芳生氏 旧統一教会へ無責任発言の自民・福田総務会長をバッサリ「政治家失格ですね」(東スポWeb) – Yahoo!ニュース

有田氏も「戦後史のなかの統一教会を知らなくても仕方ないともいえるが、1970年代以降に社会問題となった霊感商法=統一教会を知らないとは、政治家失格ですね」とツイートして呆れるばかり。さらに福田総務会長が福田赳夫元首相の孫ということから「福田赳夫大蔵大臣は、1974年に文鮮明教祖を絶賛していた」と指摘した。

さまざまな疑惑が浮上しているにもかかわらず、26日には茂木敏充自民党幹事長が「自民党として組織的関係がない」と話して炎上するなど、先日の参院選で勝った自民党議員が連日のように火だるまになっている。

東京スポーツ

もしこのような常識(価値観)によって政治が行われているとしたら、私たち有権者は今後どのように判断するか、よく考える必要があるのかもしれません。

一方、このような善悪をはっきりさせることが「綺麗事」というのが常識なら、善とか悪とかという概念をなくしてしまう方法もあります。
ただし、そうなれば、騙されても自己責任になり、はっきり諦められる反面、警戒心を強くしなければ生きてはいけず、人と人の断絶が生じ殺伐とした人間関係になるでしょう。

もとはといえば、信者たちの警戒心のなさに付け込まれたわけですから・・・・

末端の善良な国民は、社会的上級者たちが、まさか騙しの手口と甘言を使い分けて近づいてくるなど思いもよらないことです。ましてや政界の大物がその手口に手を貸して広告塔を担っているなどは、もってのほかです。騙されて反社会的集団のイメージが払拭されるのも当然のことといえるでしょう。

他人事ではなく、明日は我が身の重大問題と考えなければならないでしょう。

穏やかな生活のための、社会の在り方について一人ひとりが真剣にアイデアを出せる場がほしいですね。→PoliPoli(24歳の若者が政策共創インフラを作りました)

もう一つの疑問それは、「反社会的カルト集団に侵された人の心情」です。

「サタンへの恐怖心」から献金してしまう

「私自身も、統一教会の『信仰二世』です。母親(70代)が’90年代に入信しました。私も子供の頃から教団施設に連れて行かれ、統一教会の教えが絶対だと思って生きてきた。年代も近く、母親が信者という共通点もあって、山上(徹也)容疑者のことが他人事のように思えないんです。たしかに山上容疑者は許されないことをしました。しかし、彼の母親は自己破産するほどのおカネを統一教会に搾り取られた『被害者』であり、そんな母親がいる家庭で育てられた山上容疑者もまた『被害者』です。山上容疑者が統一教会によって追い詰められていった背景も調べてほしいと思います」

こう話すのは、世界基督教統一神霊協会(’15年に「世界平和統一家庭連合」に改称。本稿では統一教会と記す)元信者のAさん(40代女性)だ。中略
Aさんは、「私の家族の場合、毎月36万円が『献金ノルマ』でした。献金額が営業の成績表のように貼り出されていて、クリアできなかったら翌月に繰り越され、借金のように膨れ上がっていくんです。払えないと親戚や友人に借金をしたり、カードローンを組んだりして払う人もいます。中略

信者は統一教会の外にあるものを、統一教会の中に取り込むことが救いになると信じ込んでいます。それで信者は神様への献身の気持ちと、サタン(悪魔)への恐怖心から献金をしてしまう。『身も心もすべて捧げないと地獄に堕ちる』と信じ込まされているのです」

「統一教会では、献金をしないと在籍を続けることができません。中略」
「統一教会には、病気は先祖の怨みが原因という考え方があります。先祖が地獄で怨念を抱えて苦しんでいるため、あなたが家庭の『氏族メシヤ』(救世主)になって、その怨みを解き、家族を幸せにするよう説かれる。そのための儀式が『先祖解怨式』です。両親の先祖210代まで遡って解怨しないといけません。韓国・清平に行き、一度に7代ずつ解怨する。これは1回あたり70万円と母親から聞きました」
「週刊現代」2022年7月23・30日号より

なぜ信じるのか。脱会信者が赤裸々に明かす「統一教会」の手口(週刊現代) | マネー現代 | 講談社 (ismedia.jp)

宗教は日本では、聞くと嫌悪感を持ってしまうという日本人も少なくありません。
そう言いながら、日本人のやっていることを見ると、あれもこれも実は宗教行為だったりします。日本では正月やお盆休み、クリスマスなど宗教的な儀式も生活として文化に根付いています。また先祖信仰は日本人の誰もが大切にしている節があります。
仏壇もモダンな家具調になり、写真の前には水や花、その他のお供えをする習慣は根付いているようです。

一方で熱心な信者や、特定の宗教を信仰しているという意識は低い部分もあります。日本人の多くは信仰する(手を合わせる対象)は違っても身近に神仏は存在しているという意識は強い特徴があります。日本における宗教の割合は、神道が半分、仏教が半分、キリスト教が1%と言った通説があります。現在の日本では一般的に、どの宗教・宗派を信仰しているかはさほど重視されていません。また自らの信仰を(無宗教を自認する場合を含めて)ことさらに意識することが海外に比べ少ないようです。
実際に2008年に行ったNHKの調査では、おおよそ半分(49.4%)が無宗教と回答しています。様々な機関が宗教に対する意識調査を行っていますが、その多くは割合は違えど日本では人口の半数以上が無宗教が占めるという結果になっています。

日本人は宗教が嫌いではありません。

実際には一神教に馴染めないのです。日本は古来から八百万の神を崇める神道という民族宗教によって生活してきました。簡単に言えば、自然の力(森羅万象)に畏敬の念を持ち崇めてきました。日本へ古くから伝来している仏教こそ一神教と多神教の両面を持ち合わせているので、歴史と共に日本人の文化に根付いてきました。

また、新興宗教によるオカルト事件の負のイメージや一方的な宗教勧誘によって、排他性が極めて強い価値観の押し付けなどにうんざりしているだけです。日本人は宗教が嫌いなのではなく、本当は大好きです。

日本人が嫌いになる理由を挙げるとすれば不自然な勧誘そのものなのではないでしょうか。

日本の宗教観への海外の反応で代表的なものは
・宗教を持っていないといいながら、どうしてみんな神社仏閣に行くのか
・いろいろな宗教を同時に何となく受け入れていることが信じられない
・教会で結婚し、子供が生まれると神社に行き、葬式は仏教でして矛盾しないのか
・宗教を持っていないという人が多いのに、なぜあれほど治安がよく街がきれいなのか

このように、海外から日本人は宗教的ではないと言われることが多いようです。
特に、宗教を混ぜる(いいとこ取り)のは信じられないと考えるのが海外の反応です。こういった習慣は日本だけではありません。実際に仏教が日本に伝来する前に、中国の道教思想が強く影響されたように、国にあった民族信仰との融合や独自の解釈は歴史を紐解くと少なくありません。しかし、それは日本の特徴でしょう。

言い方を変えてしまえば、より日本に馴染みやすいものに進化させるアレンジ力が民族としての特徴なのかもしれません。

宗教を日本人が嫌いになるたった1つの理由 | 宗教.jp (religio.jp)

このような背景の中で、日本人がかくも強烈なマインドコントロールにかかってしまう原因はどこにあるのでしょうか?わたしにとっては大きな疑問となりました。

続く

 

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