ピラミッドスキームが生まれた背景

 

勘違いの幸福追求

「モノの豊かさ」が幸福をもたらす唯一の条件、と思い込んでいた人間たち。
実はそのことが限りない欲求を産み、人間を強欲に偏らせてしてしまったのではないか?
「それは詭弁だ!」という声が聞こえてきそうです。
「モノの豊かさこそ幸せのプライマリー条件でしょ!」
やはり、あなたもそう思います?

勿論私たちはその目的に向かって進み、今日のようなモノに充たされた豊かな社会をある意味では実現することができました。
「ある意味では」という条件付きでです。

つまり、私たちはモノには充たされましたが、精神的に満たされたと言えるでしょうか?という疑問付です。

最近では田舎暮らしが人気となり、モノに充たされた都会暮らしを捨てて、のんびりゆったりと暮らすライフスタイを好む人たちが増えているということですね。

イケイケどんどん空間から、緩い、まったり空間への転換なのでしょう。

英語によると
abundant lifeは物質的に豊かな生活
satisfied lifeは、納得のいく不満のない生活・・・・・満足
fulfilled lifeは精神的に満たされた生活・・・・・・・充実

ちなみに「満足感」( satisfied)は欲求が満たされ納得できた感覚。
ただ、少々の不満があっても、以前と比べれば満足すべき。という使い方もあります。
「充実感」(fulfilling)の場合、「充実すべき」という使い方はありません。

「充実した人生を送っています」現在形で継続的に使う場合多いのでは?
充実は継続的意味があるような気もします。

反面「まあ、満足な人生だったと言えるでしょう」のように、過去形で使う場合と、一時的に満足したときに言い表すことが多いような気がします。

さて、あなたは物質的に豊かかも知れませんが、すべてに納得して生きていますか?
また、精神的に満たされた生活をおくれていますか?

こうしてみると「幸福」の中身はモノだけではないことが解ります。
私たちはあまりにもモノを追い求め過ぎて、精神の充実を忘れてしまったのではないでしょうか?
そういったモノへの欲求は時代と共にどんどん増幅され、我先にモノを奪い合うスキーム、ピラミッド構想が生まれたのではないでしょうか。

競争に勝つことがモノを手に入れる手段となり、やがて嘘や暴力まで加わり、略奪することまでも正当化されてしまった。
なぜなら、そこに支配する者と支配される隷属者という存在がはっきり分断されてしまったからです。
支配者はどんな理不尽も許され、隷属者はどんなに整合性を訴えても却下される仕組みができてしまったからです

「理想」と「現実」のギャップをどんどん深められ、「理想」は彼方へと追いやらてしまったと言うのが実状になってしまったのです。
これは、人類が本当に求めてやまない世界とは似ても似つかぬ似非世界と言えるのではないのでしょうか。

人類の目標はこんなものではないはずです。

人間の歴史とは、苦難を解消しながら進化発展してゆくはずです。
それだからこそ、平和で安寧な国を「先進国」と呼び、まだそこまで進化していない国を「発展途上国」とよぶのでしょう。

ここで「先進国」の定義を催行してみました。

先進国 – Wikipedia
先進国(せんしんこく、: Advanced country、Developed country)とは、高度な工業化経済発展を達成し、工業力や科学技術力で他国より先行しており、生活健康教育インフラ整備・人権保障などの水準が高く、政治的に自由で安定している国家のこと。対義語は「後進国」であったが、侮蔑的とされるようになったため、現在では発展途上国(開発途上国)の呼称が一般的である。

歴史的に列強と呼ばれた大国を中心にヨーロッパ北アメリカ東アジアの国々に多く、全体的にみると北半球の国に多い。そのため、主にアフリカ南アメリカなどの南半球に多く分布する発展途上国との摩擦は南北問題と表現される。先進国とされる国家のうち、特に国家規模が大きいアメリカ合衆国日本ドイツイギリスフランスイタリアカナダの7ヵ国については、G7(最も裕福な自由民主主義国群)と呼ばれる。

先進国の定義には単一のものがあるわけではなく、曖昧である。大国超大国を含む)と同義の扱われ方をすることもあるが、先進国の基準は経済力(国民一人当たりの規模)に重点を置いている。そのため、中国インドブラジルなどといった大国であっても、国民一人当たりの経済力が小さかったり、都市部とそれ以外の地域格差が大きく、特に農村部は先進国と呼べる状況ではない場合が多いため、先進国には含まれない場合もある。一方、経済的には裕福であっても、国家の規模が極めて小さなミニ国家モナコリヒテンシュタインなど)や、工業化自由化が進んでいない国家(中東産油諸国など)も、先進国としては扱われない場合が多い。また、チェコなど一部の旧東側諸国のように、先進国の基準を満たしているにもかかわらず、評価が分かれる場合や、台湾など高所得ながら政治的な問題(台湾問題)から国際機関への参加が難しいために統計に現れない例、アルゼンチン旧ソビエト連邦ロシア)のように政治経済の失敗から脱落した例もある。

先進国 – Wikipedia

このように、「先進国」を語る時、主に経済的発展を遂げ、テクノロジー技術に長け、自由で裕福な国を指す場合が多いのですが、そのことが人類の幸せをもたらす要因であることから、人類の進化を早々と遂げた国、という意味合いにおいて使われてきたように思います。

それまで、私たちは「足りない」ことへの欠乏感こそ不幸の源と考えてきたからでしょう。

先進国の主たる指標GDP
GDPの内訳は、日本で生活する人々による“消費”と国内の企業が行う“投資”、政府が使った“政府支出”、輸出額から輸入額を差し引いた“貿易収入”からなっており、GDPはそれらの合計額となります。注意すべきなのは、国内で生み出されたものだけが対象となるということ。現在多くの日本企業が海外に工場を持っていますが、海外の工場で生産し、海外向けに販売されたものは、日本のGDPに含まれません。

また、GDPと似ている指標に、GNI (国民総所得)と呼ばれるものがあります。GDPが『国内で一定期間に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額』であるのに対し、GNIは『日本国居住者が国内外から一定期間に得た所得の合計』を表します。GNIには、海外にある日本企業の所得も含まれるため、よりグローバルな視点で示された数値であるといえるでしょう。

一方、GDPはその国の経済力の目安としてよく用いられ、このGDPが前年同期や前期と比べてどのくらい増減したのかを見ることで、国内の景気変動や経済成長を推定することができます。つまり、GDPは経済的豊かさの指標でもあるのです。

GDPの数字を上げるためには、労働力人口を増やす、効率化を図って生産性を上げるといった基本的なことに加えて、外国企業を誘致するなどさまざまな取り組みが提案されています。

GDPに反映されない豊かさも現代には多く存在する
このほかに、GDPに含まれないものとして、無料コンテンツや家事労働などがあげられます。最近では無料コンテンツで集客し、そこからサブスクリプション(定額サービス)につなげていくというビジネスが多く出てきていますが、そこで提供されるものがどれだけ価値ある情報やコンテンツであっても、無料であればGDPには含まれません。また、お互いに得意とするスキルを交換してビジネスを加速させるシェアリングエコノミーのような手法も、同じようにGDPに反映されません。

そういったことから、現代の日本の経済傾向を把握するという意味では、GDPだけでは分からない部分が多々あるといえるでしょう。そのため、「もはやGDPでは経済的な豊かさを図れないのでは」といった声が上がっているのも事実です。
今さら聞けない、『GDP』って何? 国の豊かさを示す国内総生産とは | 大堀会計事務所 (ohori-kaikei.com)

このように豊かさを指標にした先進国の分類は、妥当な分類法ではないことが解ります。

先進国とは
・政治が安定していて、経済活動が活発で商品の生産力が高く、貿易額が高い。
・国民の人権が守られ、国民の生活水準が一定程度あり、教育・福祉政策が適切になされている。
・政治権力を批判するなどの言論の自由が保障されている。
などがあげられますが、定義として定められているものはありません。

先進国とは その3つのポイントと国連、IMF、OECDの分類を一覧で | SDGsで世界の問題を考える (magazine7.net)

要するに、いかに暮らしやすいか?
安心、安寧、自由・民主的(主権が国民にある)の上に教育・福祉が如何に充実しているか?ですね。

代表的な分類で国連によるものがあります。
国連による先進国分類ではロシアが含まれています。
詳細については↓
先進国とは その3つのポイントと国連、IMF、OECDの分類を一覧で | SDGsで世界の問題を考える (magazine7.net)

日本の 内閣府 が発表している「世界経済の潮流」では、先進国・地域を「IMFの分類による(OECDに加盟する35か国からチリ、ハンガリー、メキシコ、ポーランド、トルコの5か国を除いた30か国及びキプロス、香港、リトアニア、マルタ、マカオ、プエルトリコ、サンマリノ、シンガポール、台湾)。 」としている 。 台湾など比較的高所得ながら政治的な問題( 台湾問題 )から国際機関への参加が難しいために一部統計に現れない国、地域が存在する。

参照: ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E9%80%B2%E5%9B%BD
OECD一覧表↓
夏季オリンピックの歴代開催地の情報(場所や時期、競技&種目数や参加国数等)一覧表リスト | リスト&ランキング.com (list-ranking.com)

ロシアは国連以外の分類では先進国として認められていません。
その点、日本はどの分類においても、先進国として世界に認められています。
本当の意味での先進国とは、国民が精神的に安定状態を維持し「幸せ」を享受していることを持続的に肯定できる状態にあることではないでしょうか。

恐れや不安、抑圧などによって自由を損なわれた生活を営むことを強制されている国がはたして先進国といえるでしょうか?

先進国の人々は途上国の人々から「あのようになりたい」という見本となれるように努力すべきで、それでこそ堂々と先進国と唱え恥ずかしくないはずです。

プーチン自身は、世界の先進大国として君臨したいのでしょうが、「恥知らず」と言われても言い訳しようがない、日本で例えるな「暴力団まがい」にしか見えません。追随するのは同じような色を持つ「北朝鮮」「中国」でしょう。ロシアを世界が許せば、北朝鮮、中国の暴力的行為を認めることにもなります。
中国も世界の見本となるなら、粛清、制圧、洗脳、情報閉鎖を止め自由、民主の開放的な国政をすべきでしょう。共産党一党独裁では決してそれを果たすことはできないでしょう。

このような世界情勢の中、日本の役割は「先進国」の何たるかを積極的に示すべきと思うのです。
幸い、コロナ禍が和らいだ今、世界の観光希望国の一位が日本ということで、これから海外の観光客がドッと押し寄せてきます。(追い風となったのは円安でしょうが、それも好運と捉えるべきでしょう。)

この機会に日本の「恥の文化」を発信し、日本人は人の道に外れること(非道)を「恥」と思う性質があり、それが正直、清潔、和につながり、安心、安全な国を創り出したことを伝える良い機会になるかもしれません。
まだ「恥の文化」が残っているうちに、それを活用すべきです。

そして、人間の進化こそが「先進国」の本来の条件であることも、合わせて私たち自身が再認識すれば、そのような態度が世界中の訪問者にも伝わることになるかもしれません。

いいかげん、騙し、暴力、強制の暴力団的スキームを捨て、互いに「犯さない、犯されない」多様な共生のスキームが世界中に広がることを願って止みません。

それには私たち一人一人が、誰かを貶めたり、足を引っ張ったり、権力に贖って忖度したり、支配しようとしたりすることなく、自主自律を果たすことが最重要ではないかと思います。

ピラミッドスキームでは、権力に忖度し、コバンザメのように、パラサイト(寄生)する生き方が、当然のように正当化されていましたが、これも「恥」の内に入ることです。

「自主自立」は自由のプライマリー条件ということが常識になるのもそう遠くはないでしょう。

それが達成できた時、日本は本当の意味での「先進国」として、堂々と世界にその精神を発信できるでしょう。そして世界はそんな人間進化を遂げたいと思うようになるでしょう。「精神の輸出」も夢ではなくなる時がくるかもしれません。

特にZ世代の若者たちは他の世代にない日本が大きく変化する多くの可能性をもって生まれた「自主自立」に特化した世代と思っています。

大いに期待し応援したいです。

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