『遊びをせんとや生まれけむ』2

 兼近大樹氏を「生き方のスタイリスト」と勝手に称して、彼の著書『むき出し』の推薦者の動画のURLと共に、ざっくり著書のご紹介をしました。
https://neusolution.matrix.jp/neu-solution/2489.html

前回触れましたように、人は共同体の色に簡単に染まってしまう動物であることがお解りいただけたと思います。最小共同体の家族間では遺伝の影響で家族の価値観、体質が似通うことは当然です。

ここで家族の外側に存在する、中間共同体、例えば学校、会社、地域、クラブなどが、家族間価値観と共に私たちに大きな影響を及ぼしていることを再認識したいのです。

「お金の量と知能は比例する、という身もふたもない現実」

先の兼近氏の例のように、貧困や、母子(父子)家庭などの過酷な環境に育つ子供は、家庭にぬくもり、安心を得られないことも多く、その上、学校嫌いが加われば、まともな中間共同体への参加は無理と言えます。
『知能テストの結果と、収入の多寡には明確な相関関係がある』ということが判明されています。 これは考えてみれば至極当然で、金持ち世帯は金に余裕があるため、子どもにも惜しみなく英才教育を施すことができます。また、親は時間的、経済的余裕がある上に賢いゆえに、子どもに対し勉強以外の様々な有益な体験をもさせることが可能です。そうやって育てられた子は当然賢く育ち、その子どもにも同じような教育を施すという循環ができます。

そして、社会は賢く能力のあるものが勝ち組となって幸せを得てユートピアに住むことができる。それ以外の多くの落ちこぼれ達はディストピアの世界で一生苦しみながら死んでいくしかない。

これが「無理ゲイ」「親ガチャ」「遺伝ガチャ」で想定された現実物語の姿であるというお話をしてきました。

こんな考え方もあります。
「無理ゲイ社会」では個人の能力主義・実力主義から、中間共同体への依存度が低くなり、次第にその必要性を失い、やがて中間共同体は解体され力を失う運命にある。
うざったい柵(しがらみ)から解放され自由に選択し、謳歌、集中できるメリットがあるからです。
反面、それまで地域、会社、その他の組織の傘下に入ってパラサイト的に中間共同体に保護されていた依存者たちにとっては、ノミ二ケーションや付き合いもなくなり、助け合える仲間もいなくなって、たとえ困難に出逢っても「自己責任」の名のもとに、自分ですべてを引き受けていかなければならない「孤独」を抱えて生きてゆくことになります。

井の中の蛙大海を知らず という言葉があります。

井戸の中の蛙は、自分の住む井戸のほかに大きな海があることを知らないという意ですが、井戸の外側は見えないので、外側にも世界があることを知らずに、現況がすべてと思い込んでしまうことです。

「無理ゲイ社会」の中を井戸と観たらどうでしょうか?

その中にいてまわりを観たら「無理ゲー」しか見えないのは当たり前ですよね。

私が先回の投稿の中で、兼近大樹氏を「生き方のスタイリスト」と称したのは、彼が『無理ゲイ社会』のサバイバーでありながら、「無理ゲイ」に人生を託しきることなく、自らの主体的・能動的ビジョンを信じ、果敢にネガティブ思考を払いのけるエネルギーによって、彼の住む世界をユートピアに変えたということが大きな理由であり、リスペクトに値する生き方の実践者と言えるからです。

そこで、この投稿のタイトル『遊びをせんとや生まれけむ』の出番です。

「無理ゲイ社会サバイバー」に身をゆだねている人は、概ね「苦闘をせんとや生まれけむ」なのではないでしょうか。
かくいう私も、かつては「無理ゲイ社会のサバイバー」として苦闘の人生に喘いでいた時期があります。
御多分に漏れず「親ガチャ」はずれ、「遺伝ガチャ」はずれのために、子供時代から20代前半まで苦闘サバイバーを続けていました。
その頃はピラミッドの最下位に存在し、一段でも上がることの難しさしか感じていませんでした。
周囲はみな、建て前と忖度を駆使し、何とか上に上がろうと、弱っているものの足を引っ張り、引きずり下ろすことも辞さない戦場に生きているように見えました。

現在は?というと、とっくにピラミッドから抜け出し、フラットで快適な世界で自由と幸せ、悦びと感謝に満ちた日々を謳歌しています。

こんな風に表現すると「何かの宗教?」と思われるかもしれませんが、私は「無宗教」ですし、どんな組織にも属してはいません。

「苦闘をせんとや生まれけむ」という思い込み「遊びをせんとや生まれけむ」にすり替えただけです。

『遊びをせんとや生まれけむ』 は、平安時代、後白河上皇が編纂した仏教の教え歌が中心の今様(現在の様子を歌にしたもの)と言われる歌謡集『梁塵秘抄』に収められている一節で、「私たちは遊びをしようと、生まれてきたのでしょ!と歌っていたのです。
歌の後半では「その証拠に子供が戯れるのを見ると、自然に体が動き出すでしょ!」という意味が綴られています。

皇位を退けられた後白河院をはじめ、白拍子たちがこれを歌いながら踊りまわっている様子を想像すると、ほほえましく、院の童心までも伝わってくるようではありませんか。

「寝そべり族」よりずっとましですよね。

戦後の日本では、「一生懸命、頑張る、我慢する、弱音を吐かない」というような根性精神が尊ばれ、またそのように教育され強要されてもきました。そういった風土の中では、この歌は、対極な人生観です。最近になって時々このフレーズを耳にするようになったということは、ゼット世代の影響なのでしょうか。

ところで、今様の歌詞を収録した『梁塵秘抄』は、鎌倉時代以降、行方知らずとなったまま時が過ぎ、今から百十年前の明治四十四年、皇室御撰(ごせん)の研究を行っていた和田英松(わだひでまつ)(1865-1937)という歴史学者によって古書店から発見されました。

平安末期では「末法思想」という終末論がはじまりそれに乗じて浄土信仰が広まり、この世での悟りを諦め、あの世に輪廻脱却の救いを求める人たちが増え始めたのです。

現代風に言うと、「無理ゲイ社会」では、その社会の負け組は永遠に世代を超えて負け組から脱却できない仕組みで、そこから逃げ出すには、悟りというこれまた非常に困難な根本的アップデートが必要なのだけれど、それを教え導く僧侶たちの腐敗で、とても望めなくなってしまった、故に浄土、すなわちあの世に行って阿弥陀仏の手のひらに救い上げられれば、輪廻から脱却することができ、こんな苦の娑婆に再び生まれ変わることもない。そんな有り難い救いを求めよう、ということです。

皮肉にも「自殺する権利」を認めてほしいと、不安を訴える若者が極めて多い現代の状況にシンクロするとは思いませんか。

しかも末法の世は一万年も続くというのですから、人々が浄土信仰に走るのも頷けますね。。

後白河院はまさにその時代の上皇でした。

「後生を認識することで覚悟が決まる」

❝今やよろづをなげ棄(す)てて、往生極楽を望まむと思ふ❞
「覚悟」とは、迷いから覚め、真理を悟り、真実(まこと)の智慧を開く、という教典に見られる仏教語です。その覚悟が後白河院に具わり、そうしたより充実した精神のもとで完成に至ったようです。法文の歌の最末に後白河院が選んだのは次のような今様でした。

❝極楽浄土は一所(ひとところ) つとめなければ程(ほど)遠し われらが心の愚かにて 近きを遠しと思ふなり❞

わが心の捉え方が置かれた境遇を地獄にも、清浄なる浄土にもかえり、自身の心のありようが、自身を取り巻く世界を一変させることへの気づきが説かれています。わが心の愚かに気づき、それを棄て去って心澄む境地を見出せば、遠いと思っていた浄土は、実は自身の心の内にあり、というのです。古来より仏教は、あらゆる現象世界はただ心の表れに過ぎないと説いています。

参照:仏の教えを紡ぐ歌ー梁塵秘抄に魅せられて① (sakura.ne.jp)

私がかつて住んでいた世界は「苦闘をせんとや生まれけむ」の「無理ゲー世界」でした。
『宿命』という鎖につながれ、そこから一歩たりとも逃げ出すことは絶対不可能な世界でした。そんな世界に居ながら、完全にそれを受け入れきれなかった、「そんなはずがない」という思いがどこかに見え隠れ」していたのでしょうか、ある時大きな抵抗を試みたのがきっかけでした。

最も凶事とされる離婚を、大凶の時期に計画したのです。
一か八かでした。
最悪命を失くすかもしれません。
「それでも、現況を続けるくらいなら、それを受け入れよう」と覚悟したのです。

結果は、命に何の影響もないどころか、「空気が美味しい」と最高の気分を味わい、身体からは新しい力が湧き上がってくるような感覚を体験しました。

私は、あの世に行く前に、この世で極楽を知ったようなのです。
そこから始まった私の新しい世界は「遊びをせんとや生まれけむ」を徹底した世界でした。

人は住む世界(心の世界)によって、地獄にも極楽にも住むことができることを実感することができたのです。

よくよく考えてみれば誰も、苦汁をを飲むために生まれてきたなどと思いたくないはずです。
それなのに、なぜそのような我慢や、根性の風土ができてしまったのでしょうか?
個々の幸せは、全体の幸せに繋がるのではないのでしょうか?

そんなことを考え続けているると、ふと、その構造がピラミッド型のヒエラルキーの世界でできていることに気づきました。

家族から始まる小さな三角形の共同体(家父長制度)を底辺として、その他の小さな共同体、多くの中間共同体の積み重ねがピラミッドになり、TOPには富裕層が君臨する形です。
勿論みなさんもこんな形態は百も承知なことですよね。

最底辺以外は、自分よりも下位から吸い上げられる既得権益で潤っていることも見えてきました。富はトップダウン方式で降りてくる仕組みですが、最下位までは届いていないことも。
これだって知っていることとお思いでしょう。

でも、自分の現実とのつながりを実感していますか?
みんなが同じその世界に住んで我慢しながら生きているはずなのだから、抗えないことと諦めるしかない。と

人間が人間を食い物にして生きる仕組みがそこにはあったのです。
ここで改めて言っておきますが、私は共産主義者ではありません。
そうでなくてもよくよく見ればその形は見えます。

これまで、あまりにも世の中を信頼しすぎ、それに依存することしかしていなかった。
宿命とか運命に逆らった私から、依存心、不安、怖れと言うものが、少しづつ消えていたおかげで、全体を見渡す目が備わってきたのです。

その時代の行政上思わしい民の在り方は、自由や民主主義と言った個々を尊重したシステムよりも、脅したり賺したりしながらも、大衆をまとめて動かせるシステムの方が都合がいいはずです。

生まれた途端「受動的枠組み」のなかに放り込まれ、その「枠組み」の中で、おとなしく従うように仕立てられたのではないかと感じ始めました。
共同体、文化、社会と言った枠すべては、自ら能動的に選択したものではなく、受動的なものだったと。

受動的だからこそ、自分に合わない部分があり摩擦を生んでいたのだ、と。
その摩擦、軋みが苦悩を重ねていたのだと。
そうして出来上がったのが橘玲氏が言うところの「無理ゲー社会」だったのです。

そして、私は初めて能動的に、積極的に自らの理想の世界を構築し始めた、ということです。
勿論「孤独感」がありました。周囲は皆、根性と我慢の世界に住み、互いに負った傷をなめ合い、励まし合うことが主なコミュニケーションですから、私の住む世界を理解できようはずがなく、またそんなことを話したら袋叩きにあいそうで、話すこともできませんでした。私は「孤独感」を味わいながらも、それを超える幸福感に一人浸りながら、楽しむだけの生活を続け、孤独を埋める必要性を感じなくなりました。

そして開設したのが「NEUノイsolution」のサイトでした。
幸せを多くの人達と共有したいという想いからです。

本音を曝け出すムーブメントは、既に漫才界から始まりました。
「ビートたけし」の漫才はまさにそれでした。
それに続く「爆笑問題」の太田光もしかりです。

私としては、爆笑問題は覗いて、「いじり」の芸能は、あまり共鳴できるものではなかったのですが、誰もが本音を言えるという一石を投じた効果には感謝しています。

ところがSNSの登場により、それがあまりにもヒートアップしすぎて、問題視され、現在では「コンプライアンス」の観点から、制限されつつあります。

このように枝葉の変化を続けても結局は副作用に困るだけ、という事実も学習しました。
一人一人が幸せをGETできるよう、それぞれの源泉にコミットし、源泉からエネルギーを常に循環できるようになれば問題は解決出るような気がしています。
これまで、それを行政の責任にし過ぎたのかもしれません。

まずは、「かっこいい」のすり替えができると面白いと思っています。
ゼット世代の生き方にそのヒントが隠され、兼近大樹氏の生き方にそれが現れているような気がしています。

受動的虚構世界から能動的虚構世界への移行は、始まりつつあります。
ピラミッドの底辺は既に崩れ始め、上位階級はピラミッドの維持が困難になるでしょう。
個々の能動的虚構世界の構築には、希望があります。
希望のないことがはっきりした「無理ゲー社会」に居座っていても何も解決しないのでは?
たかが人間が作ったシステムに侵され、その壁を崩せないほど人間はヤワで無能ではないはずと信じています。

私たちは個々が能動的世界をもって、能動的にフラットにつながる(価値観・世界観を共有できる)ネットワークで、時間や距離に縛られないクラウド共同体をつくる必要があるように思います。

 

この記事をシェア:

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です