『快三昧に生きる』 【12】

2020.8.24

澤口 俊之・人間性脳科学研究所・所長、武蔵野学院大学・大学院教授(近年は乳幼児から高齢者の幅広い年齢層の脳の育成を目指す新学問分野「脳育成学」を創設・発展させている。)は、
下記のように、「怒りと怖れ」について科学的見解を示しています。

  • 澤口俊之【第1回】怒りは「恐れ」と密接な関係を持つ 怒りとの正しい付き合い方 ~アンガーマネジメントが組織を導く~

実は、怒りと恐れの間には、とても密接な関係があります。草食動物が肉食動物に追われるとき、扁桃体ではアドレナリンやノルアドレナリンというホルモンが分泌され、それが恐怖反応を引き起こしています。それにより、動物は逃げたり、相手に立ち向かったりするわけです。よく「窮鼠猫を噛む」と言いますよね。あれは、恐れを感じたネズミが、それを怒りに変換してネコに立ち向かうという仕組みになっているのです。

人も同じです。原始的な怒りは、恐れから引き起こされます。それが抗議行動に移ることにより、怒りという形で表現されるのです。

 有酸素運動や瞑想は怒りの制御に有効

怒りを感じるたびに怒鳴り散らしたり、暴力を振るったりするようでは、社会生活を送ることが難しくなります。そこで人の脳には、怒りをコントロールする機能が備わっています。

感情を制御するのは、前頭葉の中にある「前頭前野(前頭前皮質とも呼ぶ)」です。この部分は、脳の中で成熟が最も遅く、20歳を過ぎても成長することが知られています。若者の中には怒りを制御できない人もいますが、これは前頭前野が十分に成熟していないからです。

歳をとると怒りっぽくなるのも、前頭前野が萎縮して怒りを制御する力が弱まるからだと考えられています。また高齢者の場合、怒れば怒るほど脳の神経細胞が死ぬことが実験で分かっています。そのため、怒りっぽい高齢者ほど神経細胞を失うペースが加速し、認知症になりやすいという実験結果もあるんですよ。 >> 続きを読む

『快三昧に生きる』 【11】

2020.8.17

「ワークアズライフ」から端を発し、世界貨幣のお話まで飛んでしまいましたが、コロナ禍をきっかけに多様な情報が日本中を行き交い、様々なアイデアと動きが始まっています。いずれにしてもこれまでの“あなた任せ”主義を脱却し、個々の選択と責任による「快三昧に生きる」方向を目指した新たな提案&ムーブメントには違いありません。

次に、なぜ私自身が「快三昧に生きる」を手に入れることができたのか、そのキッカケに触れてみたいと思います。

アンガーマネジメント

もともと生きることが下手だった私ですが、それは小学生の頃から始まっていました。一年生入学当時は学校に馴染めず、一人校庭の隅っこでしゃがんで大好きだった“江利チエミ”の英語の歌を練習するような、今で言うところのいわゆる「いじめられっ子タイプ」のオタク的子供でした。それでも担任に恵まれ、優しくフォローされながら4年生ごろまでは何とか学校嫌いを避けられていました。特に3年生の体育の先生は、その後中学生、高校生になってからも、先生宅(私立の中高一貫校校舎に先生の家が近かったことから)を訪ねるほど大好きな先生で、学校生活に潤いをもたらしてくれた有り難い先生でした。5年生になってから卒業までの学校生活は一変し、担任からいびられ積極的に友人たちの輪に入ることも拒否し、次第に病気がちになり、学校を休むことが多くなりました。

子供の頃から媚を売ることが下手と言うか大嫌いだったことが原因かもしれません。
先生にひいきされる子たちはそういう技が巧みで、そのために「可愛くない!」と差別されていたようです。母親に対しても「認められたい」「注目されたい」という気持ちは全くなく、そのため母への忖度も、気遣いもなかったように思います。当然母も私を好きにはなれなかったようで、生涯弟にべったりでした。
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『快三昧に生きる』 【10】

2020.8.10

フィンランドの「SISU」に始まり、ノリウェーの「Koselig」そして、デンマーク・スウェーデンの「Hugged」について、そのココロを紐解いてきました。
その結果「快三昧」とのシンクロが多々あり、大変共感を覚えています。

日本にもあった「ワークアズライフ」

一方で日本においても独自の生活様式を提案する動きがあります。

それが最近話題の「ワークアズライフ」という概念です。これまでお話した「幸福の国」北欧の「SISU」「Koselig」「Hyugge」に相当する、「タイムマネジメント」から「ストレスマネジメント」へ転換する考え方です。この「ワークアズライフ」についてもご紹介したいと思います。

「ワークアズライフ」は「ワークライフバランス」のアンティテーゼとして落合陽一氏(メディアアーティスト、筑波大学、学長補佐、准教授)が、提唱した概念です。

「ワークライフバランス」と「ワークアズライフ」の違い
ワークライフバランス(work-life balance)という言葉が注目されだしたのは、政府によって「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」が策定された2007年以降のことです。
内閣府ホームページの「仕事と生活の調和」推進サイトではより厳密な定義として、国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて、多様な生き方が選択・実現できる社会と述べています。

  働き方に悩む全ての人へ

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『快三昧に生きる』 【9】

2020.8.3

「SISU」の他にも、北欧では「ヒュッゲな暮らし方」が盛んです。
「ヒュッゲ」とはスウェーデン語で、日本語に訳す言葉がありません。

スウェーデンには「ラーゴム」という概念があります。消費主義の生活とは反対に、多すぎない、少なすぎない適量の物を持ち、適度に暮らしていくことを意味する言葉です。物を持てば豊かになると考えがちですが、物が増えれば収納が必要になり、大きな家が必要になります。「ヒュッゲ」も「ラーゴム」も物質で満たされるのではなく、人とのふれあいやリラックスした時間で満たされることを大切にした考え方です。

気を遣いすぎない、北欧流ヒュッゲスタイル友人や仲間で集まるといえば、ホームパーティーを連想する人が多いでしょう。しかし、日本のホームパーティーはとても気を遣うものでもあります。主催者への手土産、インスタ映えする料理、スケジュールの調整、念入りな掃除など。楽しいけれど、ちょっと疲れてしまうことはありませんか?

北欧流ヒュッゲはもっと気楽なもの。「今からうちでヒュッゲでもどう?」と気軽に声を掛け合います。食事は普段と変わらないものを大皿で出すだけ。物が少ないシンプルな暮らしをしているので、慌てて掃除する必要もありません。私たち日本人は、無意識に人に気を遣ってしまいます。それが世界で称賛された「おもてなしの心」でもありますが、それはそれとして、普段はもっと気楽に人付き合いをしてみても良いのではないでしょうか。自然体でいられること。心地良い関係を築くこと。これが北欧流のヒュッゲスタイルです。

北欧 Life log

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『快三昧に生きる』 【8】

2020.7.27

日常的によく耳にする「しがらみ(柵)」という日本独特の概念があります。
「他律・追従」(迎合主義)こそ「しがらみ」を生む原因です。
漢字で書くと「柵」と書くように。川の流れを堰き止める柵のこと。

「しがらむ」は、からみつける、まといつける、からませるといった意味である。 これが、名詞となって、水流をせき止めるために川の中に杭(くい)を打ち並べ、その両側から柴(しば)や竹などをからみつけたものをいうようになる

JapanKnowleg

このところの各地の悲惨なゲリラ豪雨災害でも思い知らされたように、どこかで堰き止めれば、どこかが決壊します。川を堰き止めるように、人生のスムースな流れを堰き止めるのが「しがらみ」です。「しがらみ」は一時的な堰き止めから決壊を招く因子といえるでしょう。

しかしながら、日本人は人間関係での「しがらみ(柵)」をつくりやすく、その「しがらみ」に絡みつかれ、纏いつかれることをあまり拒否しません。

でも「しがらみ」のために足を引っ張られ、意のままにならないジレンマは多く、問題にできないほど一般的な事象です。これが日本の「仕方ない文化」を定着し、二言目には「仕方ない」と言うようになりました。誰もがこの問題は「仕方ない」で片づけてしまいます。そしてストレスを溜め込む。「自律・自尊」の生き方からは、理解できない慣習です。 >> 続きを読む

『快三昧に生きる』 【7】

2020.7.21

ジレンマは日本語では両刀論法と呼ぶそうです。この解りやすい説明がありました。

ディレンマ(でぃれんま dilemma)

両刀論法と訳される。ジレンマとも。

平たく言うと、 選択肢が二つあるがどちらも好ましくない結果を生みだすため、 にっちもさっちも行かない状態のこと。 たとえば、 「学校に行くとジャイアンにいじめられる。 かといって家で寝ていればママに怒られる (大前提)。 学校に行くか家にいるかのどちらかである (小前提)。 いずれにしてもぼくは苦しむことになる (結論)」というのがそれである。

またこのとき、 (1)「学校に行ってもジャイアンにいじめられるとは限らない」 とか、「家で寝ていてもママに怒られるとは限らない」 などと言ってこのディレンマを逃れるか、 あるいは (2)「学校に行くか家にいるか以外にも選択肢がある (たとえばどこでもドアでどこか遠いところに逃げるなど)」

ディレンマdhirennma

 

・仕事と家庭のどちらを優先すべきか。
・起業したいが、せっかくコツコツ溜めた預金を賭ける勇気がなく、大企業を退職することができない。
・人は皆ジレンマを抱えながら生きている。
・ジレンマから自由になる唯一の方法は、欲望を捨て無になることと言うが、無になることなど不可能。

あちらを立てればこちらが立たず、こちらを優先すればあちらから火の手が上がる。

本当はAを望んでいるが、Bをせざるを得ない。「あるべき姿と現実のギャップ」とは「ジレンマ」である。そのジレンマの存在によって、取りたい行動が取れない、そういったちょっとした「我慢」が重なり大きなストレスに発展してゆくのです。
よくあるジレンマの対処法に「妥協」や「歩み寄り」があります。ジレンマを抱えていると、お互いの立場に配慮して妥協が起こりやすいといわれています。 >> 続きを読む

『快三昧に生きる』 【6】

 

2020.7.14

今一度観念形成についてミクロとマクロな視点から詳細な観察をしたのちに、「自律分散型社会」について説明を加えたいと思います。

観念形成の過程において、私たち日本人の特徴は、競争社会で生き抜くこと、間違ってもドロップアウトするようなみっともない人間にだけはならないようにと教育されてきました。今でこそ多様性を認めようという動きもありますが、まだまだそれも建前上の理想でしかないように感じています。

そうした中で、社会的適応能力は必須な課題となります。家から一歩出れば戦場の如く、家以外の社会では、本音で生きることを許されません。社会で喜ばれない本音にはいつも蓋をして、できる限り建て前を駆使し、蹴落とされないよう細心の注意を払うよう教育されます。忖度能力はそんな処世術の際たるもので、この能力こそがコネや縁故につながり、優位な居場所獲得への早道になるからです。

創り笑顔、空気読み、八方美人、虚栄、体裁などは競争社会のツール(武器)になっています。こうした努力の結果「人間関係とは利用価値」というような考えが通説化するのは悲しいことです。ただ往々にして日本人の多く(特に年配者)はこのような社会観を共有しているように思います。 >> 続きを読む