『快三昧に生きる』 【21】

2020.10.26

日常の行動から無意識の癖を見つける

無意識に刻まれた行動の基準となる癖は、外界の刺激に対して反射的に「私」を動かします。
ぼーっとしていても、頭の天辺から、指先まで、眼も、耳も、素早く反射的に活動すると同時に、身体中のネットワークは瞬時に関連しあって、日常の何気ないしぐさ、言動などをコントロールしているということを「受動意識仮説」によって確認することができました。

他者の本質や、本音も、そのような反射的行動を観れば、そこにすべてが表現されているというのが、私の他者判断の基準になっています。そのため、日頃から、行動を観察することを重視し、それが習慣となっています。

そんな時、言行が不一致の人を時々見かけます。
そんな人は、理想的な自己のイメージがあるのでしょう。そのイメージに沿った自己を表現しようとするのですが、どこかで辻褄があわなくなったり、行動が伴わなかったりしてすぐにバレてしまうのです。本人はそれを気づかず、本質以上の自己を演じ続けるのが癖になっています。

自分を盛った言葉によって、その通りの自分を相手は認識していると思い込んでいます。と言うよりも、自分自身で自己の本質以上の自己に酔い、酔ったまま発する言葉で快感を得ているように見えます。(子供のヒーローごっこと同様の性質かもしれません)

一例:「タバコなんか止めようと思えば、いつでも止められる。この1本で止める」と言った数分後には無意識にタバコに手が伸び、隠れ吸ってから、「タバコをきっぱりやめた」と言い切ったその口からタバコの臭いを発している。などということは多々経験するのではないでしょうか。
こういった例は枚挙にいとまなく、見せる自分、見せられない自分を使い分けている人は多いはずです。

見せる自分とは、理想の自分。
見せない自分とは、後ろめたい自分です。

この差は人によって大きかったり小さかったりしますが、日常的に見せたくない自分をひた隠しにしていると、ストレスが大きくのしかかります。できれば、見せたくない自分をぶちまけた方が楽なのですが、プライドが許しません。
ここまで読んでいただいている方は、もうお気づきのように、「見せたい自分」だけを表現しているということは、そこに承認欲求(認められたい症候群)が宿っているということですね。

無意識に刻み込まれた、「不足」を補うための行為です。
ありのままの自分では「認められない」という思い込みからつくられた癖ですね。

自ら行動の癖を見つける事はなかなか難しいことと思われています。(これももしかしたら思い込みかもしれませんね)
そうしたことからコーチングという研修法が生まれ、コーチの誘導によってメタ認知を遂げる、というもののようで、コーチングを受けた人はコーチの資格が得られるという、自己実現&コーチ資格講座が巷に溢れ、学校までできています。
それも一つの方法で、否定はしません。ここでは、他者から指摘を受けるのではなく、自ら気づく方法を支持しています。どんなに他者から見て不自然な生活をしていようとも、本人がそれを幸せと思えばそれが一番、本人にあったやり方なのですから。

2020.10.5 16:54
浜崎あゆみ「自分の物差しで生きていきます」 第2子妊娠での意見に決意
2020
年10月2日には第2子妊娠を報告した浜崎さん。

歌手、浜崎あゆみ(42)が5日、自身のインスタグラムを更新。第2子妊娠を発表したことで寄せられた意見に対し、思いをつづった。

2日、公式ファンクラブサイトで第2子妊娠を発表していた浜崎。この日のインスタグラムでは、「今回の私の妊娠について、お会いした事もありませんが、ご丁寧にオリジナルな意見を下さったり、産まれてくる子供の事を心配して下さったり、ありがとうございました」と寄せられた意見にコメントした。

その上で、「私はこれからもプライベートに関しては自分の物差しで生きていきます。幸せの基準も形も、自分と家族で決めて選んで生きていきます。それがその他多くの方々とは違ったとしても構わないと思っています。幸せの形は人それぞれでしかなく、当の本人達にしかわからないもの」と決意を記した。そして、ファンに向けて「皆様の期待に応えられるアーティストであり続けられるよう、これからも歩みを止めずに進み続けたいと思っていますので、改めて!!よろしくお願いします」と呼びかけた。

 

浜崎あゆみ「自分の物差しで生きていきます」 第2子妊娠での意見 … 

 歌手、浜崎あゆみ(42)さんが5日、自身のインスタグラムを更新。第2子妊娠 を発表したことで寄せられた意見に対し、思いをつづった。
浜崎さんは昨年11月、未婚のまま年下の一般男性との間に第1子となる男児を出産。現在も結婚はしていないとのこと。
拍手を送りたい生き方宣言です。
もう一つ面白い例を観ました。

北村匠海、『ホンマでっか!?TV』で声の小ささを指摘されるも「このままでもよくない?」の声

2020/10/23 06:00  文=日刊サイゾー
北村匠海 ホンマでっか!?TV

北村匠海、8キロ増だった!『とんかつDJアゲ太郎』撮影時の …

news.yahoo.co.jp

10月21日放送の『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)に、映画のPRで主演の北村匠海と山本舞香が出演。きつい性格で知られる山本の突っ込みにも負けず、自分を曲げない北村を支持する声が番組終了後に多数上がった。 17歳で初共演して以来、何度か一緒に仕事をしている二人だが、はっきりした性格の山本は、いつもぼそぼそと小声で話す北村の態度がまったく理解できない様子。「ちゃんとおもしろいことを言っているのに聞き取れない」「声が小さく て、やる気あんの」と厳しく突っ込むが、北村本人は「やる気あるよ」と苦笑いするばかりで、ほとんど言い返さない。その後も「いつも楽しそうだねって言うけど、カチンとくる」と言われたい放題だったが、認知神経学者の中野信子氏に「自信がある人は大きな声を出す必要がないとわかっている」と指摘されると、「確かにこ のままでもいいと思っている」と素直な胸の内を吐露した。中略

終始柔らかな受け答えを貫きつつも、メンバーへの想いをはっきりと口にした北村に「メンバーといる時はゲラゲラ笑うとか、DISH//は特別とか言ってる匠海が好きすぎる。そういうメンバーといる北村匠海が好きなんだよ!」「北村匠海くんの声が小さいって共感、怒らないのも共感。今日のホンマでっか面白かった~」「色々言われていたけど、結論は、北村匠海はこのままで良いってことよね! 私はそういうあなたを好きになったんですから」など、好感を持つ視聴者が続出。北村同様、あまり感情を表に出さない視聴者から共感の声も目立った。

日刊サイゾー

あまり反論や怒りを見せないという北村。「自信あるかもしれない」と、ぽつりと漏らした言葉から、それが決して自慢気に聞こえないところに彼の魅力があるのではないかと感じました。
詳細を‶自信あるかも”  でまとめています。興味ある方はご覧ください。

評論家陣の池田氏は、「怒らない人」は、他人に関心がないか、他人をコントロールしようと思わない人、と言う。確かにそうですね。
山本舞香は度々映画共演で、北村匠海と時間を共有し、北村への「声が小さい、押しが弱い」など“肉食系女子”と“草食系男子”の格差を呈しているような様子も面白いと思ったのですが、山本舞香の無意識には、きっと「自己主張=やる気」と刻まれているのでしょう。
「声が小さい」ということは、自己を主張する必要がない、ということですね。自分が前にでなくてもいいんです。それで彼は充分幸せなんです。
山本舞香にとっての幸せは「称賛を浴びる」ことなのでしょう。

北村匠海の属するDISHUのメンバーといるときは、ゲラゲラ笑うし、声も大きい、「僕にとってメンバーは特別なんです」とというところから推察すると、感性を共有できる仲間の中ではリラックスできて、楽しめる、ということのように見受けられます。
当然、楽しめることには集中したり、テンションが上がったり、モチベーションも上がるでしょう。

また思考タイプも異なりますね。
山本舞香は単一的思考タイプ、北村匠海は相対的思考タイプです。
このように、山本舞香と北村匠海の物差し(価値観)は根本的に異なるということが、第三者の立場で見るとよく解りますね。
それを決定付けているのが無意識なのです。

小学校教育で「大きな声で、元気よく」を叩き込まれたことが、無意識に固定され彼女の物差しとなったと言えるかもしれません。今後はそれも大変化してゆくことでしょう。

浜崎あゆみや北村匠海のように、自分自身で生き方を宣言できるほど確信した「自分の物差し」を持つことは持続可能な幸せ人生を築く上では大変重要な事と考えます。
それが、他者に認められようが、批判されようが、「自分の物差し」で生きることが、一番自分にフィットして、一番、楽な生き方なのですから。
誰かに指摘されても「このままで良くない!」って思えるということは、しっかりとした〈自分の物差し〉を持っているということですから、それが魅力になっているのではないでしょうか。
彼女や彼の行動は、一番自分らしさを表現していると思いませんか?
記事にも「面白かった」と北村匠海に共感しているのは、若者たちでした。

最近は、こういう若者が増えていることを、頼もしく感じています。

さて、この無意識の癖を見つけるには、現在の自分が「楽」か「ちょっとしんどい」か、「頑張ってる」「いぱいっぱい」か、ということがバロメーターになります。
それでも「頑張ってる自分」が誇らしくて、生きる悦びなら、それが自分の生き方ですから、疑問を持つ必要はなく、ひたすらその道を走り続けるべきです。
もし、そうでない人、「今の状態を受け入れたくないけれど、受け入れざるを得ない」と無理矢理頑張っている人は、そのファクトを作り出している「今」を操っている「無意識」の思い込みに目を向けるべきと思うのです。

何が、どのようにしんどいのか?何を受け入れざるを得ないファクトとして背負っているのか?は本人が一番知っていることです。それをこれまではできるだけやり過ごしていただけです。その理由は多分「自分よりも大きな存在」「じぶんよりも大きな見えない力」への屈伏ではないでしょうか。

話は変わりますが、最近の奥様方は、自分の夫について他人に語る時「うちの主人」と言う言葉に抵抗を感じる、と言う人がいます。
主人とは、仕える相手、雇い主、一家のあるじ、を指す言葉です。今時“仕える人”は不自然と言えば不自然です。
又、「うちの旦那」という場合の「旦那」は寺の檀家が「布施や寄進をする寺」を旦那寺と呼んでいることから派生したと言います。
現在は、商家の奉公人が主人を、商人や役者・芸人がひいきしてくれる客を呼ぶときに用いる敬称で要はパトロンのことです。
「うちの亭主」と言うとき亭主には宿屋や茶店のあるじ、の意味があります。

こうして、何気なく呼んでいる夫の呼び方も無意識に発する言葉ですが、知らないうちにその意味するところに操られてしまっているのかもしれません。

日本では家族内での権力に限らず、まだまだ、妻よりも夫が社会的地位が高いのはそのせいでしょうか。男女平等を声高に叫ぶのは、社会的地位が低いと信じていることは間違いないと言えるでしょう。
もし家族内実権は自分にあるという自信があったら、もう平等を叫ぶ必要はありません。実権を握ったまま粛々と家庭を管理すれば良いと思います。

自分の想いと他者の判断がズレているとき、人は「違う!!」と大声を上げたくなります。
それは、まだ自分を確信していないから他者からの後押しがほしいと思っているための行為です。
自他の判断のズレはあって当たり前、ことさらそれに反論したくなるのは、自己の正当性を主張して他者をコントロールしようという意識の現れです。自分にとっての「正しい物差し」が必ずしも他人にとって「正しい物差し」ではない、ということを、上記のお二人が証明してくれています。

このように自己の行動をじっくり俯瞰する、そんな癖さえ手にすれば、間違いなく思い通りに無意識を軌道修正することができるでしょう。

心のしこりを見つける 

肩が凝ったり、首が凝ったりと言う身体的しこりは痛みが伴うため、よく解ります。
但し、それも我慢強い人は「これくらい問題ない」と放置することは多いでしょう。
そのうちに痛みが消えてしまうこともあるからです。

それと同じように、「心のしこり」も違和感を覚えながら放置することが多いのではないでしょうか。そのうちにスッキリしないのが普通になってしまう。
「心のしこり」は簡単に取れるものではなく、慣れてしまうだけ。いつか何かの拍子に大きな爆発を起こす危険性があります。
「心のしこり」を抑え込まず、しこりの源を遡って確かめることが大切です。
ほんの些細な我慢が、後に招かざる人生に導くような大きな問題を引き起こす可能性があるのです。

日本人は特に「我慢」を美化する性質があり、それが無意識化していることを忘れないでください。

アスリートのような、強い身体に宿った決して折れない強い精神でない限り、我々のような軟弱な精神は悲鳴を上げるときが来ます。
我慢強さは人として絶対に必要なスペックと無意識に刻まれると「我慢」の物差しが仕上がります。我慢強さをアピールするには、我慢を重ねて鍛えなければなりません。

自分は軟弱と言われたくない、我慢強くなければならないと思い込むほど、我慢が必要なファクトが襲います。
昭和の人たちは、そうやって「耐えて、耐えて」生きてきました。

だからそんな自分たちを慰めるために「演歌」は生まれました。
歌を唱って自己憐憫しながら涙を流し、カタルシス(浄化)を味わっているのです。
結果は一時的な気持ち良さを味わえても、自分の人生を幸せに変えることはできません。それも重々わかった上のことです。つまり、「人生とはそういうもの!」「生きるということは辛く、悲しく、その苦痛に耐えることなんだ」と、無意識に刻まれ、昭和生まれの大半は、その物差しを使って生きてきたと言えます。

しかしながら、そんな祖父母や、その名残を持っている両親たちの生き方を真似したくない若者たちが出現してきたのです。

回りくどく、忍耐とか、忖度とか、足並み、横並びなどよりも、「自分らしさ」「自分の物差し」を創るようになったのです。その物差しで自分らしい幸せを創造したいと行動する人たちは、上記のように他人をコントロールしようと思わなかったり、他人に関心がない人が多いかもしれません。だから怒ることもめったになく、自分の世界を大切にしながら、その世界を広げ、育てているように見えます。

さあ、あなたはどちらの生き方を好みますか?

「快三昧に生きる」【20】

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