『快三昧に生きる』 【11】

2020.8.17

「ワークアズライフ」から端を発し、世界貨幣のお話まで飛んでしまいましたが、コロナ禍をきっかけに多様な情報が日本中を行き交い、様々なアイデアと動きが始まっています。いずれにしてもこれまでの“あなた任せ”主義を脱却し、個々の選択と責任による「快三昧に生きる」方向を目指した新たな提案&ムーブメントには違いありません。

次に、なぜ私自身が「快三昧に生きる」を手に入れることができたのか、そのキッカケに触れてみたいと思います。

アンガーマネジメント

もともと生きることが下手だった私ですが、それは小学生の頃から始まっていました。一年生入学当時は学校に馴染めず、一人校庭の隅っこでしゃがんで大好きだった“江利チエミ”の英語の歌を練習するような、今で言うところのいわゆる「いじめられっ子タイプ」のオタク的子供でした。それでも担任に恵まれ、優しくフォローされながら4年生ごろまでは何とか学校嫌いを避けられていました。特に3年生の体育の先生は、その後中学生、高校生になってからも、先生宅(私立の中高一貫校校舎に先生の家が近かったことから)を訪ねるほど大好きな先生で、学校生活に潤いをもたらしてくれた有り難い先生でした。5年生になってから卒業までの学校生活は一変し、担任からいびられ積極的に友人たちの輪に入ることも拒否し、次第に病気がちになり、学校を休むことが多くなりました。

子供の頃から媚を売ることが下手と言うか大嫌いだったことが原因かもしれません。
先生にひいきされる子たちはそういう技が巧みで、そのために「可愛くない!」と差別されていたようです。母親に対しても「認められたい」「注目されたい」という気持ちは全くなく、そのため母への忖度も、気遣いもなかったように思います。当然母も私を好きにはなれなかったようで、生涯弟にべったりでした。
(蛇足ですが、一般的に子供は母親(または父親)に、「愛されたい」という欲求が当然のようにあるらしいのですが、私は「愛されたい」という意識があまり強くなく、そのためか弟べったりの母親という状況にも嫉妬したり、弟を憎んだりが全くなく、母同様に、私も弟を大切に思い、大好きで、それは弟が死んだ後まで維持されています。未だにこの「愛されたい」と思わなかった原因を解明されていません。いつか心理学の先生に聞いたことがありますが、明確な答えはありませんでした)

そんな子供時代を経て成長してもその性格は変わらず、常に「生き難い」世間を感じながら孤軍奮闘していたのですが、それに加えて「短気」という性質が私の人生を、より楽しくないものにしていたのです。

大人になってからも「可愛気がない」という印象はぬぐい切れず、人に好かれるタイプとは対極の、小憎らしい、嫌われタイプのままでした。友人はなかったわけではないのですが、歳を重ねるにしたがって、親友たちもみな一般的世間人に変化し、次第に熱く語れる存在は一人もいなくなりました。

30歳を超えた頃、そんな私が他人から嫌われることは受け入れながら、「短気」という性質が恥ずかしいと思いはじめたのです。母の怒りっぽい性格が原因でした。
人間としての成長が未発達なような気がしたのです。怒りが顕現することに罪悪感すら覚えました。それがきっかけで“腹を立てる”理由を探るようになったのです。

怒りは一端発生すると、それを止めるのは至難の技が必要で、私には怒りを抑える(我慢する)という理性は弱いと知っていました。

そのため、「怒りを抑える技」よりも「怒りの発生原因を断つ」ことが、私にとっては最重要な課題となっていました。

「怒りを覚えない」ためにはどうしたらよいのだろう、と考え続け、その原因を見つけたときは「こんな単純な事、どうして気づかなかったのだろう」と小躍りしたくらいです。

それは「みんな一人ひとりが異なる世界に生きている」という私にとっての大発見でした。
これは私にとっては、天動説から地動説に代わる、コペルニクス的転回と言えるほどのパラダイムシフトに値しました。

それまでは世界(外界)は「在るもの」で、すべての他者と共有しているもの、という前提で生活し、コミュニケーションをしていました。

世界が異なるなどとということには一切考えが及ばず、他者の考えが浅いことで、認識の違いが発生すると思い込んでいたのです。

「どうしてこんなことが解らない?」「よく考えれば解ることでしょ!」と相手を上から見る事しかできなかったのです。ですから何度も同じことを言って、相手に解らそうとするのですが、伝わらないことは伝わらないのです。それに腹を立ててしまっていた私に気づいたという訳です。

要するに、個々の経験による所産の観念から見る観点の違いが、すべてを異なって見せているということだったのです。

また、「短気」は相手が怒るとそれに巻き込まれてしまい、感情のぶつかり合いになってしまうのです。
それまでもが克服できたことは私の人生にとって、最高の収穫であり、精神的安定につながりました。

「一人ひとりが異なる世界(価値観、世界観)に住み、見えているものも異なる」ということに気づいたのちは、その異なる世界の方に興味を傾けて、観察するようになりました。オマケがついてきたような、更なる大きな益でした。

それからというもの、相手の怒りやイライラに巻き込まれることなく、冷静に相手の言動の裏に隠れた世界を観察できるようになり、すっかり「怒り」とは無縁の日常を手にすることができました。

それまでの罪悪感はすっかり悦びに転換し、その後の生活は「楽しい、面白い、嬉しい、感謝」に代わったのです。

つまり、今流行りの「アンガーマネジメント」を知らず知らずに行っていたということです。

実はこのことは、文化の歴史、特に宗教、哲学に大きく関わっていることをのちになって知ることができました。

日本は明治維新以後、西洋文化を積極的に取り入れてきました。

「世界とは何か?」を問うことから始まり、神の存在を当たり前に信じていたキリスト教文化、一神教の世界では人間は神の被造物であり、「人間の自由意志」を原罪と扱う世界です。

普遍的本質は現実世界ではなく神の世界に存在するという。そして16世紀~17世紀にはコペルニクス、ガリレイ、ニュートン、による、”自然科学の世界像”の台頭が始まり「主観」を退け「客観」世界が始まります。
科学は自己存在や世界の意味についての答えを与えてはくれません。

意味や価値の問題は主観的なものとして、客観的な問題を扱う科学では排除されてしまうからです。
このことは、心と身体は別物とする、物心二元論を生み、人間機械論が展開されます。
18世後半には神によって人間の心に観念が刻み込まれるといわれていた時代に、自分の力で「白紙」の心に世界を描けるとロックが主張したことが芽となり、次第にこの世界を創ったという神の存在の影が薄れ始めます。

19世紀に入り、カントの出現から「客観」存在を疑い、世界を人間には認識できる世界を「現象世界」とし、認識できない本質世界(これを形而上学とした)に対しては、人間の想像の産物である可想世界があるといった二元論を展開しました。
しかしながら、主観としての自己は、客観として認識される社会や他者に学ぶことで現在の自己を否定するという、弁証法が提唱されるなど、この時代の哲学者たちも敬虔なキリスト教信者が多く、この傾向はつい最近に至るまで解消されないままでした。私たち現代人ですら、未だに「普遍的世界」や「客観世界」を信じる人たちは少なくありません。

そんな文化の影響は、50年以上前の若き頃の私の観点を固定するのは、当たり前といえば、当たり前のことです。

「怒りからの解放」を試みて「怒り」の根源を探る行為が幸いして、誰もが自分の目でしか外側は見られない。つまり「主観」でしか世界を観ることはできない、ということに気づいたことはラッキーでした。

そうした観点から「客観」を考えてみると、「客観」自体が不確定極まりなく、それぞれがそれぞれの観点で、つまり「主観」でしか「客観」を推測するしかなく、それが本当の普遍的な共有理解ではないことが観えてきます。

最近になって量子力学による度重なる実験によって、「観る」が現象を決定づけることが解り、「観る」⇒「在る」で、「在る」⇒「観える」のではないことが証明されました。そう世界は「在るから観える」のではなく「観るから在る」だったのですね。

更に人工知能などの発達に伴い、人間の「主観」との関係性が観えてきました。そのお蔭で「主体」に注目が集まり、世界の多様性がスタンダード化されています。

「在るから観える」の常識がひっくり返され、「観るから在る」を長い間私たちは受け入れることができませんでしたが、そんな中でも量子力学はテクノロジーに利用されてきました。量子の性質の理解を超えて現象化が進み、やっと少しづつ不確定な量子の性質が身についてきたと言うのが本音ではないでしょうか。

このことが「観る」という意識の重要性を際立たせ、「在る」ものよりも優先されるようになったのが、ラディカル構成主義(1974年 E.V.Glasersfeld)です。

1.知識は初感覚を通してであれ、コミュニケーションを通してであれ、受動的に受け取るものではない。

2.認識の機能は適応的なものであり、その用語は生物学的な意味合いにおいて、適合や実行可能性に結ぶ搗くものである。

興味ある方は「ネオサイバネティクス入門」パネル動画でご確認下さい

 

以下は「プロティアンキャリア」という「主体」重視のセオリーです。

プロティアン・キャリアは、「環境の変化に応じて自分自身も変化させる柔軟なキャリア」を意味するキャリア理論の一つです。(アメリカの心理学者ダグラス・ホール提唱)https://agent-network.com/column/workstyle377/

地位や給与を重視し、組織内でのステップアップを中心に考える従来のキャリア像とは異なり、自己成長「自分は何がしたいの?どうなりたいの?」を大事に”主体的”な生き方を問うキャリアづくりを目指します。

主体は”個人”『プロティアンキャリア』

プロティアンキャリアと従来のキャリアの違い【表】

プロティアンキャリア 従来のキャリア
主体は”個人” 主体は”組織”
“自由・成長”を重視 “権力・昇進”を重視
“心理的成功”が中心 “地位・給料”が中心
“満足感”が重要 “組織評価”が重要
“何がしたいか”を問う “何をすべきか”を問う
社会での市場価値を高める 組織で生き残る力を高める

個人を主体として、環境・組織などの外部ではなく、自分自身の内部を大切にしていることがわかります。

「何かを成し遂げること」ではなく「どんな状態の自分が幸せか」に観点を変えた理論です。

 以下6つの方法で、目標をつくるための材料は集められます。

①幼少期に夢中になっていたことを思い出す
②長時間できることを考えてみる
③人より簡単にこなせることを考えてみる
④周りに”自分の良いところ”を尋ねてみる
⑤嫌いなこと洗い出してみる
⑥新しいことに挑戦す

主体は”個人”『プロティアンキャリア』

 

「快三昧に生きる」【10】

→「快三昧に生きる」【12】

 

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