『快三昧に生きる』 【7】

2020.7.21

ジレンマは日本語では両刀論法と呼ぶそうです。この解りやすい説明がありました。

ディレンマ(でぃれんま dilemma)

両刀論法と訳される。ジレンマとも。

平たく言うと、 選択肢が二つあるがどちらも好ましくない結果を生みだすため、 にっちもさっちも行かない状態のこと。 たとえば、 「学校に行くとジャイアンにいじめられる。 かといって家で寝ていればママに怒られる (大前提)。 学校に行くか家にいるかのどちらかである (小前提)。 いずれにしてもぼくは苦しむことになる (結論)」というのがそれである。

またこのとき、 (1)「学校に行ってもジャイアンにいじめられるとは限らない」 とか、「家で寝ていてもママに怒られるとは限らない」 などと言ってこのディレンマを逃れるか、 あるいは (2)「学校に行くか家にいるか以外にも選択肢がある (たとえばどこでもドアでどこか遠いところに逃げるなど)」

ディレンマdhirennma

 

・仕事と家庭のどちらを優先すべきか。
・起業したいが、せっかくコツコツ溜めた預金を賭ける勇気がなく、大企業を退職することができない。
・人は皆ジレンマを抱えながら生きている。
・ジレンマから自由になる唯一の方法は、欲望を捨て無になることと言うが、無になることなど不可能。

あちらを立てればこちらが立たず、こちらを優先すればあちらから火の手が上がる。

本当はAを望んでいるが、Bをせざるを得ない。「あるべき姿と現実のギャップ」とは「ジレンマ」である。そのジレンマの存在によって、取りたい行動が取れない、そういったちょっとした「我慢」が重なり大きなストレスに発展してゆくのです。
よくあるジレンマの対処法に「妥協」や「歩み寄り」があります。ジレンマを抱えていると、お互いの立場に配慮して妥協が起こりやすいといわれています。

ビジネスによる「歩み寄り」(取り引き)の解決は可能かもしれませんが、ソーシャルプレッシャーを始めとする人間関係においては、妥協や歩み寄りという行為は、ジレンマを根本から解くことにならないばかりか、お互いが「歩み寄った」という努力に対する報酬を求めてしまいます。相手の歩み寄り程度と自分の歩み寄り努力を測り、相手の努力不足に不満を持ち、更に「我慢」を重ねることになる、という結果が見えています。
結果、「二者択一」の方法しかありません。

サービスのつもりで、相手に合わせても、想うような報酬を受け取れない、そのジレンマに悩むなら、思い切って「本来のやりたいことを選択する」しかありません。

その一例が先に紹介しました「ヤマアラシの鋭いトゲを寝かせる(すべての武器を捨てる)」「山奥ニート」ということです。このように、これまでとは異なる新しいライフスタイルは、行き詰まった時にこそ生まれるものです。

「八方美人」「本音と建て前を使いこなす」などの付和雷同的武器、そして「大義名分に依存する」などの処世術に用いる武器は、必ずしも自己の「快」につながるものではないことをお解りいただけたでしょうか。

もう一つ紹介したい情報が飛び込んできました。

2020年7月11日(土)放送の『世界一受けたい授業』。
『アナタも陥るかもしれない!全ての人の心に潜む正義中毒とは?』というテーマで放送されました。

正義中毒とは…自分が絶対に正しいと思い込み、自分の考えに反する他人の言動に対して「許せない!」という感情が沸き上がって、相手に攻撃的な言葉を浴びせて叩き潰そうとすることを脳科学的に表現した言葉のこと。

新型コロナウイルスで問題となった“自粛警察”はその一例。

お店のシャッターに酷い言葉を書いたり、県外ナンバーの車に嫌がらせをするなどの悪質行為が横行しました。教えてくれるのは、正義中毒の名付け親の中野信子先生。

脳科学者であり、「正義中毒」の名付け親

【科学】
中野信子先生

 

 

人は、なぜ他人を許せないのか?

created by Rinker
社会問題にもなっている正義中毒とは?そして、なぜ正義中毒になってしまうのか?

日テレ「世界一受けたい授業」

「このように正義感が暴走して他人を過剰に誹謗中傷し、傷めつけようとする人は正義中毒

人はなぜ正義中毒になってしまうのか?
それは人間の脳が他人を罰することに快感を覚えるようにできているから。
自分の考えに反する人を攻撃すると、脳の側坐核が刺激されて快楽物質のドーパミンが放出される。そのため過剰な正義感で中毒のように人を攻撃してしまう。
特に日本人は正義中毒になりやすいと言われている。

社会的危機、経済的危機が続く間はだれしもが正義中毒に陥りる可能性がある。

どういう人が正義中毒になりやすい?
1、一見いい人に見える。(率先して掃除をしたりなど)
2、SNSなど匿名性や似た者同士が集まりやすい環境

同じ嗜好の人といるとき幸せホルモンオキシトシンが分泌されるが、自分と反対の考えを持つ人を見つけると、脳の前帯状皮質が反応し、嫌な気分になる。嫌な気持ちを消したいために相手を積極的に攻撃してしまう。

韓国ではこのような人たちを「指殺人」と呼び、問題視している。(SNSの誹謗中傷事が原因で芸能人自殺事件から)
脳の前頭葉の働きが通常は抑制する仕組みなのですが、匿名の場合前頭葉が働きにくい

日テレ「世界一受けたい授業」

普段は大人しい人が車を運転しているときだけ、人が変わったように暴言を吐いたり、高速道路でのスピード競り合いを行うなども、匿名性に依るものなのでしょうか。

同調圧力も正義中毒になる要因の1
「同調圧力」とは周りの意見と異なる少数派を意識したとき、納得していなくても多数派に合わせて攻撃してしまう。正義中毒者は同調圧力に敏感といわれている。

日本人が同調圧力を受けやすい理由
日本に自然災害が多いため、個人<集団 の意思決定が重要になるため。

人間のイライラをコントロールするのはセロトニン
そのセロトニンの量をコントロールしているのが“セロトニントランスポーター”というタンパク質。その量が少ない人ほど復讐したいという心理が働く。

イェール大学医学大学院の研究
日本人のセロトニントランスポーターの量を調べたところ世界で一番少ない部類に入ることが判明。つまり脳科学的には「日本人は一度頭に血が上ると何をするかわからない」ということ。
そのため自分には関係のない人の不倫や不謹慎な言動に対して、日本人は一斉に攻撃をする傾向にある。

「正義中毒にまでなっちゃう人の脳はちょっと衰えている可能性がある」
「脳が衰えてくると自分を客観視できなくなる。客観視できなくなると他人を許せないという感情を抑えられなくなってしまうという危険性がある」

脳が衰えているサインとは?
頻繁に過去を美化する行為すると脳が衰えているサイン
「自分の悪かったところを全部スルーして良かったところだけを思い出す。脳の前頭前野が客観的に自分を見られないという衰えのサイン」

正義中毒にならないための予防法
前頭前野を働かせるには普段あまりしないことをすることが効果的。
「前頭前野を鍛えればいいということ」
「例えば目的地までいつもと違う道を使ったり、普段あまりやらない家事を手伝ったり。いつもの慣れを少し変えるだけで脳は活発に働く」
「日常的に慣れていることをしているとき、脳には新しい刺激があまり入らないので前頭前野だけでなく脳そのものが活動しなくなってしまいますので、普段あまりしないことをする」

他人のことは、自分の人生にはあまり関係ないと言う考えを、あらかじめ持って、人と接するときにはいい距離感で接しようと心がけることが一番大切。

日テレ「世界一受けたい授業」

 

正義中毒になる人の脳は衰えている可能性がある?
そういえば認知症になると怒りっぽくなりますし、自分の意見に反する発言には敏感に反応し、激怒された体験があります。その時も(あ~前頭葉が壊れてる~)と感じていました。(個人的には「許せない脳」にだけはならないよう気を付けたいです。)

正義中毒もその部類だったとは以外です。なぜなら戦時中によらず戦後の日本社会(特に地域社会において)では国民のかなりのパーセントで同調圧力に懐柔された正義中毒と思われる人たちが社会牽引していたような気がします。現在でも思想信条を共有する個人、社会集団、宗教集団では、その傾向がぬぐい切れない場合もあると感じているからです。

ある意味の洗脳と考えると、脳の暴走も腑に落ちます。
日本人が洗脳されやすいと言うのも、このような事に裏付けられているのかもしれません。

正義中毒などは、自身の人生にとって有益とは言えません。誰かを攻撃して快感を得ることは持続可能な生き方と相反するものです。脳は瓦解へと走るでしょうし、第一面白くないことばかりが目に付くようになるでしょう。そんな人生は遠慮したいです。

正義中毒も、他律性(自らの意志によらず、他からの命令、強制によって行動すること)を持つ日本社会の持つシンドロームの一つと言えます。わたしはこれを「他律シンドローム」と呼んでいます。

このように考えてみると「ジレンマ」の正体が、観念・信念(洗脳も含め)・思い込みの不適切・不具合によるものであると考えられます。子供の頃は自分の心に正直に行動します。ところが大人になるに従い、観念・信念・思い込みによって感情・思考・行動がコントロールされているからです。

自らの司令塔となっている観念・信念・思い込みは生まれつきのものではなく、後天的に、自分自身の体験や環境の影響で構築したものということはお解りいただけたでしょうか。そしてそれらの中のジレンマを生じる要素、正直な自分の気持ちに反し不本意な選択をしている要因になる観念・信念・思い込みはないかを掘り出し、それを自分自身で構築し直すことは、ジレンマがなくなり、ジレンマによる葛藤もなくなります。結果ストレスを消失させ、自らを「快」へと導くという成果を得ることになるのです。

その意味で日本では「人間的自律」という学習選択がされにくいのも解ります。
決まった答えを与えられ、その答えに沿って足並みを揃えることを教えられてきたことで、自分で考え、自分で決め、自分で計画し、そのために必要な知識、資財を調達する能力が養われにくい環境にあったことが「他律シンドローム」を多く排出してしまったのです。とはいえ少数派かもしれませんが、確実に「自律」を果たしている人々も多く、そういった人たちのリードにより、自律意識の拡散を推し進めることよって、移行は難しくないはずです。幸いにも日本では、テレワークがトリガー(引き金)となって生活様式、働き方の変革が始まっています。皮肉なことに、日本人の「追従性」がそれを後押しするでしょう。

日本語にはこんなに多くの「他律」「追従」言葉がありました。(ほんの一部)

阿付雷同(あふらいどう):自分の意見がなく、何も考えずに他人の意見に従うこと。
阿諛追従(あゆついしょう):相手が気に入るように、こびへつらうこと。
唯々諾々(いいだくだく):物事の良し悪しに関わらず、何でもはいはいと従うこと。
軽挙妄動(けいきょもうどう):軽はずみに何も考えずに行動すること。
迎合主義(げいごうしゅぎ):相手の意向に従おうとする生活態度のこと。
尻馬に乗る(しりうまにのる):よく考えずに人の意見に同調し、軽はずみに行動すること。
同じて和せず(どうじてわせず):たやすく同調するが、心から親しくはならないこと。
党同伐異(とうどうばつい):物事の善悪に関係なく仲間を味方し、反対の者を攻撃すること。
長いものには巻かれろ:強い権力には逆らわずに従った方が良いこと。
吠影吠声(はいえいはいせい):根拠のないことでも誰かが言いだすと、多くの人が本当のことのよう に言いふらし始めること。
付和随行(ふわずいこう):自分の考えがあいまいで、他人の意見に従って行動すること。
雷同一律(らいどういちりつ):周りに流されて簡単に他人の意見に同調すること。

 カピ様の国語教室

上記のような人はどこにでもいますね、むしろ日本人の多数派と言っても過言でないでしょう。

反対に「自律」に関わる類語、同義語です。
自立自存(じりつじそん):他人の力を借りず、自分の力だけで生きること。 転じて、独り立ちすることを意味する。
狷介孤高(けんかいここう):自分の意志をかたくなに守って、他と協調しないさま。
独立不撓(どくりつふとう):他人に頼らず、独りで最後までやり抜くこと。
不羈独立(ふきどくりつ):束縛されず、また助力を求めず、独力で道を切り開いて行こうとすること。

他律用語のほうはよく耳にしますが、自律用語は自立自存を除き、さっぱり聞いたことがないような言葉ばかりです。それだけ、日本人には「他律」が身体に浸みこんでいるのではないでしょうか。

「自由にやってください」と言われると、どうしていいかわからない、という人たちが多いのもわかるような気がします。隷属・追従型人間に懐柔されてしまった私たちです。そうなるとどこまで行っても「人間的自律」を果たすことは困難ということになりますが、それでは日本の未来は開けません。何とかして、「無用者階級」などないポストコロナ時代に向けて、みんなで「自主・自律」を目標にアイデアを絞りたいものです。

「自律分散型社会」とは

最近話題になっている「自律分散システム」とは

集中管理の対義語。全体を統合する中枢機能を持たず、自律的に行動する各要素の相互作用によって全体として機能するシステムのこと。インターネットが典型。人間を含む多くの動物も自律分散型制御を行っている。

自律分散システム

インターネットそのものは自立分散システムの代表的なモデルとされています。インターネットは特に管理者がいないまま、自律的に独立したネットワークが連携して稼働しており、常に変化し続ける環境にも適応しているためです。

この「自律分散システム」は、すでに企業その他の組織で活用が拡がっています。今後は益々拡散し、社会全体がこのシステムで動くようになるでしょう。

このようなシステムに転換する中、「他律」付和雷同は武器の用途に使えないどころか、社会的に不適切な道具になるでしょう。しっかりとした「意思」と「主体性」「考える力」を有する「自律」した人間同士での相互作用でしかネットワークは形成できないからです。

自由意思は自律的人格という感覚を保持するために必要で、逆にその感覚がないということは、社会生活への適応力がないことを意味し、そのような人間は問題であり、病的で、精神異常で、社会的でなく、協働に適しない人である。

高橋高橋伸夫ゼミナール

と、ちょっと過激な言説もありますが、あながち拒否できるものでもなく、先述のユバル・ノア・ハラリ氏が危惧する「無用者階級」の予言を思い起こされます。パラダイムシフトが進めば、当然訪れるであろうと頷ける論説です。

一人ひとりの「自律」の重要性を物語っています。

←「快三昧に生きる」【6】

→「快三昧に生きる」【8】

この記事をシェア:

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です