『快三昧に生きる』 【5】

2020.7.7

「統覚」(統合された意識)と、記憶のネットワーク化については、もう少し紙面を必要とします。そのため、更なる関連事項など難しい領域への深堀は後にゆづり、ここではごく簡単に大枠だけの説明にとどめます。
前述のように、意識が統合されるという過程こそ、点が面に成る記憶のネットワーク化ではないかと確信しているのですが、この「点が面に成る」感覚が「気づき」につながっていることを再々体験したことによるものです。
「あ~そうだったのか~」と感じるとき、これまで入力した知識、体験の記憶が、あるきっかけ、刺激によって突然線で結ばれ、俯瞰視点から観えるという状態の感覚です。誰もがそんな感覚を一度や二度は経験しているのではないでしょうか。

実は、この感覚は脳内を喜ばせ、有用ホルモンの分泌につながるようなのです。

「快三昧に生きる」の神髄は、この「脳が喜ぶ」という作用に支えられています。もちろん「統覚」だけに依拠するものではなく、他にも「脳が喜ぶ」資源はあります。「統覚」が脳のシステムに強化されることで、「好奇心」を維持できる構造になります。「好奇心」こそ、人生レールの最も優れたエネルギー源となり、人生を楽しく創造する大きなツールとなります。

「統覚」については、今後再々登場することになりますので、少しづつ理解を深めていただくとして、もう一つ重要となる「快三昧」の障害になるストレスについて考えてみたいと思います。

ジレンマの認知

「快三昧に生きる」ためには、それを一番害する要因であるストレスを何とかしなければなりません。そこで、重要となるのがジレンマの認知です。

気づかない間に発生しているジレンマこそがストレスの発生源となります。ジレンマの認知に成功すれば、「快三昧に生きる」をほぼ獲得できることになるでしょう。それほど重要な認知である「ジレンマ」は、ほとんどの人が無視し、諦めてしまっている課題ということを、後に痛感することになるでしょう。

みなさんは、ストレスについて、どのように対処されているでしょうか。多くの人の場合、ストレスの原因に目を付けるよりも、抱えたストレスをどのように解消するか?という、治療に関心を寄せて居られるのでないでしょうか。医学においても予防よりも治療に重点を置くことを目標としてきた文化ですから、そのように考えることは当然と言えば当然のことです。しかも病気の原因の多くを占めるのがストレスと知りながらも、それを無視してしまっている。

余談ですが、本書の提案は押しなべて、そのような文化に逆行し、ことごとく常識破りの逆説を唱えることが多く、その面でも賛否の格差を生むことでしょう。それも面白いと思いながら楽しんでいただくようお願いします。

ストレスの治療薬というものは、特になく、様々な栄養ドリンクを始めとするサプリメントを摂取しますが、簡単にはスッキリするまでに至らず、日常的に、飲酒、喫煙、ギャンブル、散財、その他あまり健康的とは言えない治療法を駆使して、束の間の解消を図っている有様です。日に日に積み重なっていくストレスを背負いながら、何とか自分を騙しだましやり過ごしているというのが実情ではないでしょうか。ところがそんなストレスの積み重ねは、次第に心身を蝕み、多くの人が成人病の基礎疾患を抱えてしまうことは周知の事実です。免疫力は衰え、やっと役割を終えた定年を迎えるころには、身体はボロボロになり、リタイア後の楽しみ計画は実現に及ばず病院通い。というのが日本人の多くの人の当たり前のような晩年になっています。高齢者の話題は、病気や、薬の話ばかり。そんな話に花が咲き「死」を実感した人たちは、「終活」などと銘打って、死ぬ準備を始めます。
私の友人にも、そんな人がいます。すっかり身の回りを整理し、パソコン、携帯まで持たなくなり、すべての人間関係を断って連絡が取れなくなってしまいました。ただ死を待つだけの日々のようですが、もしかしたら「悟り」の境地に至ったのでしょうか。実際人間関係を断てば、ストレスの発生源は無くなるわけで、ストレスのない穏やかな暮らしなのかもしれませんが・・・私の境地とは程遠く、そういったやり方を選択したいと思わないのは、俗人だからなのかもしれません。

ストレスはなぜおこる?

 もちろん、人間関係がストレスの大きな側面になっていることは確かです。しかしながら、前述した友人のように、完全に人間関係を遮断することは、社会的に成立するものではありません。生きることの中に、仕事や人間関係は重要な要素を占めています。それだからこそストレスは厄介で、その取扱いは微妙と言えるのでしょう。

臭い物には蓋をせず「元から立たなきゃダメダメ」どこかの消臭剤のCMかもしれませんが、この言葉はヒントになります。つまり、これまでのように蓋をし続けながら、どんどん溜めてしまうやり方は、もう止めましょう、ということです。とことん解消できなければ、溜まるだけで、溜まればそれだけ解消が難しくなるばかりか心身を蝕む方向に進んでしまうからです。

1、一体なぜストレスはおこるのでしょうか?
2、ストレス社会から逃れる術はないのでしょうか?

ストレスを作り出す大きな原因及び解決策を見つけました。

1、の答えは「ジレンマの認知」
2、の答えは「自己ジレンマの発見と消去」

実に簡単なことなのです。
といっても、実践する段階では、ジレンマには気づきながら、無視する。という行動をとってしまうのが人間の習性です。先に示したように、“ストレスは健康を害する大きな要因と知りながら、ストレスの基に注目しない”という矛盾を平気で犯すのが人間です。

その奥底に横たわっている「世界は矛盾だらけ」という論理を信じ、それに従っているからです。一事が万事、人は自分で作ったシステム(運命ともいえる)に苦しめられながらそのシステム(運命)にコントロールされ、追従しているのです。ましてやそのルールを解こうなどという行為は思いもつかない。そういうことを繰り返しながら、苦痛や痛みという心労(ストレス)に耐える力をひたすら養ってきたのです。努力、根性、忍耐、我慢はこうして人間賛美の言葉として定着しました。

AI(人工知能)の学習は、成功体験へ向かって学習し、より早く必要な答えを導き出すことに専念しますが、人間の観念形成では、矛盾やジレンマを温存したまま、人間の負担(心労)で片づけ、しかもその負担を美化することで、調和を計ろうとする姑息術を生み出しました。つまり故障ばかりする機械を使いながら、「機械は故障するもの」として、それを使いこなす術、そして故障を直すよりも油を注いで、磨き上げ、なだめすかして、長持ちさせることに勤しむ、そういうことを価値とし、賛美し続けてきたようなものです。複雑この上ない構造になっているのが人間の創り出した文化社会と言えます。

実はこのシステムは、経済界にも応用され、「資本主義は利潤追求」の精神が行き過ぎて、詐欺すれすれの手法を使ったり、社員へのパワハラで労働基準に触れたりというようなブラック企業なるものを多数輩出しました。現在では、誠実に商いを営む昔ながらの善良な経営精神の企業を探す方が難しくなっているのではと、人間不信になりかけています。これでは、ストレスもますます増えるばかりです。

泣き言はさておいて、「ジレンマの認知」について、説明を加えたいと思います。

ストレスの出処は、自己の内なるジレンマにある。

多くのビジネスマンの例では
組織内規則や慣習に従い、人間関係を円滑にするために、空気を読み、上司や先輩に忖度し、細心な心配りと危機意識の連続で行動している。本当に疲れるし、面白くないが、仕方なく生活のために(収入を得るために)こうするしかない。本音はこんなことを一生続けたいと思っていない。「人生の大半を苦悩労働に費やすために生まれてきたんじゃない‼」と叫びたくなる、などと感じながら、抗うことなく従順に通例に従っている。

社会の常識は「世の中甘くない」「働かざる者食うべからず」「この世は苦の娑婆なり」など、ストレスをストレスと受け止めることすら許さない風潮にあることがそのことに更に拍車をかける。このような例は枚挙に暇がありません。

政治家はこのような社会を住みやすくするための役割を担います。しかしながら現状は政治家自体が更に厚い層のストレスを内蔵したジレンマだらけの自己や組織の世界を創って、その中で息絶え絶えに生きていますから、とても期待できるものではありません。

先日、ある国会議員夫婦による100人への多額買収疑惑の報道に伴い、元参議院議員のTさんが、コメンテーターとして出演していました。彼女は3年前自身の激昂、暴言の様子を秘書に暴露され、週刊誌、ワイドショーでの大バッシングを受け、その後議員を辞めた方です。絶叫する様子が、あまりにも印象に残り、最初はあのTさんと気づかないほどでした。穏やかな口調で、しっかりコメントしている様子を見て、むしろ好感を憶えるほどでした。

意地悪なMCから、再出馬は?と問われ「二度とあの世界に足を踏み入れたくない、虐められていることすら気づかなかった」という言葉がとても印象的でした。

Tさんも、不条理、理不尽などに押しつぶされ、自らのジレンマと戦いすぎて、激昂などと言う不本意な結果に至ってしまったのかもしれません。ある意味では伏魔殿的組織の犠牲者だったと言えるのではないでしょうか。一旦怒りに火がつくと、理性では抑えられない仕組みに制御されてしまうことは誰にも起こり得ることです。怒りの爆発は、ストレスの限界を超えることにあります。人の行動は自己意識が決定しているのではなく、無意識に制御されているということを知ることが大切です。

このような社会構造は、やがて来るポストコロナの時代には受け継がれたくありませんし、地球規模での気候異変や、パンデミクスがきっかけで、あらゆるモノ・コトが、あらたな構造へ移行せざるを得ない状況になっています。ポストコロナ時代ではあらゆるシステムはピラミッド型トップダウンからネットワーク型フラットシステムに移行する運命にあります。そんな中で人間社会の構造も移行するしか道がないからです。
まず、一人ひとりが「快三昧に生きる」をべースに個々の役割分担を完遂する、そのことが全体最適化を実現する。そんなシステムが拡散すれば、汚泥にまみれた社会に蓮のように花を咲かせ、やがて浄化に至るのも夢ではないでしょう。

このようなネガティブな記事の伏魔殿組織、伏魔殿社会の実態を過去の遺産として笑えるような、ポストコロナ時代の社会とは「自律分散型システム」ではないかと考えられます。

人間の脳の仕組みは、すでにこの自律分散システムで成り立ち、またその強化こそが脳の老化を阻止するのではないかと考えます。
そのためのソリューションこそ各々が自律し「快三昧に生きる」です。
ジレンマがストレスを生み出しているということに意識を向け、内なるジレンマを検索、まず自分の中にもジレンマがあることを認知することで、はじめてそれを‟何とかしたい‼”というこころの動きが発火します。

こうした認知―発火―行動のシステムが、あらたな自分を育てるエネルギーとなって動き始めるとき「生活のために」という大義名分が実は自分の本音ではなかった、ということを自覚することになるでしょう。

現実社会の中でノンストレスに生きる術、「そんな方法があるかもしれない」から始まります。そのためのレール引きの第一歩が「ジレンマの認知」です。否定的な思い込みを一掃する。それが第一歩です。

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