『快三昧に生きる』 【4】

2020.7.1

ポストコロナの時代を、これまでより平和で生きやすい世界に変革するパラダイムシフトというチャンスが、今、ここに到来している。そんな想いが筆を運ばせ『快三昧に生きる』が誕生しました。

こんなチャンスはめったに訪れるものではありません。この時代に生まれ、この時代に生き、この大変革の真っただ中にいるということ、こうした貴重な時期にいてエキサイトしながら、変化の過程を体験する。正に映画や小説の世界そのものが、現実の目の前に展開されているのです。これを感謝せずにはいられませんし、このチャンスを逃すわけにいきません。
どのような世界を望み、どのような国を望み、そしてそこで自分はどのように暮らしたいか?それを考えるだけで、自分なりの一石を投じることになります。
そういう個々それぞれの想いの一石が統合されて現実世界を創るのですから。
自分なりの一石を投じようではないか!そう思うとそれだけでワクワクします。そしてコロナ禍をワクワクというシールドでやり過ごしながら、コロナアフターのビジョンを描くことができます。

「引き出し」から「統覚」へ

最近の若者たちの中に、夢とか、希望とか、未来展望が解らない、そういったことを考えたことがない。むしろ、そういうものは必要ない。という人たちがいます。大人から見ると、無関心とか無感動といった冷めた目の持ち主たちに見えます。彼らは、異性にも興味を示さず、ステイタス(車・ブランド・出世など)にも興味を示しません。上司への忖度、先輩への気遣いなどにも無関心で、同僚たちとの‟付き合い”もはっきり断るというように、ある意味で「悟り」を想起させるような淡々とした生き方です。外側から見ると、楽しそうには観えませんが、彼らなりの道を開いていることは確かです。ひたすら「わが道を行く」新人類的人間像を示してくれています。

逆に、幼少期から好きな事に集中し、その過程で自己学習を積み重ね、知らず知らずのうちに自分のレールを引き、自分なりの「処方箋」で、楽しく生きる術を獲得している子供たちも増えています。これはインターネットの普及が進み、自己学習が容易になったことによることも大きいでしょう。
いずれのタイプも、精神構造、あるいは頭の構造が、これまでの化石人間に比して進化しているように思われます。こうした現象は、パラダイムシフトに拍車をかけ、ポストコロナ時代の枢軸を担う人材となる可能性を匂わせていると考えられます。

自己学習と言えば、私もインターネットのお蔭で、本に頼るだけでなく、瞬時に調べものができ、しかも一つの事象への複数の見解を得ることも可能なので偏向も少なく、自己学習は過去より数段高度化され、その分人生をより楽しめています。ありがたいことです。
先日も新型コロナウイルスに関連する論文についてのこんな情報がありました。

新型コロナ特集。ノーベル賞科学者・山中伸弥さんを中心とする専門家チームが人工知能AIとタッグを組んだ「論文解析プロジェクト」がはじまった。いま世界の研究者は週に数千本に及ぶ論文を査読前からネットで共有する、かつてない人類総力戦を続けているが、膨大かつ玉石混交の情報は、専門家でさえ全体像が把握できない。命を救うカギはなにか?ビッグデータの解析から、人類共通の課題に挑む。NHKスペシャルとの連動企画。

サイエンスZERO2020年5月31日放送 (C)NHK

これまで論文は査読を通して発表されていたものが、査読の前にネット公開され、しかもその膨大な論文のシェアー状況の変化をAI(人工知能)処理により刻々と伝える俯瞰図によって、どの論文をどの国がシェアーし、現段階で注目を集めているのは?それとの関連がありそうな基論文は?などを可視化しているというのです。
こうして世界中で「智の共有」が始まり、私たちは望めばどんな分野の智もシェアーできる時代に居るのです。ほんとうに驚くばかりです。

わたしたちの脳においても、これと同様の記憶機能があります。
但し、これまでの詰め込み教育で一つの答えを丸暗記するように育てられた人たちは、「知っている」の引き出しに答えをため込む習性が身に付き、バラバラな記憶の積み重ねから「知らない、初めて」の経験を判断するような構造に仕立て上げられました。その結果ある程度溜められた記憶の中で脳内ルーティンが仕上がり、新しい物への好奇心は弱まり、未知への違和感や怖れが強化されて、回避や排除の仕組みへと進む習性を創ってしまったようです。

世の中は知っていることよりも知らないことの方が多く、すべての記憶を引き出しに収納することは不可能です。膨大な知識の海ですべてを吸収できないと知りながら、泳ぎ続けることなどできません。こうして人は勉強、学習を投げ出すことを受け入れました。これは学校教育の責任です。
でも記憶のすべてが、関連情報とネットワークで繋がれば、すべての情報が統合され、系統的に管理収納されます。まさにこれが情報の俯瞰図です。

AI(人工知能)のシステムではこれをニューラルネットワーク(脳内ニューロンを模したもの)と呼び、1943年にすでに開発された技術だそうです。現在ではその技術の高度化が進み、ディープラーニングにまで発展しネットワークがより多層化したものになっているそうです。
参考; ニューラルネットワークの「基礎の基礎」を理解する

人によっては、幼少の頃から好きな事を見つけ、それに夢中になる、という性質を持った子供は、脳内の構造がネットワーク化され、さらに多層化された人たちは高度なアイデアを生み、リーダー的役割を担って社会で活躍していることを知りました。
そういう人たちの思考を観察すると、脳内構造は正しくネットワークで繋がれ、しかも多層化しているように見えます。そして、前述のように、新世代の子供たちの中には、そうした構造を早くから構築している天才型も多いように見受けられます。

私はこの旧来型詰め込み教育を「ヒエラルキー型」、そしてもう一方を「ネットワーク型」として分類しています。それらが混在した形も後者に入ります。
このように分類してみて、あらたな事に気づきました。

これまで人間が作った歴史で「ヒエラルキー型」社会が多かったのは、脳のシステムがその要因になっていたのではないか、という見解です。
これは、一神教の影響によるもので、ヒエラルキーの先端には、必ず神(時には神に代わるカリスマ)が据えられます。ヒエラルキーの構造は頂点の神によって絶対統制が容易になります。

一方多神教の日本では、世界の他の国に比べると、ヒエラルキー型よりもネットワーク型に近い、精神構造が本来的にはあったのではないでしょうか。

私たち日本人は一神教型西洋文化にあまりにも影響されすぎて(日本人が憧れたこともある)、本来の精神を忘れてしまっていますが、そのDNAが新世代の子供によって思い起こされ、発露しているのではないか、そんな風に思われてなりません。

私たちのように古い教育に侵された大人は、国家戦略の犠牲者となり、「無用者階級」になりやすい頭の構造に仕立て上げられてしまいました。
植木の仕立て直しも厄介ですが、人間の仕立て直しも容易ではありません。
一人一人が自覚して、いくつになっても、「今」に対応できる自己の育成に努めることが、必須になっていることを忘れたくないものです。

こうしてみるとき、若者への上から目線などもっての外、むしろ若者たちは古い大人たちよりも、脳内処理の機能が進化していると思った方がよいという結論に至ります。。
私たちは彼ら以上に学ぶ必要があるということです。

「統覚」という概念が上記の脳内構造の表現にぴったりに思え、見出しに使いましたが、「統覚」の概念は心理学・哲学用語として使われることが多いようで、難しい解釈がされています。
本書は単純に「統合された意識」と言う意味で使わせていただいています。
意識が統合されるという過程こそ、点が面に成るネットワーク化ではないかと確信していることによるものです。

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