意識のちから

脳と無意識Ⅱ

幸せな人は健康で長生き

申すまでもなく、幸せな人は概ね健康で長生きできることが知られています。日本人の場合、「富」に幸せを求める人が多いように感じていますが、それを裏付けるデータがありました。
以下引用『幸せのメカニズム』前野隆司著(講談社)より

 調査会社間カンター・ジャパン2012年調査

16歳以上の男女を対象に財産の所有と幸福感に関して「もっと多くの財産があれば幸せなのに」と思う人(非常におもう・やや思う・と回答した人の合計)は、

 ロシア(70%) 中国(70%) 日本(65%) イタリア(36%)
フランス(35%) スペイン(27%) アメリカ(16%)
という結果を示しています。

 
 この結果を見ると、日本人は中国、ロシアに近い価値観を持っていることがわかります。何だかガッカリしています。中国の70%は腑に落ちますが、日本がほぼ同程度であったとは以外でした。それとアメリカの16%も驚きです。格差が大きな問題になっている現在(最もこの調査は4年も前ですから現在は多少異なっているかもしれませんが)、日本と真逆の結果が出ています。日本人の精神性はどうなっているのでしょうか。
さらにここでは「フォーカシング・イリュージョン」という言葉で下記のような見解を示しています。

「フォーカシング・イリュージョン」はブリンストン大学名誉教授 ノーベル経済学賞受賞者 「ダニエル・カーネマン」の言葉だそうです。

  フォーカシングは焦点を合わせること。イリュージョンは幻想。だから、フォーカシング・イリュージョンとは間違ったところに焦点をあわせてしまうという意味です。つまり「人は所得などの特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにも関わらず、それらを過大評価してしまう傾向にある」ということ。「目指す方向が間違っているよ」です。

 カーネマンらは、「感情的幸福」は年収7万5千ドルまでは収入に比例して増大するのに対し、7万5千ドルを超えると比例しなくなる、という研究結果を得ています。・・・中略

 「人生に満足していますか」という問いへの応えは年収に比例したのに、「楽しいですか」という問いへの応えは年収7万5千ドルを超えると年収とは無関係になっていたということです。

  ここでは、そこそこリッチな生活ができた人が「生活には満足しているが幸福ではない」と言っているということです。
さて、ここで「フォーカシング・イリュージョン」という言葉についてですが、私個人はちょっと異なる視界を感じています。前回の「受動意識仮設」を思いだしてください「受動意識仮設」とは脳の機械的動作を顕す概念でした。そして、これが仏教的「空」の思想と一致するのではないかと私的見解をのべました。そこでダニエル・カーネマンの新たな概念「フォーカシング・イリュージョン」を考えるとき、正しいにせよ間違いにせよ、とにかくフォーカシング(注目)したときイリュージョン(幻想)が顕現する。ということはここにも同じような世界が覗えるのではないでしょうか。
 言い換えると、フォーカスからイリュージョンがうまれる。つまりどこへフォーカスしても、その瞬間イリュージョンという幻想を観る、ということです。

 科学的研究分析の中に、こうして仏教の根本理念に通じる概念を多々発見することが多く、いずれは「宗教」という括りを外して人が幸せな人生をゲットするための必須科目として教育に取り入れられる時代が来るのではないかと感じています。「宗教」でなくとも学校教育のなかで健康と満足、そして楽しい日常を手に入れるスキルができれば、医療費は大幅に削減され、健康な老人たちは仕事に従事し、取り敢えず少子化をやり過ごすことに役立つのではないかと思うのです。これもイリュージョンかもしれませんが顕現すると嬉しいイリュージョンです。

 

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