価値観とは その2


その2

先回では現代人の価値観が概ね「物量志向」「状況志向」「戦略志向」のたった三つのタイプに分けられるということを心理学から学びました。今回はそれが現代人という前提にあることを、もう少し掘り下げて考察してみたいと思います。というのは、結論から言うと『刷り込み』の現象によって現代の人々の思考が無意識のうちに偏っていることを考えるべきではないかと思うのです。

この三つの内の「物量志向」タイプが最も多数を占め、次に「状況志向」そして「戦略志向」と続くということも、この『刷り込み』から理解することができます。さて、どのような『刷り込み』が人々の価値観に影響を及ぼしているのか?お読みいただいている方には既にお気づきのことと思います。

そうなんです。それは欧米諸国から始まった、自由と競走を旗印として世界中の基盤となった資本主義が原因なのです。

日本がかつて『士農工商』という身分制度の上に社会基盤があったころ、武士は貧乏でも誇り高き存在として位置し、次にそれを支える農民が2番手として社会の上位に存在します。三番目は職人という技術者が位置します。そしてお金持ちでも一番卑しい存在として商人が最下位の存在となります。

世界においても、お金を扱う仕事は卑しい職業として、その他の技術職につけないユダヤ人がそれを担っていました。そして『利子』という金融のシステムを創ったのもご存知のように彼らです。この問題についてはさらに掘り下げる必要がありますが、あらためてその機会を設けるとして、今回は資本主義によって如何に私たちのマインドがコントロールされ、色づけされてしまっているかについて記したいと思います。

共生⇒競走⇒共生

インターネットの普及により、最近は世界中の資本主義体系を担っている中心的な組織・人物の『嘘・秘密』がリークされることが多くなっています。民衆の多くは「そんなことはあるわけない」と注視しようとしない人たちですが、日本においてもアメリカの秘密文書の公開がキッカケとなり公に晒されるようになってきました(NHKスペシャル新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われたhttps://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160124)
ケネディーそういった映像や文書などを見ると、いかに末端の民衆が騙されてきたかと口が空いたままになってしまうほどおぞましいものです。
こうして私たちは、競走を強いられ、ピラミッドの頂点の組織や人間たちに搾取されていたことを今更知らされたとしても、これまでのマインドに刷り込まれた癖を変えることはそう簡単にできるものではありません。

楽観主義と悲観主義を研究する、オックスフォード大学、エレーヌ・フォックス教授によると『帰属の誤り』によって見える世界が全く異なると言っています。
NHK白熱教室

 

 

 

 

 

 

性善説と性悪説という両極端な説があります。
以下ウィキペディア(Wikipedia)より

性善説は人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説、特に儒教主流派の中心概念。 人の本性に関する考察は古今東西行われてきたが、「性善説」ということばは儒家のひとり孟子に由来する。中国では「人とは何か」といった抽象的なテーマは取り上げられず、より具体的に政治意識との関連で語られた。政治と道徳とをどう結びつけるのか、もっと言えば政治権力をもった支配者の行動を如何に道徳的に規定するかということに関心が集中したのである。 

性悪説は人間は生まれたときは悪人で、生きていく中で善を学び、善行を積んでいくという説。 ちなみに「性」とは、「うまれつき」という意味である。 性善説も性悪説も古代中国で誕生した思想で、人間の本質を探究する中で発展した哲学である。

キリスト教においても、『原罪』を教えられている。諸説あるが、いずれも人は生まれつき罪深いことを示している。そして日本においても現在「性悪説」が多く支持されていると言います。 

こうして古い時代からの宗教や哲学が人のこころに刷り込まれた『帰属』の意識が関わっていることがよくわかります。

また、NHK白熱教室での、幸せになるための技術「シーナ・アイエンガー教授」講演では『選択』がもたらす人生への影響について語っています。
シーナ・アイエンガー人はどうしたら幸せになれるのか?

  • ・選択をするとき文化の影響は避けられない?
  • ・直感と理性のすりあわせ?
  • ・溢れかえる選択のチョイス?
  • そしてどうすれば意味深い人生を手に入れられるか
  • ・幸せの定義とは?
アイエンガー教授も人の選択に文化の影響が避けられないことを唱っている。そしてやはり彼女の選択の基に「己に帰属している西欧文化」と「集団に帰属している東アジア文化」の違いを指摘し、後者にぞくする日本文化の興味深い観察を講演しています。詳しくは↓      
  •  https://www.youtube.com/watch?v=ZD3r5jtLEPo  Yuチューブ動画
  • 『ゆとり世代』と言われる18歳から27歳の若者の特徴として、競走の土俵から外に出た生き方を選択している人が多いと聞きます。きっと親世代以前の競走に疲れた大人を見て「ゆとり教育」により考える習慣がついた結果なのかもしれません。
    縄文時代、日本は平和で競走などない「永続的共生社会」を創っていたことも、最近の研究により明らかになっています。最近富に「シェアー文化」が色濃くなっているのは、彼らが社会の担い手になる頃再び「共生」の社会が訪れる前触れなのでしょうか?
  • そういった平和で心豊かな共生社会が競走社会に変わり、それも同じ人間が選択してきたのですが、選択した私たちは骨の髄まで『負けない』が染み込み、頑張って頑張ってやっと生きて来たという姿を顧みると、縄文時代が懐かしくなるのも否めません。
  • 先回記した「物量志向」に観る『ガッツと根性』の体育会系では目標とするものは勝(負けない)ことです。つまり競争原理に基づいて仕上がった資本主義の最も基本的な姿勢です。成人男女の約6割がこのタイプに属するということも頷けます。戦中・戦後の日本ではさらに高い比率で、このタイプが占めていたのではないかといえます。
  • ユダヤ人から始まった『腐らない上に増え続けるお金のシステム』は、人間をお金の奴隷にしてしまったようですね。

「状況志向」という非主体的選択の方法で自分を守る生き方も、勝てないと自分をよく知った人の選択です。自分を出しても負けるなら「何も言わない、しない、が仕事」という人たちが増えるのも当然の現象でしょう。そしてできるだけ強い人(組織)に受け入れられるように努力するのも一つの競走であり戦いとなっています。

 これまでのことから「集団への帰属意識」が大きく作用しているということが解ります。 
「戦略志向」は「世界で一つだけの花」的世界観の持ち主と言えるかもしれません。どちらかというと欧米諸国の文化「己への帰属」傾向にあることも見えてきます。日本人に少ないのも当然のことでしょう。

どちらが良い、悪いとは言えないことも、このように観察するとよく解ります。それぞれが、自ら『帰属』する世界をあらためて確認し、そこが居心地よければその世界を更に深め、窮屈ならいつでも『帰属』を移行できることも解ります。

いずれにしてもそれぞれの居心地よい世界に住むことこそ幸せといえるのではないでしょうか?

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