6月24日放送の「ホンマでっか」の番組中で、武田邦彦先生の発言に納得!
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- 武田邦彦 生年月日: 1943年6月3日 (72歳)
武田 邦彦 は、日本の工学者、環境評論家。中部大学総合工学研究所特任教授。東京都出身。 専門は資源材料工学で、機能材料構造を研究テーマとしているが、地球環境問題についての著書やその主張によるメディア露出が増えており、それらについては議論が起こっている。 ウィキペディア
“人は25歳くらいまでに正しいと思うことを決める。人間は正しいと思うことを決めてないと生活して行けないから、その後60才までそれは変わらない”
これがその人の『価値観』ですね。
そうなるまでには、多くの周囲の人たちの個人意識や集合意識の影響を受け、それらを取捨選択してできあがるわけなのですが、それが25歳くらいまでに固まると聞きなるほどそうかもしれないと納得しました。
そこからは自分が正しいと思っていることにまっしぐら!他人が当てはまっているかどうかでその人の良し悪し、好き嫌いを判断することになります。もし自分の決めた価値観に沿わない人を見ると『おかしい!』となるわけですが、それが60才まで変わらないというのも、またまたなるほどと思いました。
ところで善悪を知る『知恵の木』の話を聞いたことがあると思います。
以下ウィキペディアより 『創世記』によれば、人間はエデンの園に生る全ての樹の実は食べても良いが、知恵(善悪の知識)の樹の実だけは、ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)により食べることを禁じられていた(禁断の果実)。中略 しかし人間を神に背かせようとする蛇に唆されて、初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、善悪の知識を得たアダムとイヴは、裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。
今世紀の初めにすでに『善悪の知識』が生きる上で必要とされていなかったということですね。
そもそも善悪とかモラルなどは国により、時代により、組織により、状況により人によって様々に変化する普遍のものではありません。殺人でさえも戦争時には正当化されてしまいます。
そういう価値観(自分が正しいと思うこと)を基準にして人間関係を成立させようとすると、腹が立つことばかりになってしまうのではないでしょうか。ただ、共感できる価値観の集まりの中では楽しいかもしれませんがそこから広がることはありません。
はなっから、「価値観は多様なもの」と認識していれば自分の価値観を押し付け
ることもなく、他人の価値観に翻弄されたり、怒ったりする必要もなくなります。
そしてもう一つ、自分自身が選択している価値観ですが、以外に集合意識の伝播によっていつの間にか身についてしまったということがあります。
それが国民性、社会性、地域性、世論、倫理、道徳、宗教などによるものです。
これらは一旦身に着くと、尋常なことでは変わらないものです。25歳で固まった価値観が60才まで変わらないのは無理もないことと思います。
しかしながら、その後リタイアしたり、時間に余裕が出てくる年齢になると、物事や世界を俯瞰する能力が長けてきます。そのことにより新しい発見や若いときには気づかなかったことなど、価値観を転換する要素が増えて高齢になってからいろいろなことを学び「一皮むけた」とか「丸くなった」と言われるような変化が起きることも多々あります。そしてそのことはまた、同世代の人に影響を与え(伝播し)多くの高齢者に同じようなことが起こる結果になっていると言えます。
このことは、ユングの「集合的無意識」や、ルパート・シェルドレイクの「形態の共鳴」などの説によって科学的理論としても知られていますが、一方では反論や批判もありますので、詳細についてはそれぞれの好奇心に委ねたいと思います。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
ステキなオリジナリティーが込められたコメント嬉しいです。
~~~~いいじゃん。…かも (笑) (^^♪
私まで(笑) (^^♪です。
久しぶりのブログアップ楽しく読ませていただきました。
「いろんな価値観があっていいんだ」
いろんな価値観を知り 認められると
良い悪いから離れられる。
好き 嫌い でいいじゃん。
そのうち嫌いが なんで嫌いなのかな~に
変わっていく…かも (笑) (^^♪