世情という教師

「失言・忖度・激昂」は本質ではつながっている

 このところ北朝鮮船が相次いで漂着し、船内には白骨死体が・・・など、痛々しいニュースが報じられています。海は戦場、彼ら漁師は海の兵士とされ、漁での死は殉死扱いされるとも。殉死扱いされると聞けば、漁師は命がけで漁に出てもおかしくない。国境警備兵までもが脱北をはかり、重傷を負い、韓国の病院で治療を受けた脱北エリート兵の意の中には数粒のトウモロコシしかなかったと言います。陸が不作で海に頼るしかないほどの食糧難の中で、ミサイル開発に多くの予算を投入する国家戦略で国民を縛る金正恩の犠牲者と言えます。

 北朝鮮は日本と同じように、民主主義を柱にしています。民主主義の中身が共産主義的か資本主義的自由競争によるかの違いがあっても、民主主義に変わりはありません。民主主義とは“国民ファースト”ということです。ところが北朝鮮では国民は最下位に位置し、上記のことからも最下位にある国民に目を向ける政治では決してないことは周知の事実です。では日本はどうでしょうか?

 今朝、TBSサンデーモーニングでは福田元総理が、森友学園問題での野党の8億円値引き経緯追及に対して、財務省記録をすべて破棄したことを堂々と国会で報告する財務省への批判が聞かれました。会計検査院の戸田第3局長は「一般論で言えば、支払いが完了していない場合は事案が完全に終了したと認めることは難しい」と述べ、記録を破棄した時期があまりにも早すぎると指摘しています。私たち一般市民の目から見ても納得できるものではありません。

 このことが「忖度」から派生していると問題になりました。現在も国会で野党の追及が続いています。財務省の記録破棄については、野党に依らずとも与党自ら追及すべきなのではないかという声も聴かれます。もしそれをしないということですと、国ぐるみで隠蔽を保護したことになるのですが、これまでこんな不正は権力下では当たり前にまかり通っていて、今回たまたま発覚した、ということなのではないでしょうか、日馬富士の問題でも同じです。「偉い人に忖度する」は、日本文化の象徴的資質です。忖度は、いつも上の顔色を伺い、その顔色に沿って自己の行動を選択決定します。そういった日常では自分よりも下位は目に入りません。いつも上を向いて歩いているから、「失言」という失敗もあって当然です。考えていること、信じていることの中に「下位を尊重」という文字はないからです。政治家も常に「国民ファースト」的意識はもっているわけではなく、パフォーマンス的に国民尊重を口にするだけです。人は心を隠し通すことはできないもの、つい失言してしまうというのは、つい本音が出てしまうということです。
  下位の者は上位の者の意を忖度し、上位を助ける役割なので、それを怠って上位の意を損ねる言動をすると、立場をわきまえないことに苛立ち、それが高じると「激昂」という結果を招く可能性は大です。これもあたりまえの成り行きですね。

 日本はまだ激昂で治まりますが、北朝鮮は命の危険にもつながる場合も多いかと。とはいえこうしてみると、日本も北朝鮮の構造と大差ないような気がしてきます。本当の国民ファーストとは程遠い自民党政権が数の力で都合のいいように独裁的に振舞っているといわれてもしかたない気がします。ちなみに韓国は日本よりも議会の力は官僚に優るようです。日本の実体とはそんなもの?と思うと寂しいですね。でもこうしていろんな実体が発覚することから新しいものが生まれるわけですから、ひたすら隠蔽され民衆はなにも知らされなかった時代からすると、情報化時代の今、将来に希望が持てるだけ良いと言えます。

 私たちも、個々人が「失言、忖度、激昂」という罠にはまらないよう注意したいものです。『思っている事は外に漏れる!』を肝に銘じて・・・・・・ 

 

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