意識のちから

「フィルター」が創る世界(5-3)

3.脳の報酬系

 これまでの「フィルター」を中心にしたお話で、「フィルター」が個々人の主観を成す源であることを、おわかりいただけましたでしょうか。このように、私たちは個々が頑なに、崩そうとしない「フィルター」に支配されながら、日常を生きています。ただ、皆様方もご存知のように、「人の心は変わりやすい」ということがあります。恋愛をして、「その人がいなければ生きていけない」と思い込んでいた人も、ちょっとしたことで、その思い込みが急に変化することがあります。それまでハート型の目で相手を見ていたのに、そのハートが消えて好きだった人が普通の隣人と同じように見えた。その後ハートの消えた目はそれまで見えていなかった、もしくは見ようとしなかった欠点や、ネガティブ要素が目につき、彼(彼女)のことを必要ではなくなってしまった、という経験をしたことはありませんか?

 これは「フィルター」の一部の因子が変化した(思い違いに気づいた)ことによって視点が変わり、その結果好きという感情が冷めてしまった、ということです。

 「思い込み」も「思い違い」も当人にしかわかりません。他の人から見ても昨日と今日と何ら変わらぬ彼(彼女)でしょう。どのように思い込まれ、どのように思い違いされているかなど、まったく感知できないことが多いものです。またそうなった時には、「思い違い」に気づいた彼(彼女)は、その詳細を語ることさえ必要としなくなるかもしれません。こうしてこの人間関係は崩壊することになります。つまり「思い違い」に気づいただけで、瞬時にそれまでとは異なる現実という世界ができあがる可能性があるということです。
 こんなに簡単に現実を変えるのが「フィルター」に影響された「感情」なのである、ということをくれぐれも忘れないでください。それを踏まえ今日は、「脳の報酬系」について少し触れたいとおもいます。

 報酬系(ほうしゅうけい、: reward system)とは、ヒト・動物のにおいて、欲求が満たされたとき、あるいは満たされることが分かったときに活性化し、その個体にの感覚を与える神経系のことである。報酬系が活性化するのは、必ずしも欲求が満たされたときだけではなく、報酬を得ることを期待して行動をしている時にも活性化する。例えば、喉が渇いているヒトが水を飲んだときには、脳内で報酬系が活性化し快の感覚を感じる。しかし、ヒトであれば歩いている途中に自動販売機を見つけた場合、その時点で水分が飲めることが当然推測できるので、見つけた時点で報酬系が活性化している。これに似たような実験をシュルツら(1993)がサルにおいて行っている。彼らは、ある視覚刺激を呈示して数秒後にエサが出てくるという装置を作り、サルをそれに馴れさせた。同時に中脳のドーパミン系細胞に電極を挿入し活動を記録したところ、実験初期にはエサが出てきた時点で細胞が活性化していたが、実験に馴れて来ると、視覚刺激が呈示された時点で神経活動が活性化していた。Wikipediaより 

  心は、神経伝達物質の量やバランスに大変影響を受けています。興奮性の伝達物質が多すぎるとイライラして神経過敏になりますが、またこれが少なすぎてもやる気を失い、うつになることもあります。どの伝達物質が良いとかいう話じゃなくて、これらがバランスよく分泌されることで、さまざまな感情が生み出され、心の平安や、やる気や生きる喜びや、悩みや、愛や悲しみや、いろいろな人間らしい感情が生み出されるのです。
 この神経伝達物質のバランスが崩れないことが、心にとっても美容にとっても、人生にとっても、欠かせないことだと私は思っています。
 
神経伝達物質は、大脳辺縁系にあるアーモンドの種の形の小さな小さな「扁桃体」の働きで分泌されます。 扁桃体の指令で、神経伝達物質を脳内の各場所に放出しているのが、命の脳である脳幹にある「神経核」という神経細胞の集まりです。 神経核は脳幹に列をなして並んでいて、A、B、Cと3つの系列があり、さらにそれぞれにA1とかB5とか数字がついていて、左右対称に計40個の神経核が並んでいて、箇所によって、ドーパミン担当とか、アドレナリン担当とか、いろいろな役割で分かれています。 この中でドーパミンの放出を担当しているのが、A8~A16ですが、A9神経系とA10神経系は特に大きくて重要です。 ドーパミンは快楽物質で、簡単に言ってしまうと人間の「ウキウキ、わくわく」を司っています。
 楽しいことをしている時、何かを達成した時、誉められた時に嬉しいのはドーパミンが出ているからです
 
何かをしようという意欲や、やる気が出るのも、ドーパミンが出ているからです。 ドーパミン担当の神経系の中でも「A10神経系」は報酬系とも呼ばれています。 報酬系とは、ドーパミンが出る快楽を脳が覚え、その行為によって快楽を感じることを学習し、またその感覚を得たいがために、その行為を再び実行したいという意欲が生まれるということです。 この報酬系があるからこそ、環境に適応したり、高度な社会文明を築くことも出来ます。 目標を達成することを積み重ねることで、更に大きな意欲が生まれます。 ただ、この報酬系には1つ問題があります。 A10神経が暴走しないようにA6神経がギャバを放出して抑制しますが、どうやら前頭連合野にドーパミンに対する抑制機能がないようなのです。 A10神経系は、仕事や勉強など自分にプラスになることであれば、良い面が多いのですが、ギャンブルとか、薬物などによってドーパミンが出てしまうと、これに対しても再び同じ快楽を得ようとしてしまう場合があります。 ここに「依存症」という問題が生まれます。https://plaza.rakuten.co.jp/korrida/diary/201406170000/より引用

 また、国立精神・神経センター神経研究部 湯浅 茂樹 博士(岡山大学)   による 「恐怖する脳、感動する脳」(http://www.brain-mind.jp/newsletter/04/story.html)では、 脳の報酬系による快・不快のメカニズムを実験によって解明しています。

  これらを統合し、私なりが理解する脳の報酬系についてまとめてみました。 脳の中には報酬系の部位と罰系の部位があります。報酬系の部位を刺激すると快感、罰系の部位を刺激すると不快感の感覚が生じます。 この報酬系も罰系もいずれも古い脳とよばれるところに存在していて、独自には思考、記憶、命令といった機能は持っていません。本人の意思とは関係なく刺激によって快や不快を感じます。この脳内システムは、哺乳類や爬虫類、両生類や魚類などにも備わっているであろうと考えられる、生命維持のための基本的な構造です。ふつうは、生物にとって有益なものはおいしく(快)、有害なものはまずく(不快)と感じますが、そういう脳の機能が、個体の維持や種の維持に大きな役割を果たしてきたと考えられます。 ところが、人間が他の動物と違うのは、報酬系と罰系という二つのシステムが人間精神をつかさどる大脳につながっていることです。つまり、大脳での情報処理が報酬や罰の脳内システムに影響を与え得るということなのです。だから、人間はまずいと感じる薬や食べものも「体のためにいい」などの理由をつけて、進んで摂取することができるのです。 参考文献:「自己治癒力を高める」、川村則行著、講談社ブルーバックス(1998)

 以上のことから、進化の過程においてほとんどの動物が報酬系と罰系という脳の機能を獲得したのですが、これは本能的な機能であるのに対して、人間は大脳での情報処理(観念)によって本能的な機能を制御することができるようになったといえます。 そこに関わるのが個々独自の「フィルター」ということになります。
 例えば、面白いこと、楽しいこと、嬉しいことを体験すると「快スイッチ」が入り、「快ホルモン」分泌に至ります。ところが、体育会系のアスリートたちでは、苦しいこと・ストイックに自から好んで挑戦し、苦しさに耐えるという「罰」を与えているように見えます。しかも、“自分に厳しい”ことを快感にすら感じているように見えます。(M系とも言われますが…)それが「フィルター」に刷り込まれた主観の影響です。
「忍耐力(我慢強さ)は人間として多大な価値がある」という価値観念の影響を受け、更に苦痛の限界に起きる「ランナーズハイ」という苦痛を緩和するための生命メカニズムで起きる快感体験の経験を重ねると、脳は二大報酬に依存するようになります。そのため、どこまでも挑戦し続け、挑戦中の快感に加え、挑戦できたこと、やり遂げられたこと、その上、望み通りの結果を得たときの満足感が重なれば、個人的快感の他に周囲の賛同という快感まで得られるのですから「止められない」ということになります。人間以外の動物ではあり得ないことです。
   報酬系と罰系http://blog.livedoor.jp/gensenkeijiban-seimei/archives/20863651.html 参考

  これまで「フィルター」の重要な役割を度々述べてきました。「フィルター」とは統合された主観であり、思い込み、信念であることも重ねて記述してきました。これらはみな同じことを意味するもので、自分の体験から、信じるに値することだけを選択し積み重ねてきたものです。よって、思い込みとは「信じていること」と言い換えられます。それを覆すには、カルチャーショックなどにより自分の信じていることが間違っているかもしれない、という想いが湧きあがらないと無理なのです。もしくは、これまでとは全く異なる現実の体験による場合も可能です。

 今回の「脳の報酬系」からも明らかになったように、脳に「快」を与え、「不快」を与えないようにすることが、価値ある人生の創造を成し遂げる一番確実な方法であることがわかりました。しかしながら現在所有している「フィルター」を変えるには、「信じていること」を疑うような現実体験が必要であるということなら、そのような現実体験を待たなければならないのか?ということになります。そこで、いっそのこと「信じていることが間違いかもしれない」という疑いを、意識的に自分に向けることができないか?と考えました。 現在が何かと思うようにいかない、ストレスが多い、イライラして不安や心配に悩まされる、運に見放されたのでは?と感じたときがチャンスではないのか?と。もしかしたら、「フィルター」に問題があるかもしれないと思うことが大切だからです。そう思えたら、それまでは興味や関心を示さなかったものに目を向けることも可能になります。そこから新しい世界が広がり、思いもかけなかった体験や、思いもよらない新しい概念に出会い、「これだ‼」と新たに信じられる世界を手にすることができるかもしれないのです。

 ただ「信じていることがない」または「自分が何を信じているのかわからない」という人の場合、一般的な常識とか多数派の普通とかいうものを基準に考えることが間違いないということを「信じている」のかもしれません。平均的数値に頼ることが正解に近い、とする考え方が「フィルター」に刷り込まれているのでしょう。そうなるとこの「フィルター」のすげ替えという観念については、そういった一般常識や多数派の普通の範疇を超えるものなので、なかなか受け入れ難いとか、信じられないという結論を脳は出します。

「信じたい」と「信じている」とは似て非なるものです。「信じたい」は「信じられない」から発する想いです。「信じている」からは決してそのような想いが湧きあがることはありません。「信じたい」という想いを持った時も自分の信念を疑うチャンスでしょう。きっともっと強く信じている何かがあるはずなのです。それを崩さなければ「信じたい」ことを全面的に受け入れることはできないでしょう。
 「信じている」ことしか、現実にはならない。これが究極の現実回答です。それさえ忘れなければきっとあなたも思いのままの明日を創ることができるでしょう。ご健闘を祈ります。

  さて、ここまで「感情は自己責任、フィルターが創る世界」について、くどくどと語ってきましたが、「フィルター」取り換え作業の実践的詳細に関しては、まだまだ書きたいことは山ほどあります。この続きは理論よりも、具体的な実践にかかわることが多いのでなおさらです。現在これらをまとめる作業中ですので、いつか皆様のお目に留まることでしょう。それまで一旦筆を置き、別の機会に譲ることにしたいと思います。長い間お付き合いくださいました方々に感謝とお礼を申し上げます。今後はテーマの追及から離れ、その都度思いついた記事を投稿したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

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野宮

ここで一段落ですか。まったく今までと違った角度で、自分自身を観ることが出来
本当に良かったです。新たに採り入れたり、考えを180度転換させたりと自己改造に大変参考になりました。
ゆっくり充電して、またUP楽しみにしています。

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