意識のちから

「フィルター」が創る世界(5-1)

.無意識に意図を組み込む― その1潜在意識を育てる

 これまで、脳と意識についての新たな見解を考察してきました。にわかには信じられないことも多いのではないかと思います。 「地球には果てがあり、果てまで行くと崖の下は見えないほど無限に落ち込んでいる。そして太陽は東から西へと動き、月は西から東へと動いている。」と思い込んでいた人たちに、「地球は丸く果てはない、そればかりかその地球が回っている。」と言われても、当時の人たちは、それを理解することができないはずですし、まして信じることなど到底できなかったことでしょう。これは意識の次元の問題です。平面しかイメージできない人たちが、3D画像をイメージできるはずはありません。でも私たちは理屈抜きで、頭の中で地球が自転し公転しているイメージや他の多くの天体が自転・公転しているイメージをすることは可能です。その時、意識は地球の外側まで及び、地球を俯瞰しているのです。ここで人間の意識が拡大し次元は上がったということです。これは世界観の大変換で、劇的にパラダイム・シフトしたと言えます。きっと全人類の定説となるまでに、長い期間賛否両論が続いたことでしょう。現在の私たちの世代でも同様に、再び世界の観方・考え方の枠組みの大変換が起きていると言ってよいでしょう。そして更なる意識の次元を引き上げられようとしていると言えます。これまでの低い意識次元では到底理解も信頼もできず、よって実践は程遠いということになります。

ただ、先にものべましたように、理解できなくてもこのシステムが実用化され、現在のパソコンや携帯電話をはじめ、多くの電子デバイスに応用され、実用化していることを思い出してください。このように充分な理解はさておき、一度使ってみようじゃないか?という考えを働かせる人間って素晴らしいですよね。おかげで、わたしたちは想像以上の便利さを手にすることができました。そこで、この応用を脳と意識」に活用しない手はないとは思いませんか?

さて、先回の「結論」の項の最終で触れました“常に潜在意識を育てる方向に転換すれば、「無意識」に意図を組み込む”が実践活用の方法なのですが、とは言っても簡単に無意識に意図を組み込むことなどできるはずがないではないか、と言われる方も多いはず。
 無意識は意識できないところで自動的に働くもので、固定観念、思い込みは常に瞬時の判断を下し、それ以上先に進むことにブレーキかけたり、感情を煽るアクセルの働きをします。それが無意識に組み込まれた意図です。意図というものは、ネガティブ意図の方が強いエネルギーとなって作用するようです。

  例えば、誰かと喧嘩になったとします。喧嘩とはほとんどの場合、双方の正当性を主張し合うことから始まります。双方の正当性とは、双方のフィルターを通した現実の解釈の違いから起きます。でも当事者たちは、そのフィルター自体がもともと異なるものであるという考えはありません。あくまでもどちらかが正しくて、どちらかが間違っているという結論を導き出そうとします。これは個人同士の喧嘩だけではなく、国対国でも同じです。話し合いで決着がつかないと力で説き伏せようとして戦争となります。もしも双方のフィルターが違い過ぎれば、起きていることの解釈が真逆になることも当然あるでしょう。そして、双方がそこに気づけば、フィルターの違いについて語り合うかもしれません。そうなれば片方の解釈を相手に押し付けることができないことにも気づくでしょう。そして、そこに利害が発生していればお互いが利害を分け合うしかありません。利害が発生していなければ正当性だけで争うことの愚かさをお互いが知り、無駄に激高することも争うことも必要ないことに気づきます。 

  長く生きていると、人の死に度々遭遇します。人が死んでしばらくすると「空っぽになった」と感じたことはありませんか。わたしは度々そのように感じ、そこにはその人はいなくなってしまったと思うのです。屍はすでにただのモノにしか感じられなくなるのです。そして私もその人の肉体への執着が消え、別の存在を感じるようになり、その人がいなくなった後もその人をより近くに感じる、という体験を重ねています。齢を重ねた方の中には、時々同じように感じている人もみられます。それが原因なのかどうかはわかりませんが、確かに自分という存在は私の肉体(脳)ではなく、意識なのではないかと、いつからか考えるようになりました。昔の人が『魂』と呼んだ、そのことかもしれません。

私は「意識」を「意志の気」と思っています。「意志する気」を意識し、脳の上部に自己の意識を置く。脳というツールを自己の意志でコントロールしている自分を常に念頭に置くのです。無意識は意志のない気です。意志のない気ですから、簡単に他の意志にコントロールされます。教育、文化、組織や地域集団の習慣など環境から影響を受け、自己の意志とは関係ない観念を知らず知らずの間に植え付けられ、思い込み、固定観念が潜在意識に永年居座り、無意識を動かしているということが誰にでも起こっています。それが自分にとって有効なものならば、それを確信し、それを基準に人生を貫くことが大切です。もしも、なんらかのネガティブ要素を生む原因になっているかのしれないと感じるのなら、変換の必要があるということです。

成長する段階では周囲の大人たちの意識が反映するのは当たり前のことですが、自分の人生を創造する上では、自分の確固たる意識を育てて、独自の基準となる土台を構築してゆくことが大人として、社会の構築にも参加できる要素なのではないかと思います。大切なことは操られる意識ではなく、自ら選択して確信に満ちた意識という、意識の次元を上げることです。次元が変わっていない間は、現在解明され、実用化されている量子の性質を信じることから始めるべきです。量子の性質は、モノの根源はモノ(粒子)であるという常識を超え、モノはモノ(粒子)とモノでは無いもの(波動)の二つの要素から成っている、ということです。しかしそのような抽象的な解釈よりも、これまで「フィルター」に溜め込み、無意識を操っている多くのあなたの常識、思い込み、固定観念で満たされた潜在意識を観察する作業から始めた方が早いのかもしれません。

 ネガティブな感情が発生したとき、怒り、口惜しさ、拒否感、というこころの疲労、ストレスに「何故?」と自問します。そこには必ず思い込み、固定観念といった潜在意識に固定された記憶が無意識を強制的に支配し、「間違っている」「正しくない」「絶対受け入れられない」と共感を拒否しイライラを募らせるように、感情を操っているということなのです、そのようにネガティブな感情が度々起こるなら、自分にとってその固定観念、思い込みは害になるばかりで、益にはなっていないことを思い出してください。

 ここで一つ思い出したことがあります。「愛と共感の幸せホルモンオキシトシンです。出産と母性のホルモンと言われていましたが、最近では男性にも適応し愛という心の状態だけでなく、信頼という心の状態、男女の愛情という心の状態をつくり出すということで、急激にこのオキシトシンというホルモンの役割が注目されはじめたのです。幸せホルモン「オキシトシン」を分泌させると、さみしい気持ちが嘘のようにスッと消えるといいます。オキシトシンは良好な対人関係が築かれているときに分泌され、闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させます。オキシトシンが十分に分泌されていると、脳の疲れを癒し、気分を安定させ、人に対する信頼感が増し、心地よい幸福感をもたらしてくれるのです。ストレスからくるイライラも軽減され、さらに、お酒を飲んだ時のほっこり安らぐ感じに似たリラックス感も得られるとのことです。

 このようなオキシトシンの作用が解り、最近ではやたらにオキシトシンを投与することが増えたようですが、オキシトシンは、脳内で生成されるもので、特に共感や愛、信頼という感情が起こった時に分泌されるそうです。こころが「嫌いだな」と不快に感じれば、脳や身体の活動を停滞させるようなホルモンが分泌され、こころはいらついたり、憂うつになったり、孤独になったり、体も病気になりやすい状態に陥ってしまいます。逆に、こころが「いいな」と快く感じれば、意欲はかき立ててくれるホルモンが分泌され、こころはますます「やるぞ!」と前向きになり、身体の方も健康が増進します。病気などははねのけてしまうような元気がもりもりと湧き出てくるのです。  このように、幸せとホルモンは密接にリンクしているようです。オキシトシンは、心と身体の健康維持にも大きく貢献しているホルモンといえます。つまり、私たちはネガティブな感情に浸ることを極力避けることが大切であるということになりますね。「ストレスは当たり前」という考えを、この辺で考え直す必要があるようです。

Comment

野宮

 今日のページは非常に解りやすかったです。一気読みできました。
なぜか考えてみました。そうすると二つのことにきずきました。
 一つは、筆者自身の考えていることが、力強く自信を持って訴えているように
感じられたこと。
 もう一つは、あれもこれもと引用や、例示が多くなかったこと。
 私にはそう感じられました。

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myosho

いつも貴重なご意見をありがとうございます。私としてはむしろ、無駄が多すぎたのではないか、あまりにも言い切ってしまい過ぎたのではないかと心配しながら書きました。いつもはそんなところを修正してUPしていたのですが、そのように言っていただき嬉しいです。

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