「フィルター」が創る世界(3-2)

3意識の拡大が人生を価値あるものにする―その2

  私たちは自動的に感覚で受け止め、思い描き、感情を生み、思考する、という工程を行いながら判断と行動へつなげていることを再認識しました。その工程には“意識”が大きく関わり、各々の意識のフィルターを通して見たり、聞いたり、触れたり、味わったりしています。

そこで、まずはじめに、先回の「SIFT」に関して、読者の方から寄せられた「風鈴を知らない外国人」のエピソードをご紹介いたします。
 こんな実験があったそうです。「風鈴を知らない外国人」に日本の風鈴を聞かせ、脳や身体がどのように反応するかの実験でした。日本人の場合、風鈴を聞いて、音だけで“涼しい”と感じることはご承知の通りです。そのためか、風鈴の音を聞いただけで、脳は反応し実際に体表面温度が下がった、ということです。外国人や風鈴に馴染みのない若い人の場合は、体表面温度に変化はなかったそうです。クーラーのなかった時代の日本人はこうして風鈴の音色に風を感じ、涼をとっていたことが知られていますが、風流というだけではなく、その文化が実際に細胞にまで影響を与え、条件反射していたことを示している、と「SIFT」を読んで思い出したとのことでした。脳の「フィルター」に文化が強く影響している大変具体的な例の一つですね。

 日本人は風鈴だけではなく、セミの声、鈴虫の声などにも風流を感じていました。外国人にとってこれらは「noise」と表現され、うるさい雑音でしかないのに…文化というフィルターによって、感覚の良し悪しまで異なるということです。ただ最近の外国人は日本の風流という文化が“カッコイイ”らしく、風鈴は人気のおみあげになっているようです。また、芸術家など創造的な人たちのなかには、日本の風流や侘び寂 びに関心を示す人も少なくありません。数十年前にイギリスのブライアン・イーノ(ミュージシャン)さんが訪れていた時、彼とスタッフの方たちが寺の周囲に糸を張って風鈴のような金属を下げて、風によって奏でる音を撮って風の音楽を制作していたことがあります。お話をしましたところ、彼らは大変スピリッチュアルなマインドの持ち主のようでした。日本人は芸術家でなくても、本来的にスピリッチュアルな要素を内包している民族なのかもしれませんね。

 風鈴の音色には、α波(リラックスしているときの脳波)を誘発し、わたしたちをやすらぎへと導いてくれると言われる「/のゆらぎ」があることが知られています。「/のゆらぎ」は人の生体リズムや自然界にあると言われる、連続的でありながら一定ではない揺れのことです。実は心臓の鼓動にもこの「/のゆらぎ」があり、これがなくなり一定に固定化すると危ないと言われています。話は逸れましたが、日本人はこうしたはっきりとしない「揺らぎ」のような感覚に敏感な文化を持っているのかもしれません。ということは、脳の回路も高次なのでしょうか?あまりにも都合のよい解釈、我田引水にすぎましたでしょうか。

『SUPER BRAIN』(ディーパック・チョプラ著)より

 意識というのは、興味深いものだ。誰もがもっているのに、誰も十分にはもっていない。ただ、意識によってもたらされるものはむげである。この永久に続く意識の拡大を自ら体現した人物だからこそ、ブッタは仏教よりも偉大なのだ。この偉大な精神的指導者は、意識について三つの強みを体現し、三つの障害を遠ざけた。

三つの強み・・・・発展すること。拡大すること。刺激されていること。
三つの障害・・・・縮小すること、境界を作ること周りに染まること。

 ここにあげた言葉はどれも宗教色の強い言葉ではない。どれもより意識した状態の自分と向き合う姿勢を表す言葉だ。ブッダはシッダルタという名の悩める探求者だった。彼の父は王であり、王子として生まれた息子のシッダルタが偉大な統治者に成長することを願っていた。息子の精神的探求心を抑えるために、父は彼を城壁の中に閉じ込め、贅沢で苦しみと縁遠い生活を与えた。これは私たちが自分の意識に対して行っていることのたとえともいえる。私たちは、自我という壁の中に縮こまっている。心に境界を作り、その境界を越えた見方を拒む。そして消費社会が提供する快楽や所有を追い求める。

 より高い意識とは、必ずしも精神性の高いスピリッチュアルな状態とは限らない。ストレスと悲しみ、苦しみに満ちた人生は、自然と意識を委縮させる。意識の委縮は生き残るための一つの反応であり、委縮によって生み出されるのは生命の安全であって、同時に緊張、恐怖、持続的警戒、不安感、といった代償を伴うということは認識しておく必要がある。意識を広く持つことによってのみ戸口の明かり灯され、怖れずに世界を見ることも、不安を抱かずに、自分自身を見つめることもできるようになるのだ

 意識が拡大されると・・・
・自分の本音を話せる。
・善と悪を固定された対立構造として見ることはもはやない。グレー(どちらでもない)の領域が生まれ、その状態を受け入れる。
・他の人々の事情を理解できるため、より容易に許せる。(腹を立てることが極々稀なことになる)
・世間に身を置きながらより安全をかんじられるようになる。 (保険に興味が薄れる)
・孤立感や孤独感が薄れ、自分の幸せは他人ではなく、自分次第だとわかる。
 
(自己の責任下で楽しめる)
・不安や恐怖はもはや、かつてほどの説得力をもたない。(怖いもの,事が減る)
・現実とは可能性に満ちた世界であるということがわかりその世界を探索したいと願う。
・宗教、政治、社会的地位について。「こちら側対あちら側」という対立構造に捕らわれない。
・未知のものを驚異に感じたり不安に思ったりしない。未来はほかならぬ、未知のなかから生まれる
・不確実なもののなかに英知を見ることができる。そのような態度のおかげで、物事に白黒をつけずとも人生が自然に流れていく。
・ここに存在すること自体を恩恵として考える。

【すべての現実はあなたのこころが創り出している】

 ディーパックがとくに情熱を傾けている事柄に注目しよう。脳が思考や体験や知覚を「生み出す」という表現は、的確ではない。ラジオがモーツアルトを生み出すという表現が的確でないのと同じである。脳の役割は、ラジオにおける増幅器のようなもので、ラジオがあなたに音楽を聞かせるのと同じように脳は全身に向けて思考を提供する。バラの花を愛で、その芳香を嗅ぎ、そのなめらかな花びらを撫でたとき、ありとあらゆる種類の相関が脳内で沸き起こる。その相関が起きる様子は脳画像診断装置で見ることができる。しかし、バラの花を見て、嗅いで、触っているのは、あなたの脳ではない。

 この違いについて説明しよう。1930年代、脳神経外科医の先駆者である、ワイルダー・ペンフィールドは、運動皮質として知られる脳領域に刺激を与えた。その領域に微弱な電流を流すと、筋肉が動くことを見出した。(その後の研究で、この発見は脳の広い範囲に応用された。記憶中枢に電気刺激を加えると、鮮やかな記憶がよみがえる。感情中枢を刺激すると、突然、感情が爆発することがある。)その一方で、ペンフィールドは、心と脳を区別することが極めて重要であることも把握していた。なぜなら脳組織は、手や足で感じられるような肉体的な痛みを感じることができず、回答手術は患者の意識がある状態でも行うことができるからだ。

 ペンフィールドはが、運動皮質を刺激すると、患者の腕が跳ね上がる。何が起きたのかと尋ねると、患者は「腕が勝手に動きました」と応える。そこで今度は、腕を上げるようにと患者に頼む。何が起きたのかと尋ねると、「私が腕を上げました」と応える。このシンプルかつ直接的な方法で、ペンフィールドは誰もが本能的に気づいていたことをはっきりと示した。自分の腕を動かすことと、腕がひとりでに動くこととは大きく違う。その違いは、心と脳の間にある不思議なギャップをあらわにするものだ。腕を動かそうとするのは心の働きであり、腕の不随意の動きは、脳内で誘発されたものだ。この二つは同じではない。

 いよいよ面白くなってきました。私もこのこと(意識が現実を創る)に気づいたとき、世界がまるで異なって見えたことを思い出します。“脳は意識の翻訳機と増幅器の役割”なのですね。こんな面白いこと、なぜもっと世界中で話題に取り上げられないのかが不思議でなりません。ディーパック・チョプラ博士はよくこのことをわかりやすく解説して下さったと思います。この項は後々大変重要なポイントとなるので、しっかり記憶に残すようにすべきと思います。実はこの「現実はあなたの心が創り出す」ということを仏教でも教えています。「色即是空・空即是色」は、世界の多くの科学者の方々にも知られています。

 

 

 

Comment

myosho

「意識が現実を創る」に関しては、もう少し丁寧に考察して行きたいと思っています。

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野宮

すべての現実は自分自身の心に在り、ですね?
しっかりと受け止めました。

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