「フィルター」が創る世界(1-2)

脳に操られているのか、脳を操っているのか?―その2

 人間の身体は数兆億個の小さな回路からなる一つの巨大な自己制御回路と言えます。すべての細胞が互いに語り掛け、その答えに耳を傾けている,まさに自己制御(フィードバック)の本質です。フィードバックという言葉は、もともと電子工学の用語で、サーモスタットの温度を感じて自動的にON・OFのスイッチが切り替わるシステムです。人の身体も同じで、体温が上がると、上がり過ぎないように汗をかいて、蒸発するとき熱を奪って体温を下げてくれるからです。(賢いね)
 また、恐怖を感じるとゾッとします。これも速まった心臓の鼓動を調節するための制御回路が働いた結果です。更に薬の常用により、自身が産出する同様の天然物質の生成を抑制されたため、臓器は収縮してしまう。そのため突然薬を止めると心臓の鼓動を抑えられなくなって、心臓は制御不能なまま走り続けることになる。ということもあるそうです。結果は心臓発作!(怖いね)これもフィードバックの結果です。

 先にご紹介した「トゥモヨガ」のように瞑想により、自己制御回路をコントロールし、手足や全身を温めることも可能です。
 自己制御能によって正常な鼓動が維持されるとき、私たちは脳に使われている状態です。しかし心拍数や体温などを意図的に変化させるなら、私たちは自己制御能を利用している、脳を使っている状態です。

 私は「意識」という概念を「意思の気」と考えています。このように考えると、自分の身体の状態をコントロールしやすいからです。好奇心はこの「意思の気」を高め、何かを積極的に為そうとする働きを促す作用に役立ちます。もちろん好奇心にはリスクが伴います。反面、その効用で「怖がり」という習性は減少されていきます。「フィルター」はこうして書き換えられてゆき、余計な心配や不安は潜在意識から削除されていきます。これも自分が脳を操っていることになりますね。
 人間の脳が興味深いのは、「できると思っていることしかできない」という特性があることです。まさに「思いは招く」です。否定的な思いに傾いた途端、活動していた領域が使われなくなり、次第にその領域は退化する、という多くの理論に触れてきました。脳は結局物理的道具と言えそうです。その脳を使いこなすのは自分次第、私流には「意思の気」、つまり「意識」に他ならないようですね。
 これを精神力と思っている人たちが多いのですが、それは錯覚であると考えます。ディーパック・チョプラはこんな言葉を大切にしているそうです。それは「過去の自分の思想を知りたければ、今の自分の体を見ればいい、将来の自分の体がどのようになるかを知りたければ、今の自分の思想に目を向ければいい」と。

すべての人は自分の「フィルター」を通して世界を見、自己の有り様(思想・信条・その他の価値観・個性)を構築し、そのフィードバックされたものがその人にとっての真実の世界です。「フィルター」が変われば自分も、見える世界も変わります。
「正しい」という主張すら、「フィルター」によって判断されているのです。ISがイスラム原理主義の聖戦という「フィルター」を通すと、人殺し、テロも正しいことになってしまいます。ISだけでなく、日本も他の国も同じ正義(国益)のために戦う「フィルター」をかけられ、戦争を続けてきました。いまだに世界中からその「フィルター」が消えたわけではありません。
 最近ニュースを賑わせている、個性豊かな女性議員や、夫婦間問題をSNSで大公表し、罵倒する女優やらも、世界には自分の「フィルター」しか存在しないと思い込んでいる。その上それ(自分の正しさ)を多くの他人に押し付けようとしている。彼女等は「感情は自己責任‼」ということを認識していないために、自分の「正しい」にそぐわない他者に腹を立て、罵倒することで、自分の正しさを認めさせようという、子供のようなやり方を大人になっても、いや老齢になってまでもまだ続けている。
 
 ここまで、発達した情報社会から一体何を吸収しているのか?しかし、それも「フィルター」如何で異なるもの。興味の「フィルター」で観る世界が「自利」であれば、自分に利益をもたらす相手は味方、そうでない相手は敵なので、戦いを挑んで勝つしかない、という根源ではISの精神と異ならない。先進国の私たちは、そろそろ学習してしかるべきなのですが、稚拙というか、成長しきれていない大人たちの様子。私たち人間がいかに愚かであるかを、これでもか、これでもかと、見せられているようです。
 宇宙人が出てくるコマーシャルがありますが、あの宇宙人はそんな我々地球人を見てどのように反応するでしょうか。「Why?????」でしょうか。
 でも考えてみると、私たちははたして個々の思想や信条、その他の複数の体験や条件によって、複数の世界を見ている「フィルター」についてこれまで教えられてきたでしょうか?それぞれに見える世界が異なり、個々が違う世界に住んでいるということを教えてもらっていたでしょうか?私は学校で「正しい一つの答え」を教えられ、20代の頃もそれをそのまま引きずって、人間が生きるための「正しい一つの絶対的答え」を探していたことがあります。答えは「相対的」と知ったことは世界を大きく変えました。そんなあたりまえのことを、小学生とは言わないまでも中学では教えるべきではないかとつくづく思います。

 脳の機能がここまで解明されている今日、「脳は意識で操れる」ゆえに「感情は自己責任‼」ということを、もっともっと自覚できれば人間は格段に成長し、激高することが恥ずかしいと思えるようになるのでしょうか。品格とか品位という価値観は日本に古くからあったものです。現在ではあまり聞かなくなり、品位を損なうなどと評する人もいなくなりました。○○ハラスメントの概念が横行したことによるのでしょうか?だとしてもあまりに人格に関心が薄れているのでは?「貧しくとも品位を保つ」はお蔵入りでしょうか?もしかして人間は退化の方向に進んでいるの?

参考著書:ディーパック・チュプラ著「SUPER BRAIN」

 

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