成田悠輔 「22世紀のEBPMについて・理論と応用」講義

丸と四角の眼鏡がトレードマークで今夏の話題を総なめした成田悠輔氏が台風のよ

うにマスコミに出現し、連日のように底なしの智慧を披露しながら、新しい視点を紹介し、あっという間に日本を去って行きました。

成田節ともいうべき巧みな話術と、これまで見たことのない知的エッセンスとキャラクターにすっかり魅了され、結構な時間を割く結果となった私ですが、面白すぎて立ち去った後もその余韻が残っています。
その一部を紹介したいと思います。

成田 悠輔 (なりた ゆうすけ、 1986年 – )は、 日本 の 実業家 、 経済学者 。 イェール大学 アシスタント・プロフェッサー ( 助教 )、半熟仮想株式会社代表取締役。 専門は データ ・ アルゴリズム ・ 数学 ・ ポエム を使った ビジネス と 公共政策 の想像と デザイン 。 東京都 北区 出身。 10代で父親の失踪や家族の自己破産を経験。 麻布中学校・高等学校 卒業。極度の睡眠障害により中高では不登校であった。麻布中学在学時には柄谷行人のNAMに出入りした[3]。高校卒業後、1年浪人を経て、2005年に東京大学入学。2009年、東京大学経済学部を首席で卒業。2011年に東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。東京大学大学院在学中にVCASI研究助手。ヂンチ株式会社代表、一橋大学特任准教授、スタンフォード大学客員助教などを兼任。2016年、マサチューセッツ工科大学(MIT)Ph.D.取得[4]。2017年にイェール大学経済学部助教就任[5]。独立行政法人経済産業研究所(RIETI)客員研究員。ZOZO、サイバーエージェントなどの組織と、共同研究や事業に携わる。

国籍日本
居住日本アメリカ合衆国
生誕1986年(35 – 36歳), 日本東京都北区
研究分野経済学労働経済学教育経済学計量経済学)、公共政策因果推論

成田悠輔 – Wikipedia  ja.wikipedia.org/wiki/成田悠輔

以下引用元 【神プレゼン】デジタル化の重要性を訴える成田悠輔。皮肉や自虐を交えつつわかりやすく面白い。質疑応答まで完璧【成田悠輔切り抜き】 – YouTube

EBPM(Evidence-based Policy Making)⇒証拠に基づく政策立案

政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的と明確化した上で合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすること。

例:「イーグル・アイ」映画より
2008年公開・スティーブン・ピルバーグ制作(スティーブン・スピルバーグ作品の中では最も知られていない作品の一つ)

要約:ネタバレ
人工知能、イーグル・アイ「鷹の目」と呼ばれる影の主人公は、アメリカ政府が監視目的で開発した。これが大統領の違憲行為を発見し、大統領を暗殺すべきであるという政策決定に至る。

実行するためには人間の主人公たちの人生を乗っ取り、IOTによってウェブにつながった町を乗っ取って、大統領暗殺に駆り立てるという筋書き。

これはまさしくEBPMそのものではないか?

なぜかというと、データと政策の間の非常にスムースな循環関係であるように見える、僕たちのような至誠の人々というのが一方にいて、他方に政策を意思決定し実行する機会(AI)がある。

そして僕たちが生活していくと、その生活で僕たちがどんな存在で、何を必要としているのかということについてのデータを生み出す。

このデータが監視センサー網と通じて読み込まれ、政策機械に読み込まれていくということになります。そのデータに基づいて政策機械はどんな政策を行うべきなのかという意思決定を機械的に決定し、その政策の実行まで行う。その実行を行うのはデータの生成を担っている監視センター網そのものであります。

ネットにつながったIOT化した町というのが自動的に政策実行する、このデータの生成と政策の実行の循環というのが24時間体制で人間の報告書とか審議会といったようなモノを除いて、機械的に自動実行されていくような世界というのがこの映画に描かれている世界です。

これはただのSF的な空想ではない。このデータと政策の無限循環というのを達成するための要素技術は、もうほとんどこの世に存在していて、この世界は近い将来現実になる世界であろうと思います。

しかし、今現在の公共政策を見るとこのような22世紀のEBPMはまだただの夢。あらゆるところが動脈硬化状態で詰まっているのが現状です。そもそも公的機関が人々の政策について手に入れられるデータは、民間機関が手に入れられる総量とくらべ、微々たるもので月単位とか年単位 で時々しか観測できないものです。

そうやって救い上げたデータも改ざんされたり、廃棄されたりとお祭り状態というのが現状です。

例えデータが手に入ったとしても、そのデータに基づいてどんな政策を行うべきか、ということを決めるような効率的な機械や、実行を担うような機械というのは全くプロトタイプとしてさえ存在していない。 その政策の意思決定や実行というのは、どこかの良心に満ちた非常に勤勉なオバマ大統領のような存在がどこかにいるはず、彼らが担ってくれるはず、というのが現状の公共政策と思われるのです。

ただ、悪いニュースばかりではありません。このデータと政策の相互作用というのが社会のある一部では実現しつつあるように見える、それが、楽天、スマートニュース、LINEとかメルカリのような存在です。

こういったサービスを見ると実は22世紀のEBPMがほとんど実現されているように見えます。ユーザーがスマホやPCを通じてこれからのサービスにアクセスすると、どんな買い物をし、どんなお喋りをしているか、どんなニュースを見ているか、といったデータが貯まる、これらのサービスは完全にアルゴリズムベースで動いていて、これらのアルゴリズムは僕たちが生み出したデータを読み込んでそれに基づいて次にどのようなサービスを提供するか、どのようなビジネスを実行するかということをほとんど自動的に決めるわけです。そしてその選ばれたサービス、ビジネスがまたしてもスマホやPCを通じて僕たちにリアルタイムで還元されると、まさに22世紀のEBPMがここに実現しているということになります。

だとするとすぐに出てくる疑問は、なぜウェブ産業では実現している22世紀のEBPMが、公共政策では、まだ夢のまた夢なのかということが問題になります。故に、いまウェブ産業で何が起きているかということについてもう少しお話した後、そこからここで起きていることを公共政策に輸出するためには何が必要なのかということを議論したいと思います。

その為の非常に具体的な例として、もう一つのウェブサービスを例に使ってみたいと思います。それはZOZOTOWNというサービスです。

このサービスは主に僕たちのような中高年ではなく、20代の女性向けのサービスです。

年間利用者700万人を超え、年間取引総額3000億円以上ある、ファッションに特化したeコマースサイトとして日本国内最大のものです。

中略
少し考えてみると、このファッションeコマースサイトの背系という問題はEBPMそのものです。なぜかというと、一般にEBPMが解き明かしたい問題というのは次のような問題です

それは様々な状況に応じてどんな政策が正解なのかを知りたいという、ただそれだけの問題です。で問自体は単純だがこの問いに答えるのが難しいところが厄介で、この世界で、ある政策は何かというのを決めているのは、この複雑な世界の仕組みや混み入った因果関係であります。

この仕組みや因果関係を解き明かすことが難しいのが、正解が何かを知るのが難しいということになります。

これと全く同じ問題が先ほどのファッションeコマースサイトの設計においても現れています。どういうことかといえば、ログインしてくる様々なユーザーというのが、様々な属性を持っている。性別、年齢、過去にどんな服を買ったか?という異なる属性に基づいて個々にハッピーな世界を実現できるのか?が知りたい答えになります。この意味がEBPMそのものだということになります。

ただし違いが二つあり、一つ目の違いは、この例を作ってすぐに気づいたこととして、この例ではどの服を表示しても買われないのではないかというのが一つ目の違いです。

もう一つの違い、さらに重要な違いは、このファッションeコマースは22世紀型のEBPMにすでになっていて、自動化機械化されている、という点。先ほどのウェブサイトを設計し、運営しているチームというのが、200人から300人くらいのエンジニアとデータサイエンティスとのチームとして南青山にいて、僕もその一員として、コバンザメのように働いていたりします。 で、何をやっているかというと非常に単純で、このZOZOTOWNに行くとトップ画面に表示されている服、ここに何を表示するかを自動的に機械的に決めるようなアルゴリズムを設計する。どれかをクリックしてちょっと眺めた後、戻るとまた違うものが表示されている。

このアルゴリズムをどう設計するか?このアルゴリズム自体は純粋にただのプログラムで、僕たちがどこで寝ていようがシンポジウムで話していようが勝手に回ってくれるので、まさに22世紀のEBPMであります。そして有効な服やファッションのコーディネートを見つけるという意味で、これまさにEBPMで、因果関係を発言し、因果関係の意味で一番有効な服を見つけるような機械になっているということです。

中略

より重要なのは次の点です。このような機械化され自動化された政策や事業のための機械というのが世界の片隅ではすでに使われているということ。ただしその使われている領域が限られているということです。

具体的には、今お話ししたようなウェブ産業が一つで、もう一つは、AlphaGoとかに代表されるようなゲームへのAIの応用としてメディアを騒がせているもの、ゲームのAI
ですね。この二つぐらいが全面的に政策機械、ビジネス機会が導入されているほぼ唯一の産業であろうということになります。この意味ですでに実用化されているが、実用の範囲がものすごく狭いということになります。ただし僕の読みでは、この政策機械やビジネス機会の適用範囲は、向こう数十年ぐらいの間に凄まじい勢いで広がっていくだろうと推測します。その領域の一つが公共領域、公共政策領域なのではないか?具体的には軍事や警察や司法のように中国やアメリカのような一部の国ではすでに政策機械の実用が始まっている領域、また教育、医療の領域です。

例えば、人々の日常的な健康や医療行為というものにこの政策機械が適用されたらどんな世界が来るかを想像してみたい。

具体的には物理的なオフライン世界とオンライン世界でコンピュータがつながったウェブ世界というのが接続されて、日々あらゆる動線の中でどんな行動をとるとBMI(体重÷身長の2乗)がコントロールできるか?どんな行動をとればインフルエンザが予防できるかというようなことを示唆してくれるような推薦というのがオフライン世界とオンライン世界のあらゆるところに埋め込まれて僕たちの行動を無意識に意識的に制御してくれるような世界です。

このような世界はもうすでに実現しつつあって、過去数年くらいの間にアップルBOSEのような企業というのが僕たちの耳とか目とか腕といったような体の重要な部分をだんだん支配してきたことは皆さんもご存じだと思います。このようなデバイスを通じてもう一度僕たちの体に還元していくというサイクルが生まれつつあるわけです。

例えば人々の日常生活レベルの健康が政策機械のようなモノに導入されるのはもう時間の問題で、10年とか20年といった単位で僕たちの生活を一変するであろうというのは、だれの目にも明らかであろうと思うのです。

ただしより幅広い公共政策領域、例えば典型的な学校、病院、のようなものを考えると、この政策機械のような政策の自動化がいつ起切るのかを考えると目眩がするというのが現状で、おおくの壁が立ちはだかっているのが見えます。

その一つ目、それが規模と速度の壁つまりデジカル化の壁です。

そこで、先ほどお話ししたウェブビジネスの領域と、公共政策領域というのを比較してみたいと思います。

まずこの二つを比較するための軸として、データを作り出したり、データに基づいて示唆された政策を実際に実行する際の速度と規模という点からこの二つを比べてみます。

そうするとこの二つの間に天と地ほどの差が現状ではあるというのが明らかではないかと思うのです。

例えば中国やアメリカを支配しているような世界最大手のウェブビジネス起業というのを見てみるとサクッと」数十億人ぐらいのアクティブユーザーというのがいまして、その数十億人が日々何をしているかについてのデータというのがリアルタイムで、この瞬間も秒単位で溜まっていっているということになります。そしてそれに基づいて何をやるかをきめたら、その瞬間にその決めた政策を実行できるという介入の速度も持っているということで、ウェブビジネスは一言でいって非常に大きくて速い存在であると。

一方で多くの公共政策領域は非常に小さく遅い存在であります。なぜなら大きな国でもせいぜい数億人しかカバーできない。その国に住んでいる人々にとって何が観察できるかというとせいぜい月単位とか年単位で非常に粗い構造化されたデータが手に入るのみです。そしてこの政策をやるべきだ!と意思決定したとしても。それを実行するためのタイムラグが大きすぎて、それを実行する頃には世界が変わってしまっているかもしれないという意味で、大きな違いがあるということが言えます。

この壁を乗り越えるためには、どうにかして公共政策を大きく速い存在に変えていくことが必要になる。そのためには政策をどうデジタル化するか?政策現場をどうデジタル化するか?その一点に尽きるのです。具体的には数週間前に閣議決定されたというあのPC一人一台政策のようなものです。

小中学校のような政策現場に一人一台PCを導入すると典型的なイメージは、PCで本を読むなどのイメージです。しかしそれは本質ではなくて、背後にある未来の教室運動のようなものが考えている通り、PCを使って教育を受けると教育のプロセスの中でどんな問題に直面しているかについてのデータがリアルタイムで貯まっていく。それぞれの生徒がウェブ上で教科書を読んでいるときにどこで詰まっているかとか、どこで立ち止まってウェブでググったか?が貯まっていく。そうするとそれぞれの子供がどこでつまずいているかに応じて、教科書自体をパーソナライズすることができ、教育内容自体を最適化し、個人化していくことができるということで、このようなことのほうがデジタル化の本質なのです。

このような世界にたどり着くためにはまず政策や現場のデジタル化が必要ということになります。これが一つ目の提案です。

つまりEBPMというものよりももっと重要なものがあるように見えるということです。

そのもっと重要なものというものが、例えばデジタル化ということです。

僕たちがEBPMというようなものについて議論を始めると、あっという間にEBPM真理教のような感じになりまして、いかにしてEBPMを最適に実行するかということばかり議論するわけです。

しかしながら当然のこととして、社会はEBPMを実行するために存在しているのではなく、社会を動かしていくための100万個あるツールの中の一つとしてEBPMがあるに過ぎないのです。そうするとEBPMとその他の様々な施策の間でどれが重要なのかということを考える必要が出てくると思います。この点から考えて例えばいわゆるデジタル化とEBPMを比較してみると、だれの目にも明らかにデジタル化のほうが100万倍重要に見えるわけです。なぜかといえば先ほどお話ししたようにEBPMのようなものを大規模かつ高速に

実行していくためには、政策現場のデジタル化が必要不可欠というわけです。

なぜかというと、それなしにはデータも貯まらない。それなしには政策の実行ができないからです。

しかしながらひとたび政策現場がデジタル化できてしまえば、先ほどウェブ産業でご紹介したような自動化された政策機械、ビジネス機械というものを現場に導入することができるようになると思います。そうすれば今、僕たちが議論しているようないわゆる人力でアナログEBPMのというものは必要なくなるという意味でEBPMはデジタル化に比べ副次的な問題でしかないというふうに僕には思えてくるわけです。このような意味でまずデジタル化をと、まずEBPMより重要なものがあるのではないかというのが一つ目の提案です。

しかしながらこのような規模と速度とデジタル化という壁が乗り越えられても、まだ大きな壁が残っているように見えます。

それは、やる気と興味、そしてインセンティブという壁です。

ウェブ産業と公共政策を比較するとき、その軸はどれくらい関係者がエビデンスに対して強い食欲をもっているかという軸です。わかりやすい成果指標があるかないかです。

成果指標の中身がない、そもそもエビデンスの重要性ではないかと考えるほうが自然では?⇒エビデンスについて自然な食欲をもつ環境が存在しないということが2つ目の大きな壁として立ちはだかります。ではどのようにやる気と興味を変えるか?

人間は歴史の中でたった2~3の個の方法しか発明してきてないのではないように見えます。。

  • 洗脳または教育
  • 暴力
  • お金のような単純なインセンティブ

1と2は問題があり省き、3の金銭インティブについて語りたい
ある種のEBPMヘッジファンドのようなものを独立した組織としてつくるのが重要なのでは?

傭兵部隊のようなものをつくる。それをするために社会の片隅ですでにビジネス型EBPMを実装したことがあるエンジニア、データ科学者の方を開発の実行部隊として雇い入れ、そこに政策実行する権限と能力も持っている行政官も含めて独立したヘッジファンドのようなものをつくるということです。

そこに企業や成金の方の資産を突っ込んでもらって、政府の側から実行権限とデータアクセスというものを与えてもらう。そしてこのEBPMは独立した組織としてなんらかの政策を実行してそれに基づいてなんらかの成果指標を観察するということになります。あらかじめ成果指標に応じてこのEBPMヘッジファンドに参加している人々に対してどのような報酬が発生するかということを事前に公式のような形で決めておいてそれを契約化してしまう。それによってEBPM傭兵部隊という独立組織に参加している人達については外部的な金銭インセンティブによって成果指標を気にするインセンティブが発生するような状況をつくりだすということが重要だと思うのです。

纏めると、いわゆるEBPMというのは忘れたほうがいいのではないかということです。長い目で見たときに今EBPMと僕たちが言っているものよりもはるかに重要なものがあるように見えるからです。それは政策のデジタル化と機械化という22隻が他のEBPMです。

 

成田悠輔氏のEBPMヘッジファンドのアイデア是非実現してもらいたいと切に感じました。

 

この記事をシェア:

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です