2021年10月

(続) 社会変革への大胆な提言 『モモに学ぶ時代の牽引者たち』

NHK BS1スペシャル「コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ」

 BS1スペシャル コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ 山口周 斎藤幸平 磯野真穂

斉藤;
なぜ 私は マルクスのような 思想家を 読んで いるか ?
マルクスは 根本から問う。
ラジカルに問うことをしている、つまり 「豊かさ」とは そもそも何か?を 問わずして この問題は考えられない。

私たちは 資本主義的に「豊かさ」を前提としてしまえば、 当然経済成長してゆくことが 「豊かさ」の前提になるが マルクスにかえると 資本主義の「豊かさ」という前提そのものを問うことになる。

例えば、例えば 子育て において 1人 何千万かかると 数値で言われると すぐにソロバンをはじいて、 1人ならなんとか 育てられるかもしれないけど 2人は厳しいなー とか、 あるいは 今多くの人たちの間では, 一人を育てることさえも 都心部では 厳しいといわれている。子供を持たない選択をするカップルも増え 少子化が問題になっている。

そういう社会が 豊かなのか、 私たちはこの社会に 充分な食料が存在してないからという理由で 子供を持たない選択をしているわけではなく、 食料 電力 など 充分有り余るほどあるにも関わらず、 ただお金がない という理由で それも社会全体にないのではなく 一部に偏ったため、 多くの人たちが 子育てを 諦めざるを得ない。 また 別の自分の夢や希望を 諦める社会、 これはむしろ 貧しい社会なのではないか。

ナレーション
では 子を和む 社会はどうあるべきか?
まずは 人々の 誤解を とく必要があるという。

斎藤;
よく誤解されているのは マルクスも そういった 近代化を 勧め 経済成長をしていこうという 思想だったと言う風に誤解されている。

ナレーション
斉藤はこれまで 埋もれていた 晩年のマルクスの文章から 知られざる 施策の 到達点を 見出した。

斎藤;
マルクスは 初期の若い頃は 資本主義 をもとに 技術も発展して行くし 膨大な富が 生み出される (ことに) 感銘を受けて 確かに一部の資本家たちによって 独占されているから よくないけれども この技術がみんなのものになって 広がって行き もっと経済が成長していけば みんな豊かな生活ができるようになると 楽観的に考えてきたフシがあった。 ところが だんだんマルクスが 年を取っていくにつれて むしろ 資本主義というのが いかに破壊的なシステムなのかということを認識するようになった。 それは単に 格差が広がっていって、労働者が資本の奴隷になっていくだけではなく、自然から奪う力を強めていくことで環境問題が深刻化していくということを、特に晩年のマルクスは認識するようになっていた。

ナレーション
晩年イギリスで暮らしたマルクスは 貧しい人びとの劣悪な労働環境や、自然が破壊されることに 心を痛めていた。 やがてマルクスはその眼差しを 地球そのものへ向けていく。 >> 続きを読む

社会変革への大胆な提言『モモに学ぶ時代の牽引者たち』

NHK BS1スペシャル「コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ」

BS1スペシャル コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ 山口周 斎藤幸平 磯野真穂

 

児童文学者ミヒャエル・エンデの『モモ』は、私たちに「本当のコトとは?」を教えてくれる、大人たちへの覚醒を促す奥深い哲学書ではないかと思っています。

そんな『モモ』を愛読する知識人たちも多く、今回はその一部の3人の方々による、コロナ禍から見える「本当のコト」が語られたNHKの番組からお伝えしたいと思います。

山口 周 (独立研究家)
コロナにより近代が終わろうとしている。誰もが「生きるに値する社会」は、どうすれば実現できるか?

斉藤幸平 (経済思想家)
マルクス研究に新たな光をあて、格差や環境問題を乗り越える道を探り続ける。
「コロナも気候変動も、真犯人は資本主義

磯野真帆 (医療人類学者)
病や死を前にして人はどう生きるべきか問い続ける。命と言うものは簡単に数値化できるものではなく、数値化すればすべてがわかるものではない。

ナレーション
『モモ』の世界に描かれる人々は、現代社会に生きる我々そのもの。他者と触れ合う時間を奪われ生きずらさを募らせていく世界。
コロナ禍によって突きつけられた問、「命か、経済か?」。
そうした問そのものに斉藤幸平は憤りを覚えている。

斉藤:
先進国においては、この数十年間にわたり、新自由主義政策が進められてきていて、例えば医療保険制度に対する予算削減が行われてきた。保健所の数が減らされ、病床数が減らされ、国立感染症研究費や人員も減らされた。
そうした状況にウイルスが入ってきて感染は広まってしまうと、一気に医療崩壊までつながってしまう、というように脆弱が露呈された。
「命か経済か?」というものを個人個人が選ばなければならないような過酷な状況に置かれていると思う。
本来、リスクを個人に押し付ける社会は間違っている。国家が個人に対して現金給付をするなどして、経済のリスクを個人のレベルで減らすことは充分にできることではないか。

ところがこの間の新自由主義の政府はできるだけ人々の生活に立ち入らない、すべてを自己責任という形で個人のリスクマネージメントに任せてしまう。そうしたやり方をず―っと推し進めてきた。いわゆる「自助」です。

この「自助」ばかりが大きくなって、「公助」や「共助」が非常に小さくなっている社会は、端的におかしいのでは?みんなが苦しんでいる状態の中で、一部のすでに充分豊かであった人たちが、ますます富んで行く。これまでも様々な大変な想いで働いていた人たちが今、この状況下でリモートワークもできなくて、リスクの中で働いているにもかかわらず、ますます困窮していく。
こうした二極化と言うのが一つ、資本主義の本質的な傾向だと、私は思っている。
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