2021年7月

人の幸・不幸を決める価値観

先回の記事を書きながら、自己の進化や成長にとって無意味な怒りや反発の原因に目線が映りました。

先回記事からも見えてきました「価値観」 の強要です。

 あらためて「価値観」とは、を思い起こしてみてください。
日常的にも、将来的にも、自分にとって何を重視し、何を大切にし、何に支えられ、優先しているか?

お金が一番、家族が一番、成績が一番、人付き合いが一番、成功(学歴、肩書き)などのステータスが一番、やっぱり宝石、いや家じゃない?高級車だよ!など自分にとって幸せと感じられる要素、一番価値ある条件が何かという考え方のことですね。国によっては何よりも宗教を優先する場合もあります。

誰かにとって生きる力になっているようなこと、モノが、他の誰かにとってはくだらない安物の花柄便座カバーのようなものかもしれません。そのように、生きる力を与えてくれたり、くだらない安物の便座カバーのように感じたりする原点になっている、いつの間にか刷り込まれた考え方です。

別のところで産まれ、べつの道を歩いて育った他人同士が価値観を共有することは難しいものです。

似たような環境で一緒に暮らしている家族でさえも、違う価値観を持っているものです。価値観はこれまでの経験や環境、性格などさまざまな要因で決まります。
一部分で共有できたとしても、すべてを共有できないのが価値観です。

日本では強要罪という罪がありますが、義務のないことを強要する場合に成立するそうです。
ところが日本においてこの強要罪が成立したということをあまり聞いたことがありません。
もし、このような罪が日常茶飯事に成立していれば、もっとメジャーな言葉として使われていたでしょう。それを可能にしているのが常識という文化的価値観ではないでしょうか。

そして、近年話題が絶えないようになった、パワハラを始めとする多くのハラスメントの実態は、こうした常識・文化がパラダイムシフトしている時代の過渡期にある現象と言えるのではないでしょうか。

(パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。パラダイムチェンジともいう。ja.wikipedia.org/wiki/パラダイムシフト

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