「“根拠なき不安”を越えて」最終
大澤: 歴史の記述の在り方というのをちょっと違うのを持ってて、時節として、対話型の記述というのもあると思う。それが多声的とかポリフォニック(重層的)といういろんなモードのある歴史というのがあり、それを作りたいと思っている。
木村: 解ってます。歴史を書く人がいない方がいい、というんじゃなくて、いっぱいいて欲しいんです。一個だけじゃないっていう。今出ている歴史が何処まで正しいのかは不安ですが、今ってそれぞれみんなデジタルで周囲のことを記録してるじゃないですか、ブロックチェーンなど、そういう技術で消せない記録したりしてるし、その方がいいんじゃないかと思うんです。例えばこの場にいる私とあなたも、この場に関する考え方、起こっている記録も違うと思うんです。で、私もあなたも記録し、それを後日見た人は、より全般的なことが解るんじゃないのでしょうか。
大澤: これはねー、難しくて・・・・、簡単に言うと情報の寄せ集めは歴史にならないんですよ。僕たちは歴史的な判断を留保した上で、とにかくアーカイブで起こしていこうという風にやってるわけ。解釈抜きで、なぜなら木村さんが心配してるうように、そこでは解釈入れると価値判断が入って、目的によって使われちゃうから。無目的でどんどんアーカイブしようと、やってんだけど、これ無目的でアーカイブされたまま結局置いとかれるんですよ。どっかで、判断とかかまさないと残らないんですよ。ただデータはあるよ。
安田: 今風にいうと、タグ付けしておかないと情報としての価値がない?僕2年前の発言を思い出してきたんですが、歴史の重要性を否定したわけではなくて、確か古文書を読んだり、一次資料を解読するのに結構時間がかかって、そこが大切だと言ったんだけど、それはA・Iとかでもうちょっと省力化して、より歴史の解釈とか、何が正しいのか、白黒つかなくても濃淡をもうちょっとね、別のことに時間を割いて歴史学が一般が入りやすいようにしたら、より専門家が育つんじゃない?
古市: これが対話でしょ、多分。
大澤: だけど、問題はA・Iに古文書読ませるとかいうプログラムするスキルすら手放してしまうと危なくて、そこもどこかでで基礎教養として持っておかないと・・日本の大学は手放そうとしつつあるから。
ナレーション:
大澤が対話のコードを奪うと危惧するデジタル化。去年人工知能が社会を変える動きが大きな話題となった。A・Iにまつわる不安、そしてワーストシナリオとは?
メーカー廣澤裕さん:
今、デジタルに絡む仕事をしていまして、根拠なき不安ってホットトピックとしてA・Iがあったと思うのですが、結局我々が入口と出口だけ作って、中身の処理は解らない状態になる。人間レベルだと。そこで、判定された結果、アウトプットが「これって正しいの?」というのが今はあると思うが、その更に先の未来の子供たちが答えを出されるたときに疑問を持たなくなってしまうというのは絶望的だと思うんです。 >> 続きを読む