共創空間

真実を見抜く一人の声が、集団の幻想を覚ます 

『隷属なき道』(続)

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第10章 真実を見抜く一人の声が、集団の幻想を覚ます まとめ

・1954年12月21日に洪水が来て世界は滅亡する。そう予言した主婦とその信者10名がいた。洪水は訪れなかったが、信者たちは「我々小さなグループが地球を救ったのだ」と言い、自らの世界観を改めるより現実を再調整することを選んだ。

・この出来事を観察していた心理学者のフェスティンガーは「認知的不協和」という言葉を創り、深く信じることが現実と対立すると、人はそれまで以上に頑なに自らの世界観を信じると論じた。

・同じ頃、心理学者アッシュは、集団の圧力がかかると人はその目で見ていることが見えなくなることを実証した。集団の他の人たちが同じ答えを出すと、明らかに間違っていても、被験者も他の人たちの答えに倣うのだ。 >> 続きを読む

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国境を開くことで富は増大する

『隷属なき道』(続)

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 9章 国境を開くことで富は増大する

・西側世界は発展途上国を支援するために、年に1348億ドル、月に112億ドル、1秒に4274ドルを費やしている。過去50年間に投じた総額はほぼ5兆ドル。

・その支援は役に立ってきたのか?その効果の実際のところはわからない。MITの教授エスター・デュフロは貧困行動研究所を設立。世界56か国で500件以上の比較試験(RCT)を進め、開発支援の世界を根底から覆いつつある。

・RCTのおかげで直感に反する結果が判明している。100ドル相当の無料給食が、学校に通う年月を2.8年伸ばすことが分かった。無料の制服の効果より3倍長い期間だ。寄生虫に苦しめられている子供の場合、わずか10ドルほどの薬というきわめて小さな投資によって、就学年数を2.9年伸ばすことができた。 >> 続きを読む

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AIとの競争には勝てない

『隷属なき道』(続)

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第8章 AIとの競争には勝てない まとめ

・(コンピューター)チップと箱(コンテナ)の出現が世界を縮小し、品物やサービスや資金がかかっていないスピードで世界を回るようになった。

・そして不用と思われた労働対資本の比率が崩壊した。国民所得の⅔が労働者の給与になるという状態から、現在の先進工業国では国の富みのうち58%しか給与として労働者に支払われていない。世界が小さくなり、「勝者が一人勝ちする社会」が」やってきた。

・さらにオックスフォード大学の学者は、20年以内に米国人の仕事の47%以上とヨーロッパ人の仕事の54%が機会に奪われる危険性が高い、と予測する。 >> 続きを読む

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 優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば

『隷属なき道』(続)

第7章 優秀な人間が、銀行家ではなく研究者を選べば まとめ

 ・農業や工業の効率が上がるにつれて、経済に占める割合が縮小。サービス産業に多くの仕事を生み出した。ますます多くの人が有形の価値を生み出さないまま金を儲けるシステムができ上がった。

・そこには「くだらない仕事」をする余地も生れた。そして管理職が多い国ほど、生産性と確信性が低いことが分かっている。ハーバード・ビジネス・レビューが1万2000人の専門職の人を対象に行った調査では半数が、自分の仕事は「意味も重要性も」ないと感じ、同じく半数が、自らの会社の氏名に共感していなかった。 >> 続きを読む

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ケインズが予測した週15時間労働の時代

『隷属なき道』(続)

第6章 ケインズが予測した週15時間労働の時代 まとめ

 ・1930年、経済学者ケインズは「2030年には人々の労働時間は週15時間になる。21世紀の最大の課題は増えすぎた余暇だ」と予言した。

・19世紀半ばから労働時間の短縮が始まる。1855年、オーストラリアのメルボルンの石屋が、他に先駆けて、一日8時間労働を保証した。19世紀末には、一部の国の労働時間はすでに週60時間に下がっていた。

・フォード・モーター・カンパニーを起こし、T型フォードを開発したヘンリー・フォードは1926年、市場初めて週5日労働を実施した。

・第2次世界大戦後も余暇は着実に増え続けたが、1980年代、労働時間の減少傾向が止まる。アメリカでは、むしろ労働時間が増えはじめた。個人の労働時間に減少が見られた国々でも、家族単位では、ますます時間に追われるようになっていた。 >> 続きを読む

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GDPの大いなる詐術

『隷属なき道』(続)

 

 第5章 GDPの大いなる詐術 まとめ

 ・GDPは進歩の計算も苦手だ。コンピューター、カメラ、電話は洗練されたが数字には反映されない。さらに、無料の製品となると、経済の首相という評価をもたらしかねない。例えば、Skypeのような無料電話サービスは、通信企業の収益を大幅に損なっている。加速度的な進化にも関わらず、情報部門がGDPに占める割合はインターネットがまだ普及していなかった25年前から変わっていない。

・1932年、不況の底にあった米国は優秀な若いロシア人教授、サイモン・クズネックを雇い、米国はどれくらい多くのモノを生産することができるか、というシンプルな問いの答えを探させた。クズネッツは数年かけて、後にGDPとなるものの基礎を築く。その貢献によりクズネッツは1971年にノーベル経済学賞を受賞する。

・GDPは戦時における国力の優れた指標であった。 >> 続きを読む

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 ニクソンの大いなる撤退

『隷属なき道』(続)

 

第4章 ニクソンの大いなる撤退

・ニクソンは1969年には、すべての貧困家庭に収入を保護する法律を成立させようとしていた。例えば家庭には、1600ドル(2016年の貨幣化に換算すると訳1万ドル)」の収入を保証するものだった。

・しかし計画公表の日に、一部の保守派から150年前の英国スピームランド制度の報告書が大統領に手渡された。ベーシックインカムを受給する失業者に労働省に登録する義務を課した。しかし貧困を撲滅すると同時に失業者の怠惰さと戦うというニクソンのトリックは「貧困層は怠け者」という通説を印象付けることになった。

・18世紀末に実施されたスピームランド制度は「勤勉ながら貧しい男性とその家族」の所得を最低限の生活ができる水準まで補填するものだった。しかし1834年英国の王立委員会はスピームランド制度について「大失敗だった」と結論付け、人口の激増や賃金カット、不道徳な行為を招き、労働者階級が劣化したと非難した。 >> 続きを読む